Blood File.11 暗黒の誘惑

作:幻影


「ちょっと思ってたこととは違っちゃったね。」
 裸の石像となったワタルといちごを見つめながら、あかりが妖しく笑う。殺すつもりだったワタルをいちご共々石に変えてしまったことに対して、彼女はわずかながら落胆していた。
「でも、それがいい方向に向いたかな。」
 互いを抱擁している2人のブラッドの石の肌を手で触れるあかり。そしてその上からさらに腕を絡ませて抱き寄せ、2人の虚ろな表情を眺めた。
「いちごとワタルさんの力、もらったからね。あたしの中で2人の力が生きるの。永遠にね。いちごたちはここで終わらない愛に漂っていてね。」
 2人の石の肌に、あかりは頬をすり合わせた。
 ワタルといちごは、完全にあかりに支配された。
 抱擁して永遠の愛の中にいるが、力も体も全てあかりの手の中にある。
 手の指を滑らせて、あかりはワタルといちごの体を弄ぶ。そして彼女の視線と指の動きが止まる。
 あかりが食い入るように凝視する。
 ワタルといちごの耳には“星空のピアス”が付けられたままになっていた。
 あかりの力によって石化した人は、身に付けているものを全て破壊される。しかし、ワタルの右耳にある星のピアス、いちごの左耳にある三日月のピアスは無傷で残っていた。
「これは・・あたしがあげた“星空のピアス”・・付けててくれたんだぁ。でもどうして?あたしにオブジェにされて、服もアクセサリーもみんな壊れちゃうのに・・」
 あかりは動揺を隠せなかった。なぜピアスだけが無事でいるのか。
 あかりが無意識のうちにピアスを壊すことを拒んだのか。ワタルといちごの想いが強いのか。
「なぜか分かんないけど、何とかしなくちゃ。あたしのオブジェは、何も付けてちゃいけないのよ。」
 あかりは無邪気な表情で自分に言い聞かせ、ワタルの星のピアスに手を伸ばした。
 しかし、触れそうになったところで、手とピアスとの間で激しい火花が散った。
「キャッ!」
 あかりは痛みにうめいて、伸ばした右手を左手で押さえる。ピアスはあかりが触れることに対して、拒否反応を起こしたのだ。
 あかりは再びピアスを凝視した。いちごたちにあげたこのピアスは、身に付けた2人を幸せにするという言い伝えがありだけで、それ以外は何の変哲もないものである。
「何で!?今のあたしをはね返すなんて・・!」
 今のあかりは、2人のブラッドの力を吸収して、とてつもない力を所持していた。その彼女を受け付けないことが、あかり自身信じられないことだった。
「もしかして、いちごたちの想いが、ピアスにまで伝わっているのかも。2人の想いって、こんなにすごくなってたの?」
 あかりの予測は的中していた。
 ブラッドの力は、使う人の心理状態と同調されやすい。ワタルといちごの、互いを想う気持ちが力となって、“星空のピアス”に宿っていたのである。2人がピアスの言い伝えをわずかながらも信じていたことも、力が及んだ原因とも言える。
「そんなことは認めない!ワタルさんはいちごを苦しめたのよ!いちごもワタルさんに騙されてるのよ!」
 あかりが声を荒げ、感情をむき出しにする。いちごが自分よりも、彼女をブラッドにしたワタルに好意を持っていると思うことが許せなかったのだ。
「こうなったら、2人の心の中に入り込んで、説得するしかないね。2人がピアスを付けていることを拒めば、自然とピアスも崩れていくはず。あたしが何とかして、いちごをワタルさんから引き離さないと。」
 あかりはワタルといちごの体を抱き寄せ、意識を集中する。
 ディアスとして覚醒した彼女は、相手の精神に介入することでその心に入り込み、読み取ることができるのである。
 しばらくすると、彼女の体が淡く光り出した。
 そして、あかりは溶け込むように、ワタルといちごの石の体に入り込んでいった。

 あかりが眼を開くと、そこは薄暗く何もない空間だった。
 彼女は衣服をいっさい身に付けてなく、何もないこの空間を漂っていた。
 心の世界に入り込んだ人間は精神体となる。精神体は本来、生まれたときの姿を維持していて、あかりもその影響で裸になっていたのである。
「やっぱり心の世界は、着てるものを全部脱がされちゃうから、ちょっと寒いなぁ。」
 自分の体を抱きしめながら、周囲を見回しながら空間を漂うあかり。
 やがて彼女の眼に、空間に漂う2つの人影が飛び込んできた。
 ワタルといちごである。
 心の世界では、その心の持ち主の思いによって現れる幻が存在するが、2人とも間違いなく幻ではなかった。
 あかりがさらに近づいてみると、2人は眼を閉じながら体を寄り添わせていた。
 さらに近づいて、優しく声をかけてみる。
「いちご、ワタルさん、起きて。」
 小さく声を漏らしながら、2人はうっすらと眼を開く。
「ここは・・」
 ワタルといちごが辺りを見回す。そして自分たちの身に何が起こったのかを思い返す。
「裸?・・そうか。私たち、あかりに力を奪われて石にされて・・」
 そして2人は、あかりの存在に気が付き、振り向く。
「あかりちゃん・・君がどうしてここに?それにここはどこなんだ?オレたちはいったい・・?」
「ここは心の世界。あたしは今、ディアスの力で心の中に入ってきたの。それにしても、1つの心の中に一緒にいるなんてね。ちょっと驚いちゃった。」
 あかりが無邪気な笑顔を見せる。
 心の世界では本来、その心の持ち主が1人だけ存在しているもので、あかりのように心に入り込む力を使うこと以外で、他人が存在することはまずない。あったとしても、それは心の持ち主が思い描いた幻影がほとんどである。
 しかしワタルもいちごも、1つの心の世界の中に同時に存在している。
 2人の想いと心の結びつきが、これほどまでに強いということなのだろうか。
「あたしがここまできたのは、いちごたちに頼みごとがあったからなの。」
 あかりが、寄り添っているワタルといちごに腕をかけて抱き寄せる。
「実は、いちごたちが付けてる“星空のピアス”を外してほしいの。」
「え?このピアスを?」
 いちごが自分の左耳に付けている三日月のピアスに手を当てる。
「いちごは騙されてるのよ。ワタルさんはいちごをブラッドにして、辛い運命を背負わせた。それだけじゃない。自分の寂しさに耐えられなくなって、いちごを自分のものにしようとさえ考えてる。だから、今はそのピアスを付けてちゃダメなのよ。お願い、外して。」
 あかりが妖しくいちごに語りかける。彼女の言葉に、ワタルは虚ろな表情のまま黙り込んでいる。
 少し間を空けて、いちごが口を開いた。
「ゴメン、あかり。それはできないよ。」
 彼女の返答に、あかりから笑みが消える。
「私は、あかりが幸せになれるって言ったから受け取ったんだよ。そしてそれを付けてみて、ホントによかったと思ってる。私は、このピアスが私とワタルをこれからも幸せにしてくれるって信じてる。だから、これは外せないよ。」
「いちご・・」
 いちごの言葉に、ワタルの心は揺れ動いた。自分をここまで想ってくれる彼女の気持ちを、ワタルは改めて感じたのである。
 あかりに視線を向け、ワタルは口を開いた。
「あかりちゃん、君がどういうふうにオレを思っていようと、オレは否定するつもりはない。しかし、オレはオレを心の底から想ってくれるいちごを、オレの全てを賭けて守りたいと思ってる!オレはいちごも、誰も傷つけようとは考えない!オレを信じてくれ、あかりちゃん!」
 ワタルの必死の願いは、あかりを悲痛にさせるだけだった。
「あたしは、ブラッドの力に操られたいちごを見た!ホントの吸血鬼みたいにあたしに噛み付いて血を吸おうとしたんだよ!そして眼を覚ましたいちごは、とても悲しい顔をしてた。そんな辛い思いを、ワタルさんはさせたんだよ!」
「そんな思いをしたのは、私の心がブラッドに負けてただけ!でも私はもう大丈夫。ブラッドに囚われたりしない!」
 あかりとワタルの対話に、いちごがさらに割り込む。
「でも、いちご・・」
「それに、今のあかりより、ワタルのほうがずっと信じられるよ!」
 そう言って、いちごはワタルを強く抱きしめた。彼女の心はすっかりワタルに傾いている。
 その現実を目の当たりにしたあかりに、今までにない心苦しさと憤りを感じた。
「そう・・あたしは、いちごのことをずっと信じてたのに・・ブラッドに囚われたいちごを助けようと、心の支えになろうと必死になった。悪魔に、ディアスに魂さえ売り渡してでも、いちごを救いたかった。」
 物悲しげな表情で涙を流しながら、あかりが小声で呟く。
「でも、あたしの気持ちは、もういちごには届かないんだね・・」
 彼女は顔を上げ、ワタルといちごに悲しく笑みを見せる。そして彼女の眼が不気味に光り出す。
 その直後、周囲から黒い煙が立ち込め、ワタルといちごに向かって迫ってきた。
「な、何っ!?キャッ!」
 黒煙に取り込まれ、いちごがうめき声を上げる。ワタルは口を手で押さえ、顔を歪める。
「いちごもいい体してるね。いくら力を奪っても、そんな綺麗な体になれるわけじゃないから。」
 あかりがふらつくいちごを見て、妖しく笑う。
「この煙はあたしの力を変化させたもの。あたしの気持ちを感じ取ってね。」
「これは、精神を蝕む煙だ。吸ったら心をやられる。」
 ワタルが警告するが、いちごは煙を吸い込んだのか、咳き込んでいた。
「いちご!し、しまっ・・」
 思わず煙を吸い込んでしまい、意識が遠のき脱力していく。
 2人は黒煙の影響で、寄り添ったままだらりとなる。
「ホントはこんなことしたくなかったんだけどね。でも、今のあたしにはそのピアスは危険なのよ。」
 最強の力を得たあかりでも、ワタルたちの付けている“星空のピアス”に込められた力は脅威だった。
 彼女はワタルの左手といちごの右手をとり、自分の胸に当てさせた。2人は黒煙に精神をやられているため、抵抗する意思が散漫になって呆然となっていた。
「いちごたちに教えるね。昔のあたしのことを。」
 そしてあかりは、2人の手で自分の胸を揉ませた。
(な、何を・・!?)
(あかり、やめて・・!)
 胸中で抵抗の意思を保っている2人だが、精神が不安定なため、あかりに促されるがままだった。
 自分の胸を揉むあかりと、脱力した手で揉まされているワタルといちごに快感が押し寄せ、小さなあえぎ声を漏らす。
「あたしね、子供のときにお父さんとお母さんを事故で亡くして、親戚のおばさんに引き取られたの。そして紅い髪の人に、お父さんはディアスで、人間に化けて人ごみにまぎれてたところ、お母さんに会ったって。お父さんはディアスであることを捨てたけど、あたしはお父さんは好きだった。」
 快楽に溺れながら、あかりが昔を語る。
「あたしはディアスになったけれど、あたしはこの力をあたしのしたいように使いたい。ブラッドになってしまったいちごを楽にしてあげたい。これがあたしの願いだったのに・・」
 悲痛の言葉を投げかけて、あかりは自分の胸を揉ませていたワタルといちごの手を離した。
 虚ろな表情で放心状態となった2人が、脱力したまま黒煙の海に沈んでいく。
「ゴメンね、いちご。でも、もうあたしたちは友達になれないんだね・・」
 涙をこぼしながらあかりが見つめる中、ワタルといちごは黒煙の中へ姿を消した。

(ここはどこだ・・?オレはいったいどうなっているんだ・・?)
 ワタルがうっすらと眼を開いた。そこには真っ暗で何もない空間が広がっていた。
 彼のそばにはいちごが寄り添っていたが、彼女は意識を失っているようだった。
 何とか体を動かそうと力を入れるが、全くいうことを聞かない。
 空間のわずかな流れに身を委ねながら、ワタルはもうろうとする意識の中、胸中で小さく呟いた。
(オレたちは死んだのか?だとしたらここは地獄か?こんな呪われた体じゃ、天国にはとてもいけないよな。これでオレたちの命も終わりだ。もう、思い残すことさえかながえられなくなっちまった・・」
 完全に諦めの気持ちで心を満たし、ワタルは死を覚悟した。
「こんなところで何やってるんだよ!」
 そのとき、ワタルは声をかけられ、うつむいていた顔を上げた。彼の眼の前に、なるが呆れ顔をしていた。彼女は一糸まとわぬ姿だったが、彼女はそのことを気に留めていない。
「アンタ、あたしに言ったよな?誰も傷ついてほしくないって。正義のヒーロー気取っちゃって、諦めちゃうつもりかい?散々勝手なこと言ったんだから、ちゃんと最後までやりなさいよ。」
 なるは唖然となっているワタルの顔に指を突きつけ、眠っているいちごの頭を優しく撫でる。
「あかりや、石にされたあたしやマリア、みんなを助けられるのは、アンタといちごしかいないんだよ。」
「なるの言うとおりですよ。」
 ワタルの背後にマリアも姿を現した。彼女もワタルたち同様、衣服を一切身に付けていなかった。
「ワタルさんが諦めたら、みんなが辛い思いをしてしまいます。私たちがあかりを助けられなかった以上、ワタルさんといちごに頼るしかないのです。」
 なるとマリアがワタルといちごを励ます。しかし、ワタルの表情は次第に曇っていった。
「しかし、オレもいちごももう、あかりちゃんに力を奪われて石にされてしまった。今オレたちは、彼女の手の中にいるんだ。」
「だったら、その手の中から抜け出ちゃおうよ。」
 いちごがいつの間にか眼を覚まし、ワタルに笑顔を見せている。
「私たちは人として生きてるけど、この体はブラッドだっていうのは確かだよ。そしてその力は、使う人の心の強さ。私たちが強く想えば、力もそれに答えてくれる。だからワタル、自分の力を、みんなの力を信じて。」
 いちごはワタルを強く抱きしめた。ワタルは呆然と、視線をいちごからなる、マリアへと移していく。なるもマリアも笑みを見せていた。
「いちごがここまで信じてるんだ。アンタが信じてやらないと、いちごがかわいそうだよ。」
「ブラッドの力が心の強さなら、強く思えばその力は無限のはずです。」
 なるとマリアに励まされ、ワタルに笑みが戻る。そして顔を上げているいちごに視線を向ける。
「ブラッドの力は血を代償にする以上、決して無限じゃない。けど人の心は、無限大の可能性を秘めている。オレも、そう信じたい。」
 決意を固めたワタルに、いちごが満面に笑顔を見せる。
「それじゃ、元気を出さないとね!」
 そう言っていちごは、自分の胸にワタルの顔を押し付けた。
 なるとマリアがその姿を見て、顔を赤らめる。
「お、おい、いちご・・!」
 いちごの胸の柔らかい感触と温もりに、ワタルが顔を離して赤面する。
「おいおい、いちごもずい分大胆になったもんだなぁ。」
 なるが恥らいながらも、いちごの言動に呆れる。マリアは言葉をかけないまま苦笑いしている。
「これで迷いも吹き飛んだでしょ?これで何が起こっても平気だよ。」
 いちごの笑みに、ワタルに再び笑顔が戻った。彼女の想いと彼女との触れあいが、今の彼にとってかけがえのないものになっていた。
「それでは、私たちは戻りますね。」
 マリアのこの言葉の直後、マリアとなるの姿が薄らぎ始めた。その様子を、ワタルといちごはまじまじと見つめる。
「元に戻ったら、アンタに1発かましてやるからな、ワタル。」
 気さくな笑みを見せながら、なるは姿を消した。同時に、マリアも満面の笑顔のまま消えていった。ワタルといちごは思わず苦笑しながら、2人が消えていくのを見送った。
「ありがとね、なる、マリア。」
 いちごが涙を浮かべながら笑顔を作る。ワタルは眼を閉じ、自分の気持ちを整理する。
 2人の前に現れたなるとマリアは、2人が無意識のうちに思い描いた幻だったのか。それとも、実際に彼女らの心が流れ込んできたのか。
 いちごもワタルも、その真実を知る術はなかった。
「さぁ、いこうか。」
 ワタルの言葉にいちごは頷き、2人は空間の上を目指して飛び上がった。
(オレたちはいく。オレたちは、自分の力を信じる!)

つづく


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