勇敢な少女

作:闇鵺


 いわゆる“魔法”というものが存在し、
いわゆる“魔物”というものが闊歩する世界。
そう考えていただければこの世界に関する説明は要らない。
 そしてこの世界には支配者とでも呼ぶべき一人の女性がいる。
彼女の名はアミユゼ。一見二十歳前後の可愛いお姉さんだが、実は恐るべき魔力を操る魔女なのだ。
彼女にはある趣味がある。それは一言で言えば可愛い女の子にイタズラをする事だ。
本人曰く「好きな子にはイジワルしちゃうものでしょう?」とのこと。
 今、一人の少女が魔女の手に堕ちようとしている。
アズライト=セリューズ。14歳。
ソーサラスフェンサー(魔剣士)の力を持つ彼女は勇敢にも
たった一人で魔女の討伐に向かったは良いものの、あっさり捕まってしまって現在に至る。
 巨大な十字架に磔にされ、直前の戦闘の激しさを物語るように体中に傷が付き、服もボロボロになっている。
ただ、戦意だけは失っておらず、眼前で微笑む魔女を強く睨み付けている。


「…アミユゼ…! 私はまだ負けた訳じゃないわ……!!」


 ともすれば噛み付いてくるかも知れないぐらいの闘争心剥き出しのアズライトの頬を
アミユゼは慈しむようにそっと撫でる。


「ごめんなさいね。あなたの躯にこんなに傷を付けてしまって……」


 アミユゼがアズライトの頬に触れると、そこに鋭く刻まれていた斬り傷が跡形も無く消え去り、
さらに温かい光がアズライトの全身に広がっていき、全身の傷を癒していく。
ただ、治るのはあくまでアズライトの体のみで、彼女の服はボロボロのまま。
腕や脚は露出し、服の裂けた隙間からも美しい白い肌が見え隠れしている。


「…どういうつもり?」

「だって、女の子が傷だらけなんて可哀想じゃない?」


 その傷を付けたのは他ならぬあんただ。
そして治すんなら服も直せ。
 そんな突っ込みを入れても意に介さないのがアミユゼという女である。
そしてこの困ったお姉さんは、今度はアズライトの頬に自分の頬をすり合わせてきた。
この行為には特に意味は無い。ただ可愛い女の子のほっぺたをスリスリしたいだけである。
アズライトは鬱陶しそうに顔を背けるが磔にされて身動きが取れないので結局されるがままである。


「んーー…。柔らかぁい」

「ち…ちょっと…! 離れなさいよこの変態魔女!!」


 思う存分頬をスリスリしたアミユゼはスッとアズライトの元を離れる。
その瞳はさっきまでのようなイタズラ好きなお姉さんのものではなく、
魔性のオーラに満ちた、紛れも無く魔女の瞳そのものである。
 アミユゼの趣味は可愛い女の子にイタズラしたり弄んだりする事だ。だが何よりの楽しみは、
魔法の力により女の子を石や金属などの彫像や人形に変えてしまう事なのである。
体が異なる存在に変化していく事で恐怖し、涙する姿。
魅了の術を交える事により、恍惚とした表情のまま固まりゆく姿。
そんな少女の変わりゆく様を眺める。
そして、芸術品という慰み物に変わり果てた少女を思うままに観賞し、愛玩する。
それこそがアミユゼの至高の遊戯なのだ。


「あなたを永遠に私のモノにしてあげるわ。楽しみね」


 アズライトを縛り付ける十字架を中心に、地面に鼠色の魔法陣が刻まれる。
足元が急に冷たくなっていく。ピシピシという音と共に凍り付いたように動かなくなっていく。
 …そうか。こうやって下から徐々に固めていくんだ。
そう、冷静に分析できるほどにアズライトには何故か余裕があった。
恐怖が極限に達して吹っ切れてしまった訳でも、自分の運命に悲観し自棄を起こした訳でもない。
アズライトの表情は、むしろそんな感情とは真逆の色をしていた。


「…ねぇ、怖くないの?」

「…………………」


 アミユゼが問い掛けてもアズライトは口を開かず、ただ一心にアミユゼを睨み付けている。
それがアズライトの答えである。


「………なんだかあんまり面白くないわ…」


 体が石に変化する。そんな事態に陥れば誰でも恐怖するもの。
ちょっと可哀想だけど、怖がって泣いちゃう女の子ってたまらなく愛おしいの。
だからこうやってイジワルをしてしまうの。
そしてどんなに恐怖し、涙を流し、拒み続けても、最後には石化を受け入れていく。
そんな姿を眺めるのが楽しくてたまらないのに。
この子は怖がってくれない。泣いてくれない。
じぃっと、力強い瞳で睨み付けてくるだけ。
 「まだ負けた訳ではない」さっき彼女はそう言った。
そう。二人の戦いはまだ終わった訳ではないのだ。
…参ったな。この子がこんなに強い子だなんて。
さて、では如何にしてこの勇敢な女の子を屈服させてしまおうか。
 焦りを感じたアミユゼが一瞬アズライトから意識を逸らす。
その一瞬。それこそが、アズライトが半身を石にされようと平静を保ち続けた理由。
彼女はずっと待っていた。その一瞬を。
 アズライトの瞳に赤い光が宿り、同時にアミユゼの足元に十字の閃光が走る。


「プロミネンスワーム!!!」

「…えっ?!」


 アズライトの叫びに呼応するかのようにアミユゼの真下に走る閃光も激しさを増し、それが最高潮に達すると
地面を砕いて巨大な火柱が噴き出し、アミユゼを飲み込んだ!!


「キャアアアァァァァ…!!?」


 天を貫く火竜のような火柱の中でアミユゼの悲鳴だけが響いてくる。
炎は高く高く昇っていき、そして徐々に勢いを弱めていく。
炎の柱が消え去るとそこには何も残らず、ただ大きな穴だけがぽっかりと口を開いていた。
辺りに聞こえる物音はアズライトの荒い息遣いのみ。


「…ハァ…ハァ……や…やったの……?」


 確かに目の前からアミユゼは消えた。
だが、自分はまだ十字架に磔にされたままだし、下半身の自由は利かないまま。
魔法はまだ解かれていない。
 …嫌な予感がする。
アズライトの背後から誰かが手を伸ばしてきた。
柔らかい感触と共に目の前が真っ暗になる。どうやら手の平で両目を隠されたようだ。


「だぁれだ?」

「…………アミユゼ……?」

「あたり」


 柔らかな手の平から両目が開放される。
すぅーっと影が動くように目の前にアミユゼが現れた。
笑ってる。
可愛い女の子にイタズラするのが大好きな困ったお姉さんの顔。
服がちょっと焦げてるけど殆ど無傷のようだ。


「当たったからご褒美あげるわね」


 アミユゼはウインクと同時に指をパチンと鳴らした。
すると、アズライトの周りを囲んでいた無彩色の魔法陣がほんのり赤みを帯びていく。

 ピシ…ピシ……

 再び石化が始まった。
しかしさっきとは様子が違う。
石化が進んでいく度にアズライトの心臓の鼓動がドクンドクンと速くなっていく。
今にも壊れてしまいそうなぐらい心臓が熱い。でもそれがどうしようもなく気持ち良い。


「…なにを……した…の……?」


 感じた事の無い感覚に混乱しそうになりながらも、アズライトは必死に正気を保とうとする。
だが、上へ上へと迫ってくる石化の感覚が、そして頭の中にまで響いてくる心臓の鼓動が、
アズライトの精神を掻き乱す。


「フフフ…、ちょっとね。石化の魔法陣に魅了の呪文を絡めてみたのよ。どう? 気持ち良い?」

「……な………?!」


 魅了の呪文。それは単なる暗示や催眠術とは訳が違う。
対象となる者が、自ら呪文の餌食となる事を望むよう仕向ける…そんな恐ろしい呪文。
 アズライトの躯が抑え切れない快感と共に石化を受け入れていく。
どんなに抗おうと、どんなに気を強く保とうと試みても、
魅了されてしまった本能がそんな理性を打ち消していく。
そして本能と理性のせめぎ合いがますますアズライトの心を壊していく。


「…あ…あぁ……! ……アミユゼ………よくも……こんな………こんな…ぁ……!」


 酒に酔ったみたいに上手く口が回らない。両目から涙が溢れて頬を伝う。
そしてもう一筋。唇の端から薄っすら涎が零れてしまった。
 …情けない。みっともない。
こんな変態魔女に、こんなあっさり敗北して、こんな恥ずかしい姿を晒されて……。
 首から下が石になった磔の少女の意識を繋ぎ止めているのは今や自分に対する悔しさだけだった。
アミユゼはそんな哀れな少女に優しく微笑み、手を伸ばす。
涙で視界が歪んでいる所為だろうか。アズライトの眼にはそんなアミユゼの姿がとても尊く見えた。


「頑張ったわね……。もう…泣かないで。
 あなたの美しい躯…私がずっと大切にしてあげるから……」


 「…もう、ダメだ」……そう、己の敗北を認めてしまった瞬間、
不思議とアズライトはほんの少しだけ心が軽くなったような感じがした。
 アミユゼの指がそっとアズライトの涙と涎の跡を拭う。
それが、少女に残った最後の感情を奪い去ったかのように、アズライトの瞳から生命の色が消えた。
石化の呪文が完成する直前、アズライトの表情が一瞬安らかになったように見えたのは、
それもまた魅了の呪文によるもの故なのだろうか…。
 十字架に磔にされた少女の石像。
やや幼くも整った顔立ちに傷一つ無い肌…そして、ボロボロの衣服がかえってその美しさを引き立てる。
アミユゼは抱きかかえるようにして石像に自分の頬をすり合わせた。
…冷たくて硬い。でもスベスベしてとっても肌触りが良い。
 また一つ、美しい少女が自分の物になった。
アミユゼは喜びに満ちた笑顔で、何度も…何度も…
石像のあちこちを撫でたり、擦ったり、あるいは眺めたりして、
この“勇敢な少女”の石像をいつ飽きるともなく愛し続けていた。


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