光と影の天使・第1話

作:幻影


「私を受け入れなさい。」
 少女の眼の前にもう1人の自分が立ち、こちらを見つめている。
 同じ髪。同じ制服。同じ声色。
 まるで鏡に映っているかのように、全てが自分とそっくりだった。
(な、なんで・・・?)
 胸中で恐怖する少女に、もう1人の自分が妖しく笑いながら近づいてくる。
「あなたが私を受け入れてくれれば、全ての悲劇をリセットすることができるのよ。」
 震えながらも、もう1人の自分の誘惑を否定する少女。
「あなたは私、私はあなた。私を否定することは、あなた自身を否定することになるのよ。ほら、あなたの体が、あなたとは違う別のものに変わってるわ。」
 促されて自分の体を見ると、足元から徐々に灰色に変色が及んできていた。
 本当に起きていることなのか。それともただの幻なのか。
 下半身と両手にまで灰色になり、その部分の自由が利かなくなる。
 もう1人の自分が、灰色に変わっていく少女の胸に手を当てる。
「早く私を受け入れなさい。このまま否定し続けたら、あなたは全く別の存在になってしまう。今あなたの体を石に変えているのは、自分を否定しているあなた自身なのよ。」
 少女は反論しようと必死に声を出そうとするが、自分の心を浮き彫りにするもう1人の自分と、体が石化していく恐怖と困惑のために言葉にならない。
「その石化を解くには、私を受け入れ認めること。大丈夫よ。これは自分自身のこと。何も恐れることはないわ。私があなたの心の傷を癒してあげるから。」
 少女の胸に触れているもう1人の自分の手が、少女へと吸い込まれていく。
 その非現実的な光景に、少女がさらなる恐怖を募らせる。
「怖がらないで。元々1つだったものが別れてしまって、今それが再び1つに戻るだけ。心配することは何ひとつないわ。」
 もう1人の自分が妖しく少女を言いくるめる。
 それでも、少女は込みあがってくる恐怖を拭い去ることができない。
 やがてもう1人の自分が、完全に少女の中に入り込んだ。
 その瞬間、石の殻が弾けるように剥がれた少女は、頭の中が真っ白になった。

 眼が覚めると、そこは自分が住んでいるマンションの自分の部屋だった。
「夢、だったの・・・」
 悪い夢にうなされたまろんが、来ていたパジャマの袖で汗を拭う。
(でも、なんなの、今の夢・・・?)
 夢に不安を抱きながら、まろんは笑顔を作ってベッドから下りた。
「さあ、今日も元気に勇気でがんばろう!フィン、今何時?」
 まろんに声をかけられ、神聖な装束を着た白い翼の天使フィン・フィッシュが、目覚まし時計を抱えてふらふらと飛んできた。
「まろん、急がないと・・」
 フィンが目覚まし時計をまろんに見せる。
「ウソッ!?もうこんな時間!」
「早くしないと都ちゃんたちが来ちゃうよ!」
 時間に追われて、慌てて部屋を駆け回るまろん。
 食パンを口の中に押し込んで、制服に着替え終わったところで、インターホンが鳴り響いた。
「まろん、早くしなさいよ!」
「はーい!」
 玄関から聞こえた声に、まろんは返事して駆け出した。

 日下部まろん。
 幼い頃から1人暮らしを余儀なくされた女子高生である。
 実は彼女は、この桃栗町を騒がせている神風怪盗ジャンヌであり、百年戦争で活躍した少女、ジャンヌ・ダルクの生まれ変わりでもある。
 警察の包囲網を次々と潜り抜ける彼女が泥棒をする目的は、千差万別な品々にとり付いた悪魔を封印するためだった。
 かつては天使フィンやジャンヌ・ダルクの力を借りてジャンヌに変身していたが、聖なる力が目覚めてからは自らの意思で変身することが可能となった。
 現在、彼女の正体を知る人が、まろんの通う学校の中では2人いる。

 名古屋稚空。
 ジャンヌと並ぶ怪盗シンドバットである。
 魔王に堕天使として洗脳されたフィンを助けるために人間界に下りてきた黒天使アクセス・タイムに頼まれ、ジャンヌの妨害を試み、後にジャンヌを守るために体を張り続けてきた。
 今ではまろんにとって、かけがえのない人となっている。

 東大寺都。
 まろんとは幼い頃からの親友である。
 刑事の娘である彼女は、人一倍正義感が強く、ジャンヌ事件の際には父とともに刑事たちを先導してきた。
 彼女がそこまでしてジャンヌ逮捕に全力を注いでいたのは、一時期疑いをかけられたまろんを守るためでもあった。
 そのまろんが怪盗ジャンヌだったことを知り彼女は戸惑ったが、友を想うまろんと説得されて和解し、お互いその友情をさらに強めたのだった。
 まろんや稚空みたいにフィンやアクセスの姿を眼にすることはできないが、都もかげながらジャンヌの悪魔封印に協力することを誓ったのであった。

「もう、早くしてよ、まろん!遅刻するよ!」
 マンションのエレベーターを降りた都がまろんを急かす。
 ルールにうるさい都は、遅刻することを覚悟でいつもまろんを迎えに来ている。
 2人の住んでいる部屋は同じ階の向かい合わせであり、稚空の部屋はまろんの部屋の隣にあたる。
 稚空とともに、マンションの出入り口で駆け足になっている都をよそに、まろんがメールボックスに向かい合っている。
「な〜に?またメールボックス?」
 都が呆れるように言う。
 両親と離れて暮らしているまろんは、登下校時にはいつもメールボックスを覗き込んでいる。
 両親からの手紙を待ち望むが、それはいつも入っていない。
 その両親の離婚と置き去りが悪魔の仕業だと知ったのは、今から少し前のことだった。
 堕天使となったフィンを救い、神が魔王に勝利した壮絶な戦いから1週間がたった今日。
 魔界からはぐれ出た悪魔が今も密かにジャンヌたちを狙っていた。
 まろんも稚空も都も、この戦いに新たに決意を固めながらも、それぞれ日常へと戻っていた。
 両親の呪縛が解け、再び会えることを信じて、まろんはメールボックスを開いた。
 中には1封の手紙が入っていた。
 まろんが慌しく手を入れて、手紙に書かれた差出人の名前を確かめた。
 日下部匠・ころん。まろんの父と母の名前だった。
 やっと自分に届いた手紙に、まろんに喜びが込みあがり、眼には涙が浮かんでいた。
「どうした、まろん?」
 稚空が訊ねると、まろんが笑顔で振り返ってきた。
「やっと、やっときた。お父さんとお母さんからの手紙が・・」
「えっ!?ホントか!?」
 稚空も歓喜の声を上げて、まろんとその手紙を見つめる。
 すると、都が慌しく口をはさんできた。
「手紙を読むのは学校に着いてから!遅刻しちゃうよ!」
「は〜い!」
 まろんは返事をして、手紙をしっかりと持ったままマンションを飛び出した。

まろん、今までお前を1人にしてすまなかった。私たちはお前ともう1度暮らしたいと思っている。すぐにはそちらに戻れないが、今月末には帰るつもりだ。改めて家族の生活を送りたいと思っているので、私たちを信じてほしい。 匠・ころん

「お父さん、お母さん・・・」
 その日の1時間目の授業の後の休み時間。
 まろんは両親からの手紙を広げ、喜びのあまりに涙を浮かべていた。
「ホントに、ホントによかったですね、日下部さん・・」
 稚空、都とともに、手紙の内容に水無月大和も喜びを隠せないでいた。
 彼はまろんのクラスの委員長である。
 弱気で判断力に欠けている自分を変えようと、またまろんのためにも怪盗シンドバットを捕まえようと奮闘する一面もある。
「今月中には帰ってくるのか。」
「そんときはパーティーを開かないとね。」
 稚空と都がまろんの喜びを分かち合う。
 そのことにまろんは、今までにない喜びを感じていた。
 悪魔の呪縛から解放されて自分のもとに帰ってくる両親。これほどに自分を想ってくれている親友たち。
 まろんは今、一番の幸せの中にいた。
「ありがとう・・・みんな・・」
 まろんは頬を涙で濡らしながら、感謝の言葉をかけた。

「アレ?日下部さん?」
 喜びに浸っているそのとき、別クラスの種村と桑島が教室に入り、まろんに声をかけてきた。
 彼女たちのクラスは、1時間目は体育だった。
「日下部さん、学校の外の通りにいなかった?」
「えっ?何言ってるのよ。まろんは学校に着いてからも私たち一緒だったし、教室に入ってからまだ外に出てないわよ。」
 都が種村たちに弁解する。すると種村は、
「でも、私たちのクラス、1時間目は体育で校庭に出てたんだけど、外から私たちのいる校庭をずっと見てたわ。」
「授業中だったんで声はかけられなかったけど、あそこから不気味に笑ってこっちを見てたのは確かだわ。」
 桑島も話に加わるが、都も稚空も呆れるばかりだった。
「見間違いだったんじゃねぇのか?まろんのそっくりさんだったりして。」
 稚空のからかうような態度に、まろんさえも呆れる。

  私を受け入れなさい。

 そのとき、まろんは昨夜見た夢を思い出していた。
 もう1人の自分が妖しく語りかけてきた夢。
 もしかして、その夢が現実になったのか。
 まろんの胸に、一抹の不安がよぎっていた。
「どうしたの、まろん?」
 都が呆然となっているまろんの様子を気にして声をかけてきた。
「えっ?・・ううん、何でもない、何でもない・・」
 まろんがはっとして、少し慌てた様子で返事をする。
(何考えてるのよ。あんなのただの夢じゃない。魔王の力は弱まったし、それに私には、みんながいるじゃない。)
 まろんは胸中で自分に言い聞かせた。
 自分自身を信じることで自分を強くすることができ、さらにたくさんの人たちが自分を支えてくれる。
 たとえどんな困難が訪れても、怯えることは何もない。
 まろんは自分や仲間たちを強く信じた。

 通りから学校を見つめる少女。
 彼女のその姿は、紛れもなく日下部まろんだった。
 同じ髪型。同じ制服。顔の輪郭も背丈も同じ。
 まろんそのものだった。
 唯一の違いは、瞳の色が紅いことと、本人が見せるとは思えないような妖しい笑みを浮かべていることだった。
「ずい分と楽しそうね、まろん。お父さんもお母さんも帰ってくるし、たくさんの仲間もいる。これほど楽しいことはないよね。」
 彼女にはまろんの思考が手に取るように分かっていた。まるで姿かたちだけでなく、中身まで同じであるかのように。
 もう1人のまろんは、妖しい笑みを浮かべたまま振り返り歩き出した。
「まろん、私がこの幸せがいつまでも続くようにしてあげる。あなたが何を考え、どのようなものが1番の幸せになるのか、私にははっきりと分かるわ。だって、私はあなたは自身なんだから。」
 彼女はその場から立ち去った。
 悪い夢の続きなのか、それとも夢が現実となったのだろうか。
 心の隅で不安を抱えながらも、このときのまろん自身は予想だにしていなかった。

つづく


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