おもかげ〜Love is heart〜 vol.8.「二人の想い」

作:幻影


 千影が次々と女性をさらい、石化していった事件。その被害者は30人に上り詰めていた。
 ハルカも章も、そして被害にあったくるみも複雑な思いだった。その犯人は大学の先輩、かつての恋人だった人なのだから。
 しかし、ハルカと章の考えは決まっていた。力に囚われた千影を救い出すと。
 人の強さとは、力の強弱ではない。どんなことにも屈しない、心の強さなのである。
 千影を救えるのは、彼女と心を近づけた章とハルカしかいない。くるみは胸中でそう思っていた。
「章、私も千影さんを助けたい。そしてくるみも七瀬も、みんなの石化を解いてあげたい。だから私も章についていくから。」
「ハルカ・・けど・・・」
「ダメだって言っても、私はいくつもりだよ。」
 困惑する章に対し、ハルカは自分の胸に手を当てて、その決意を見せる。
「私の中にも、いろいろな思いが詰まってるんだよ。千影さんを救いたいってだけじゃない。くるみを、七瀬を、みんなを助けたいって。だから・・・」
 眼から涙をこぼしながら、章にすがりつくハルカ。
 章は改めてハルカの思いを確認した。彼女は千影、くるみ、七瀬、そして章のために立ち向かおうとしている。たとえ自分の体が石に変わり果てようとも、その願いを胸に秘めてその一歩を踏もうとしている。
 この思いこそ、章自身にとってもかけがえのないものだと、章は実感したのである。
「分かったよ、ハルカ。お前の思いも、千影に向いてるんだよな・・」
「章・・・」
「けど、危なくなったら、絶対に逃げてほしい。正直オレは、お前を危険にさらしたくはないんだ、」
 章は自分の気持ちを伝えると、ハルカは小さく頷いた。
 そして2人はくるみに視線を移す。石像にされた彼女は、依然として虚ろな表情のまま立ち尽くしていた。
 ハルカと章は、それぞれくるみの右手と左手を握り締めた。くるみの心の声が2人に伝わる。
(ハルカ、章さん・・・)
「くるみ、必ず助けるから・・千影さんもちゃんと助けるから・・・」
(ハルカ、どうか千影を救ってあげて・・・)
 くるみが祈ると、ハルカと章は頷く。くるみはもう彼らに頼るしかなかった。
「それじゃ、行ってくる。」
 そういって章はくるみから手を離す。ハルカも手を離して、変わり果てたくるみの一糸まとわぬ姿を見つめる。
「くるみ、必ず元気で帰ってくるから、くるみも元気に迎えてよね。」
 ハルカは振り返り、先に玄関に行った章の後を追った。

 千影は今までにない喜びを感じていた。
 彼女が作り出した暗闇に満ちた空間。そこには彼女が連れ去って石化させた裸の女性たちが並んでいた。その中には、彼女の後輩の七瀬、教師の恵美も含まれていた。
「これだけ集まりと優雅なものね。みんなが石になった喜びを感じている。とても嬉しいわ。」
 石像の1体、七瀬の体に触れる千影。
(う・・・ぅく・・・)
 石の体を撫でられ、胸中でうめく七瀬。しかし体は自由に動かず、抗うことができない。
「そう、もっと感じて。それが私のために、あなたのためにもなるのよ。こうすれば幸せも感じていられる。」
(ぁぁ・・・あはぁ・・・)
 肌の接触に喜ぶ千影と困惑する七瀬。
 こうして肌に触れる感触と、触れられた相手の反応を確かめることが、今の千影にとっての至福の喜びだった。
「安心しなさい。もうすぐハルカさんが来るかもしれないから。あの子をオブジェに変えれば、もう章を惑わせる女は誰もいなくなる。章は私だけが愛せるのよ。」
 章への愛に執着している千影。その強い願いは力となって彼女を包み込み、周囲の人々をその毒牙にかけてきた。
 しかし彼女はその力に囚われていた。強大な力なため、心が力を求め続けるようになってしまった。
「・・・もうすぐ来るみたいね。どうやら立ち直ったみたいね、ハルカさん。」
 ハルカたちの接近に気付き、千影は笑みを浮かべていた。彼女はハルカが再び来ることを望んでいた。それは彼女を心配してではなく、彼女を自分のものにできると思ったからである。
 指を鳴らし、自分とこの空間を隔離して、元の世界に移動する千影。闇が解けたその場所は、彼女が普段過ごしている家の寝室だった。
「いらっしゃい、ハルカさん。私があなたをものにして、章を完全に私のものにしてみせるわ。」
 欲望を完全に満たすため、千影は寝室を出てハルカたちを迎える準備をした。

 章とともに千影の家に再び赴くハルカ。彼女は事件の直前まで見ていた夢を思い返していた。
 影の少女によって石化されていく自分の体。何も抗うことができず、ただ少女の抱擁に受けながらされるしかなかった。
 今思えば、その影の少女は千影で、これは正夢になるものだとハルカは思っていた。
 しかしその夢は徐々に外れていた。もし夢が現実になったのなら、千影に体を弄ばれたときに石化されていたはずである。
 見てきたこの悪夢は、ハルカに警戒を促すものだったのかもしれない。ハルカはそう感じ取った。
 まだ希望はある。千影を救い、くるみたちを助けられる望みが。
「なぁ、ハルカ?」
「え?」
「前に言ってたよな?体が石にされる夢を見たって。」
「え?あ、うん。」
 思っていたことを言われ、一瞬ハルカが困惑する。
「お前のその夢の話を聞いたとき、千影との思い出を思い出してしまって、でもまさかと思って片付けてしまったんだ。」
「私もただの悪い夢だって思ってた。だってそうでしょ?人の体が石になるなんて、普通起こるなんて思わないでしょ?でも、あれは私に対する警告か何かだったんじゃないかって思うの。」
「警告か・・・確かにそうかもしれないな。」
 笑みを浮かべて小さく頷く章。
「オレの昔の間違いが、ハルカの夢の中に伝わっていってしまったみたいだ。」
「でも、それが結果として、章のホントの気持ちを知ることができた。私は章と、千影さんに感謝しているよ。」
「ハルカ・・・」
「ありがとね、章。」
 満面の笑顔を作って頷くハルカ。この感謝の意が、章の迷い移ろう心を癒していた。
「絶対に助けよう、千影さんを。章のためにも、みんなのためにも。」
「ああ。ハルカのおかげでふっ切れたみたいだ。」
 そしてハルカと章は足を速め駆け出した。千影に対する思いを胸に秘めて。

 一般のものとさほど変わらない家屋。その前の玄関に立ち止まっていたハルカと章は緊張を感じていた。
「オレはこれで3度目だな。この家の前に立つのは。そしてこんなに緊張するのは。」
「私も何だか緊張してるの。行き慣れてる場所なのに・・・」
 簡単に入れるはずの場所に、2人は緊張感を覚えていた。親しみのある女性に隠された闇の力。彼女の本性を知った2人は、どうしても楽観視できないでいた。
「でも、ここは行かなくちゃ、いけなんだよね・・・」
「ああ。でも、今回はオレがついてる。」
「章・・・」
 大切な人に支えられていることを実感したハルカは、ゆっくりと玄関のドアノブに手をかけた。
 ドアを開けると、その先の廊下には千影の姿があった。
「千影さん・・・」
 ハルカは戸惑いを込めた表情で千影を見つめる。千影は妖しい笑みを浮かべていた。
「やっぱり来てしまったみたいね。でも、これで私も迷う必要はなくなったわ。」
 千影が笑みを消さずに手招きをする。ハルカと章を招きいれようとしていた。
 互いに向き合って頷き、2人は千影の家に入ることにした。
 案内されたのはリビングだった。何の変哲もないその部屋だが、ハルカは息苦しさを感じていた。
 外が見える窓の前で足を止め、振り返ってハルカたちを見据える。
「答えは出ているみたいね。聞かせてくれないかな、章?」
 千影が章に視線を移して話しかけてきた。ハルカは困惑した表情で、鋭い眼差しの章を見つめている。
「千影・・・オレは・・・」
 章は固く閉ざしていた口を開いた。
「お前とはまっすぐな気持ちで分かり合いたい。他の人は巻き込まず、オレたちだけで愛したかったんだ。」
「章・・・」
 真剣に話しかける章。しかし千影には悲しみと憤りしか浮かび上がらなかった。
「まさか章、私のことを完全に嫌いになるつもり!?」
「何を言ってるんだ、千影!?オレは、お前と一緒にいるのに誰も傷ついてほしくないだけなんだ!それなのに、お前は周りの女を石化して回って、それでお前は満足なのか!?」
 身勝手と感じる千影の考えに、章にも怒りがこみ上げてきた。
「オレはお前がしていることに満足はしない!そんなことしなくたって、オレはお前を愛していたんだ!」
 心の奥からの章の叫びに、ハルカも千影も押し黙ってしまった。その後、章もうつむいてしまう。
「でももう遅いよ。お前は無関係な人に危害を与えすぎた。その上お前はオレの願いを聞き入れてくれなかった。自分勝手なお前を、オレは愛することはできない。」
 そして章は、戸惑いを隠せないでいるハルカを抱き寄せた。ハルカが一瞬顔を赤らめるが、再び章の真意に耳を傾ける。
「これからは、オレはこのハルカを愛していく。でもオレは、お前のことも好きでいたいと思う。それは、ハルカも同じだ。」
「そうよ。私も章のことが好き。でも千影さんのことも好きだよ。だって千影さん、私のことをいつも助けてくれたじゃない!」
 ハルカも必死に千影に呼びかける。
「私が悲しんでたとき、いつも慰めてくれたじゃない!千影さんに励まされて・・わたし、とっても感謝してる。」
 胸に手を当てて、祈るように囁くハルカ。千影の優しさを受けることが、ハルカにとって何よりも嬉しかった。
 しかし千影は妖しい笑みを浮かべ、さらには高らかと哄笑を上げた。
「何言ってるの、ハルカさん?そうしてきたのは、全て私と章の愛のため。あなたもそのうちオブジェに変えようと思ってたのよ。」
 千影の体から黒い霧が立ち込めてきた。3人のいるリビングが暗黒に包まれていく。
「ハルカさんをオブジェにすれば、いい加減に章も私だけを想ってくれる。私たちの愛は完璧なものになるのよ。」
「甘えないでください!」
 微笑をもらす千影に、ハルカはたまらず叫んだ。その声に千影から笑みが消える。
「そんなのは千影さんが一方的に章に自分の気持ちを押し付けてるだけ!それじゃ愛じゃないわ!」
「勝手なことを言ってるのはあなたのほうよ!」
 千影も憤りを感じて叫ぶ。
「私は、章が他の女と一緒にいるところを見ると、とてもたまらなかったのよ!だから、みんなをオブジェに変えれば、章も私だけを見てくれる!そう思ったのよ!」
 千影の訴えは、いつしか涙ながらのものになっていた。
 くるみや他の女性たちを石化していたのも、全ては章への愛故の行為。それは章もハルカも知っていた。
 それでも、2人は千影のしている行為を許すことができなかった。なぜなら、彼女のしていることは、人として間違っていることに他ならないことだった。
「それでお前が満足しても、オレは満足しない。むしろお前のしていることを許せない。」
 悲しみを抑えながら、章は自分の気持ちを千影に伝えた。
「戻ってきてくれ、千影。オレとハルカは、心からお前を迎えるよ。」
 章はそういって、ハルカとともに手を差し伸べた。どうしても千影を助けたいという、2人の正直な気持ちからの行為だった。
 それでも、千影の心が晴れることはなかった。
「そう・・・私をからそんなに離れたいのね・・・」
 うつむく千影。その様子にハルカと章が戸惑う。
「だったら、ハルカさんを石化して、章を何が何でも私に振り向かせてやる!」
 千影の体から黒い霧が噴出する。動揺するハルカと章を、家のリビングを包み込んでいく。
「千影、お前!」
「もう逃がさない。あなたたちは私のものよ!」
 周囲が完全に暗黒に包まれる。そこには日常の場所も、七瀬や石化された女性たちはいない。ハルカと章、千影がいるだけだった。
「ここには私たちしかいない。章、あなたの眼の前で、ハルカさんをオブジェに変えてあげるわ。」
「千影!」
「そうすればあなたも分かってくれるはずよね?私がどれほど章を思っていたかを。」
 章が憤慨するのも聞かず、千影は妖しく笑って右手を伸ばす。困惑の広がるハルカを狙って、内にある力を膨らませていた。
 そしてゆっくりと歩を進めていく。それでもハルカは下がらない。
「私は迷わない。そして逃げない。千影さんが戻ってきてくれるなら、私は下がらない。」
 勇ましい姿勢を見せるハルカ。
「そう。それなら私には好都合。遠慮なく石化させてもらうわ。」
「ダメだ。やめろ、千影!」
「悪いけど、邪魔はさせないわ、章!」
 千影は笑みを消さないまま、止めに入った章を突き飛ばした。暗闇に満ちた床に仰向けに倒れる章。
「章!」
 ハルカがたまらず章に駆け寄ろうとする。そこを千影が彼女の腕を掴む。
「いや、離して、千影さん!」
 振りほどこうとするハルカだが、千影はその腕を放そうとしない。
「離さないわ。あなたの力を奪うまでは!」
 千影が抵抗するハルカを抱き寄せる。今まで見せたことのない彼女の形相に、ハルカは恐怖を感じた。
 完全に萎縮してしまい、ハルカは千影の腕を振り払うことさえできなくなっていた。
「これで終わりよ。ハルカさん!」
「ダメだ、千影・・・!」
 立ち上がった章が、危機に陥っているハルカに眼が留まる。
「やめろ、千影!」
 章はただ千影に向かって駆け出していた。思考が止まり、ただ助けることだけを頭に焼き付けていた。
 千影の腕からまばゆい光が発せられた。くるみや七瀬たちの力を奪い、石化させた光である。
 ハルカは体に不思議な感覚を覚えた。身に付けているもの全てを剥ぎ取られたような解放感に襲われていた。
 章もその閃光の中に飛び込んでいた。暗闇に満ちていた空間が白い光に照らし出されていた。

つづく


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