その森に・・・前編

作:モンジ


その森に、入ってはいけない・・・・
入ったら帰ってこれなくなるのだから・・・・・



夜、爛々と三日月が輝き、幾千にも散らばる星々が夜空を賑わせている。
まるで夜の闇を淘汰するかのようにそれらの発する光は夜空を彩っていた。
そんな、空に広がっている光の渦から目を離し、大地に目を向けてみる。
そこには、ただひたすらに広がる森だけがあった・・・・


深く、暗く、どこまでも続く木々の群れ。
巨大な幹がまるで壁のように行く手を阻み、太い根が幾重にも絡み合って複雑怪奇な文様を地面に描き出している。
空を見上げても、鬱蒼と茂る木々の枝葉しか見えず、星はおろか一片の月明かりさえ見ることができない。
大森林・・・・そんな言葉がこれほど似合う場所もないだろう。
昼間でも、太陽の光が地面を照らすことがなく、夜ともなれば、辺りを包むのはただひたすらの闇だけ・・・・


そんな暗闇の世界に、たった一つだけ辺りを照らすものがあった。
松明の光。
この大森林の前ではあまりにも小さすぎるその光は、しかし持ち主達のために懸命に光を発し続けていた。


「・・・・・私たち、完璧に迷ってるわよね」
大きく自己主張をしている胸に、すらりとした肢体。女性なら誰もが羨むその体に、深紅のパーティードレスを纏わせた女性、カルールはそう呟いた。
ややウェーブのかかった豊かな黒髪に、ポッテリとした真っ赤な唇、スラッと通った鼻筋。
少しキツイ感じだが意志の強そうな紅の瞳。
情熱的。そんな言葉がぴったり当てはまるその顔に、不機嫌と言う表情を浮かべたまま彼女は言葉を続ける。
「大体、どうやったらこんな森の中に迷い込むわけ?おいこら!聞いてんの?そこの方向音痴!!どうにかしなさいよ、この状況!!」
松明を持って先頭を歩く少女にカルールは八つ当たりを始めた。
「そんなこと言われても・・・・大体お嬢様達がパーティー抜け出さなきゃ、今頃帰れてたんですよぉ・・・!!」
先頭を歩いていた方向音痴、もといルディアはその幼なさの残る顔をカルールに向けて、批難するような眼差しを送った。
短く切った金髪とくりくりとした瞳が印象的で、なんとも活発的な印象を与える。
体つきも小さく、どこか小動物を思わせるような可愛らしさがあった。
着ている使用人の服も、なんだかサイズが合っておらず、微妙にアンバランスだ。
「ええ、確かに抜け出したのは私達が悪かったわね・・・でもね、なんで今私達は森の中にいるのかしら?ほら、答えてみ?」
「・・・・・・私が転送の魔法ミスって道に迷ったからです。ごめんなさい」
「今更、謝っても状況は変わらないからね。とっとと帰る方法探せ!!」
カルールとルディアが微妙な言い争いを続けていると、カルールの後ろ、列の最後尾にあたるところから気弱な声が発せられた。
「・・・・・ごめんなさい。私が抜け出したいなんて言わなければこんなことには・・・・」
カルールの妹、ミストだ。
憂いを含んだような漆黒の瞳に、清楚で上品な顔立ち。透き通るような白い肌・・・
さらさらと流れるような黒髪が肩のあたりで揺れている。
深窓の令嬢と言う言葉がこれほど似合う少女もいないだろう。
姉のカルールと比べるとずいぶんと華奢なその体は、一応の女性らしさは出ているが、色気と言ったものとは無縁のようにも思える。
深緑のドレスが彼女の慎ましやかな性格を表しているように思えた。
ガラス細工・・・・少しの衝撃でも砕けてしまいそうな・・・そう思わせるほどの儚さ、弱さがその少女、ミストにはあった。
「あなたは悪くないわよ、ミスト。だってどうしても嫌だったんでしょ?あのパーティーの男達が・・・・
大体、迷ったのはそこの方向音痴の所為なんだし・・・・
ほら、方向音痴。あんたもなんか言いなさいよ!」
「え〜と・・・・・・・その内いいことありますよ!!」
なんとも微妙な言葉を、満面の笑みを浮かべて、自信たっぷりに言い放つ、アホの子が一人・・・・・・



そもそもの事の発端は、ミストがパーティーから抜け出したいと言ったことからだった。
そもそもパーティーとは、交流を結ぶための場である。
親しい者との談笑を楽しむということも無論あるが・・・
それよりも新たな人脈を作る、ということの方が主要な目的なのである。
その目的の中には婚約というものも含まれる。

そんな場に、妙齢の、しかもミストやカルールのような美麗、豊麗な女性がいれば、男は黙っているはずがない。
好色な視線を送りつける者や下賤な話をしてくる者、いきなり体に触れようとする者まで出てきた。

さばさばとした性格のカルールはそういう輩に慣れており、軽くあしらい、相手にせずにいた。
しかし、ミストはあまり社交的な性格ではなく、そのような男達に慣れていないこともあって、すっかり参ってしまったのだ。
そして彼女は姉であるカルールに助けを求め、その結果、二人でパーティーの会場を抜け出すことになったのである。
そうして二人が抜け出したところに、お付きの従者であるルディアが現れ、彼女達を連れ戻そうとした。

と、ここまでなら、そこらに転がっているようなよくある話である。
問題はこの後だ。
多少なりとも魔法の心得があるルディアは、どうしても戻りたくないと駄々をこねる二人に対し、強制転移の魔法を行使したのだ。
その魔法自体はそれほど複雑なものではなく、きちんと学んでさえいれば失敗することはない・・・・・きちんと学んでさえいれば・・・
そこは生兵法のなんとやら、で
もれなく魔法は失敗し、見当もつかない場所に放り出され、今の状況に至る。というわけである。



「とっとと、この土地の把握すませなさいよ・・・」
溜息交じりに、カルールがルディアに言う。
転移の魔法は、自分達の居場所を把握していなければ使用できないのだ。
「そんなこと言ったってぇ!なんか変なんですよ、この森・・・
魔力の流れが変で魔法が効きづらいんです・・・・・・」
「あんたが未熟だからじゃないの?」
「あう、ひどい・・・でも本当に変なんですよぉ!周囲を見渡す魔法使っても、なぜか見渡せないしぃ・・・」
少し拗ねたような顔をしながら、ルディアがぶつぶつと言いだす。
すると、ミストが周囲を見渡しながら、ふと呟いた。
「でも、姉さん・・・ルディアの言う通り、確かにおかしいよ。こんな森の中なのにモンスターどころか、虫にも出会ってないんだもの・・・」
その硝子玉を思わせるほど美しく、澄んだ黒い瞳に、僅かな不安と恐怖の色が浮かんだ。
確かに、ここまでの深い森ならばモンスターの生息地になっているだろうし、それ以外の生物に出くわしても不思議ということはない。
むしろ出くわさない方がおかしいのだ。
だがしかし、今まで動くものの気配を感じることはなく、物音すら聞こえてくることはなかった。
まるで、森の中に居るのは自分達だけ・・・そんな錯覚に陥りそうになるほど、この森は静まり返っているのだ。


「ただの偶然、と思いたいとこだけど・・・・確かにあれだけ歩き回って、虫の一匹も見かけないのは、おかしいわね・・・」
カルールは、その艶めかしい唇に指をあてながら考え込む。
その仕草は優美で、妖艶で・・・誰もがやる様なポーズであるのに、さながら一枚の貴婦人画を見ているようで・・・・
松明の光が、そんな彼女の横顔を照らしていた。
「お嬢様、考えていてもしょうがないですって。とにかく進みましょう!前進あるのみ、です!!」
あっけらかんとした口調でルディアが言う。
この少女には悩み等と言うものが無いんじゃないだろうか?
二人の姉妹は、彼女を見つめながらそんなことを考える。
天真爛漫、それ以外の言葉がこの少女に対しては思い浮かばないのだ。
まあ、二人ともこの明るさと前向きさに助けられているのだが・・・


ルディアに促され、再び森の中を歩きだす三人。
だがしかし、相変わらず続くのは樹木の立ち並ぶ光景ばかり。
そびえ立つ木々の幹が、松明の炎に照らされ、ゆらゆらと微妙な陰陽を浮かべている。
歩き続けても歩き続けても、ただ見えるのは同じ様な木々の群れ・・・
いい加減そんな景色にウンザリし、軽い疲労の影も各々の顔に出始めていたころ・・・
唐突に目の前の視界が開けた。


そこに広がった光景に三人は思わず息を飲んだ。
月光の広場・・・そう言える程その場所は月明かりに満たされていた。
今までの欝蒼とした木々はその広場の一帯にだけは生えておらず、代わりに白色の小石がその大地を占領している。
隙間が無いほど敷き詰められているその石達に、月の光が鈍く反射し広場を薄っすらと照らしている。


そんな月光と石の織りなす美しさに言葉を失う三人。
一面の白色の世界・・・
松明など必要ないほど光にあふれているその広場を、三人は茫然と見回す。
ふと、広場の向こう側に人がいるのをミストは見つけた。
「姉さん、向こうの方に人がいる!!」
「助かったわ、これでここがどこだか判る・・・!」
安堵の溜息と同時に思わず声を上げるカルール。
ようやく帰れる!
今、彼女達の頭にはその思いしか湧いてこないだろう。
「早くここがどこか、聞きに行きましょうよ!お嬢様!!」
ルディアが明々と言い、三人そろってその人影のいる方に歩みを進めていく。


屋敷に帰って、まず何をしよう・・・・?よく冷えた水を飲んで喉を潤おそう・・・・
熱いシャワーでこの体の疲労を全て洗い流そう・・・・ふかふかのベットで心ゆくまで眠り続けよう・・・
そんな期待と、希望を胸一杯に抱えながら、その人影に近づいてゆく三人。
自然とその足取りも速くなってゆく。
ようやく、ようやく帰れる!もう歩かなくてすむ!


・・・・だが、そんな、いじらしい希望も現実の前にあっさりとすり潰されることになった。
そこに見えていた、人だと思っていたものは白い、女性の石像だったのだ。
後ろに流れている長い髪が印象的で、左手を前に出して何かを掴もうとしているような、何かから必死に逃げるような恰好の裸像である。
その表情は恐怖と焦りに彩られており、サディスティックな欲情にかられそうな、そんな妖しさがあった。
広場に広がっていた白い石で創られたようであり、月明かりに照らされて、女性特有の滑らかな裸身が鈍く妖しく輝いている。
まるで本物の人間をそのまま石像にしてしまったような・・・そう思えるほどの緻密さと生々しさが、その石像の怪しさを更に際立たせていた。


性質の悪い悪ふざけ、自分達を絶望に突き落とすために作られたとしか思えない石像。
もはやそんな考えしか浮かんでこない。
「ああ!もう!!なんですかこれ!?折角、人に会えたと思ったのにぃ!!」
半分泣きべそをかきながらルディアは石像を思いっきり蹴りつける。
「ちょっと!やめなさいよ、ルディア!!」
たまらずカルールが彼女を止めようとする、が石像はそのままバランスを失い、地面に叩きつけられて砕けてしまった。
前に伸ばされた腕が肘のあたりで折れる。
片足が根元からもげて、さらに幾つもの破片に分かれた。
女性特有の、丸みをおびたふっくらとした胸にも亀裂がはいり、一部が砕け散る。
その顔にひびが幾つもはいり、砕けた破片がそこら中に飛び散った。
無残に壊された石像の瞳は、相も変わらず虚ろなまま虚空を見つめ続けている。
「ルディア・・・流石に壊すのはまずいよ。ひょっとしたら誰かの作品かもしれないんだし・・・近くにこれを彫った人が住んでるかもしれないんだよ?」
ミストが恐る恐るルディアをたしなめる。
カルールはもう、彼女が起こした惨状の結果に呆れ返っていた。
「だって・・・・だって・・!」
ルディアは泣きながら何かを言おうとする、が嗚咽を漏らすだけで言葉が続かない。
カルールもルディアも、できることなら泣きたいところであった。
しかし、こんな所で泣いてもどうしようもない。大体が、泣くほどの元気も湧いてこなかった。


「ほら、行くわよ、ルディア。こんなとこに石像があるということは近くに人が居るって証拠なんだし・・・壊したものは素直に謝るしかないわね。まったく・・・・
 ほら、泣くのを止めて、とっとと屋敷に帰って三人でお風呂にでも入りましょう」
やれやれといった調子でルディアを慰めるカルール。
しばらくして、ルディアが落ち着いたところで再び森の中へ歩を進めようとする三人。
そして、いざ森の中に入っていこうとしたその時・・・


それは唐突に・・・まったくもって唐突に現われたのだ。
石の広場の中央、僅かに隆起していたその場所。
そこから、その場所から幾つもの巨大な触手が生え出てきた。
乳白色の表面にぬらぬらとした粘液がまとわり付いており、その様子は身の毛がよだつほどにグロテスクで、おぞましくて・・・
「な、なんですかあれぇ!!」
「し、知らないわよ!とにかくモンスターには違いないだろうから逃げるわよ!!」
カルールとルディアはすぐに触手の群れから離れ、いつでも逃げ出せる態勢を整えた。
パーティー用の動きづらい靴を脱ぎ捨て、いつでも走りだせるように足に力を込める。
しかし・・・
「ミスト!何してるの!!」
腰でも抜かしたのか、唐突の出来事に頭が付いてこないのか、地面にへたり込んだまま茫然と触手の群れを見つめるミスト。
あまりにも無防備な姿の彼女に、触手の内の一本が狙いを定める。
唐突に、触手の先端から半透明の液体が噴き出された。
凄まじい速度でミストに向かっていく液体。
成す術もなく全身に液を浴びせ掛けられるミスト・・・いや、浴びるかと思われたその時。
ミストの視界を誰かが遮った。
その人物に浴びせ掛けられる液体。
「ル、ルディア・・・・・」
ミストが呻きながらその名を口にする。
両手を広げ、主人を守るように液を浴び続けるルディア。
浴びる端から、どんどんと溶けていく彼女の服・・・・
ずぶ濡れになってゆくその体。
「は・・・やく、逃げ・・て、ください!」
「ルディア!!」
「ミスト!早くそこから逃げるのよ!」
カルールが叫ぶ。
すぐさまその場から離れるミスト。
しかし、ルディアはまだその身に液を浴び続けていた。
「ルディア!もういいから早く逃げなさい!!」
「・・・・・・ダ・・メです・・・か、体・・・・が・・動か、ない・・・」
「ルディアぁ!!」
ミストが悲痛な叫びをあげる。
ルディアの服は最早全て溶け落ちており、彼女はその小柄な裸体を月の下に晒している。
その内に、彼女の体に異変が起き始めた。
手と、足の先が白くなり始めたのだ。
やがて、その白い部分が範囲を広げていく。
指先から手首まで、手首から肩まで、肩から胸まで・・・
足も同じように白く染まってゆく。
足の先も、太腿も、腰の辺りも・・・
全てが、白く塗りつぶされていっているのだ。
先程、彼女が壊した石像と同じように全身が白くなってゆくのだ。
石、石像、物・・・・生きる者から、ただの物へと、その体を変えられてゆくルディア。
だんだんと、その顔にも白の領土が現れ始める。
「ルディア・・・ルディア!ルディアぁぁ!!」
絶叫・・・・幾度も、幾度も彼女の名を叫ぶミスト。
「お・・じょ・・・う・・・・さま・・・・た・・たすけ・・・・て・・・・・・!
 や、屋敷・・に・・・いっ・・・しょに・・・・か・・えり・・・・・帰りた・・・い・・・」
その言葉は途切れ途切れで、とても小さい声で、そして、とてもとても小さな願いで・・・
「・・・・・・たす・・・け・・・・・て・・・お・・・じょ・・・・・さ・・・・」
不自然に、そして消え入るようにその声は途切れ、それっきり彼女の口から言葉が発せられることはなかった。
細い手足を懸命に伸ばして、主人の身代りとなったルディア。
その未発達な胸も、か細く伸びたその腕も、活発に動かされていたその足も・・・
彼女の全てが白く固い石へと変えられてしまったのだ。
その小柄な身体はもう成長することは無く、白く固まった短い金髪もこれ以上伸びることは無い。
その顔には恐怖と絶望の色が張り付いたままであり、小さく開けられた口からはあの液体が滴り落ちている。
月の光が、ただひたすら彼女の体を照らし続けていた。
手足を伸ばし、大の字のような恰好のまま動くことを止められたルディア。
ついさっきまで彼女であったはずの石像は、今はただ鈍く輝いているだけであった。

続く


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