デッド・エンジェル 第1話「闇を狩る者」

作:幻影


 デッド・エンジェル。
 哀れな堕天使。
 天使でも悪魔でもなく、人間にもなれない存在。
 精神力を使って、壮大な力を発動することから、人々から忌み嫌われ恐れられている。

 光と闇の契約によって、魔は完全に闇の世界に閉じ込められた。
 しかしその契約を破り、外の世界へ入り込んできた魔は、何の変哲もない世界に紛れ込み、魂を弄んでいる。
 ある者は人に化け、まだある者は人にのり移ってその人の欲望を暴走させていく。

 ロウ・シマバラ。
 クリスシティ第一大学に通う20歳の青年。
 その日の昼休み、彼は大学の広場のベンチに腰を下ろし、新聞を広げていた。
「昨日のレッドブリッツとの試合で、ジョージ・アキバが3ダンク、3スリーポイントシュートを決めたか。」
 スポーツ欄を眺めていると、突然聞き覚えのある声がかかった。
「あっ!昨晩またデッド・エンジェルが現れたのね!」
 ロウが読んでいる新聞の裏から、ポニーテールの女性が顔をのぞかせてきた。
 メイ・アーマイン。
 ロウとは大学入学時に知り合った。
 彼女の父はクリスシティ警察を代表する警部で、彼女も刑事になろうと懸命に努力している。
 顔から満面の喜びを浮かべているメイに、ロウは呆れ顔になる。
「メイ、まだあんなのにホレてるの?」
 メイと同じゼミを受けている女生徒、ミリィが話に加わる。
 メイが顔を膨らませてそのミリィに詰め寄った。
「当たり前よ。あの白い髪、黒い翼、紅い瞳、夜に羽ばたく輝きのようだわ。」
 メイは眼を輝かせて自分の世界に入り込んでしまい、他人の話を聞いていないようだった。
 このクリスシティでは、3ヶ月前から変質的な事件が起こり、同時に伝説で語り継がれていた堕天使、デッド・エンジェルが現れたのである。
 人間の常識では測れない力を振るうため、街の人からは畏怖されている。
 しかし、メイはその姿に憧れを抱いていたのである。
 そのため、一部の知り合いからおかしな人だと苦笑いされているが、本人は全く気にしていないようである。
「好きにさせてやれよ。人の好みなんて人それぞれなんだから。」
 未だに新聞を眺めているロウの言葉に、ミリィはあえて反論しなかった。
 ロウは、自分の正義感から、困っている人を助けようとして、ときどき無謀なことまでするメイを助けているのである。
 もし自分が何もしなければ、彼女は何をするか分からないと思ったからだ。

 最近、クリスシティでは美女が次々と誘拐されるという事件が起こっていた。
 クリスシティ警察も犯人と被害者の行方を追っていたが、手がかりは全く掴めないでいた。
 そしてまた、闇のうごめく夜が始まる。
 1人暮らしの自宅にいたロウは、部屋の窓から夜空を見上げていた。
 雲のない星が輝く澄んだ空だった。
「さて、そろそろいくか。」
 ロウは着ていたシャツをベットの上に脱ぎ捨て、体に力を込めた。
 体に振動が起こり、ロウを変質させていく。
 眼が紅くなり黒かった髪が白くなり、背中から黒い天使の翼が生えてきた。
 震えが治まったロウの姿は、まるで闇に魅入られた天使のようだった。
 彼は人々に忌み嫌われた存在、デッド・エンジェルである。
 ロウは窓から外に飛び出し、黒い翼を広げて羽ばたいた。
 哀れな堕天使が、蒼い夜空を飛んでいく。

「すっかり遅くなっちゃったね。」
「先生、研究に夢中になると時間を忘れちゃうんだもん。」
 ゼミが長引いたため、メイはミリィと一緒に路地を駆けていた。
 2人とも誘拐事件のことは知っていて、巻き込まれまいと思っていたからである。
 やがて彼女たちは、大通りまで一直線に続いている道への曲がり角を曲がった。
 すると突然視界に入った人にぶつかり、2人はその反動でしりもちをついてしまう。
「イタタタ、ごめんなさい!急いでいたもので。」
 スカートの上から尻をさすりながら、ミリィが眼の前の人に謝罪する。
「なに、気にしなくていいよ。こんなにかわいい人がしたことなんだから。」
 メイたちに優しく微笑むその男性は、ゴールデンレトリーバーを連れていた。どうやら散歩の途中のようである。
「ホントにかわいいなぁ。奪っちゃいたいくらいだ。」
「あ、あの・・・」
 男の放つ不気味な雰囲気に、メイとミリィが怯え出す。
「まさか、例の誘拐事件の・・」
 メイは恐怖して後ずさりするが、男は不気味に笑いながら近づいてくる。
「まずは君から。」
 男は瞬時にミリィの眼前に移動し指を彼女の額に当てると、彼女は気を失ってその場に倒れた。
「ミリィ!」
 メイが声を荒げてミリィに駆け寄ろうとしたが、男の常識外れの力の前に足がすくんでしまう。
「痛いようにはしないから。さぁ、君も一緒についてくるんだ。」
 男の視線がメイに移る。彼の飼い犬は座ったまま飼い主のほうを見ている。
 そのとき、空から1枚の羽根が落ちてきた。男とメイの視線が地面に落ちた羽根に移る。
 夜空に溶け込んでしまいそうな漆黒の羽根だった。
 メイが空を見上げると、星空に浮かぶ1つの人影があった。
 それは人のように一瞬思えたが、背には大きな翼が広がっていた。まるで天使だった。
 メイはその姿に魅入られて呆然となっている。
「デッド・エンジェル・・」
 男はその人影に対して、1つの言葉を呟いた。
 やがて月明かりに照らされて、人影の姿がはっきりしてきた。
 白い髪。黒い翼。紅い瞳。
 世間を騒がせている堕天使、デッド・エンジェルだった。
「ケンタロス!」
 男は自分の飼い犬の名前を呼んだ。
 すると、今までおとなしそうだったゴールデンレトリーバーが体を震わせる。
 4本の足と尻尾が肥大化し、歯が獰猛な獣のように鋭くなった。
 男の飼い犬は、牙と爪を光らせる巨大な怪物へと姿を変えた。
 舗装された石の道に着地したデッド・エンジェルの前に、巨大な怪物が立ちはだかる。
「早くここから離れるんだ!」
「は、はい!」
 視線だけを後ろに向けたデッド・エンジェルに促され、混乱していたメイがうなづいた。
「ケンタロス、デッド・エンジェルを葬るんだ!」
「ガアァァァーーー!!!」
 男の指示に怪物と化したケンタロスが咆哮を上げて、デッド・エンジェルに飛びかかってきた。
 デッド・エンジェルは黒い翼を広げて宙を舞う。振り下ろされたケンタロスの爪が、彼が今いた石の地面を削る。
「キャッ!」
 その振動で、メイは揺られて倒れ、そこから動けなくなる。
 再び着地したデッド・エンジェルが、さらに追い撃ちをかけてくるケンタロスを見据える。
「剣よ。」
 デッド・エンジェルの呟きとともに、彼の手から光が灯り紅い剣を形作った。
 振り下ろされたケンタロスの左前足を、紅い剣がなぎ払う。
「ギャァァーーーー!!」
 ケンタロスが激痛に叫び声を上げ、斬りつけられた足から血しぶきが飛び散る。
 メイはその光景に困惑し、立ち上がることもできずにいたが、デッド・エンジェルは顔色ひとつ変えずに怪物の姿を見ている。
 手傷を受けながらも、ケンタロスがデッド・エンジェルに突進してくる。
「魔は闇の世界に還れ!」
 デッド・エンジェルは手に握る紅い剣を構え、ケンタロスの眉間目がけて投げ放った。
 紅い刃が怪物の顔を捉え突き刺さる。
 ケンタロスが荒々しい咆哮を上げる。デッド・エンジェルが手を伸ばし、強く念じた。
「闇へ。」
 突き出された手が握られた瞬間、ケンタロスが紅い光に包まれ、弾けるように消滅した。
 温厚な犬を装っていた魔は、堕天使の強大な力によって闇に葬られたのである。
 黒い翼を広げたまま、デッド・エンジェルは怪物が消えた場所を見つめていた。
「あれが、デッド・エンジェル・・・」
 メイは黒い翼の堕天使の姿から眼が放せなかった。
 犬の姿から変身した凶暴な怪物。それを撃退した強大な力と紅い剣。
 畏怖してしまいそうだったが、それ以上に惹かれるものを感じていた。
「まさか、デッド・エンジェルの姿と力をこの眼で見られるなんて。」
 声がしたほうをデッド・エンジェルとメイが振り向くと、男が気を失っているミリィを抱えて笑っていた。
「ミリィ!」
 メイがミリィに駆け寄ろうとするが、体が思うように動かない。
「今回はこの子だけで我慢しておくよ。ケンタロスをやられた礼は必ずしてやるよ。」
「ミリィ!ミリィを返して!」
 メイの言葉に耳を貸さず、男はミリィを連れ去って姿を消した。
 メイが呆然となっている中、デッド・エンジェルは動揺さえせず、虚空を見上げていた。
「あ、あの・・・」
 気を落ち着けてメイが声をかけると、デッド・エンジェルが彼女のいるほうに振り返った。
「あ、ありがとう。あたしたちを助けてくれて。」
 彼女の言葉を耳にして、デッド・エンジェルは虚ろな眼をして口を開いた。
「でも結果として親友を救ってやれなかった。おそらくヤツも魔の1人だ。どういうことをされているか分からない。しかしヤツは再び姿を現す。今度こそ闇に還し、さらわれた女性たちを救ってみせる。」
 自分の決意を示して、デッド・エンジェルが倒れたまま立ち上がれないメイに歩み寄る。
「立てるか?」
 デッド・エンジェルがメイに手を差し伸べる。彼女はその手を掴んで、堕天使に助けられながら立ち上がった。
「ホントにありがとう。」
 顔を赤くしながら感謝するメイに笑顔を見せて、デッド・エンジェルは黒い翼を広げて飛び上がり、月夜へと消えていった。
「ミリィは大丈夫なはず。あの人が、デッド・エンジェルが助けてくれる。そしてあたしも、必ずミリィを助けてみせる。」
 メイもさらわれたミリィを助け出すことを誓った。
 友として。刑事を目指す者として。自分の正義感に誓って。

「いや・・いや・・」
 ミリィの素肌をなでる1本の触手。
 粘り気のある液が彼女の体を伝う。
 かつてない恐怖と不快な感触で、彼女は息を荒げていた。
「いい肌だ。やはり私の眼に狂いはなかった。」
「おねがい、やめて・・何でもするから・・」
 ミリィがぽつんと立っている薄暗いこの空間に、彼女をさらってきた男の声が響き渡る。月明かりだけが部屋の窓を通じて、彼女の姿を映し出している。
 怯える彼女は、発する声さえも震えていた。
 この場からすぐにでも逃げ出したい気持ちだったが、とてつもない力で金縛りにあって棒立ちのまま体が動かない。
「何でも?じゃ、私のコレクションに加わってもらうよ。」
「えっ!?」
 男の言葉にミリィは驚愕する。
 彼女の体を触っていた触手が離れ、その先端が勢いをつけて彼女の胸に突き刺さった。
「あっ!」
 激しい衝動に、ミリィは感覚が吹き飛んだような気分に陥った。
 そして触手の中を塊がうごめき、それが彼女に入り込む。次々と触手から液体が流れ、彼女の胸から体中に流し込まれる。
 するとミリィの胸と手足が固くなったように動かなくなる。
「か、体の自由が・・」
 触手の刺さった胸から、手の指先から、足のつま先から、灰色への変色が進んでいく。
 同時に彼女から感覚が失われていった。自分が別の物質に変わっていくような。
 変化が体や手足を浸食し、首に向かっていた。
「やめてよ・・誰か・・たすけて・・メ・・イ・・・」
 力が入らなくなり、ミリィは怯えることさえできなくなる。
 触手を通じて液体がさらに彼女の体に注入されていく。
 引きつっていた顔も緩み、変色を待つような気分を感じるようになった。
 脱力した虚ろな表情のまま、変色が完全にミリィを包み込んだ。
 彼女の胸に突き刺さっていた触手が離れる。その奥には、口を大きく開いた爬虫類のような怪物が悠然としていた。
 彼女の肌に触れ、液を流して固めたその触手は、怪物の舌だった。
「またかわいい子をコレクションに加えたもんだね。」
 怪物の背後に人影が現れる。怪物は体を変形させて、ミリィをさらった男の姿へと変わっていった。
「当然だよ、カオス。私はかわいい女しか興味はない。その結集こそが、ここにいる彼女たちさ。」
 2人の男の周りには、大勢の女性たちが灰色の姿で動きを止めていた。
「欲望に惹かれた魔と協同し、美女をさらって石化させる。自らを魔に変えてまで。それでも欲望を満たしたかったんだろ?キース・デルタス。」
 その言葉を聞いて、連続誘拐犯、キースが満面の笑みを浮かべている。その姿を見て、蒼い短髪に蒼い瞳をした男、カオス・クラインも笑みを見せていた。
「ところで、君に1つ頼みたいことがあるんだ。」
「なんだい?かわいい子を連れてくること以外は気が進まないよ。」
 カオスの頼み事を、キースが渋々聞き耳を立てる。カオスは1枚の写真を取り出し、キースに見せた。
「彼女をさらってきてほしいんだ。」
「この子は・・」
「知ってるのかい?」
「ああ。今夜は1度に2人手に入れられると思ったけど、デッド・エンジェルに妨害されて、ケンタロスは倒され、1人しか連れてこれなかったよ。」
 キースはその写真の少女に見覚えがあった。
 水色の長髪をまとめてポニーテールにしていて、明るい笑顔を見せている。
 彼女は今夜キースが手に入れそこなったメイ・アーマインである。
 カオスが悠然とした態度でさらに話を進める。
「それなら話は早い。確か君の石化は、意識は残ったままだったよね?」
「ああ。直接触れないといけないけど、石になった美女の心境を読み取って好感を持つのも、また美味なんだよなぁ。」
「彼女をさらって、デッド・エンジェルをおびき寄せるんだ。彼はこの女性と親しい関係にある。それを利用すれば、デッド・エンジェルを葬り去ることができるんだよ。」
 カオスはキースに、メイの写真を手渡し、後ろに振り返った。
「もちろん、彼女を石化してしまってもかまわないよ。」
「それなら好都合だ。彼女を私のコレクションに加えて、邪魔なデッド・エンジェルも始末してやるよ。」
「では、頼んだよ。」
 キースが満面の笑みを浮かべた。その歓喜の姿に視線を送りながら、カオスは音もなく姿を消した。
 カオスの書き上げたシナリオの中で、デッド・エンジェルの悲劇が幕を開けようとしていた。

つづく


幻影さんの文章に戻る