作:幻影
少女は笑っていた。
少年との楽しい時間を過ごすことに喜びを感じていた。
お互いの母親が親友だったこともあって、自然と2人は親しくなっていたのである。
ところがある日、あの時、少年はふと道路に視線を移した。
するとそこには、戯れていたボールを追いかけて、子供が道路を飛び出してきた。
そこに1台の車が走ってくるが、子供はボールに夢中になっているため気付いていない。
「危ないっ!」
少年は子供の危険を感じ、なりふりかまわずに道路に飛び出した。
子供と助けようと突き飛ばし、ブレーキをかけたが止まりきれなかった車にそのままはねられた。
何が起こったのか一瞬分からず、少女が棒立ちになっている。
子供は倒れたまま動かない少年を見つめたまま座り込んでいる。
「おい、君!しっかりしろ!」
はねてしまった車の運転手が降りて少年に近寄る。
少女の悲鳴が響いたのは、この直後だった。
少年はすぐさまかけつけた救急車に運ばれ、手術室に運ばれた。
目下、彼は全身骨折に陥り、助かる見込みはほとんどなかった。
少女は病院で必死に祈った。少年が再び笑顔を見せてくれることを。そして自分を笑顔にさせてくれることを。
いったいどうしたらいいのだろう。
どうしたら助かるのだろう。
大粒の涙をこぼしながら、少女はひたすら神にすがった。
彼を救ってほしい。
また彼と楽しい日々を一緒に過ごしたい。
少女にあるのは少年の無事、それだけだった。
病院の廊下は明るくなっていた。
少女が気が付くと、すでに朝日が昇っていた。
いつの間にか寝てしまったのだろう。
少女ははっと思い出し、手術室のドアを見やった。
そこには少年の母親が優しそうに少女を見ていた。
母親に促されて、少女は少年のいる病室へとやってきた。
頭や体に包帯が巻かれていたが、少年はいつもと変わらない無邪気な表情で眠っていた。
奇跡だった。
生存率が極めて低い状況で、少年は九死に一生を得たのである。
少女は少年が起きるのをひたすら待ち続け、そして少年は眼を覚ました。
「よっ!おはよう。」
少年はいつもと変わらぬ気さくな態度で少女に挨拶する。
「・・よかった・・・ホントに、よかったよ・・・」
少女は体を起こした少年に寄り添った。
笑顔と共に、彼女の眼には大粒の涙がこぼれていた。
「生きててくれた・・・ありがとう、神様。」
少女は神に感謝の意を示した。
少年の命を救ったのが神ではなく悪魔であることは、少年本人でさえ知る由もなかった。
「・・夕夜・・夕夜・・・」
霞美は1人寂しく泣いていた。
夕夜を金縛りにした女性。
その女性の服を剥ぎ、石に変えた夕夜。
あの夕夜が恐るべき力を使い、不気味に笑っていた。
信じられない出来事が、展示場のあのひと時の中で起こった。
混乱していた霞美は、あの後マンションの自分の部屋に戻り、両親にも友達にも連絡を取らず、部屋に明かりも付けず、引きこもりのように暗い部屋の中でうずくまっていた。
「ねえ、答えて、夕夜。あの力は何なの?人が凍りついたり石になったり。分かんないよ、あたし。」
誰もいないこの部屋で、霞美は悲痛な思いで呟いた。
幼い頃からの親友が、遠く離れてしまったような気がする。
これが悪い夢であってほしい。眼が覚めたらいつもと変わらない、明るくて不器用な夕夜が自分を起こしてくれる。
霞美は泣きながら祈ったが、この願いが叶うことはなかった。
そのとき、霞美の部屋のインターホンが鳴り響いた。
しかし、霞美はそれに対応しようとしない。
もう1度インターホンが鳴るが、彼女はうずくまったまま動かない。
すると、玄関の扉が開く。
霞美は注意だけを玄関の方に向ける。
「霞美・・・」
自分の名を呼ぶ声に、霞美ははっとして立ち上がった。
聞き覚えのある声。夕夜の声である。
しかし、今の彼女にとって、夕夜との接触は心苦しかった。
彼の持つ悪魔の力の存在は、それだけで彼女を怯えさせていた。
それでも何とか彼を見ようとする霞美。
だが、そこにいるのは夕夜であって夕夜ではなかった。
いつもの夕夜ではない。それを示すかのように、彼の額には六ぼう星が不気味に輝いていた。
(霞美・・・逃げろ・・・)
心の奥底から響く夕夜の主人格の声。
しかし、それは闇の人格にも霞美の耳にも届いてはいなかった。
闇の人格に囚われた夕夜が妖しく笑う。
そして六ぼう星から、一閃の光が放たれた。
霞美ははっとして身をひるがえした。彼女は自身の反射神経と動体視力で光線をかわしたのだ。
「夕夜!」
霞美は罵倒するように夕夜に叫ぶ。
この光線を受けたら、あの女性のように服を剥がされた白い石像にされてしまう。
夕夜は彼女を見据えたまま、未だに不気味に笑っていた。
「夕夜、ゴメン!」
霞美は素早く夕夜に詰め寄り、彼の右腕に手をかけた。
そこから彼女は、柔道で鍛えた背負い投げで夕夜を床に叩きつけた。
霞美はやりきれない気持ちだった。
自分の身を守るためとはいえ、親友を傷つけてしまったのだから。
しかし、夕夜は何事もなかったかのように不気味な笑みを見せ、霞美の右腕を掴んでいた。
「物騒な女だよ。だけどこの体の持ち主はあくまで主人格のものだ。裏人格(オレ)は夕夜自身でありながら、この体とは隔離されている。つまり、この体が受ける痛みは主人格の痛みであって、裏人格(オレ)には感じない。」
夕夜はそのまま霞美を引っ張り、両手で彼女の両肩を掴んだ。
「キャッ!ちょっと、夕夜・・」
「主人格は怯えているよ。お前がどう思っているのか。それを確かめることさえ怖がり、心の奥で震えているよ。もうお前の声は届かない。」
そこにいるのは霞美の知っている夕夜ではなかった。
幼い頃から自分と過ごしていた無邪気なあの面影は、そこにはなかった。
自分を狙う変質者にしか見えなかった。
「さあ、今から心地よくしてあげるよ。」
満面の笑みを見せる夕夜の額の六ぼう星が不気味に光る。
「夕夜、あたしを見て!もう1度、あたしのところに戻ってきて!」
霞美は必死に願った。
悲痛の想いで顔に力がこもり、浮かんでいた涙が雫になって弾け飛ぶ。
「ムダだ。お前が会いたがっている人は帰っては・・」
(霞美!)
そのとき、夕夜の主人格の心の叫びが闇の人格に響く。
その声に闇の人格が苦しみだす。
(霞美を、霞美を放せ!)
「ぐっ!バカな!お前は心のどん底に引きこもったはずなのに!」
霞美の肩を掴んだまま、夕夜が震え出す。
主人格の心の強さが、闇の人格の支配を振りほどいていく。
「こ、このままではまた押し戻される!だが、せめてこの女だけでも!」
(や、やめろ!)
主人格の必死の叫びも空しく、夕夜の額から一条の光が放たれ、霞美の胸を貫いた。
その瞬間、夕夜の主人格と闇の人格が入れ替わった。
「霞美!」
「あっ・・・」
胸を強く打たれて放心しかけて倒れそうになった霞美の体を、夕夜が抱きかかえる。
「夕夜・・本当の夕夜だ・・」
涙を流しながら笑顔を見せる霞美の手が、夕夜の頬に触れる。
夕夜はその手をしっかりと握り、その温もりを確かめた。
その瞬間、霞美の履いていたくつしたが弾け、素足がさらけ出された。白く冷たく、ヒビの入った石の足が。
「あっ!・・霞美・・オレは・・オレは・・」
夕夜は怯えて体を震わせた。
自分の意思ではなかったにしても、霞美にこんなことをしたのは夕夜自身なのだから。
夕夜のかけた石化が足を上り、それに巻き込まれたスカートが引き裂かれ、彼女の秘所があらわになる。
変わりゆく自分の変化に霞美はうめき声を漏らす。
痺れるような刺激を受け、徐々に感覚が失われていく。
それでも霞美は必死に笑顔を作ろうとするが、それが夕夜には辛かった。
「夕夜、やっぱり戻ってきた。あのときと同じように・・」
霞美は、幼い時に死にかけた夕夜のことを思い返していた。
必死に彼の無事を願った。今もそうだった。
そしてあのときと同じように、彼は自分のいる場所に帰ってきた。
「夕夜、あたしはうれしいよ。夕夜がここに戻ってきたから。」
「霞美・・」
夕夜は立ち尽くした霞美を抱きしめた。夕夜の大粒の涙が、霞美の頬にも伝わる。
「霞美、オレが悪かった!オレが弱いせいで、自分の心の闇にいいようにされて、霞美にこんな思いをさせてしまった!」
夕夜の悲痛の叫びが、霞美の耳に、心に強く伝わる。
彼女の石化が上半身に及び、着ていたシャツも破れ、白い胸がさらけ出される。
彼女の体に密着していたため、石化の影響で夕夜の着ていたシャツもボロボロになる。
「夕夜、弱いのはあたしのほうだよ。夕夜を守ろうと柔道を頑張ってきたのに、逆に夕夜にいいようにされちゃった。」
脱力していく霞美は笑みを崩さない。指の先まで石に変わり、石化は首元に進行していた。
「でもこれだけは分かってほしい。あたしは、夕夜を、しん・・じ・・て・・・る・・・」
夕夜に抱かれたまま、優しい笑みのまま、霞美は完全な石になった。
一糸まとわぬ生まれたときの姿で立ち尽くす彼女の体は、白く冷たく、ところどころにヒビが入っていた。
「霞美・・霞美・・・」
彼女を抱きしめていた夕夜は脱力し、床にひざをつく。
オレがやったんだ。オレが彼女をこんな姿にしたんだ。
変わり果てた幼馴染みの前で、夕夜はうずくまり悲しみと後悔に暮れた。
「霞美・・オレは・・オレは・・・」
(夕夜・・・)
そのとき、夕夜は霞美の声を聞いた。
はっとして顔を上げたが、白いオブジェになった彼女が声を発するはずがない。
(夕夜・・夕夜・・)
しかし、この声は確かに霞美だった。耳に響くというよりは頭に直接伝わるような。
「霞美?」
夕夜は呆然としながら彼女の名を呼んだ。
「霞美・・霞美なのか・・?」
(夕夜!?あたしの声が聞こえるの!?)
オブジェにされた霞美の心の声が夕夜に響く。
悪魔と契約した者は、悪魔の力にかけられた者の心を読み取る力があるのだ。
「霞美・・」
(夕夜、あたし、体が全然動かないよ。でも部屋の様子は見れるし、夕夜の声だって聞こえる。風が少し冷たいけど。)
霞美は自分が今感じていることを夕夜に伝えた。
麻痺していた感覚が戻り、「見る」「聞く」「考える」の3つの動作はまだ生きていた。
「霞美・・・」
夕夜は放心していた。
霞美に対する罪の意識が、彼自身の思考を狂わせてしまっていた。
考えのつかない夕夜は、霞美の石の体に手を伸ばした。
(夕夜?)
霞美は夕夜の行動に疑問を抱いていた。
(あっ!)
霞美は恥ずかしくなる衝動を感じた。
夕夜の右手が、彼女の白い胸を触りだしたのである。
(ちょ、ちょっと、夕夜・・)
霞美は夕夜の接触で、息が荒くなっていくのを感じていく。体が石化しているため、実際に呼吸しているわけではないが。
夕夜が霞美の胸を、体を手でなぞっていく。が、体の自由が利かないため、彼女はそれに抗うことができず、夕夜の行動を受け入れるしかなかった。
(夕夜、やめて・・やめてよ・・・)
「本当にきれいな体をしているんだね、霞美・・」
夕夜は今度は霞美の体を舐め始めた。
生暖かい感触が、霞美の胸の内を熱くさせる。
彼女の恥じらいながらも発する声も、今の夕夜には届いてはいなかった。
そして夕夜は、触れていた霞美の体から離れ、視線を落とした。
夕夜は腰を下ろし、彼女の秘所を眺めた。
「女性はこんなふうになってたんだ・・」
眼の焦点が合っていない夕夜がうっすらと笑みを浮かべ、霞美の秘所を触りだした。
(イヤ!夕夜!)
今まで感じたことのない刺激を受け、霞美は心の叫びを上げる。
(こんなの、夕夜じゃないよ・・・あたし、どうかなっちゃいそうだよ・・)
あまりの刺激に、霞美は混乱していた。
こんなことをしているのが幼馴染みであり、体が石になっているため、その行為を思い切って否定することができない。
(ゆ、夕夜!それだけはやめて!)
夕夜は石の秘所を舐めようとしていた。
(夕夜!イヤーーー!!!・・あ・・ああ・・)
夕夜の舌が霞美に触れた瞬間、彼女の胸の高鳴りが絶頂に達した。
まるで体中から得体の知れない何かがあふれ出てきそうだった。
彼女の思考は崩壊の兆しを思わせていた。
(夕夜・・ああ・・・)
「霞美!」
そのとき、夕夜ははっとして、棒立ちのまま動かない霞美の体を抱きしめた。
彼女に伝わる刺激は、畏怖よりも快感を与えていた。
「霞美、ずい分と大きくなっちまったんだな。お前も、オレも。」
(うん・・・)
霞美は優しい声で夕夜に答える。
「柔道しているときは男気があったから分からなかったけど、お前も女なんだなって思ったよ。」
(それってどういう意味よ?)
「美しい体、温かみのある胸、優しい瞳。アイドルやモデルをやっても十分やれるって。」
(もう、夕夜ったら。)
2人は思わず苦笑する。今の現状を忘れさせてくれるような和やかな会話だった。
(夕夜、あの事故の日のこと、覚えてる?)
「ああ。死にかけてるオレに誰かが声をかけてきて、命と力をくれたんだ。そいつが悪魔だとも気付かずに。」
(あたし、あの日以来、夕夜と離れたくなくて、夕夜を守りたいと思って柔道を頑張ったんだよ。でも、別の誰かがやったとはいえ、その守りたい人に弄ばれて、こんな姿にされちゃった。)
「霞美、それはオレが・・」
(やっぱりあたし、強くなれなかったね。)
「そんなことないよ。霞美がいなかったら、オレはここに帰ってこれなかった。ずっと心の隅で怯えていたよ。」
(夕夜・・)
「霞美・・」
夕夜は霞美の石の唇に、自分の唇を当てた。
2人の心に安らぎの暖かさがあふれる。
今の彼女の唇は固く冷たかったが、その奥にある暖かさを夕夜は感じていた。
瀕死の重傷を負った事故から奇跡の生還を果たした日から3ヶ月後。
信じられない回復力で傷が完治して退院を果たした少年は、自分を心から心配してくれた少女と学校に向かっていた。
「もう体は大丈夫なの?」
少女は心配して少年に声をかける。
「もう平気だよ。ホラ、ピンピンだよ。」
少年が両腕を勢いよく回してみせる。事故の怪我が嘘だったような。
しかし、少女の表情は曇っていく。
「ムリしちゃダメだよ。直ったばかりなんだから。」
少女は浮かれている少年の手をとって、まじまじと見つめる。
「な、なんだよ・・!?」
少年が顔を赤らめて慌てている。
「あたし、柔道始めたんだ。夕夜を守りたいから、だからもっと強くなりたいの!
少女の真剣な言葉に、少年は真面目に話を聞く。
「霞美、オレはお前に守られるほど弱虫じゃないぞ。それに、オレはお前から離れたりしないよ。」
「分かってる。あたしがそうしたいだけ。あたしは、あのとき何もできなくて、夕夜だけが辛い思いをした。もう、何もできないままのあたしではいたくない。」
少女の決意を聞いて、少年は少女の手を握り返す。
「それだけでも、十分強くなったと思うよ。」
「夕夜・・・」
少女の顔から笑みと涙がこぼれる。
「大丈夫だって。どんなことになったって、オレはちゃんと戻ってくるよ。オレだって、お前とは離れたくないから。」
少年の言葉で、少女が笑顔になる。
2人は強くなることを誓った。
自分と、お互いの心のために。
「さあ、早くしないと学校に遅れちゃうよ!」
「あっ!おい、待ってくれ、霞美!」
2人は笑顔で学校に駆けていった。
気が付けば、暗かった部屋には陽の光が差し込んでいた。
裸身のオブジェのまま立ち尽くした幼馴染みの眼の前で、夕夜はいつしか眠ってしまったのだ。
夕夜は起き上がって、部屋を見回した。
陽の光が入り込み、眼の前には裸の少女。
昨日起きたことは夢ではなかった。
自分の手で彼女を石に変えて弄んでしまった。
そのことを後悔しながらも、夕夜は自分がやるべきことを自覚していた。
夕夜は押入れから白いシーツを取り出し、それを霞美の体にかけてやる。
「これで、恥ずかしさも少しは減るかな?」
苦笑いして霞美を見つめる夕夜。
(夕夜・・・)
「霞美!?眼が覚めてたのか。」
突然の霞美の心の声に、夕夜ははっとする。
(あたし、全然大丈夫だよ。夕夜と一緒だったら。)
「霞美・・・ちょっと出かけてくる。」
夕夜は笑顔のまま動かない霞美に笑みを見せ、部屋を出ようとする。
(夕夜、また、帰ってくるよね?)
不安の声を上げる霞美に、夕夜は笑顔で振り返った。
「ああ。もちろんだ。」
夕夜は霞美の部屋を後にし、ボロボロのシャツを着たままマンションを飛び出した。
霞美を元に戻す方法を探すために。