Asfre 第7話「相殺」

作:幻影


「止まれ。」
 長い黒髪の女性が呟きながら、公園に向けて右手を伸ばした。
 すると公園の広場の動きが完全に止まった。戯れていた人々や、流れる噴水の水しぶきの時間が停止していた。
 彼女はアスファーであり、この時間停止が彼女のアスファー能力である。注ぐ力にもよるが、集中させた視点から半径およそ500mの範囲の時間を止めることができる。生物の鼓動や物体の衝動さえも、かけた対象の時間の停止とその解除を思いのままにできるのだ。
「フフフ。こうやって時間を止めるのって楽しいのよねぇ。」
 アスファーが満面の笑みを浮かべて広場を見下ろす。彼女は今、広場の上空を浮いていたのだ。
「でも、本当に楽しくなるのはこれからなのよ。」
 重力に逆らって空に漂っていたアスファーは、ゆっくりと下降してきた。そして広場の噴水の前に着地する。
「うん、この女が丁度いいかな?スタイルもいいし、扱いやすい格好だし。」
 アスファーはTシャツにスカート姿の茶髪の女性に眼をつけた。彼女は公園の時計を見上げようとして、時間を止められていた。
 その女性のTシャツに手をかけ、力を入れて上に上げて、そのTシャツを脱がした。女性の上半身が、胸を隠すブラだけになっていた。
「さて、この女はどんな反応を示すのかな?」
 期待と歓喜を胸に秘めて、アスファーは次々と女性の衣服を脱がしていく。そして下着を取り外すと、女性は一糸まとわぬ姿になった。にも関わらず、時間を止められた彼女は未だに時計に顔を向けていた。
「この状態で時間を動かしたら、どんな反応と行動をするのかしら?慌てて逃げちゃうか、それともその場に座り込んで動けなくなっちゃうか。」
 時間を戻したときに人目につかないように移動を始めようとするアスファー。
 その足元に2発の破裂音が巻き起こる。
「えっ?」
 驚きを感じながら振り返るアスファー。その視線の先には、銃を持った1人の少女がいた。
 白い髪をして、左頬には星と三日月の痕があった。速水夕菜である。
 しかし今の彼女に普段の無邪気さはなかった。冷徹な眼差しを銃口とともにアスファーに向けていた。
「何だい、お譲ちゃん?もしかして、時間を止められてほしいとか?」
 自己満足な質問を投げかけるアスファー。しかし夕菜は全く気にしてはいない。
「アスファーは私の敵。アスファーはみんないなくなっちゃえばいいのよ。」
「えっ!?」
 呟くような声音で、アスファーに言葉を投げかける夕菜。
(そして、亜季さんを殺した、あの人も・・・!)
 そして胸中で怒りと憎しみをたぎらせる。それらが表に出て、銃を持つ手が小さく震える。
「いいわねぇ。そういう考えの子が、時間を止められて恥ずかしい思いをする姿は、想像するだけで楽しくなっちゃうわね。」
 再び期待と喜びを胸に秘めて、夕菜に右手を伸ばす。
「止ま・・」
 そして時間を止めようとした直前、アスファーは夕菜の姿が消えていることに気付く。
「あれ!?どこに行ったの!?」
 慌しくなって周囲を見回すアスファー。しかし時間を止められた人々以外誰もいない。
 そのとき、ふと日の光がさえぎられて、アスファーは視線を上に向けた。眼を見開いた夕菜が銃を向けて飛び込んできた。
「い、いつの間に!?」
 驚愕するアスファーの額に銃口が押し当てられる。その先には、完全な殺戮者の眼をした夕菜の姿があった。
 時間の止まった広場に高らかと銃声が鳴り響いた。額を撃ち抜かれ、眼を見開いたまま絶命したアスファーを、夕菜が冷ややかに見下ろす。彼女の顔と衣服には、アスファーの紅い返り血がかかっていた。
 その直後、止まっていた噴水の水が音を立て、広場がざわつき始めた。
「キャーーー!!」
 そこへかん高い悲鳴が響いた。時間を止められていた際、衣服を脱がされていた女性の声だった。
 女性は顔を赤らめて、地面に置かれていた自分の衣服を持って、人目のつかないところに逃げるように駆け出した。周囲の人々も戸惑いを隠しきれなかった。
 だが、その困惑が驚愕と恐怖に変わった。噴水の前に、額を撃ち抜かれて血を流している女性が倒れていたからである。
 一瞬にして騒然となった公園の広場。だが、そこに夕菜の姿はなかった。

「まだ見つからないのか!?童夢も夕菜さんも!」
 受話器を持った真紀が怒鳴り声を上げる。
 亜季の死後、夕菜は忽然と姿を消した。真紀が情報分析をしている彼女の自室で保護していたのだが、夕菜は机の引き出しにしまってあった拳銃を持って、そのまま飛び出してしまったのである。
 童夢もそれから行方知れずとなってしまった。彼女が夕菜と接触すれば、どんなことになるか分からない。
 真紀が今最も恐れているのはこのことだった。
 夕菜は亜季を殺した童夢に敵対心を抱いている。童夢も夕菜が憎きアスファーだと認識している。接触すれば一触即発は免れない。
「いいか!必ず見つけ出せ!童夢は拘束しろ!夕菜さんは保護するんだ!」
 半ば怒鳴りつけて、真紀は受話器を置いた。ひとつため息をついて、彼女は席を立ち上がった。
(絶対に・・絶対に2人を会わせてはいけない!何としてでも阻止しないと!)
 彼女も装備を整えて、童夢と夕菜の捜索に赴いた。

 日の差し込んでこない街の裏路地の物陰に夕菜はいた。彼女は手に持った銃を見つめながら、つかの間の休息を取っていた。
 彼女の心は、亜季を殺した童夢に対する怒りで満ちていた。必ずこの手で仇を討ちたい。今の彼女にはそれしかなかった。
(亜季さん、もしかしたら、許されないことを私はしてるのかもしれない。でも、こうでもしないと、私は・・・)
 夕菜はたまらない面持ちで立ち上がり、銃をポケットにしまいこもうとした。
 そのとき、夕菜の眼に童夢の姿が飛び込んできた。路地の向こうの大通りを悠然と歩いていた。
(いたっ!)
 夕菜はしまいかけていた銃を構え、路地から大通りに飛び出した。
「待ちなさい!」
 夕菜の呼びかけに童夢は足を止め、振り返る。この通りは今、通りがかる人は少なかった。
「フッ!わざわざお前から姿を見せてくれるとはな。嬉しいよ。探すのに苦労してたから、手間が省けるというもんだ。」
 童夢は歓喜に湧きながら、銃を取り出して夕菜に向ける。
「それとも、わざわざ私に殺されに出てきただなんて、馬鹿げた考えを持ちかけたわけじゃないよな?」
 あざけるように問いかける童夢。
「私はあなたを許さない。亜季さんを殺した、あなただけは!」
 夕菜も悲しみを込めた声音で、童夢に言い放つ。
「許さない?ハッ!笑わせるなよ!許せないのはこっちのほうだ!私の姉さんを奪い去って!」
「言ってもムダだと思うけど、言っておくよ。私はあなたの姉さんをさらってないし、第一知らない。それに、私はアスファーの能力なんて知らないし・・」
 夕菜の困惑が鋭い視線によってかき消える。
「今の私は、アスファーを許せないから。」
「・・フハハハハハ・・笑わせるなよ。アスファーのお前が、アスファーを許せない?つくづくお前はバカだな。」
 夕菜の言葉に呆れかえる童夢。アスファーがアスファーを憎むことが、彼女にはあまりにも馬鹿馬鹿しいことに思えたのである。
「大事な人がいなくなって、そんなに寂しいのかい?だったらお前も同じように葬ってやるよ!」
 童夢は眼を見開いて引き金を引く。銃口から弾丸が飛び出すが、夕菜も跳躍して物陰に隠れる。
「同じ場所に逝けるかは知らないけどね。」
 不敵な笑みを浮かべて、童夢は周囲を見回した。夕菜の動きを察知しながら、視界を巡らせていく。
「ずい分動きが達者になったじゃないか。いや、それが本来の動きだったのかもな。」
 挑発的な言葉と態度を振舞ってみせる童夢。
 その直後、彼女に差し込んできていた日の光がさえぎられる。視線を上に向けると、夕菜が銃口を向けて飛び込んできていた。
 冷たい金属の口が、互いの顔面に突きつけられる。2人は同時に微動し、同時に引き金を引き、同時に弾丸をかわす。
 夕菜は身を翻して、間合いを取って着地する。
「やってくれるじゃないか。」
 童夢が皮肉交じりの笑みを見せる。しかし夕菜は気にする様子さえない。
「私は・・あなたを殺すまで死ねない。たとえ亜季さんのためにならなくても、このままじゃ気持ちが治まらない。」
「ああ、死んでやるさ。ただし、お前が死ぬのを見送ったらな!」
 夕菜の鋭い言葉を、童夢の冷徹さが一蹴する。
 業を煮やした心地になった夕菜は、再び童夢に向かって飛び出した。
「そんなに死に急ぎたいのか?」
 勝ち誇った言動をかける童夢。
 普通の人間の身体能力を超えている彼女の視界は、集中すれば周囲の動きが止まって見えるほどである。飛び込んでくる夕菜の姿も、童夢には静止して見えていた。
 突き出された銃をかいくぐり、それを持つ腕に向けて足を上げる。バランスを崩した夕菜の右頬に、童夢は銃を持つ手を叩き込んだ。
 叩かれた頬を紅くしながらも、夕菜はなおも銃を突きつける。
 2人のそれぞれの銃の銃口が合わさる。一方でも引き金を引けば、その場で爆発を引き起こしてしまう。
 しかし童夢も夕菜も、それにかまわずに引き金を引いた。
(こいつを倒せば、姉さんは帰ってくる!)
(この人を殺さないと、亜季さんは浮かばれない!)
 2人の、互いに対する怒りと憎しみが、弾丸とともに衝突する。それは荒々しい閃光へと変貌する。
 突如として出現した光の玉。それは収束しながら、周囲の熱を吸収し始めた。
 熱を奪われた周囲の色が次第に白く変色していく。急激に低温にされ、建物も逃げ惑う人々も凍てつかせた。
 光の玉は膨張し、徐々に上空に向かって上昇を開始する。そして熱を吸収しきれなくなり、激しい轟音を引き起こしながら破裂する。
 第2の太陽の爆発を連想させるようなまばゆい閃光の拡散。凍てついていく街の視界を完全にさえぎった。

「こ、これは・・・!?」
 眼の前に広がる街の光景に、真紀は愕然とした。全てが白く凍てつき、活気を見せていた人々は動きを止めていた。
 困惑、動揺、逃げ惑い。様々な様子を見せている街の人が凍結し、微動だにしなくなっていた。
「童夢と夕菜さんの仕業か・・」
 真紀の推測通り、童夢と夕菜が銃口を密着させて放った弾丸の暴発によって、熱を吸収する光の玉が出現した。玉は周囲の熱を奪い、白く凍結させた。そして玉は熱を吸収しきれなくなり、まばゆい閃光を放ちながら爆発した。
 光の治まったこの街は、完全に銀白の世界に変わり果てていた。命さえも凍てついた氷の世界に。
 真紀はゆっくりとその街の地面を踏みしだいた。氷が小さくひび割れる音が、彼女の足と耳に伝わる。
 中央広場にたどり着いても、命さえも凍てついた死の世界が広がっていた。
「これが、2人が戦いの果てに引き起こした現象なのか・・」
 2人の少女の戦いの凄まじさを見せ付けられる真紀。
「しかし、当の2人が見当たらない。童夢はともかく、夕菜さんはあの反動で吹き飛んでしまったのだろうか・・・?」
 この銀白の世界に、童夢と夕菜の姿が見当たらない。
 真紀は今までにない危機感を感じながら、再び2人の行方を追った。

 1つの街を凍てつかせ、崩壊へと導いた事件を放送している画面。それらを見つめている1人の少女。
 少女は画面の明かりしかないこの暗い部屋で1人でたたずみ、慌しく伝えるニュースを視聴していた。
「やれやれ。ついにこの事態が起きてしまったか。」
 少女はやや呆れながら、続けて画面を見つめる。
「あの子は派手にやってくれたみたいだね。よほど姉さんをオブジェにされたことを根に持ってるみたいだね。」
 口元に指を当ててクスクスと微笑む少女。速報を流し続けている画面のスイッチを消さずに、振り返りそのまま部屋を出て行く。
 誰もいない長い廊下を悠然と進み、やがて1つの部屋への扉の前にたどり着き、足を止める。そしてその扉を右手でゆっくりと開く。
 部屋の中は真っ暗だった。部屋に何があるのかさえ、すぐには判別できないほどの暗闇だった。
 少女は扉を完全に閉める。外の明かりがさえぎられ、部屋は光ひとつ差さない真空の闇だけが存在していた。
 しかし少女は簡単に部屋の明かりのスイッチを見つけ出し押した。入り慣れているためか、それとも夜目が利いているのか、迷うことなく明かりを付けた。
 暗闇に満ちていた暗闇が、照らされた明かりによって一気に消失する。この部屋には、何人もの裸の女性が立ち尽くしていた。
 彼女たちは白い石像たちだった。いろいろな表情をしていたが、誰もが冷たく固まって微動だにしなかった。
「相変わらずきれいな体だね。まぁ、石になってるから、変わらないのは当たり前か。」
 少女が妖しい笑みを浮かべて、周囲の石像たちを見つめる。
 少女は短い白髪をしていて、左頬には星と三日月をかたどった痕が刻まれていた。
「君の妹は元気があっていいね。まぁ、以前もそうだったけどね。」
 少女はその中にいる1人の女性に近づき、その頬に触れる。冷たい感触が、少女を心地よくさせる。
「彼女は私を追って躍起になってる。でも、関係のない人まで巻き添えにしてる。そんなこと、姉さんは望んじゃいないのに・・・」
 少女は悲しい素振りを見せる。しかし周りの女性たちは何の反応も示さない。
「でも心配しなくていいよ。これから、君の妹を連れてくるから。」
 少女は満面の笑顔で、その女性を見つめる。
「これで幸せになれるね。離れ離れになってた姉と妹が、同じオブジェになってここにずっといることになるんだからね。」
 次の標的を定め、少女は歓喜に湧く。妹が固められることなど、姉は望んではいないことなど十分承知の上で。
「それに、今回はそれだけじゃないんだ。私にとって1番いい情報を手に入れたから。」
 少女の喜びは留まることを知らない。
「やっと見つけることができたよ。私の・・・」
 少女の哄笑が、部屋中に高らかと響き渡る。新たな闇の胎動が街を揺るがす。

つづく


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