Asfre 第8話「姉」

作:幻影


 凍てついた街は、1昼夜を経過してようやく解け出した。しかしその街の中にいた人々のほとんどは、肉体が凍結して死亡していた。
 人間の体の約7割が水分である。熱を奪われて凍結した体は、そのまま氷になって解けてしまったものもあった。
 童夢と夕菜が引き起こした熱吸収現象は、死亡者106名、行方不明者65名、生死不明者13名という大惨事を招いた。崩壊しかかっていた街の制度は立て直しの傾向にあるが、人々にはまだ恐怖が焼きついていた。
 この事件をきっかけに、アスファー対策部隊は、芝童夢、速水夕菜の2人を指名手配した。危険因子を野放しにするわけにはいかないという考えからだった。
 しかし2人とも事件以来の姿を見た人はいない。死亡したという報告も届いてはいなかった。

 眼を開けると、そこは薄明かりだけが灯っている部屋の中だった。
 様子をうかがおうと、視線だけで辺りを見回していく。部屋は小さな個室で、自分以外誰もいないようである。
「ここは・・・うぐっ!」
 起き上がり、体勢を整えようとした童夢の体に激痛が走る。見ると自分の体には白い包帯が巻かれていた。
「包帯?・・・誰かが手当てしたのか・・・?」
 童夢は疑問と痛みを抑え込んで、ベットから立ち上がり、部屋を再びうかがう。
 よそ風が入り込み、カーテンが揺らめく。子ビンに入れられた小さな花。変哲のない風景の部屋だった。
 とりあえず、自分の私物を、拳銃を探す。しかしこの部屋には童夢の銃はもちろん、荷物と呼べるものがほとんどなかった。
 童夢は慌しく部屋を飛び出そうとする。ところが、ドアノブに手をかけようとしたところで、突然ドアが開いた。
 反射的に身構えようとする童夢。その視線の先の少女は、何事かときょとんとしている。
「あ・・・眼が覚めたみたいね。」
 活気のある笑みを見せて、声をかけてくる少女。その言動に童夢は眉をひそめる。
「ここは、いったい・・・?」
「ここはあたしの部屋。マンションの前に、アンタたち2人が倒れてたのよ。」
「2人?」
 童夢が疑問符を浮かべると、少女は振り返り部屋を離れていく。疑問の消えない童夢は、そのまま少女の後をついていった。
 少女はリビングへと進んでいった。そこで童夢は眼を疑った。
 そのテーブルの前の椅子には、夕菜が腰かけて食事を取っていたのである。
「お前!?どうしてここに・・!?」
「だからあたしが助けたんだって。」
 童夢の憤慨に少女は平然と答える。夕菜はかじりかけの食パンを皿に置き、2人の顔をうかがう。
「お前、いったいどういうつもりなんだ・・!?」
「え?」
 鋭い声音で言う童夢に、少女はきょとんとなる。
「こいつはアスファー!裸の石像に変えちまう、とんでもないヤツなんだぞ!そんなヤツを助けたって言うのか!?」
 童夢が憤慨すると、少女はムッとする。
「あたしにとって、アスファーもそうでない人も関係ないの!困っていたり傷ついていたりする人がいるなら、助けてあげるのが当然なのよ!」
「何を言っているんだ、お前は!?このままコイツを野放しにしていたら、いつ誰かを石化するか分からないんだぞ!こうなったら、私がここで、今度こそコイツを葬って・・」
 童夢は叫びながら、ジーンズのポケットに手を伸ばす。しかし常備しているはずの拳銃が入っていない。
「お前、私の銃をどこにやった!?」
 童夢が叫ぶと、少女はすまし顔で、
「やっぱりアンタはなりふりかまわずに突っ込んでいくタイプね。そんな人に銃を持たせたら、何をしでかすか分からないわ。」
「質問に答えろ!銃はどこだ!?」
「教えない。」
「何っ!?」
「教えたらアンタは絶対この子を殺しに来るわね。それなのに教えるわけないじゃん。」
 いきり立つ童夢。そんな彼女に平然と答える少女。
「脅したってあたしは話さないわよ。まして、あたしを殺したら、銃を閉まってるところの鍵は分からなくなるわよ。」
「鍵、だとっ!?」
「そう。あるものに鍵をかけて、どっかにしまってるわ。鍵を見つけてそこからさらに銃を見つけるのにどのくらい時間がかかるのかなぁ?それまでに不審者と思われちゃうわよ。」
 悠然とした態度を取る少女に、童夢は苛立ちを感じながらも反論できないでいた。
「さて、いい加減食事にしましょ。アンタ、パンで大丈夫?」
 突然のことに、童夢はただ小さく頷くしかなかった。

 3人が食事するリビングは静かだった。童夢は腑に落ちない気分を抱え続け、夕菜も後ろめたい気持ちを感じていた。
 そんな中で、少女はもくもくとパンにかじりついていた。
「そういえば自己紹介がまだだったね。あたしは沖田神楽(おきたかぐら)。アンタたちは?」
 神楽と名乗った少女が唐突にたずねる。
「私は速水夕菜。」
「そう、夕菜ちゃんね。で、アンタは?」
 神楽が視線を夕菜から童夢に移す。童夢はぶっきらぼうに視線を神楽に向ける。
「私は童夢。芝童夢だ。」
「童夢?ヘンな名前ね。」
「フンッ!」
 揶揄する神楽に、童夢は鼻で笑ってパンを食べ続ける。
「ところで、童夢には家族はいないの?」
 神楽がたずねるが、童夢は聞く耳持たない態度でパンを取るだけだった。
「あたしの家族は田舎で気楽にすごしてるだろうねぇ。今頃どうしてるだろう。電話だけじゃちょっと不安だけど、あまりここを離れられないのも否めないんだよねぇ。」
 自分の家族のことを思い出し、物思いにふける。
「姉さんが・・・」
 そこへ、童夢がふと姉のことを口にする。
「私には、姉さんがいたんだ・・・とても優しい姉さんだったよ・・・」
「姉さんねぇ・・」
 神楽だけでなく、夕菜も食事する手を休めて耳を傾ける。
「けど・・あるアスファーによって・・姉さんは石にされ、連れ去られたんだ・・・コイツがそのアスファーだ!」
 童夢は立ち上がり、夕菜を指差す。その指摘に夕菜は驚きを隠せない。
「ど、どうしてよ!?私にはアスファーの力さえ持ってない!それなのに・・!」
「私は姉さんを奪った悪魔の顔を、今でもしっかりと覚えている。白い髪、頬には星と三日月の痕(タトゥー)。お前以外にいないんだよ!」
「けど夕菜ちゃんは結局、アスファー能力を使えない。もし使えていたら、あたしも今頃は童夢の姉さんのように石にされているはずだよ。」
 神楽の指摘に、童夢は言葉が返せず歯ぎしりするばかりだった。
「夕菜ちゃんはアスファーじゃない。仮にそうでも、あたしにはどうでもいいけどね。」
 苛立ちを抑えきれない童夢。そこで夕菜が視線を2人に向ける。
「知らない・・・この人も姉さんも知らないよ。」
「お前、何を言って・・!?」
 夕菜の言葉に童夢が抗議する。
「だって、あのとき公園で会ったのが初めてだったのよ。」
「だ、そうだけど?」
 夕菜の言葉に神楽が頷き、童夢に視線を移す。
「知らないだとっ!?ふざけるのもいい加減に・・!」
「憎いのは分かるわよ。でも、話ぐらい聞いてもいいんじゃないかな。」
 童夢の言葉をさえぎって、神楽は悠然とした言動をする。
 自分の憎むべき敵が眼の前にいるのに、その敵を倒せない。しかしこのままその敵を殺せば、ただの殺人鬼と変わらない。
 優しさと憎しみが葛藤し、童夢は打ちひしがれていた。

 神楽の部屋のベランダから、童夢は外を眺めていた。そこからは凍結していた街並が十分に見渡せられた。
 彼女と夕菜が引き起こした熱吸収による凍結。自分たちが引き起こした現象に、童夢は少なからず脅威を感じていた。
 この現象に巻き込まれた人々は、氷同然の体になって絶命したに違いない。
 母親の手を離れ無邪気に走り回る少女。屈託のない会話をしている女子高生たち。
 TV画面を通して見た銀白の光景の中で、彼女たちは日常を送る動きを止めて、その命さえも閉ざしていた。
 現在世間は彼女たち2人を敵視している。そのことに対し、童夢の心は揺らいでいた。
「こんなこと、姉さんが望んでいるとはとても思えない。けど、私はアイツが・・」
「私が憎いの?」
 苛立っているところで声がかかり、童夢が眼を見開く。振り返ると夕菜が沈痛の面持ちを見せていた。
「1度敵と見なした人とは、どうしても分かり合えないのかな・・・?」
 夕菜の言葉に、童夢は当惑と苛立ちを感じていた。
 彼女は今まで、夕菜を姉を奪った敵と認識していた。その敵に情けをかけるならば、逆に自分がやられることも否めない。
 しかし、それが自分が望んだことなのだろうかと、童夢は自問した。自分がしなくてはならないことは姉を奪った敵を倒すことであって、殺人鬼になることではない。
 今の彼女は、限りなく矛盾に近づいていた。
「ひとつ聞くが・・」
「え?」
「お前は、今でも私が憎いか?お前の親しい人を殺した、この私が憎いか?」
 童夢は夕菜にあえて問いかけた。質問を投げかけてからでも、殺すには遅くはないと考えたからである。
 夕菜は物悲しい笑みを浮かべて、童夢の問いかけに答える。
「憎んでないといったらウソになるけど・・あなたを殺しても、亜季さんが喜ぶとは思えない。」
「だから、私を殺さないとでも?」
 童夢が皮肉混じりに言うと、夕菜は小さく頷いた。すると童夢はため息をつき、
「少し前の私なら、鼻で笑っていたけどな。憎い敵に、こんな情けをかけるなんて滑稽だってな。」
 ベランダの塀から離れ、眼を閉じる童夢。
「そういえば、お前に家族はいないのか?血のつながった家族は。」
 童夢が再び夕菜に問いかけた。夕菜は振り返り、答える。
「分からない・・・」
「分からない?」
 夕菜の答えに童夢が眉をひそめる。
「自分の名前さえ覚えていないの。この名前も、亜季さんが付けてくれたものなの。」
 夕菜の言葉に童夢は眼を伏せる。
 夕菜は家族ばかりでなく、自分自身さえも失っている状態にある。そして今の彼女は童夢と同じ、大切な人を奪われた悲しみの中にいた。
 同じ境遇に立っている相手を、童夢は憎みきることができなかった。
「ところで、あなたの姉さんは、どういう人だったの?」
 夕菜が童夢の姉について聞いてくる。知っているはずだと思っていた童夢だが、苛立たずに夕菜の顔を見る。
「そうだな・・優しい姉さんさ。困ったときや悲しんでいるときは、いつも私を励ましてくれた・・・」
 今まで見たことのない童夢の優しい表情に、夕菜は少し戸惑いを感じていた。
「けど、姉さんはいなくなってしまった・・アスファーの力で石にされて、連れて行かれたんだ・・・!」
「ど、どんな石化なの・・?」
 夕菜は唐突に問いかけた。記憶を取り戻すきっかけを求めるあまり、童夢にそんなことを聞いていたのだ。
「あれは・・着てるものを全て剥がされて、裸にされて石化されるものだった。」
「裸に?」
「ああ。石化が進むと身に付けてるものが引き裂かれ、壊れていった。真紀は石化が使えるアスファーの中では上級の能力だと言っていた。石化に衣服を破るという効果が加わっているのは、並の能力ではないそうだ。」
 童夢は歯を食いしばりながら語る。
「ヤツは私の姉さんだけでなく、いろいろな美女を連れ去っているらしい。そしてその誘拐事件は未だに続いているようだ。」
「その犯人が、私ということなのね・・・?」
「ああ。けどもしかしたら違うかもしれない。」
「え?」
 予想していなかった童夢の答えに、夕菜が驚く。
「確かにその白い髪と頬の痕(タトゥー)は間違いない。だがあのとき、あれだけ死の局面に立たされたのに、アスファー能力を全く使わなかった。いくら記憶を失くしているからといっても、体は忘れてはいないはず。死に直面したなら、防衛本能で無意識のうちにでも出していたはずだ。」
 ぶっきらぼうに語る童夢。
 危機的状況に追い込まれれば、人は反射的に限界以上の力を発揮する。にも関わらずアスファー能力を使わなかった夕菜に、童夢は疑念を抱き敵意を消し始めていた。
「もしかしたら、お前と同じ姿かたちをした、別人の仕業なのかもしれない・・・」
 童夢は思わずそんなことを口にしていた。
 夕菜の姿は極めて特徴的といえる。しかし、同じ姿をしている人が2人以上いないとは限らない。
 今までと比べ視野が広まった気がして、童夢は安堵の笑みをもらした。

 童夢と夕菜の捜索に力を注いでいた真紀だったが、突然上層部に呼ばれ、特別会議を執り行う会議室に招かれた。
 彼女はこの会議の内容を、2人に関してとこれからの手立てについてと聞かされていた。
 しばらく会議室に用意されていた自席に座って待っていると、指揮官の制服を身に付けた男が入ってきた。
「待たせたね、三船くん。忙しい中呼び出してしまってすまないね。」
「いえ、杉浦(すぎうら)長官。」
 座っていた椅子から立ち上がり、上官である杉浦に一礼する。
「長官、芝童夢、速水夕菜の両名の捜索と処置についてですね?」
「いや。」
「え?」
 真紀の先読みを杉浦は否定した。
「君をここに呼んだ理由は、我々を新しく統率する指令役を紹介するためだ。」
「指令役、ですか?」
「ああ。もちろん、この緊急会議の内容は、君が述べたことに関してだ。」
 杉浦の言葉に真紀は聞き返す。
「よろしくお願いしますよ、三船真紀さん。」
 そこへ1人の女性が会議室に入り、真紀に声をかけた。視線を移した直後、真紀は眼を疑った。
「ゆ、夕菜、さん・・・!?」
「おや?知り合いかね?」
「い、いえ・・・」
 杉浦の問いかけに真紀はうつむいた。
 2人の前に現れた女性。白い髪に、左頬に星と三日月をかたどった痕。服装は違っていたが、その姿は速水夕菜だった。
 その女性は、夕菜が見せないような妖しい笑みを浮かべて、真紀を見つめていた。
「はじめまして、三船さん。私の名はメデュース。」
 声まで夕菜と同じで、真紀はさらに困惑した。
「驚いたでしょ?私が速水夕菜とそっくりで。それもそうよ。私と彼女は密接な関係なんだから。」
「密接な関係?」
「あぁ、気にしないで。私個人の話だから。」
「そういうわけにはいきません。速水夕菜は現在記憶喪失で、本当の名前さえ忘れている状態なのです。」
 からかい半分の言動を取るメデュースに、真紀は食ってかかる。しかしメデュースは笑みを消さなかった。
「どうしても聞きたいって言うなら、後にしてくれないかな?これから会議なのは分かってるでしょ?」
 悠然と語るメデュースに、真紀は返す言葉をなくした。
「さぁ、そろそろみんな集まってくる頃ね。それじゃ会議を行うとしましょ。」
 礼儀をわきまえる会議の場にふさわしくない言動を行うメデュース。今、彼女の手の中で新たな陰謀がうごめき出そうとしていた。

つづく


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