作：幻影
童夢の放った弾丸が、夕菜のいた地面を弾く。そこには夕菜の姿はなかった。
彼女は飛び込んできた茶髪の女性、亜季に助けられていた。亜季は夕菜を抱えたまま、再び銃を向けた童夢に振り返る。
「いつまでもったいぶってるつもりだ？早くアスファー能力を出す素振りぐらい見せたらどうなんだ？」
視線を鋭くする童夢に対し、亜季の我慢は限界に達していた。
「ふざけるのもいい加減にして！夕菜にはアスファー能力どころか、記憶のほとんどがないんだから！」
「何？」
亜季の言葉に、童夢は眉をひそめる。夕菜はそのとき意識を失っていた。
華村亜季（はなむらあき）。１軒の海の家で働いている２０代の女性である。
３年前に両親を亡くしてから、彼女はその海の家を引き継いで営業していたのだった。
彼女の優しく活気あふれる振る舞いに、お客も笑顔を見せて利用していた。
そんな日々をすごしていたある日のことだった。
その日は海を訪れる人が少なく、店に来る人もあまりいなかった。レジの近くの椅子に座り、亜季は客が来るのを待っていた。
「今日はあまり来ないなぁ。まぁ。こんな天気だから仕方がないか・・」
亜季にも見えているとおり、海の空模様は怪しくなってきていた。そんな天気に泳ぎに来る人はまずいなかった。
「あれ？何かしら・・？」
しばらく海を見つめていた亜季は、何かが海から流れ着いたのを発見した。
店を飛び出してその場所に駆けつけると、それは１人の少女だった。
「た、大変だ・・！」
亜季は慌ててその少女に駆け寄り、抱き起こした。
「ちょっと！しっかりして！」
亜季がその少女に必死に呼びかける。すると手の指がわずかに動いたのを亜季は見逃さなかった。
（生きてる・・まだ息もある・・）
亜季はその少女を抱えて、ひとまず自分の店に駆け込んだ。同時に、１人の常連客の中年の男が店に入ろうとしていた。
「あら？亜季ちゃん、何かあったのかい？」
「あっ！おじさん、救急車呼んで！急いで！」
「えっ？あ、分かった。」
亜季に急かされて、男は慌てながら店の中の電話の受話器を取った。
亜季は少女にまだ息があるのを感じ取って、人工呼吸を開始していた。数日前に習ったばかりなので、多少の自信はあった。
人工呼吸と心臓マッサージをくり返し、少女の救護に励む亜季。
「あ！あふっ！」
そのとき、少女が水を吹き、息を吹き返した。
「あっ！」
一命を取り戻した少女に、亜季は安堵の吐息をもらす。
その直後、救急車のサイレンの音が響いてきた。亜季はその少女を抱え、店を飛び出して救急車に急いだ。
亜季の適切な処置のおかげで、少女は安静になることができた。しかし亜季は担当の医者からの言葉に驚きを感じた。
「えっ!?記憶喪失!?」
「はい。おそらく、海に投げ出されたショックでしょう。名前さえ忘れている状態なのです。」
「そんな・・・！」
非情な運命と思える少女の状態に肩を落とす。すると医者が微笑んで、彼女の肩に優しく手を乗せる。
「君が発見する前に、その症状は起きていたのです。もし君があの子を見つけて助けていなかったら、命さえも危なかったでしょう。」
沈痛の面持ちのままの亜季に、医者が優しく語りかける。
「私や、周りの人たちは皆、君の努力と勇気に感謝していますよ。」
「先生・・・」
医者の言葉に、亜季は笑顔を作ろうとする。しかし、あふれてくる涙をこらえることができなかった。
その間にも、少女は安静に眠っていた。
白い髪に、その左頬には星と三日月をかたどった痕がついていた。
発見されてから４、５日。少女は元気になって退院し、笑顔を見せるようになった。しかし記憶は未だに戻らず、彼女自身をはじめ、亜季も困り果てていた。
手がかりは全くなし。親族の当てさえ見つけられない始末である。
「んん・・せめてここでの名前ぐらい決めておかないと・・」
あごに手を当てて考えあぐねる亜季。
「夕菜・・・あなたの名前は速水夕菜（はやみゆな）ね。」
「はやみ、ゆうな・・・？」
亜季の提案に、少女はきょとんとなって疑問符を浮かべていた。
「そうよ。海から生まれた華。それを名前になぞらえたのがその名前よ。」
亜季が笑みを見せると、少女も笑顔を浮かべた。
「そうだよ・・・私は夕菜。速水夕菜よ。」
少女の歓喜あふれる声が海の家の中に響いた。ここに白髪の少女、夕菜が生まれたのである。
その日以来、夕菜は亜季の店で仕事をすることを決めた。
新しい仕事の仲間の登場に、亜季に、常連の客たちにも安堵がこみ上げてきていた。
「夕菜ちゃんがいると何だか心が落ち着くなぁ。」
「そうね。お手伝いがいてくれて大助かり、っていいたいところだけど・・」
しかし亜季のは作り笑顔でしかなかった。
「まだあの子の記憶は戻らなくて、手がかりさえ見つからないのよ。まだ本当の名前さえ思い出せなくて・・・」
亜季はふと夕菜に視線を向ける。夕菜は亜季たちの困惑を気にした様子もなく、笑顔で客からの注文を受けていた。
「それで、これからどうするんだい？」
常連の男が亜季に問いかける。
「とりあえず、何か分かるまではここに置いておくつもり。こうして店の仕事を頑張ってるから、ちゃんと迎えてあげないとね。」
笑みを見せて答える亜季。すると男や周辺に座っていた客たちも安堵する。
「だったらわしたちも極力協力するよ。亜季ちゃんだけで世話するといろいろ辛いだろうから。」
「おじさん・・・ありがとうございます。」
男の励ましに感謝の意を示す亜季。それからいつも以上に、仕事に力が入っていた。
しばらく亜季との生活を続けていた夕菜。この日も海の家での仕事に力を入れていた。
「亜季さん、焼きそば２皿に焼きうどん１皿！」
「はあい。」
注文を聞いた夕菜の言葉を受けて亜季が返事する。
「すいません、華村さん。」
そこへ駐在の警官が、亜季に声をかけてきた。亜季は警官に振り返った後、男と夕菜に視線を送る。
「夕菜、おじさん、ここお願いね。」
「うん！」
「分かったぞい！」
元気のある２人の返事を聞いて、亜季は警官と一緒に店を離れていった。
海辺沿いの歩道まで移動した亜季と警官。亜季は夕菜に関する情報が見つかったと思っていた。
「どうしたのですか？まさか、夕菜について何か分かったのですか!?」
「いえ、そうではないのですが・・」
警官の言葉に肩を落とす亜季。警官は話を続けた。
「今回は、この近くで起きている怪事件についてです。」
「あの・・この海に着ている人が氷付けにされるというものですか・・・？」
「そうです。既に氷を解かすのが間に合わず、死亡した人も確認されています。しかも、手がかりは全くつかめていない状態です。」
「そうですか・・・」
「もしかしたら、アスファーの仕業ということも考えられます。」
「アスファーって・・人や物を別の物質に変えてしまうという、あの能力者のことですか？」
「はい。しかしまだ犯人がアスファーだという断定はしていません。」
そのとき、海辺のほうから冷たい風が吹き込んできた。そのあまりの寒さに、亜季と警官が両腕を押さえる。
「さ、寒い・・・どうして、こんな冷たい風が・・・」
「あの事件の前触れですよ。」
「前触れ？」
「季節外れの気温の低下。それが起きると、必ず凍らされた被害者が出るのです。では、これで。」
警官は海辺に向かって駆け出していった。その後ろ姿を見送った亜季は、店に戻っていった。
戻ってみると、店は落ち着いてきていた。男も夕菜も一時的な休憩を取っていた。
「おう、おかえり。どうしたんだい？」
「おじさん、何か事件が起きていて、それでね・・」
「んんむ・・・近頃物騒になってきたものだのう・・」
落ち着きのある店の中に動揺が浮き出ていた。
ふと夕菜が立ち上がると、男は思い切って声をかけた。
「とりあえず落ち着いてきたから、亜季ちゃんと夕菜ちゃんはその辺を散歩してくるといいよ。ここはわしがやっとくから。」
「でも、おじさん・・」
「いいから。たまには２人だけですごしてみるのもいいもんだよ。」
「おじさん・・・」
互いに笑顔を見せ合う２人。夕菜も顔を見せて笑顔を浮かべる。
「行こうか、夕菜。」
「うんっ！」
夕菜の元気な頷きを見て、亜季も優しく微笑んだ。
海辺から少し離れた場所にある公園に、夕菜と亜季はやってきていた。そこは子供たちや帰宅途中の生徒たちでにぎわっていた。
２人は空いていたベンチに腰を下ろすことにした。
「ここでこうして気持ちを楽にするのは久しぶりな気がする。最近は店で忙しかったから。」
「しかも私が来てから、さらににぎやかになってきたしね。」
互いに微笑み合う亜季と夕菜。
「でも、私の記憶、まだ戻らないの・・ホントの名前も思い出せない・・・」
「夕菜・・・」
不安を隠し切れなくなる夕菜。
本当の自分が自分自身の記憶から失われている。その恐怖とも思えるような感覚に、夕菜はたまらなくなっていた。
そんな夕菜を、亜季が優しく抱き寄せた。突然のことに、夕菜は顔を赤らめる。
「夕菜・・あなたはあなただよ・・・」
「亜季さん・・・？」
「たとえ本当の名前を思い出しても、離れ離れになるようなことがあっても、私たちにとって、あなたは夕菜よ。」
自分の中にある思いを夕菜に伝える亜季。
どんな状況下に置かれたとしても、その絆は永遠に断ち切られることはない。それが彼女の正直な気持ちだった。
「大丈夫だよ。亜季さん・・」
夕菜が亜季に笑顔を送る。
「忘れていることを全部思い出しても、亜季さんやみんなのことを忘れたりしないよ。これからもずっと一緒だよ。」
「夕菜・・・」
夕菜の心からの言葉に、亜季は安堵して微笑む。両親を亡くし、身寄りのなかった彼女にとって、夕菜の存在は心の支えになっていた。
「ありがとう、夕菜。私も何だか元気が出てきたみたい。」
「亜季さん・・」
「さて、せっかく公園に来たんだから、何か遊んでいかないとね。」
そういって亜季は、手に持っていたバスケットボールを夕菜に見せた。
「バスケットボールはできる？」
「バスケット？」
「よかったら教えてあげるわ。昔、少しだけやってたから。」
亜季の言葉に夕菜がボールを持って喜ぶ。その姿に亜季も微笑む。
「キャーー!!」
周囲から悲鳴が響き、夕菜に銃を向けられたのはその直後だった。
「記憶がないだと？・・そいつが？」
亜季の告白に眉をひそめる童夢。慄然とした面持ちで、亜季はじっと童夢を見つめていた。
「この子はあの海辺に流れ着いて倒れていたの！そのときには自分の名前さえ覚えていなかったのよ！」
「アッハッハッハッハ・・・！」
亜季が必死に説明すると、童夢は高らかと哄笑を上げた。
「何がおかしいの!?」
「おかしいのは当然だろ？それはそいつがお前を手に入れようとするための口実。つまりウソなんだよ。いい加減眼を覚まさないと、お前も石像にされちまうぞ。」
あざ笑う童夢の態度に、亜季は我慢しきれなくなった。
「あなた、最低ね！夕菜があなたのいう最悪のアスファーなわけないでしょ！」
「信じてるんだ、そいつのこと・・・けどな・・」
童夢は笑みを消して、銃を突きつけた。
「この状況が分からないわけじゃないだろ？」
死を呼ぶ弾丸を込めた銃が、夕菜をかばう亜季に向けられる。傷つくことを覚悟しながら、亜季は両手を広げた。
「やめて！」
そこへ、眼に涙を浮かべた夕菜が飛び込んできた。かばう者とかばわれる者が、この一瞬で入れ替わった。
「亜季さんを傷つけるつもりなら、私はあなたを許しません！」
いつもの無邪気さからは想像できないような剣幕で、夕菜は叫んでいた。しかし童夢は顔色ひとつ変えなかった。
「勇ましいな・・・といいたいところだけどな。お前の今の行動は、勇気じゃなく無謀。それに、私が狙っているのはお前なんだぞ。」
「そんなことは関係ない。亜季さんを守れるなら、私だって戦う！」
自分が狙われているにもかまわず、童夢の前に立ちはだかる夕菜。自分を助けてくれた亜季に対する思いからの行動だった。
「つくづくバカになったものだな。まぁいい。お前を始末すれば、そのアスファーの被害者は元に戻る。姉さんも帰ってくることになる。」
童夢は両手で銃を握り締める。
「お前を殺せば、全てが終わるんだ！」
「童夢！」
童夢が引き金を引こうとした瞬間、どこからか怒号が飛んだ。銃口から弾丸が放たれ、夕菜の左肩を貫いた。
「キャッ！」
「夕菜！」
夕菜が左肩を押さえてうめき、亜季が声を荒げて駆け寄る。
童夢は突然声をかけられたことで、わずかに狙いが外れてしまったのである。
振り返ると、そこには軍服に身を包んだ女性が立っていた。彼女は鋭い視線で童夢を睨みつけていた。
「童夢、こんなところで何をしている!?民間人に銃を向けるとは！」
「真紀・・」
童夢が軍服の女性、三船真紀（みふねまき）を見据える。構えていた銃を持った手をだらりと下げている。
「私はアスファーを始末しようとしていただけだ。しかも、私が探し続けてたヤツだ！」
「我々が銃を向けるのはアスファーであって民間人ではない！」
復讐心にかられていた童夢の言葉を真紀は一蹴した。
「我々のレーダーに、この近辺にアスファー反応は感知されていない。たとえアスファー能力を使用していなくとも、我々の包囲網から逃げられるアスファーはいない。お前の姉さんがさらわれたとき、アスファー能力はしっかりと察知していたからな。」
「だが、私はちゃんと覚えている！あの白い髪の色、頬には星と三日月の痕。これだけの証拠があるんだ！それが事実であることは確かだ！」
童夢はたまらず、下げていた銃を真紀に向けた。
「それともアンタは、人間の記憶よりも機械を信じるっていうのか!?」
真紀が怒りの叫びを上げる童夢に向かって銃を引き抜いた。その直後、童夢は顔を引きつらせた。
真紀の後ろには、数人の軍人が銃を構えていた。
もしも真紀に向かって発砲すれば、背後の軍人たちは容赦なく童夢を射殺するだろう。危険因子排除という防衛目的にのっとって。
童夢が戦意を失ったものと悟って、真紀は傷ついた夕菜と介抱しようとしている亜季を近づいた。
「すまなかったな。治療は我々の介護班に任せてくれ。」
「え？でも・・」
「童夢が撃ち込んだ弾は、アスファーの活動を停止させるために我々が開発した特殊なもので、放っておけば細胞分裂が効かなくなって、死に至ってしまう。よくても後遺症が残ってしまうだろう。」
真紀は困惑している夕菜に優しく手を差し伸べた。
「さぁ、行こうか。」
「・・・うん。」
真紀の手を借りて、夕菜はゆっくりと立ち上がった。
銃口を向けられながら、童夢は立ち去っていく夕菜を見送ることしかできなかった。内にある怒りを抑えることができないまま。