血石妖虫・三章

作:幻影


 その夜、真希は音葉の家で介抱を受けていた。
 母親を失った少女のこの夜の食事は、その日の調理当番だった音葉が作ってまかなった。
「あ、ありがとう。ごはん、作ってくれて。」
 皿に盛られたカレーを口に運びながら、真希が感謝の言葉をかける。
「いいの、いいの。いつも少し作りすぎてるくらいなんだから。」
 音葉がエプロンを外して、椅子に腰かける。
 そうは言っているが、普段は武が食べ盛りなので、最低でも普通の人の1.25倍の量は食べる。
 真希に出されたこの食事のほとんどは、武の分を分けたものだったのだ。
 そのため、武は今晩はあまり食べた気がしないでいた。
「真希ちゃん、ここが君の住む家だと思って、気にしないで居座ってもいいんだよ。」
 武が笑みを浮かべて真希に語りかける。
 迷惑だと気が滅入ると思ったが、彼女は彼の言葉に甘えることにし、うなずいた。
「オレたちは血石妖虫に家族や友達を殺された身だ。みんなの分も、精一杯生きなくちゃ。」
「そうね。そしていつか、あの虫たちを全滅させる。真希ちゃん、お互い頑張りましょ。」
 音葉の言葉に武の顔が曇る。
 真希は困惑したまま音葉の顔を見つめるだけだった。
「音葉ちゃん、こんなやり方してたら・・」
「ダメだって言うんでしょ!?でも、このままあいつらを放っておいたら、私たちと同じ思いをする人がまた増えてしまうよ!」
 武の心配の声を、音葉の苛立った声がさえぎる。
「こんな辛いことがいつまでも続いていていいはずがないわ!だから私たちは生きて、幸せを奪った血石妖虫をこの手で!」
「音葉ちゃんっ!」
 武は怒りを覚え、憎しみに駆られた音葉の頬を叩いた。
 真希は未だ呆然と2人の様子を見つめるだけだった。
 赤くなった頬を押さえて、音葉が眼に涙を浮かべて武を睨む。
「音葉ちゃん、今の君は間違っている。いくら妖虫が憎くて憎くて仕方がないとしても、こんな幼い少女を復讐に駆り立てるなんて・・」
「でも、私は・・・」
 悲痛の面持ちで語る武に反論できず、音葉が歯軋りして涙を流す。
「オレだってヤツらが憎くないわけじゃない。だけどそのために手段を選ばないわけじゃないんだ。」
 武は窓に近づいて星空を見上げる。
 大切な人を奪われた音葉の気持ちを理解していた彼は、その憎しみの連鎖から何とか彼女を解き放ちたいと思っていた。
 このままでは、妖虫から解放されて平和が戻ってからも、彼女は憎しみに囚われたまま真っ当な生活を送れなくなってしまう。
 武の心は、穏やかだが落ち着きのない波間のように揺れていた。

 その翌日、武は真希の保護を音葉に任せ、政府の緊急会見に足を運んだ。
 血石妖虫が地球に来襲した次の日から、政府は特別調査団を発足し、妖虫とその生息地である惑星ゴルスに関する調査を徹底的に行った。
 特徴、能力、弱点など、その情報は武が調べたもののそれを越えるほどだった。
 武は会見場に到着し、大勢の記者やカメラマンたちに紛れて調査員の会見を待った。
 全国で生中継されるのだが、妖虫の飛来以前に研究を行っていた彼は、直に政府の会見を聞きたかったと思っていた。
 やがて調査員が数人姿を現し、会見席に座った。
「今月16日に宇宙からやってきた巨大生物について、我々が現在までに調べ上げた詳細を発表します。」
 研究員の1人がマイクを持って話し始める。
「この生物の名は“血石妖虫”。我々の住むこの地球から約2億km先の惑星ゴルスに生息する吸血生物です。この血石妖虫は、口から出される触手を使って人々の血液を吸い取り、その触手の内部にある毒素で人間の細胞を石のように固くしてしまう能力と特徴を備えています。彼らはゴルスの地中にある人間の血液と同じ成分の栄養分を摂取してきましたが、最終破壊兵器ファントムアトムの実験によって惑星ゴルスは崩壊、住処を奪った地球への逆襲のために飛来したものと思われます。」
 武は研究員の発表を真剣な眼差しで聞いていた。
 ファントムアトムの実験により惑星ゴルスは地中の栄養分を得ることができないほどに崩壊し、血石妖虫は突然変異を起こして地球を襲撃してきたのだ。
「それで、その血石妖虫を撃退する方法は何かないのでしょうか?」
 記者の1人が質問を投げかける。
「血石妖虫の特徴は8割がた調査が完了しております。もちろん、その弱点も。彼らは頭部からの特殊な超音波によって仲間と交信して行動しています。つまり、その頭部を攻撃し破壊すれば彼らは再起不能に陥るでしょう。」
「頭部が弱点ですか。」
「我々がしたことは、彼らに対する暴挙と言っても過言ではありません。しかし、この地球(ほし)を守るためには、我々は彼らを死滅せざるを得ないのです。世界の国々と連絡を取り合い、彼らの魔手から人々を守ることをここに誓いましょう。」
 研究員が政府に変わって決意を示し、立ち上がって一礼する。
 このことが心強く思えたのか、会場にカメラのフラッシュがきらめく。
 住処を奪っておいた自分たちが、自分の住処を守るためとはいえ、その住人を滅ぼすことになるかもしれなかったことが心苦しく思えたのは、研究員も武も同じだった。
 彼らの決意で武は心を落ち着け、安堵の吐息を漏らす。

「大変だっ!」
 そのとき、会場の外で待機していたと思われる記者の1人が、血相を変えて会場に飛び込んできた。
「血石妖虫が街に現れました!」
「何っ!?」
 その言葉で、会場にいた全員が驚きとともに立ち上がる。もちろん、武も。
 彼はすぐに会場を飛び出し、駐車場に止めていたバイクに駆け出した。
 そしてエンジンをかけたとき、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
 武はポケットからそれを取り出し、電話に出た。
「もしもし、音葉ちゃんか!?」
 しかしその声の主は音葉ではなかった。
「もしもし、お兄ちゃん!」
「ま、真希ちゃん!?どうしたんだ、そんなに慌てて・・」
 電話を通じて聞こえてくる真希の声には焦りの色が混じっていた。
「お姉ちゃんが、TVで怪物が現れたって聞いて、慌てて出てっちゃったの!」
「何っ!?音葉ちゃんが!?」
「怪物が現れたのはすぐ近くだから、バイクに乗らずにそのまま駆け足で。私、お姉ちゃんが心配だから、後を追いかけるね!」
「おいっ!真希ちゃん!あっ・・・」
 武が呼び止める前に、電話は切れてしまった。
 電話の持つ手が力を失い、武が体を震わせた。
「このままじゃ・・みんな・・・」
 武は慌ててバイクを走らせ、街に向かって爆走した。
 今までにない不安と危機感を抱えながら。

 襲来した血石妖虫が群がっていたのは、街の女子大の校舎の一角だった。
 虫の口からの触手が女生徒や教師たちの体を襲い、血を吸い取って命無き石像に変えていく。
 そんな逃げ惑う群衆の波に逆らって、音葉が刀「武刃」を持って駆け出していった。
 押し寄せる人の群れを抜け出し、妖虫の群れに対峙する。
「今度こそ終わりにしてあげるわ!そうすれば、みんな安心して!」
 武刃を鞘から抜き放ち、構えて妖虫に飛びかかる。
 敵の弱点をすでに体に叩き込んでいる音葉は、反射的と言っていいほど的確に虫の頭部を切り裂いていく。
 剣術と武術に長けたその身のこなしで、妖虫の触手を回避し、間を置かずに武刃の刀身を頭部に叩きつける。
 傷口から吹き出る鮮血を浴びながらも、彼女はその動きを止めない。
 心にある怒り、悲しみ、憎しみ、その全てが、彼女の妖虫への敵対心を呼び起こしているのだろうか。
 しかし次第に彼女の体力はすり減り、動きを鈍らせていた。
 構えを崩してはいないが、彼女は大きく息をつく。
 それでもまだ大量の妖虫が立ちはだかっていた。
「こ、こんなところで倒れるなんて・・」
 もうろうとしながらも、音葉は倒れまいと必死だった。
 しかし、妖虫の群れはその不気味に光る眼で容赦なく彼女見据えている。
 その1匹が振り下ろした爪を、彼女は飛びのいてかわす。
 削られた地面を直視しながら、音葉が体勢を整える。
(ダメよ!私自身の力で何とかしなくちゃ!血石妖虫を倒したいと飛び出して、結局武さんに助けられてるんじゃない!これじゃ武さんに甘えてるだけだわ!)
 胸中で自らを追い込む音葉。着ている衣服や武刃の刀身には、大量の妖虫の紅い血が降りかかっている。
 妖虫の群れが血に飢えて、口から吸血と石化の触手を吐き出していた。

 一方、武は血石妖虫が出現した女子大に駆けつけ、虫数匹を相手にしていた。
「音葉ちゃん、どこなんだ!早まらないでくれ、真希ちゃん!」
 武が悲痛の声で2人の少女の名を呼びながら妖虫と対立する。
 この大学は、音葉の家と緊急会見が行われた会場を一直線で結んだその間に位置している。
 今、音葉が妖虫と戦っているのは大学の正門付近であり、会場から大学に駆け込んできた武はその裏門付近にいた。
 つまり、武は音葉とは全く反対の場所で妖虫と対立していたのである。
「そこをどけ!オレはどうしても通らなくちゃいけないんだ!」
 いつもの平たんとした態度から一変、怒号をあびせて妖虫に発砲する。
 数匹の頭部が炸裂弾の爆発で粉砕し、他の虫が怯む。そこに向かって武は発砲を繰り返しながら突き進む。
 さらに数匹の頭部に弾が命中し、そのまま彼は妖虫の妨害を突破していった。

「キャッ!」
 血石妖虫の爪になぎ払われ、音葉は倒れ込む。叩きつけられた反動で、眼の前に武刃を落としてしまう。
 体を起こした彼女の前に、妖虫が牙を向けていた。
(このままじゃ・・)
 恐怖がこみ上げる音葉に、妖虫の1匹が触手を伸ばす。
「お姉ちゃん!」
 そのとき、幼い声とともに1人の少女が飛び込んできた。
 心配になって駆けつけてきた真希が、振り返った音葉を突き飛ばした。
 再び倒れこんだ音葉が顔を上げると、真希の体に妖虫の触手が突き刺さっていた。
 一瞬呆然となった音葉は、うっすらと笑みを浮かべる真希が、触手の刺さった部分から灰色に変わっていくのを凝視する。
「真希ちゃん!」
 声を荒げた音葉が地面に落ちている武刃を拾い上げ、真希を捕らえている触手を切り裂く。人の細胞を石化させる毒素は、ただの物質には効果がなく、体内に注入されない限りその効果は発揮されない。
 虫の群れに鋭い視線を向ける音葉。彼女の中で何かが弾けた。
 次の瞬間、武刃の刀身が次々と妖虫の頭部を斬りつけていた。
 今までにないような機敏な動き。彼女の中で芽生えた殺意が彼女を向上させていた。
 その驚異的な攻撃に、妖虫の数匹は頭部を斬られて絶命、残りは恐れを感じたのか、羽を羽ばたかせてその場から逃げ出した。
 その群れの逃亡を見送り、音葉はふと我に返った。
 一瞬、彼女は自分が何をしたのか理解できなかった。
 怒りのあまり理性の糸が切れ、破壊衝動の赴くままに妖虫にその殺意をぶつけたのである。
 これこそが、本当に怒りに駆られたことだと彼女は納得した。
 そのとき、音葉ははっとして振り返った。そこには、部分的に石化が始まっていた真希が呆然と立ち尽くしていた。
「真希ちゃん!」
 悲痛の叫びを上げながら、音葉は武刃を握りしめたまま真希に駆け寄った。

つづく


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