夕夜 第3夜 「漆黒」

作:幻影


 アリスとの悪夢のような出来事の起きた雨の日から次の登校時。
 夕夜と霞美は、心を重く沈めている様子だった。
 幼い少女を毒牙にかけてしまった夕夜。
 その少女に人形にされ、さらに石になってしまったその少女を目の当たりにした霞美。
 お互いは登校中ばかりか、学校にいる間も言葉を交わすことができなかった。

 夕夜が飛び出した後、人形にされていた被害者の1人が警察に知らせたが、信憑性のある証拠が全くといってもいいほどなく、事件としても認められなかった。
 いくら被害者全員が証人のようなものでも、そんな現実離れした話を信じるはずがなかった。
 結局、被害者たちが悪い夢を見ていたという馬鹿馬鹿しい結末で、警察は引き上げた。

 部活を終えて下校している夕夜は、自宅のマンションの前で霞美が悲しそうな眼で夜空を見上げていた。
「どうしたんだ、霞美?いつもの元気がないじゃないか。」
「あっ!夕夜・・・」
 夕夜の呼ぶ声が聞こえ、霞美が振り返る。
「夕夜・・・何か危ないことしてるの?」
「えっ?危ないこと?」
「誰かに何かされてるとか、何かの事件に巻き込まれてるとか・・」
 霞美の心配の声に、夕夜は少し困惑した後、苦笑した。
「何言ってるんだよ。大丈夫だよ。オレは物騒なことには関わりたくないほうなんでな。」
「そう・・そうだよね。ゴメンネ。つまらないこと聞いちゃって。」
 霞美が頭に手を当てて照れ笑いする。
 今、夕夜がその物騒なことの当事者になっていることを、彼女は知るはずもなかった。
「あっ!そうだ。夕夜、コレ見て、コレ。」
 思い出したように、霞美がバッグから雑誌を取り出し、その1ページを夕夜に見せた。
「この鑑(かがみ)ひろみさんの服、いいファッションだよね?」
 鑑ひろみ。
 日本人ファッションデザイナーの中でも5本の指に入るほどの評価を受けていて、彼女自身も自分がデザインした服を着てモデルをしたこともあった。
「ファッション雑誌かい?クラスの女生徒ばかりが好きこのんでいるモノを、オレが興味を惹くわけないだろ。」
 そう言いながら夕夜は開かれたページに眼をやった。
 すると、夕夜の視線がそのページに映っているひろみに向けられて止まる。
 夕夜はひろみから、ただならぬ気配を感じていた。
「もしかして・・・」
 もしかして、彼女も悪魔の力を持っているのかもしれない。
 悪魔と契約した者は、同じ処遇の者を発見すると、直感で分かるのである。
 夕夜がひろみの写真を見たとき、彼女が悪魔の力を持っていることを理解したのである。
「夕夜?」
 霞美が不思議そうに聞いてくるのも気付かず、夕夜はしばらくひろみの姿を見つめていた。

 次の日曜日、夕夜はひろみが開催している展示会に来ていた。
 彼女も悪魔と契約した人なのか、直接確かめるためだった。
 受付で彼女のいる場所を聞こうとしたが、約束がなければ会えないことになっていた。
 仕方なく自分の直感を頼りに探すことにした夕夜。
 悪魔との契約をした人同士が近づけば、直感で分かるのである。
 しばらく会場を駆け回り、夕夜は1つの部屋を眼にやった。
 扉の横には、「鑑ひろみ以外の入室を禁止します」と書かれた立て看板があった。
「もしかして・・」
 周囲の気配を探り、誰も通りがからないことを狙って、夕夜は部屋に素早く入っていった。

 午前中のみの練習を終えた霞美は、どこか不機嫌だった。
 夕夜は何も言わずに朝早く出かけたからである。
 霞美は隣の部屋の玄関のドアの音がよく聞こえるほど耳がいいので、夕夜が出ていったことはすぐに分かった。
「もう!夕夜、どこにいっちゃったのかな!?」
 誰にもこの不機嫌を晴らすこともできず、霞美は一人愚痴をこぼしていた。
「あらあら。ご機嫌が優れないようですね。」
 誰かに声をかけられ、霞美はむっとしながら振り返った。そこには美しく長い銀髪に青い瞳をした女性だった。
「夕夜さんなら、鑑ひろみさんの主催している展示場に向かいましたよ。」
 妖しく笑みを浮かべる女性に、霞美は不信感を抱いていた。
「あなた、誰ですか?夕夜の知り合いですか?」
「私はミスティ・ブレイス。悪魔と契約した者です。」
「悪魔?契約?何を言って・・」
 霞美が言い終わる前にミスティが口を開く。
「ちなみに、彼も悪魔との契約を果たしていますわ。」
「ふざけないで!夕夜をおかしなことに巻き込むのはやめてちょうだい!」
 ミスティの言葉に、霞美はついに声を荒げた。
「私が関わらなくても、彼は時期に目覚めていましたわ。悪魔の力に。」
 ミスティは右手を右前方に伸ばした。そこから白く冷たい風が噴射し、そばを歩いていた2人の男女を巻き込み凍てつかせた。
 お互い穏やかに話をしている姿のまま、男女は氷像に変わってしまった。
「な、何をしたの・・・?」
 何が起こったのか分からず、霞美は言葉を失った。
「夢だと思うなら頬でも引っ張ってみなさい。彼の力は私のとは少し違いますが、明らかに悪魔との契約で得た力です。しかもその力は欲望と共に日に日に増してきています。」
 霞美は我に返り、ミスティと凍りついた男女に眼もくれず走り出した。
 昨日起こった不可思議な事件。
 これに夕夜は大きく関わっている。
「待ってて、夕夜!」
 霞美は駆け足で展示場に急いだ。
 夕夜の安否と、謎に隠れた真実を確かめるために。

 夕夜は、ひろみだけが入室を許されている部屋に忍び込んでいた。
 そこは彼女がデザインしたと思われる衣服を着た、たくさんのマネキンが立ち並んでいた。
「何なんだ、ここは?ここが何で立ち入り禁止なんだ?」
 夕夜はこの部屋に対して疑問を抱く。不審な点はどこにもない。堂々と見せてもおかしくはない。
(イヤ・・イヤだよ・・・)
「!?何だ、今の声は!?」
 そのとき、夕夜は誰かの悲痛な声を聞いた。
 自分以外にこの部屋に誰かいるのかと思い当たりを見回すが、人の気配さえしない。
 夕夜に届く叫びが次々と響いてくる。
(お願い!誰か助けて!)
(何でもするから、元に戻して!)
(ずっとマネキンになんてなりたくないよ・・・)
「ま、まさか・・・」
 夕夜は響く声から、ここにいるマネキンが元々全て人間であることを悟った。
 マネキンにされた人たちの心の叫びが、夕夜の心理状態を狂わせ、心をすり減らす。
「なんてことを・・・やっぱり、彼女が・・」
 夕夜は昨日見た雑誌の写真の女性を思い返し確信した。彼女が人々をマネキンに変えているのだと。

 そのとき、部屋の前の廊下から足音が響き、夕夜は部屋の奥にある物置に隠れた。
 部屋の扉が開き、2人の女性が入ってきた。1人は展示会の主催者であるひろみだった。
 ひろみは、茶色がかった髪を肩まで伸ばし眼がねをかけた16歳前後の女の子を部屋に入れて、扉を閉めて鍵をかけた。
「あの、ここに何かあるんですか、鑑さん?マネキン人形が並んでますけど・・」
 女の子が不安そうに辺りを見回している。
 すると、ひろみの眼が突然不気味に光り、女の子の動きが止まった。
(あ、あれは!?)
 夕夜は心の中で驚愕の声を上げる。
 ひろみの額には、悪魔と契約した証の六ぼう星が浮かんでいた。
「これであなたは私の思い通り。さて、形を整えないと。」
 ひろみは動かない女の子に近づき、体の形を変えていく。
 適度に変えてから離れて見ると、また形を微妙に変えていき、それを繰り返してひろみは満面の笑みを浮かべた。
「これでスタイルはいいわ。あとはこれを完全に固定する。」
 女の子は両手をだらりと下げ、顔は右前方のやや上を向いていた。
 彼女の胸にひろみは手を当て、力を込めた。
 手から淡い光が放たれ、女の子を包み込んでいく。
(どうしたの?何かが体を包んでいって、全然動けない・・)
 女の子が胸中で呟く。
 彼女が感じたとおり、体を何かの粒子が包み込み、どんどん広がっていく。
 やがて彼女の手足、首、眼を粒子が取り込み、別の物質へと変えた。
「うふふふふ。また1人、きれいなマネキンが手に入ったわ。」
 女の子はひろみの力でスタイルを変えられ、マネキンにされてしまったんである。
 そしてひろみは、物置のほうに視線をやった。
「隠れてもムダよ。私たち悪魔との契約者は、直感で居場所を理解できるのを知らないのかしら?」
 指摘された夕夜は、物置から姿を現した。
「アンタもか、悪魔の力を持っているのは?」
 夕夜はひろみに聞く。
「ええ。私の光は女性を綺麗にするおまじない。私のためのマネキン人形になるのよ。」
 ひろみは先程マネキンにした女の子がかけていた眼がねを外した。
「私のデザインした服を着飾るのに、こんなものはいらないわ。これのほうが強調されてよくないのよ。みんなも心地良いと思ってるわ。私の服を試着したままでいられるんだからね。」
「なんてことを・・それじゃ、自分の服のよさを引き立たせるために、彼女たちを!」
 苛立つ夕夜に、ひろみはあざけるような哄笑を上げる。
「何を言っているの?人は花を飾ることで美しくなれるのよ。私のデザインした服は、まさに最も美しい薔薇の花。」
 ひろみの眼が光り、夕夜は金縛りにあったように動けなくなる。
「くっ!またこれかよ!振りほどけない・・」
 夕夜は抵抗するが、ひろみの金縛りから逃れられない。
 ひろみが妖しい笑みを浮かべながら、硬直する夕夜に近づく。
「あなたも綺麗な花し仕上げてあげる。もっとも、あなたも同じ運命を背負ってるんだから、誰かに話すこともないと思うけど。」
 ひろみの手が不気味に光り、そのまま夕夜に触れようとする。
 そのとき、夕夜の眼と額が光り、体から邪気があふれる。
 額に六ぼう星を輝かせている夕夜が不気味に笑う。
「あんまりオレをなめないほうがいいぞ。」
 夕夜はひろみの金縛りを打ち破り、額の六ぼう星から細い光線が発し、ひろみの胸を貫いた。
 心臓が激しく高鳴るのを感じ、ひろみが数歩下がる。
「な、何なの!?私の力をはね返すなんて・・・」
 動揺するひろみに、夕夜は哄笑を上げる。
「今度はオレが言ってやる。これでお前はオレのものだ。」
 そのとき、ひろみの着ていた服が破れ、上半身の肌がさらけ出される。
 その体は白く冷たく、所々にヒビが入っていた。
「これがあなたの悪魔の力・・体だけを石化して、装飾品を破壊してしまうなんて、石化の力でも並の力ではないわ。」
 ひろみにかけられた石化が徐々に広がり、着ていた衣服が引き裂かれていく。
 その姿を、夕夜は満面の笑みを漏らしながら見ている。
「いい体してるね。興味をそそられる素肌だ。」
 夕夜はひび割れていくひろみの腰に手を添える。
「人は花を飾って美しくなると言ったが、それは違う。人は花そのものなんだよ。本当の美しさを放っている。だけどそれを服で覆い隠してしまっているだけなんだ。」
 ひろみの中から快感の波が押し寄せてきた。
 石化してヒビがハイっていくにつれて、体が麻痺したような刺激に襲われ感覚を失くす。
 周りに対する抵抗力を失っっていくひろみは、石化する不安、入っていくヒビの刺激、衣の枷が外れて解放された肌、夕夜が触れる手の感触に快感を覚えていた。
 こみ上げてくる気持ちを抱えて、ひろみが声を振り絞る。
「あなた、私をこんな姿にしてどうするつもり!?石にして裸にして・・」
「オレの力は次第に増してきている。石化の方法、進行の状況と時間、意識と感覚、全てオレの思いのままにできるようになった。」
 夕夜が妖しく笑いながらひろみの頬に触れている。
 石化が手足に達した彼女は、怯えた小動物のように震えていた。
「額の紋章から光を放ってかけた石化は、その人の身に付けているものをバラバラにし、石になった後も意識も感覚も残る。石化する瞬間に感覚が麻痺するが、しばらくすれば元に戻る。心からの叫びを、オレはたっぷりと堪能するんだ。」
 やがて夕夜の触れる頬にもヒビが入り、ひろみの顔から力が抜ける。
「私が石になれば、ここにいるマネキンたちも戻る・・そうなったら・・あなた・・は・・・」
 虚ろな瞳にもヒビが入り、ひろみは完全な裸身の石像になった。
 その姿を見つめながら、夕夜は不敵に笑う。
「だったら、ここにいる女の子たちも石にするのも悪くないな・・・ぐっ!」
 そのとき、夕夜は胸を押さえて苦しみだした。
「こ、こんなときに主人格が・・ぐおっ・・」
 今ここで苦しみ悶えている夕夜は、悪魔の力が覚醒した際に生み出された、夕夜の心の中に潜んでいた闇の人格だったのだ。
 この闇の人格は、主人格の心が恐怖と混乱に満たされたとき、それを糧として力を得て表に出てくるのである。
 主人格も悪魔の力を使うことができるのだが、闇の人格は完全な出力で使用することができ、日に日にその力を増してきている。
「ぐおああぁぁぁーーー!!!」
 荒々しい咆哮を上げる夕夜。
 やがて混乱が治まったとき、そこには主人格に戻った夕夜が息を荒げていた。
 落ち着きを取り戻した夕夜は、周囲の光景に再び不安を抱く。
 眼の前にいる裸身のひろみが棒立ちのまま動かなくなっている。
 もうひとりの自分がしたこととはいえ、服を剥ぎ裸のままその時を止めてしまったのは他ならぬ自分自身であることに変わりはない。
 何とかして彼女を元に戻したいと考えたが、夕夜にはその方法が分からない。

 そのとき、ドアが壁に当たる音が響いた。
 夕夜が振り返ると、部屋の前で霞美が怯えた表情で震えて立っていた。
「か、霞美・・これは・・」
 夕夜は彼女に何とか弁解しようと近づく。
 すると霞美は恐怖を引きつらせて後ずさりする。
「イヤ・・イヤッ!」
 霞美が夕夜から眼をそむき、廊下を駆け出した。
「霞美!」
 マネキンにされた女性たちも石像にされたひろみにも眼もくれず、夕夜も後を追う。
 展示場の玄関前まで来て、夕夜は霞美を見失ってしまう。
 彼女のあの怯え様。きっとあの部屋で起こったことを一部始終見ていたに違いない。
 夕夜は不安を隠しきれなくなり、思わず額に手をのせる。
 もっとも恐れていたことが現実になってしまった。
 霞美だけには知られたくなかった。
 幼い頃から分かち合ってきた彼女を巻き込みたくなかった。
 オレはいったいどうしたらいいんだろうか。
 このまま、オレは大切なものさえも知らないうちに捨ててしまうのだろうか。
 夕夜の中に今まで経験したことがないほどの不安と恐怖が押し寄せた。
 そして、それを力にして、自分の中に隠れていた闇の人格が表に表れた。
「霞美・・・」
 揺らめく漆黒の闇のように、夕夜の顔からは不気味な笑みが浮かび上がっていた。

 その数十分後、マネキンの殻が剥がれて元の姿に戻った女性たちが連絡した警察が展示場に到着した。
 事情聴取の中、被害者のほとんどが混乱していたため、自分の身に起こったことをきちんと話せずにいた。
 正確に事のいきさつを話した女性もいたが、非現実的なことだと警察は信用せず、その加害者がまさか裸身の像にされていることなど知りもしなかった。
 結局、被害者たちの話した内容は夢物語とされてしまい、警察は展示場を後にしてこの事件は幕を降ろした。
 さらなる悲劇が起ころうとしていることなど気にも留めず・・・

つづく


幻影さんの文章に戻る