夕夜 第2夜 「暴走」

作:幻影


「夕夜、どうしたの?元気ないよ。」
 謎の女性、ミスティに出会い、悪魔の力を目覚めさせてしまったあの夜が明け、夕夜は幼馴染みでありクラスメイトでもある霞美と学校へと歩いていた。
 2人とも部活の朝練習はなく、ゆっくりとした登校だったが、いつもは朝の弱い霞美が夕夜に起こされるのだが、今朝は夕夜が霞美に起こされることになった。
 自分の中に存在していた力。
 悪魔との契約。
 受け入れたくない事実に錯乱し、夕夜はなかなか眠ることができなかったのである。
「いや、何でもないよ。」
 心配をかけまいと夕夜が作り笑顔を見せる。
 今でも昨晩の出来事に悩まされていたのである。
「ねえ、夕夜、昨日はずい分遅い寄り道だったね?」
 霞美のこの質問に、夕夜に恐怖と不安が押し寄せてきた。しかし、それらを押し込めて霞美に返事する。
「ああ、ちょっと遠くまで行き過ぎた。」
 その返事に霞美は呆れた。
「もう、しっかりしてよ。」
「ああ、すまないな、霞美。」
 夕夜は昨日の出来事を霞美には話してはいない。
 自分でも信じられないでいることであり、もしかしたらただの悪い夢だったのかもしれないのだ。
(もしも事実だったとしたら、霞美には絶対に知らせたくない。こんなことを霞美が知ったら、どんなに辛い思いをするか。)
 夕夜の言った嘘の言い訳でさえ、霞美は疑ってはいなかった。

 登校中の夕夜たちの前を歩いてくる1人の少女。
 フランス人形のような服装の、おとなしそうだが華やかであるその少女は、霞美と仲のいい小学生、来栖(くるす)アリスである。
 父が日本人、母がフランス人であり、その服装も母の感性によるものだった。アリス自身、そのことに不満はない。
「おはよう、霞美お姉ちゃん。」
「おはよう、アリスちゃん。今日も元気ね。」
 アリスと霞美が挨拶を交わす。夕夜は彼女たちの仲がいいことは知っていたが、今はこの様子が自分の心を癒してくれた。
「お姉ちゃん、暇ができたらまた遊ぼうね。」
「うん。でも、いつ暇ができるか分からないから、あんまり期待しないでね。」
 楽しい会話をしたアリスと霞美たちは、登校のため別れた。

 学校にたどり着いた夕夜と霞美。
 自分のロッカーを開けた夕夜は、その中に見慣れない1枚の紙が入っていたのに気付く。
 夕夜は折られていたその紙を広げて、そしてすぐに閉じた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。」
 気にしていた霞美が訊ねてきたが、夕夜は笑みを作って返事した。
 その紙にはこう書かれていた。

1時限目が終わったら、屋上に来て下さい。 ミスティ・ブレイス

 夕夜の中に不安が押し寄せていた。
 昨夜起きたことは紛れのない事実だったのである。
 霞美を巻き込まないようにして、夕夜は必死の思いでミスティの誘いに従うしかなかった。

 不安をなんとか押し殺して、1時限目の授業が終了したと同時に、夕夜は教室を出て屋上へと上がった。
 大空広がる屋上に出ると、眼の前に昨日出会った銀髪の女性が立っていた。
 夕夜は苛立った顔つきでミスティに近づいた。
「どうしてここに・・なぜオレの行く学校を知っている!?」
 怒気のこもった夕夜の言葉に、ミスティは妖しく返答した。
「私たち悪魔の力を得た者同士、直感で分かるものですよ。それに、私の調べならあなたのことはすぐに分かりますよ。」
「そこまでしてオレを付けまわして、どうしようっていうんだ!?」
 夕夜はミスティの肩を掴んで怒りをぶつける。しかしミスティは落ち着いていた。
「あなたを導きたいだけです。力を使うことに快感を覚えられるように。」
「バカなことを!」
 夕夜はミスティを突き放し、振り返って校舎に戻ろうとする。
「あの来栖アリスという女の子、気をつけたほうがいいですよ。あの子、あなたのガールフレンドを気にかけているようですよ。」
「うるさいっ!」
 ミスティが語った真実。だが、それさえも夕夜は聞き入れたくなく、一喝してさえぎった。
 そしてそのまま校舎に戻っていった。
「ムダですよ。運命に抗うことは。力と欲にまみれる。これは人である以上、当然の行動なのですよ。」
 焦る気持ちを抑える夕夜の姿を、ミスティは魅了するような眼差しで見つめていた。

 放課後は午前の晴天からは考えられないような大雨になり、夕夜の所属するサッカー部は、昇降口でのミーティングを行っただけだった。
 霞美は今日は柔道部の練習が無かったため、先に下校していた。
「こうなったら、ずぶ濡れ覚悟で近くのコンビニまで走るとするか。」
 夕夜はバッグを雨避けの代わりにし、雨の中を走り出した。
 コンビニに行けばビニール傘が売られているはずである。

「ふう。ちょっと濡れただけですんだか。バッグは大惨事だけど。」
 コンビニに駆け込んだ夕夜は、ビニール傘を購入に成功した。
 その代わりコンビニまで傘代わりにしたバッグは、雨に濡れてグショグショになっていた。
 ふと見上げた雨空を見つめながら、夕夜は思い返していた。
 ミスティの言葉。
 アリスへの危険視。
 霞美の危機。
「あっ!霞美が危ない!」
 夕夜ははっとして、傘をさしながら雨の道を駆け出した。

「ありがとう真澄。真澄がいなかったら、あたしもずぶ濡れになってたよ。」
 一方、霞美は同じ柔道部の真澄(ますみ)の折りたたみ傘に入れてもらっていた。ほとんど通学路が同じなので、それほど心配することでない。
「困ったときはお互い様よ。折りたたみだからちょっと狭いけど。」
 真澄が笑みを見せ、2人の話は弾んでいた。
 そんな彼女たちの前に、雨に濡れていたアリスの姿があった。
 はっとして霞美は、真澄の傘から飛び出してアリスに近寄った。
「アリスちゃん、どうしたの!?こんなに濡れて・・」
 しかし、アリスはうっすらと笑いを浮かべていた。
「霞美お姉ちゃん・・やっと見つけた。」
 突然、アリスの額と眼が光りだした。
 額には六ぼう星が浮かび上がり、眼は不気味に紅く輝いていた。
 霞美は、金縛りにかけられたように体の自由が利かなくなった。
「これでお姉ちゃんはアリスのもの。」
「ア・・アリス・・ちゃ・・ん・・・」
 霞美の体から力が抜け、そのままだんだんと小さくなっていく。
 子供の手でも掴めるほどの小ささになった霞美の体は、直立の体勢で雨の降り注ぐ地面に倒れた。
「ち、ちょっと、霞美・・・」
 何が起こったのか分からず、真澄が濡れる少女を見つめるだけだった。
 彼女の眼の前で、霞美が人形になってしまったのである。
(ちょっと、どうなってるの!?手足が動かない!?このままじゃ雨に濡れちゃうよ〜!)
 体が全く動かせない霞美が、心の叫びを上げる。
 そんな彼女を掴み上げ、アリスが妖しくみつめる。
「お姉ちゃんも一緒に遊ぼうよ。」
「イ・・イヤッ!」
 恐ろしくなった真澄が、突き放すようにその場から逃げ出した。
 しかしアリスは泣き叫ぶ彼女を追おうともせず、人形となった霞美を大事そうに撫でていた。体中を雨に濡らしたまま。
「それじゃ、帰ろうね。霞美お姉ちゃん。」
(アリスちゃん、やめて!お願いだから!)
 霞美の悲痛の叫びも声にならず、アリスの耳には入っていなかった。
 雨に打たれながら、アリスは自宅へと戻っていった。

「キャッ!」
「わっ!」
 駆け足になっていた夕夜と真澄が、曲がり角で衝突した。
 2人とも雨水が浸る地面にしりもちをつく。
「イテテテテ。おい、ちゃんと前を・・って、真澄?」
「あっ!夕夜くん、霞美が、霞美が・・・」
 真澄の悲痛の声が、夕夜に緊張感を走らせる。
「霞美に、何かあったのか!?」
「青と白のドレスを着た女の子が、霞美を人形に変えちゃったの!霞美は、あの子のことアリスって呼んでたわ!」
「アリスちゃんが!?」
 夕夜は間髪入れず、ビニール傘を置き去りにして走り出した。
「ちょっと、夕夜くん!」
 真澄の呼び声にも耳を貸さず、夕夜はアリスを捜し求めた。
 彼女の家は知らなかったが、悪魔の力を持つ者同士の感と、霞美を助けたいという想いが、夕夜をアリスのいる場所に導いていく。
 そして夕夜はずぶ濡れになりながら、大きな屋敷の門の前にたどり着いた。
 来栖という標識が書かれているので、間違いないと思った。
「ここか・・」
 夕夜はインターホンを押さず、鍵のかかった門の上をよじ登って飛び越えた。
 警備などはいなかったが、アリスに気付かれないように正面玄関をさけて、屋敷の壁に沿って裏口から入ろうとした。
 裏口から屋敷に入り込んだ夕夜は、アリスと霞美の行方を追った。
 広い屋敷の廊下を進み、扉が開けっ放しになっている部屋を見つけた。
 中はいかにも女の子の部屋で、クッションやぬいぐるみがいくつか部屋の隅に置かれていた。
 ベッドの隣に設置された棚には、たくさんの着せ替え人形が並べていた。
「人形か・・」
 女の子の部屋にこのような人形が置かれていても不思議ではない。だが、夕夜は違和感を感じていた。

「お兄ちゃんも来てたんだ。」
 出入り口からした声に振り返った夕夜。そこには1つの人形を持ったアリスが立っていた。
「アリスちゃん・・・霞美!?」
 夕夜はアリスが抱えていた人形に眼を向けた。それは見覚えのある幼馴染みにそっくりだった。
「アリスね、これから霞美お姉ちゃんと一緒に暮らすの。」
(夕夜!夕夜、逃げて!)
 妖しく笑うアリスと心の叫びを上げる霞美。
 夕夜は霞美の声を聞いていたが、何の言動も見せずに否定した。耳に響くというよりは、頭の中に直接響いてきた感じだった。
 夕夜はとっさに飛び出し、人形となっている霞美をアリスから奪った。幼い少女から強引に取り上げることは容易なことだった。
 その勢いのまま、夕夜は廊下に飛び出し、駆けようとした。
 しかし、何かに押さえつけられるように体の自由が利かなくなり、その拍子で手から霞美が抜けて、アリスの部屋の隣の部屋の中に入り込んでしまった。
(うわっ!)
 霞美が声にならない声を上げて、夕夜の視界から消えた。
「か、体が動かない!?」
 アリスの放った力が、夕夜を束縛していた。夕夜の前に立ちアリスが笑みを浮かべている。
 その額に、悪魔と契約した力の証である六ぼう星が浮かび上がっていて、夕夜は驚愕した。
「君も悪魔と契約してたのか!?」
 何とか呪縛を振り切ろうとする夕夜だが、アリスの力は強まる一方だった。

 アリスは5年前の夏、熱中症で倒れてしまった。
 しかし、誰かの声に呼ばれて、促されるまま了承した。その相手が悪魔であり、破滅を生み出す力を得る契約だとも知らずに。
 それから3年、アリスは可愛い人形に魅せられたことをきっかけにして、自分に力が備わっていることを知ったのだった。

 アリスの眼が不気味に光りだした。
「お兄ちゃんも一緒に遊ぼう。痛くしないから大丈夫だよ。」
 アリスの優しい笑顔が、逆に夕夜に恐怖を与えた。
「ダメだ。このままじゃ誰も助けられない。イヤだ・・あっ!」
 そのとき、夕夜の中に恐怖と共に荒々しい気持ちがこみ上げ、意識が糸のようにプツリと切れた。
 そして自分の唾液をアリスの着ていたドレスに吐き出した。
「キャッ!」
 アリスは思わず後ずさり、夕夜を縛っていた力が解ける。
 唾の付いた部分から、ドレスが白く変色し始めていた。
 危機感を覚えたアリスは、変色した部分をくりぬくようにドレスを引き裂いた。
 着ていたドレスがボロボロになったアリスが恐怖で震える。
 今度は夕夜が不気味な笑みを浮かべていて、彼の額にも六ぼう星が浮かび上がっていた。
「お、お兄ちゃん・・?」
 小動物のように怯えるアリスに、夕夜は悠然と彼女を見下ろしていた。まるで夕夜ではなくなっているような。
「可愛い子だね。そんなに遊んでほしいなら、遊んであげるよ。」
 すると、夕夜は眼にも止まらぬ速さでアリスの背後に回りこみ、彼女の体を抱きしめる。
 アリスの恐怖と混乱による体の震えが夕夜に伝わる。
「進化したオレの力は、唾を通じて対象を石に変えるほどになった。力を解放させているオレの唾に触れると、みんな石になっちゃうんだよ。」
 それは普段の夕夜ではなかった。夕夜自身の体を、彼以外の誰かが乗っ取っているようだった。
 今の彼は、悪魔の力の覚醒によって生まれた、夕夜のもう1つの人格だった。
「さっきは服を破って防いだけど、こうやって直接肌を舐めたらどうなるんだろうね?」
 夕夜がアリスの耳元で囁き、ドレスが破れたことによって見えている肌を舐めた。
「舐めたら唾も自然と付くからね。」
 夕夜が舐めた部分から、アリスの体が石化を始めた。
 アリスの感情は常軌を逸していた。
 圧倒的な力。
 舐められたことでの高鳴りと感触。
 自分の体が固く冷たくなっていくことでの感覚の消失と恐怖。
 完全に怯え錯乱するアリスの頭を、夕夜は優しくなでる。
「そう怖い顔しないで。子供の姿のまま石になれば、ずっとこのままでいられる。子供のままで。」
 恐怖するアリスから、自然と笑みがこぼれる。
 手足の感覚さえもなくなり、このように優しい言葉をかけてもらえれば、笑うしかなくなってしまう。
「はは・・おにい・・ちゃん・・お・・ねえ・・ちゃ・・ん・・・」
 作り笑顔を見せたまま、アリスは白い石の像に変わっていった。

 その直後、夕夜は本来の自分を取り戻したようにはっとして、顔から恐怖の色が浮かぶ。
 眼の前には、小さく笑ったまま動かない白く固くなったアリスの姿があった。
「まさか・・オレがアリスちゃんを・・・」
 心が恐怖で満ちた夕夜は、思わず廊下を疾走し、家を飛び出してしまった。
 自分でも分からないうちに幼い少女を白い石像に変えてしまったのである。
 その後悔と罪悪感が、降りしきる雨と共に夕夜を濡らしていた。

 家の中では、アリスの力で人形にされていた人々が、淡い光を放ちながら元の姿を取り戻した。
 アリスが石化されたことによって、彼女の持つ悪魔の力の効力が消えたのである。
「アレ?元に戻った・・?」
 同じく元に戻った霞美がもやもやした記憶を辿りながら廊下に出た。
 その眼の前に、固く冷たくなり変わり果てたアリスの姿があった。
「アリスちゃん!?・・アリスちゃん・・・」
 霞美は胸が痛くなる思いだった。
 アリスの放った力。
 人形になった自分の体。
 石になったアリス。
「いったい・・何がどうなってるの・・?」
 霞美の中に疑問が生まれていた。
 現実離れした出来事に、夕夜だけでなく霞美にも不安がこみ上げていた。

つづく


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