Asfre 第3話「心の痕(きず)」

作:幻影


 童夢の放った弾丸の毒素を消化するため、解毒剤を注射された夕菜。肩の傷も軽傷で済み、しばらく医療室のベットで休んでいた。
「大丈夫かい?どこかおかしいと感じたとことは?」
「い、いえ、特には・・」
 真紀の問いかけに頷く夕菜。そばには亜季が心配そうな面持ちで立っていた。
「治療は終えたけど、また痛みを感じることがあるかもしれない。何かあったら、またここによってくれ。」
「はい。今日は本当にありがとうございました。」
 笑みをこぼす真紀に、深く頭を下げる亜季。夕菜もそれにつられて、浅くだが頭を下げる。傷ついた左腕は、包帯に巻かれていた。

 一方、民間人に発砲した童夢は銃を取り上げられ、アスファー対策部隊としての活動を禁止されていた。鉄の壁に覆われた部屋で、彼女は1人閉じ込められていた。
 せっかく見つけた標的なのに、やっと姉を助けられると思っていたのに。
 しかし敵を倒すことができず、自分の自由まで奪われてしまった。苛立ちを抑えることができず、童夢は体を震わせていた。
 しばらく座り込んでいると、扉の鍵が開く音がした。童夢が立ち上がると、真紀が部屋に入ってきた。
「悪いとは思わないぞ。あれは間違いなく、私の姉さんをさらったアスファーだ。」
「童夢、お前・・・」
 反省を見せない童夢に、真紀は苛立ちを感じた。
「お前は自分の復讐のために、民間人に危害を及ぼそうとした。この行為は許されるものではない。」
「真紀・・・」
「1週間の謹慎だ。休息を兼ねて頭を冷やすんだな。」
 真紀は振り返り、部屋の扉を開けたまま出て行った。童夢もやるせない気持ちを抱えたまま、部屋を出た。

 銃は返されたものの、童夢はアスファー撃退の任を解かれた。倒そうとしていた相手を倒す機会さえ奪われ、怒りを抑えられないまま、町をさまよっていた。
(くそっ!・・・なんでだよ・・・!?)
 無力になっていく自分に苛立ちを感じていく童夢。行動を制限されても、この怒りを鎮めることができなかった。
 そのために、ちらちらと映るはずの町の人の姿さえ散漫にしか見えていなかった。
「あっ!」
 ついに1人の少女とぶつかってしまう。
 少女はしりもちをつき、童夢も前のめりに倒れてしまう。
「あ、す、すまない・・大丈夫か?」
「う、うん・・・」
 少女が頭を手で押さえながら頷く。童夢がすまなそうな顔をしながら、手を差し伸べる。
 すると少女が笑みを浮かべて、
「お姉ちゃん、ちゃんと前見て歩かないと危ないよ。」
「あ、ああ・・悪かった・・」
 言葉が思い浮かばず、小さなため息ばかりをつく童夢。その表情を少女は気になった。
「どうしたの、お姉ちゃん?何だか元気ないみたいだよ。」
「えっ・・・」
「よかったら、私の家に来て。いろいろ話をしてみたいし。」
 少女の誘いに、童夢はしばし迷った。だが、今のかたくなな自分の心を和らげるには、何らかの安らぎが必要だと彼女は不意に思っていた。
 童夢は小さく頷き、少女についていくことにした。

 茶色がかったショートヘア。年齢は16歳前後の少女。彼女に連れられてきた童夢の来た場所は、小さな一軒家だった。
 1家族住むには少し小さく思えたが、少女の話を聞くと、彼女は両親を亡くして1人で住んでいた。よってこの家でも広く感じるときがあるという。
 家の中に入り、リビングの椅子で待つ童夢。少女が紅茶を入れたカップとクッキーを持ってやってきた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私は菊池恵雛(きくちえびな)。あなたは?」
「私は・・芝童夢。童夢でいい・・」
「そう?じゃ童夢、砂糖はいくつ?」
「2つ。」
 紅茶に入れる砂糖の数を聞いてきた恵雛にあっさり答える童夢。
「ところで、さっきはどうしたの?何だか気分がよくなかったみたいだけど・・」
「ああ・・実はな・・」
 童夢は恵雛に全てを話した。自分がアスファー対策部隊の狙撃隊員であり、あるアスファーを敵にしていることを。
 しかしそのアスファーと思しき少女を見つけたにも関わらず、童夢は復讐を果たすことができず、民間人に向けて発砲したことで謹慎処分を受けてしまったのである。
「なるほど・・そんなことがあったのね・・」
 童夢の話を聞いた恵雛が小さく頷く。
「アスファー対策部隊・・嫌いじゃないよ。でもね、わたし、アスファー自体も嫌いじゃないのよね。」
「アスファーをか・・!?」
 恵雛の答えに童夢が意外そうに驚く。
「私が思うことなんだけど、アスファーも人間も関係ないと思う。私も嫌いな人の1人や2人はいるわ。でもそれはアスファーだからとかじゃなくて、その人の性格や考え方が好きじゃないからよ。」
「性格や、考え方・・・」
「童夢がそのアスファーを憎んでいるのは、それがアスファーだからじゃない。そのアスファーがあなたの姉さんを奪ったからじゃないの?」
 恵雛の言葉を聞いて、童夢は考えさせられる。
(確かに、私がアスファーを憎んでいるのは、あのアスファーが私の姉さんを石化し、連れ去ったからだ。だけど、世界にいるアスファーは、自分の欲と力に駆られて、人々を傷つけているのもほとんどだ。)
 考えあぐねているうち、童夢は1つの憶測にたどり着く。
(そうか・・私がアスファーを憎んでいるのは、私と同じ道を進む人を作りたくないからだ。家族を奪われれば、そいつは独りになってしまう。だから・・・)
 童夢は自らの決意を再確認する。
 自分がすべきは憎きアスファーを倒し、姉を助けることにある。しかしそれまでに、自分は多くのアスファーに出くわすことになる。
 考えていくうち、童夢は自分が、本当は心優しいことに気付く。復讐のために全てを捨てて、アスファーを倒すためだけに心を凍てつかせた。
 しかし完全には心は凍てついてはいなかった。まだ優しい心が残っていたのだ。
「そうか・・・そうだな・・・」
 沈痛の面持ちから立ち直れなかった童夢にようやく笑みが戻った。
「そうだよ。やっぱり人は、誰かを思う心を持って、心から笑うのが幸せなんだよ。」
 満面の笑顔を見せる恵雛。
「さて、元気が出たところで、TVでも付けてみますか。何かやってるかも。」
 恵雛は立ち上がり、TVのスイッチを入れた。映し出されたチャンネルでは、“今日のニュース”をやっていた。
“昨日午後10時ごろ、蝋に包まれた人がまたもや発見されました。”
 奇妙な内容のニュースに、童夢は真剣な面持ちで聞く。
“今回で犠牲者は7人となり、警察は変質的な犯人の犯行であることを視野に入れて調査を続けております。”
「人を蝋で固めてしまう・・・おそらく、これはアスファーの仕業だ。」
「アスファー?」
 童夢の言葉に恵雛がたずねる。
「ああ。こんなことをするのは、欲にまみれたアスファーぐらいなもんだ。」
「あっ!待って、童夢!」
 椅子から立ち上がって飛び出そうとした童夢を、恵雛は呼び止めた。すると童夢は振り向いて笑みを見せる。
「大丈夫さ。とりあえず様子をこの眼で見てくるだけだ。それに、今の私は謹慎中の身だ。もっとも、そんなもんを守るつもりはさらさらないけどな。」
 童夢は恵雛が小さく頷くのを見てから、振り返って家を飛び出した。

 童夢は事件の現場の1つである裏路地にやってきた。被害者は蝋に包まれたのではなく、体や衣服が全て蝋細工のようになって固められていた。
 手足の先、唇や瞳まで全て真っ白になって動かなくなった少女を見て、童夢は苛立ちを感じていた。
「謹慎のはずだがな、童夢。」
 そこへ真紀が鋭い視線で童夢に声をかけた。童夢も同じように鋭く真紀を見据える。
「まぁ、お前が私の命令を素直に聞いてくれるとは思ってはいないがな。お前を部隊に呼んだのは私だったからな。」
「それがどうした?私がアスファーに手を出すのを止めるのか?」
 童夢が皮肉を込めて問いかける。
「お前が我々の邪魔をするならな。」
 真紀も微笑を浮かべて答える。
「たった今、この事件は我々に一任された。迂闊に動けば、お前も標的になりかねないと覚えておけ。」
 真紀の言葉に童夢は頷き、現場を後にした。部隊の眼の届かないように、うまく行動しながら。

 昼間は子供たちでにぎわっている公園。夜は愛を語り合う男女の団らんの場所となる。
 公園の広場のそばにベンチでは、1組の男女が座って向かい合っていた。
「僕と・・幸せになろう・・」
「私も・・あなたと幸せになりたい・・」
 頬を赤らめながら、互いに愛の告白をする2人。
 そのとき、2人は肩に生暖かい何かが落ちたのを感じた。
「え・・何?」
 ふと自分たちの肩を見ると、白い粘り気のあるものが付着していた。鳩の糞が落ちたものかと不運そうに思いながら手を伸ばそうとする。
 すると、その白いものによる染みが広がり始めた。
「えっ!?」
「何っ!?」
 2人は驚きのあまり、座っていたベンチから立ち上がる。
 白い染みは2人の体を包み込んでいく。その部位や衣服が固まって動かなくなる。
「どうなってるの・・・体が・・うごか・・・」
 一気に体の自由を奪われていく2人。女性が恐怖を感じて、声を荒げる。
 染みは完全に2人の体を覆ってしまい、首から上を残すだけとなってしまった。
「どうな・・・てる・・・の・・・」
 弱々しくなった声音を最後に、男女は白く固まってしまった。
 2人のかかったのは白い蝋の液だった。それもただの蝋ではない。
 触れたものを同じ蝋に変えてしまう恐ろしいもので、その効果は空気中の酸素と混ざることで発揮するが、紫外線を受けるとその効果は発生しない。
 その蝋にかかって蝋の人形と化してしまった男女。その2人を見つける1人の少女。
 少女は妖しい笑みを浮かべた後、ゆっくりと振り向いてその場を去っていった。
 淡く光る月と星が、固まった2人を照らし出していた。

 一夜が明けても、童夢は戦うことに対して考えさせられていた。
 姉のために戦い続けていた彼女だが、それが自分にとっていいことなのか薄々分からなくなっていた。
 考えにふけっている彼女の眼の前に、突然丸いものが現れた。驚きながら童夢が振り向くと、恵雛が微笑みながら手を伸ばしてきていた。
 よく見るとその丸いものは、恵雛が持っていたワッフルだった。近くの出店で買ってきたらしい。
「コレあげる。コレ食べて、元気な顔を見せてね。」
 恵雛が童夢にワッフルを手渡そうとする。恵雛は童夢が甘党だと思っているらしい。
 童夢は渋々そのワッフルを受け取った。彼女は甘いものは好きなほうではあるが、特別好んでいるわけではなかった。
「人は、いろいろ辛いことの1つや2つはあるわよ。それでも笑っていれば、何とかなっちゃうものだよ。」
 励ましの声をかけながら、童夢の視線の先の、海辺近くの公園を見つめる恵雛。
「何かあったのかな?」
「ああ。」
 いつも恵雛に対してはおぼつかなかった童夢が、この問いかけには即答していた。
「TVでもいってた。また人が蝋人形にされた。今度は男女が1人ずつだ。」
 童夢が事件の詳細を恵雛に伝える。恵雛は困惑した表情で公園の広場を見つめていた。
 アスファー対策部隊が調査を続けている公園。その広場のベンチの前には、男女が白く固まって動かなくなっていた。
 蝋が付着しているのではない。体質そのものが蝋になってしまったのだ。
「お前も気をつけないと、同じように蝋人形にされちまうぞ。」
 童夢は恵雛に忠告を促した。恵雛は当惑しながらも頷く。
(とりあえず、夜にまた探りを入れてみるか。アスファーが出るのは夜が多いそうだからな。)
 胸中で考えをまとめながら、童夢は処理を続けている現場を見つめていた。

 その日の夜は、空は雲に覆われて月や星が見えなくなっていた。
 童夢は1人暮らししているマンションを抜け出し、アスファーを見つけるべく動き出していた。
 今までの事件の現場とその流れを考慮し、彼女は駅前通りにやってきていた。
 そこはアスファー対策部隊が包囲網を強いていた。謹慎の身である童夢は、物陰に隠れながら調査を進めていた。
 その中で、彼女は再び昔のことを思い返していた。姉とすごした日々を。眼の前で姉を石化され連れ去られた瞬間を。
 当時の童夢は笑顔を絶やさない明るい少女だった。その姿に姉も笑みを見せてくれていた。
 だが、1人のアスファーによって、姉は裸の石像に変えられ、さらわれた。姉妹の揺るぎない日々は、こうしてもろく崩壊してしまったのである。
 その後、童夢は心を凍てつかせた。そのアスファーを倒すことだけに全てを捨て、そのための力と技術を身に付けた。
 しかしそれでも、標的のアスファーを発見したものの、その機会を封じられ、行動さえも封じられてしまった。彼女のうちにある怒りは深まるばかりだった。
 やがていくつかの路地を抜けたところで、童夢は足を止めた。背筋を凍らせるような不快感を感じ、彼女は顔を歪めた。
(近いな・・・場慣れしてくると、分かってきちまうもんだな・・)
 本当に変わってしまった自分に、童夢は皮肉な笑みを浮かべた。周囲に対する警戒を解かないまま。
「ぐああぁ!!」
 そのとき、夜の街に悲鳴が響いた。中年の男の声である。
 童夢はなりふりかまわずに路地を飛び出した。疾走をしていくと、その眼前に白い固まりが転がっていた。
 見下ろすとそれは部隊の隊員だった。これまでの事件と同様、蝋人形にされていた。
(まだ遠くには行ってないはずだ!)
 童夢は視界を周囲に巡らせる。近くにアスファーが必ずいると察していた。
 そして1点でその視線が止まった。その瞬間、彼女は眼前の光景に眼を疑った。
 眼の前には恵雛の姿があった。恵雛は白く固まった男を真顔で見下ろしていた。
「えひ・・な・・・!?」
 動揺している童夢。何とか振り絞った声は震えていた。
 恵雛が下に向けていた視線を童夢に向ける。
「見られちゃったね、お姉ちゃん。」
 屈託のない口調で語りかける恵雛。困惑しながらも、童夢はさらに言葉を発した。
「恵雛・・・お前が、やってたのか・・・!?」
 何とか手に持つ銃を上げるが、狙いが定まっていない。
「次はあなたになっちゃいそうだね、童夢。」
 今まで見せなかった妖しい笑みを浮かべ、恵雛が右手を童夢に向けて伸ばした。

つづく


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