Asfre 第5話「アスファー」

作:幻影


 童夢と遭遇してから1週間。既に夕菜の肩の傷は完治し、後遺症も見られなかった。
 今は元気な姿を亜季や他の客たちに見せていた。しかし亜季は、夕菜が深く思いつめていることに気付いていた。
 自分がアスファーだと指摘され、殺されそうになった。死の恐怖を何とかふさぎ込んでいるように見えたが、危険視されていることに困惑しているはずだ。
 その日の店の営業時間の終わりに差しかかったところで、
「おじさん、ちょっと店のほうお願いね。」
「ああ。分かったぞい。」
 常連の男の景気よい返事を背にして、亜季は奥の部屋に向かった。童夢との対面以来、夕菜は治療を理由に仕事を休んでいた。

 亜季たちが店で働いていた頃、夕菜は自室で考え込んでいた。
 見知らぬ少女からアスファーと指摘され、銃を向けられて発砲までされた。とても冗談で済まされることではなかった。
 何とか混乱を振り切ろうと、窓からふと夜空を見つめた。空には星が点々と輝いていた。
「夕菜。」
 そこへ亜季が声をかけ、夕菜は振り返った。
「亜季さん・・・」
 夕菜が何とか元気を取り繕うとしながら振り返る。
「夕菜、肩の調子はどう?」
「うん、もう大丈夫。医者もほとんど治ってるって言ってたし。」
「みんなまだいるから、こっちに行こう。そこで食事もして。」
「うん、分かったよ。」
 夕菜は笑みを見せて頷き、亜季に連れられて部屋を出た。
 それから2人は、常連客たちとパーティーとも思えるほどの晩餐を行った。それが、夕菜と亜季の心を癒し、笑顔をよみがえらせていた。

 その日の夜。街は突然降り出した雨に襲われていた。
「いやぁ、いきなり降ってきたよ〜。」
 2人の女子高生が雨宿りに店の屋根の下に駆け込んだ。学校帰りにカラオケやレストランに寄り、気がついたらこの時間になっていた。
「まったく、天気予報じゃ雨が降るなんて言ってなかったのに。」
「予報はあくまで予報ってことだね。」
 短い茶髪の少女が愚痴をこぼし、長い黒髪の少女が呆れる。
「弱ったなぁ。コンビニまで少し距離あるよ。」
 茶髪の言うとおり、1番近いコンビニでもここから少しの距離がある。傘を買いに急いで駆け込んでも、結果雨にぬれることになるので意味がない。
「仕方ない。雨が弱くなるまで待とう。」
「そうだね。それしかないかも。」
 黒髪の言葉に茶髪は頷いた。
 しかし雨が弱まる気配はうかがえず、2人は長い雨宿りを覚悟するしかなかった。
「あれ?ねぇ、あそこ。」
「え?」
 そのとき、黒髪が街外れのほうを指差し、茶髪がその先に視線を向ける。
 暗い闇へと続くようなその道には、1人の幼い少女が立っていた。
 年は5、6歳というところか。白いドレスを身にまとい、1体の着せ替え人形を大事そうに抱きしめていた。
「ねぇ、あの子、どうしたんだろ・・?」
 茶髪が困惑した様子に黒髪に顔を向ける。一瞬困った顔をするが、黒髪は思い切って少女に近づいた。
「ねぇ、こんなところでどうしたの?」
 黒髪が笑みを作って声をかける。しかし少女は無表情のまま、何も答えない。
「パパかママはどうしたの?」
 いくつか声をかけていると、少女はゆっくりと視線を女子高生たちに向けた。
「みつけた・・・」
「えっ?」
 少女の呟きに、女子高生たちが声を上げる。
「ミーナのお人形さん、みつけた・・・」
「お人形?」
 さらに疑問の声を上げる2人。
 そのとき、少女の持っていた人形が突然眼を光らせた。
(えっ!?)
 その直後、2人の女子高生の動きが止まった。人形と同じ淡い光を体中に発している2人は、金縛りにあって動けなくなっていた。
「やっとみつけたよ、ミーナのお人形さん・・・もうはなさないから・・・」
 白いドレスの少女、ミーナが小さく微笑む。彼女の眼の前で、女子高生たちの体がみるみる小さくなっていく。
(な、何なの!?・・・体が動かない・・・それに、どんどん背が縮んでく・・・!)
 黒髪は自分が小さくなっていることを一瞬理解できなかった。動けないまま、雨でぬれた地面に転がりだす。
(どうなってるの・・・体が・・・)
 黒髪が胸中で困惑する。
 ミーナが変わらぬ無表情で、人形になった2人の女子高生を見下ろす。そしてゆっくりと手を伸ばす。
(えっ!?私たち、あの少女につかまれてるの!?)
 茶髪が心の中で驚愕の声を上げる。しかしミーナにその声は届かない。
 人形になった2人の女子高生を抱えて、ミーナは微笑んだ。街に降っていた雨がやんだのは、彼女が暗い道へゆっくりと消えていってからのことだった。

 翌日。亜季が営んでいる海の家は定休日であった。
 その日の朝食を終えて間もない頃、1本の電話がかかってきた。受話器を取ったのは亜季だった。
「もしもし、華村です・・・あっ、九条さん。」
“もしもし、亜季ちゃん?お久しぶりね。”
 電話の相手は亜季の親戚に当たる九条(くじょう)レイナだった。
“亜季ちゃん、元気そうだね。店のほうは大丈夫?”
「うん。まぁお客さんに手伝わせてしまってるところもあるけど、とりあえずは大丈夫。」
 苦笑を浮かべる亜季。
「九条さんはどうですか?ミーナちゃんも元気ですか?たしか今年で6歳になると思いますけど・・」
“うぅん・・・実は・・ちょっとね・・・”
 亜季が問い返すと、レイナは思いつめた返事をした。
「どうしたんですか?」
“ミーナのことでちょっと・・・”
 レイナの沈痛な面持ちに、亜季の顔から笑みが消える。
“あの子、最近様子が変なのよ。いつも部屋に閉じこもって人形と遊んで、家でもほとんど口を聞かないのよ。もしかしたら自閉症になってるかもしれないのよ・・”
「そんな・・・」
 亜季も沈痛の返事をする。
 九条ミーナ。レイナの娘である。
 しかしミーナはあまり話をせず、友達も作らず、1人部屋にこもって人形で遊んでいる。ひとりぼっちの日常を送っているのだ。
「弱ったですね・・・あっ!そうだ!」
“え?”
「九条さん、今からそちらに行ってもいいですか?」
“え?・・い、いいけど・・今日はどこにも出かける予定ないから。”
「そうですか。ではすぐに支度します。それでは。」
 亜季は笑顔で受話器を置いた。
「夕菜、すぐに出かけるわよ。」
「えっ?亜季さん?」
 唐突なことを言われ、夕菜がきょとんとなる。
 亜季には考えがあった。夕菜を連れて九条家に訪れれば、ミーナは夕菜に対して心を開いてくれるだろう。
 そしてこれが、夕菜の心を癒すことにもなる。
 亜季は2人のためを思い、提案を持ち出したのだった。

 九条家は街の一角にあった。亜季が困ったときには連絡をしてきてもいいという約束をレイナは交わしていた。
 亜季は何度かお世話になったことがあり、その恩返しのつもりで提案を持ち出したのだった。
「ねぇ、ここが九条さんの家なの?」
「そうよ。九条さんはちょっとしたお金持ちだから。」
 大きな家の前で足を止めた2人。夕菜が問いかけると、亜季は笑顔で答えた。
 その家は数本の木々がそびえ、その豪華さを物語っていた。
 亜季がインターホンに指を伸ばしたとき、
「あら、亜季ちゃん。」
 玄関の扉が開き、レイナが顔を見せてきた。
「あ、九条さん。」
 亜季が笑顔で声をかける。レイナも笑顔で彼女を迎える。
「あら?その子は?」
 レイナの眼に夕菜の姿が映る。夕菜は少し戸惑った様子でレイナと亜季を見比べていた。
「ああ。この子は速水夕菜。ちょっとした事情で私が預かってるの。」
「よろしくお願いします、お姉さん。」
 亜季が説明し、夕菜が一礼する。
「まぁ、お姉さんだなんて。」
 お世辞を言われたと一瞬思い、レイナが照れ笑いを浮かべる。
「まぁ、こんなところで立ち話もなんだから上がって。すぐにお茶を用意するから。」
「そんな、お気遣いなく。」
 招き入れるレイナに亜季は苦笑する。
 外装のすばらしさに驚いていた亜季と夕菜だったが、家内もそれに劣らないものだった。2人は再び驚きを感じて唖然となっていた。
「すごい・・・」
 亜季も驚きを隠せなかった。実は彼女はこの家を訪れるのは初めてで、レイナとは電話や外での遭遇ばかりだった。
 食事部屋の豪勢さに魅入られていた2人のところに、レイナが紅茶を入れた2つのカップを持ってきた。
「紅茶は大丈夫だよね?」
「は、はい。いただきます。」
 レイナの言葉に夕菜が生返事をする。あまりの緊張に気張りして顔を赤らめていた。
「大丈夫よ、夕菜ちゃん。ここをあなたの家と思ってくれてもかまわないから。」
 夕菜の緊張をほぐすために、レイナは微笑みかける。すると緊張が和らぎ、夕菜は笑みをこぼした。
「ところで九条さん、ミーナちゃんの様子は?」
 亜季が聞くと、レイナの顔から笑みが消えた。
「ちょっと来てもらっていいかな?」
「え?あ、はい。」
 亜季はレイナに導かれて、少し慌てて席を立つ。夕菜は少し迷ったが、ここで紅茶を飲んで待つことにした。

 亜季を案内して、レイナは扉をそっと開けた。そして部屋の中の様子をうかがう。
 そこには1人の少女がいた。水色の長い髪をしていて、白いドレスに身を包んでいた。
 少女は部屋の中央に座り込んで、着せ替え人形で遊んでいる。どの服を着させようか迷っているようだった。
「ホントのようですね。何だか人形と大事そうに遊んでるみたい・・・」
 横からのぞき込んだ亜季も沈痛な面持ちで見つめる。
「ねぇ、あの子がミーナちゃん?」
 そこへ夕菜も顔を見せてきた。ミーナは人形遊びに夢中になって、部屋の前の様子を気にも留めない。
 1人部屋に閉じこもって楽しんでいた。
「ねぇ、ミーナちゃん?」
 そこへ夕菜が思い切って部屋に入り、ミーナに声をかけた。ミーナは無表情でゆっくりと振り返ってきた。
「おねえちゃん・・だれ・・・?」
 ミーナが弱々しい声音で返事をする。
「私は夕菜。速水夕菜よ。」
 夕菜はミーナに笑顔を見せて、挨拶のつもりで手を差し伸べる。しかしミーナは顔色を変えず、握手をすることに迷った様子を見せた。
「お人形さんと遊ぶのもいいけど、たまには外で遊ぶのも楽しいよ。」
 優しく接しようとする夕菜。しかしミーナは再びうつむいてしまった。
「つまんないよ。おそとに行くなんて。」
「そんなことは・・」
 ミーナの返答に動揺する夕菜。
「それより、おねえちゃんもお人形さんたちと一緒に遊ぼうよ。」
「い、いや、それじゃ・・」
 思いがけない返答に戸惑う夕菜。しかし、その緩みかかった表情が一気に凍りついた。
 立ち上がったミーナの抱きしめていた人形の眼が突然光りだした。その淡い光に夕菜の体が硬直する。
(えっ!?・・か、体が・・動かない・・・!?)
 自分の体が思うように動かせず、驚愕する夕菜。締め付けられるような感覚に襲われ、ミーナを捉えている視界が揺らぎだす。
 そしてその視線が上に向かう。ミーナの姿が大きくなったように見えたからである。
(あれ?・・・どうしたの・・・?)
 大きく見えていくミーナの姿を不思議に感じる夕菜。
 しかしそれは逆だった。夕菜が小さくなっていたのだ。
 夕菜の体がみるみる小さくなっていった。そしてその大きさは、先程ミーナが遊んでいた人形とほぼ同じになっていた。
「これで、おねえちゃんも一緒に遊べるね。」
 ミーナが満面の笑みを浮かべて、夕菜を見下ろす。淡い光の影響で、夕菜は人形になってしまった。
(ど、どうなってるの、コレ・・・!?)
 夕菜が体の不自由に困惑する。人形にされた彼女は、思うように動くことができなかった。
「ミーナ!」
 レイナがたまらず叫ぶと、ミーナが視線を移し、抱いている人形を向けてきた。その眼が再び光りだす。
「危ない!」
 そこへ亜季がレイナを引き込み、扉から離れる。人形からの光を寸でのところで逃れた。
「危なかった・・もう少しでレイナさんも人形にされるところでしたよ・・」
 亜季の安堵を込めようとした声には困惑があった。動揺を隠せないレイナの気持ちを理解していたからである。
「でも、夕菜がミーナちゃんに・・」
 亜季は夕菜のことが気がかりだった。人形にされた彼女が、ミーナにどう扱われているのか心配だった。
「ここか。アスファーがいるのは。」
 そのとき、知らぬ声が聞こえ、亜季とレイナが振り返る。しかし亜季はその声に聞き覚えがあった。
 黒髪をした少女。右手に銃を持っていた。先日、夕菜をアスファーと見て、射殺しようとした少女である。
「あ、あなたは・・・!?」
 亜季は眼前に現れた少女、童夢に対し、顔を強張らせる。亜季は童夢が、夕菜を再び殺そうと考えていると思ったのだ。
 しかし童夢は夕菜のことを考えてはいなかった。彼女に対する復讐心を秘めながらも、今は人々を人形にしているアスファー、ミーナに狙いを定めていた。

つづく


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