Asfre 第10話「三船真紀」

作:幻影


(この気配は・・・!)
 ただならぬ気配を感じ、童夢の五感が一気に研ぎ澄まされる。その様子に夕菜もカレーを運んでいた手を止める。
「どうしたの、童夢?」
「あいつが、ここにやってきている。」
「えっ?」
「・・・三船、真紀・・!」
 童夢がスプーンを置いて立ち上がり、そして身構える。しかし、彼女は普段は常備しているはずの銃を携帯していない。
 リビングと廊下を隔てる柱に隠れながら、玄関の様子をうかがう。神楽の前に立っているのは、真紀をはじめとしたアスファー対策部隊の隊員、数人だった。
(やはり真紀か。あいつらの情報網が、夕菜がここにいることをつかんだのか。)
 彼女たちのやり取りに、童夢が胸中でうめく。
 アスファー対策部隊は、最新鋭の武装と情報網を備えている。アスファーだけでなく、普通の人間さえも補足することが可能なのである。
 その包囲網が、夕菜と童夢の行方を捉えたのである。
 そして真紀は神楽に銃口を向けていた。部隊は目的を実行に移す際、どんな手段をもいとわない。人々を守るために最善を尽くすためなら。
(どうする・・ここは10階。飛び降りるには高さがある。飛び移るにも手ごろな建物が近くにない。)
 胸中で毒づく童夢。その直後、彼女は思い立ったように眼を見開いた。
(私は何を考えているんだ!?何をしようとしているんだ!?真紀からの逃亡か、それとも夕菜を逃がそうとしているのか?・・・夕菜を逃がす!?敵かもしれないヤツを、私は逃がそうとしているのか!?)
 童夢の中に不安が押し寄せてきた。敵対していた相手と一時的に生活をともにし、感情移入してしまったことに、彼女は不思議に思わなかった。
 なぜ疑問に思わなかったのだろう。なぜ不快に感じなかったのだろうか。
 敵を殺す武器を持っていなかったからか。いや、その気になれば、自分の持てる身体能力で、幼い少女の息の根を止めることも難しいことではなかったはず。
 神楽に止められたからか。いや、彼女の言葉を無視し、彼女の動きを封じてしまえば、夕菜を殺せた。
(いや、違う・・・私がこいつを殺さなかった、殺せなかったのは・・・こいつが私と似た境遇にあるからだ。)
 童夢は悟った。夕菜が今、自分と同じ思いを抱えていることを。
 彼女も大切な人を失いながらも、その人のために決意を表していた。人殺しに手を染めるか、牙を引くかの違いだけである。
 もしもこのまま彼女を殺せば、殺戮に手を染めた自分さえも否定することになる。だから童夢は彼女を殺せなかった。
 童夢は決めた。夕菜を守ることを。
 速水夕菜だからではない。自分の心を、姉の想いを守るために。

 鋭くにらみ合う真紀と神楽。銃を向けられても、神楽は引き下がろうとはしない。
 その態度に、真紀の中に次第に焦りがこみ上げてきた。
「どきなさい!さもないと、あなたも危険にさらされることになる!」
「いいんですか?不法侵入で警察に連絡入れますよ。」
 脅しのつもりで茶化す神楽。しかし逆に真紀の焦りをやわらげてしまう。
「我々の任務は、警察はおろか政府さえも承認されているものだ。」
 その言葉に、今度は神楽が追い込まれた。頼れるはずの正義が敵として立ちはだかっていた。
「かまわないわ。そのまま中を調べなさい。」
 真紀の指示が出された直後、2人の隊員が部屋に入り込んできた。カッとなって制しようとする神楽を押しのけ、リビングに入っていく。
 そこで隊員たちの足が止まる。
(いたか。)
 真紀も続いて部屋に足を踏み入れる。そこで彼女は眉をひそめる。
「いない・・・」
 リビングのテーブルには、3人分の食べかけのカレーが置かれていた。しかしそこに人はいない。
 神楽もその事態を目の当たりにして、眼を疑う。しかしすぐにそれを好機と取る。
「さっきまで友達が来てて、2人とも急に用事を思い出したとかですぐに帰ってしまいましたけど?」
 さらにとぼけてみせる神楽。しかし彼女の言葉を、真紀や隊員たちは気にも留めていなかった。
「探せ。遠くには逃げていないはずだ。」

 一方、童夢はベランダの影に身を潜めていた。未だに困惑している夕菜を抱えて、彼女は部屋の中の様子をうかがっていた。
 今まで食事していたリビングには、真紀と隊員たちが入り込んでいた。いつここにくるか分からない。
 夕菜は未だに困惑していた。突然叫びだすことはなくても、的確な判断をするのは苦しいだろう。
「いいか、夕菜。黙ってよく聞け。」
 童夢が夕菜に小声でささやく。夕菜は何も言わずにうなずく。
「これから下の部屋に飛び込み、一気に駆け抜ける。すぐに見つかるが、数秒の時間稼ぎはできるはずだ。」
「うん、分かったよ。」
 夕菜が同意すると、童夢は下の階に気を向ける。
 真紀がベランダに歩み寄ろうとした瞬間、童夢は夕菜を抱えながら、ベランダの手すりに右手をかけ、ぶら下がるように下の階に飛び込んだ。
 そのままの勢いで窓を蹴破り、すぐに体勢を立て直して、破片が眼に入らないように閉じていた夕菜を連れて、そのまま駆け出した。
 この部屋は留守で、人ひとりいなかった。その暗い廊下を突き抜け、童夢は玄関のドアを蹴破った。
 扉の先にはいなかったが、その横の廊下の端には、数人の隊員が挟み撃ちにしていた。
「くそっ!やけだ!」
 童夢は躊躇なく、その一方に突き進んだ。虚を突かれた隊員が突き飛ばされ倒される。
 他の隊員がやむなく発砲するが、童夢は夕菜を引き連れながらそれらをかいくぐる。そして非常用階段を駆け下りていく。
「童夢、神楽さんが心配だよ!戻ったほうが・・!」
「黙っていろ!」
 夕菜の突然の申し出を、童夢は叫んで拒んだ。
「よく考えろ。今戻れば、アイツの計らいってヤツは全てムダになるんだぞ。それでもお前は戻るつもりか?」
 童夢に聞き返され、夕菜がはっとする。
 神楽は身の危険もかえりみず、2人を逃がすために懸命になっている。もし夕菜が戻れば、彼女の勇気をムダにすることになる。
「アイツのことを考えるなら、今は忍べ。誰かのために何をすべきか、お前は私以上にそれを心得ているはずだ。」
 童夢に言いとがめられ、夕菜は揺らいでいた気持ちの中で決意する。
 神楽が無事でいることを信じて、彼女は振り返らずに、鉄の階段を駆け下りていく。
 そして、外に通じるところまで差しかかったとき、
「ぐっ!」
 童夢は毒づいて足を止める。夕菜も慌てて立ち止まる。
 彼女たちの前には、部屋にいたはずの真紀が立ちはだかっていた。そのそばには、隊員たちに捕捉された神楽の姿もあった。
「お前の力を見込んだのはこの私だ。お前の現状、お前の考えることは全てお見通しだ!」
 童夢の動きを見抜いた真紀が笑みを見せる。
 彼女は童夢が今、一切の武器を所持していないことを知っていた。もしも持っていたなら、すぐにここを出て行ったはずである。邪魔をするものには一切容赦なく。
 武器を持たない彼女が打つ手は、ひとまず包囲網を突破して、打開策を練ること。危機に陥った彼女がよく使っていた手である。
 この手を封じ逃げ道を捕捉すれば、童夢はまさに八方塞に陥るはず。真紀はそう見据えていた。
「まさかお前が、速水夕菜を逃がすとは思わなかったぞ。今まで彼女に対する憎悪を抱えていたのに、どういう風の吹き回しだ?」
 真紀はあえてあざ笑う言動を取る。童夢の答えを聞いても、夕菜抹殺に支障はないと思っていた。
 童夢は動揺を隠せない夕菜に気にせず、眼を閉じてひとつ息を吸った。
「似ていたんだ、コイツが・・」
「似ていた?」
「私と同じ境遇に立たされていた。大切な人を失いながらも、その人のために戦っている。ただコイツは、それほど手を汚してはいないけどな。」
「なるほど・・・お前もずい分情にもろくなったな。まぁ、悪いことではないがな。」
 真紀は微笑をもらして、銃を童夢に向ける。童夢は依然として顔色を変えない。
「そこをどけ、童夢。我々は即刻、速水夕菜を処断する。」
「処断?アンタもついにコイツをアスファーと認識したわけか。」
 童夢の皮肉に、真紀は少し顔を引きつらせる。
「軽口を叩いている場合ではない!早くしなければ、最悪の事態が起こるかもしれないのだぞ!」
「どうしたというんだ、真紀?お前がそこまでコイツを敵視する理由はないだろ?」
 いきり立っている真紀に疑問を抱く童夢。復讐に生きた童夢と違い、真紀が感情をむき出しにするほど夕菜を憎む理由はどこにもない。童夢はそう思ってならなかった。
「夕菜は我々の機関の情報網と私の推測から、最上級レベル、最悪のアスファーであると決定した。よって、私は夕菜を葬る!」
 真紀は銃口を、童夢の横に立っている夕菜に向ける。
「夕菜、逃げるんだ!殺されてしまう!」
「お前、黙れ!」
 そこへ神楽が叫び、横にいた隊員の1人がいさめる。
 すると神楽はジーンズのポケットに手を伸ばす。そこから1つの鍵を取り出し、さらにシャツの裏ポケットから1つの箱を取り出し、その鍵穴に鍵を差し込んだ。
 中に入っていたのは拳銃。童夢が眠っていたときに神楽が取り上げたものだった。
「お、お前!」
「童夢、これを!」
 驚愕する隊員たちにかまわず、神楽は童夢に向かって銃を投げつける。
「お、おいっ!」
 声を荒げたのは童夢だった。彼女は慌しく銃をつかむ。
「バカが!銃を投げつけるとはどういうつもりだ!暴発しかねないぞ!」
 怒鳴りつける童夢に、神楽がムッとする。
「ちょっと!それがモノを返してもらった人に対していうつもりなの!?」
「危うく死ぬところだったんだぞ!分かっているのか!」
 童夢のこの言葉に、神楽は一瞬押し黙る。そこへ神楽を隊員たちが取り押さえる。
「お前、これはどういうことだ!敵対している者に武器を渡すなど!」
「アンタは夕菜とわずかだけど共感してるんでしょ!だったら、アンタがしなくちゃいけないことをしなさいよ!」
 隊員たちに押さえ込まれても、神楽は叫ぶのをやめない。
 童夢は渡された自分の銃を見つめる。この武器を持って何をすべきなのか。敵への復讐か。姉の願いか。
 しばし考えた後、童夢は真紀を見据え、銃口を向けた。
「童夢、これはどういうつもりだ?」
 敵対の意思を見せる童夢に、真紀が眉をひそめる。すると童夢は夕菜に視線を移して声をかける。
「今のコイツは私を鏡合わせにしようなモンだ。大切なものを奪われて、そいつのために葛藤している。だから今は、コイツを殺すわけにはいかない・・・」
「何?殺さないだと?あれほど憎しみを抱いていたのにか?」
「勘違いするな。コイツは私の手で必ず始末する。だが、今はダメだ。」
「見下げ果てたな。敵に情を移すとはな。」
「ああ。自分でもそう思っている。情けない限りだ。」
 笑みを浮かべて皮肉をいう2人。
「だが、今はお前のくだらない考えに付き合ってやるゆとりはない。この場で夕菜を撃つ!」
 真紀は笑みを消して、銃を構える。
 彼女は童夢が情を感じていたことが嬉しかった。軍人や暗殺者なら恥ずべき行為だが、非情や復讐に徹する生き方から解放されることに彼女は密かな喜びを感じていた。
 しかし彼女は敵意を童夢と夕菜に向けた。夕菜と全く同じ姿のメデュースに対し、今までにない危機と恐怖を感じていたからだった。
 だから、ここで夕菜を確実に始末する。それ以外に、真紀は選択肢を見出せなかった。
「童夢!」
 真紀が叫びながら、銃の引き金を引く。危機感を感じた童夢も真紀に向けて銃を撃つ。
 2つの弾丸はわずかな距離ですれ違い、互いの標的を目指して突き進む。しかし、普通の人間よりもその能力が高い童夢は、その弾を寸でのところでかわすが、それを持たない真紀はその弾を胸に受ける。
 何が起こったのか分からないまま、ゆっくりと倒れていく真紀。撃たれ、死に向かっていくと実感したのは、体が地面についた後だった。
(恐怖が・・逆に私を死に招いたのか・・・)
 夕菜とメデュースに対する恐怖。早く始末しなければならないという彼女の考えが、攻を焦る結果となってしまった。
(だが・・童夢は人の心を取り戻していた・・・アイツなら、この危機を回避してくれるかもしれない・・・)
 真紀は密かに願った。童夢がメデュースの目論みを阻んでくれることを。復讐者としてではなく、姉を想う1人の少女として。
 童夢が銃をしまい、ゆっくりと真紀に近づく。周りの隊員たちは固唾を呑んで見つめるだけだった。
「真紀・・・アンタ・・・!」
 真紀の体を起こす童夢が低い声音でうめく。
「童夢・・・お前は・・理由はどうあれ・・夕菜さんを守ろうとした・・・」
「それ以上しゃべるな・・・おいっ!早く医者か医療班を呼べ!」
 真紀の身を案じ、さらに隊員に呼びかける童夢。隊員たちは水を得た魚のように慌てて駆け出した。
「童夢・・・私のことはいい・・・気にするな・・・」
「しかし・・!」
 脱力していく体を起こしてうめく真紀。童夢が反論しようとするが、真紀に制される。
「よく聞け・・・お前の探していたアスファーを見つけた・・・」
「な、何だとっ!?」
 真紀の言葉に、童夢が驚愕の声を上げる。
「バカな!私が始末するアスファーはここにいる夕菜だ!同じ姿かたちをしてるヤツはそうはいない!」
「よく聞け・・・そのアスファーは夕菜さんではない・・だが、その姿は夕菜さんと瓜二つなのだ・・・」
 真紀の呟くようにかける真実に、童夢は言葉を失った。動揺を隠せない彼女に、真紀は声を振り絞った。
「最悪の事態を避けるためには、夕菜さんを殺すか、そのアスファーを殺すか・・・どちらの道を選ぶにしろ、ヤツと夕菜さんを会わせてはいけない・・・」
「真紀・・!」
「お前が決めろ・・童夢・・・お前には・・・それを決断し・・・実行する・・ちか・・ら・・・が・・・」
 童夢に伸ばそうとしていた真紀の手が、力をなくしてだらりと地面に落ちる。
(滑稽だな・・・こんな情、軍人や戦士にはあるまじき行為だ・・・だが、これでいい・・・これで・・・)
 真紀は安堵し、童夢と夕菜に全てを任せて、力なく瞳を閉じた。
「真紀・・・!」
 童夢は真紀の体を抱き寄せた。悲痛に顔を歪め歯を食いしばるも、涙を見せようとはしなかった。

「え?三船さんが?」
 隊員からの報告を受けたメデュースが驚きの声を上げる。
「はい。三船さんが独断で隊を動かし、芝童夢、速水夕菜両名と接触。しかし芝に狙撃され、殉死した模様です。」
「そう・・」
 隊員の真剣な報告を、メデュースは微笑みながら聞く。
「分かったわ。常に2人の居場所をチェックしていてね。後で私が会いに行ってくるから。」
「え?司令官自らですか?」
 メデュースの言葉に隊員が驚く。指令役を戦いの場にわざわざ出向くことに、驚きを隠せないのは当然のことだった。
「夕菜と私が同じ姿ということは、あなたも知ってるでしょ?ここは私が行くのがいいわ。」
「しかし、それでは・・・」
 隊員が困惑した表情を浮かべると、メデュースはさらに微笑む。
「私を甘く見ないで。これでも作戦の指令役を任されてるんだから。」
「・・了解しました。我々は第2戦闘配備で待機しています。」
 隊員は敬礼をし、振り返ってメデュースの前から立ち去った。その姿が見えなくなり始めてから、メデュースは自室に戻った。
 扉を開けると、そこには裸の女性たちが立ち並んでいた。メデュースがアスファー能力を使用して石化した人たちである。
 メデュースはその中の1人、髪の長さが肩の辺りまである女性に近づき、かがんで寄り添った。
「ついに見つけたよ。あなたの妹が・・彼女、自分を雇ってくれた上官を殺したみたいだよ・・・」
 メデュースは妖しい笑みを浮かべながら、その女性の石の肌を舌で舐め始めた。それでも全く反応しない女性の前で、メデュースは快楽を堪能して頬を赤らめていた。
「いけないと思うでしょ?これ以上、妹が誰かを傷つけるのはよくないよね?」
 メデュースが舐め続けながら問いかける。女性がその答えを返してくれるはずもないことを知りながら。
「だから、私が妹を大人しくさせてあげるね。」
 石の秘所に舌を入れ、快感にあえぎながら言葉を続けるメデュース。女性の石の体に彼女の唾液が広がっていく。
「でも、もしかしたら夕菜と先に会うかもしれないね。どっちが先かなぁ?あの子が私のところに帰るのが先か、それとも童夢が私にオブジェにされるのが先か。」
 秘所から顔を離し、メデュースが満面の笑みを浮かべる。童夢と夕菜。どちらが先に彼女と接しても、彼女には都合のいいことと認識していた。
 女性との接触で得た快楽とこれからの期待を感じながら、メデュースはゆっくりと部屋を立ち去った。

つづく


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