愉しみの小部屋

作:闇鵺


 下校途中の小学生女子二人。
サラサラとした黄金色の髪を後ろで括ったポニーテールの少女と
黒い御下げ髪の少女が並んで歩いている。
 御下げの方の少女、雪那(ゆきな)がポニーテールの少女、莉香(りか)に話し掛ける。


雪那:ねぇ、莉香ちゃん…。前から気になってたんだけど…、
   莉香ちゃん、高いお洋服とかアクセサリーいっぱい持ってるけど
   よくお小遣い無くならないね。

莉香:あー、ふふん、ちょっとね。
   …知りたい?

雪那:…うん……。


 どんな節約術を使えば、あるいはどんなお手伝いなどすれば
一小学生が毎月好き放題に豪遊できるだけの金銭を得る事が出来るんだろう。
雪那はその恩恵にほんの少しでもいいからあやかりたいと
ただ軽い気持ちで考えているだけだった。


莉香:なばえ荘ってあるでしょ? あの小さいアパート。

雪那:…う、うん……。


 莉香の口から“なばえ荘”という単語が出た事により、雪那は不審の念を抱く。
なばえ荘には重度の少女性愛者が住んでいると近所で噂になっている。
そんな近寄り難いスポットとお小遣いとにどんな関係があるんだろう。
「まさか」とは思いつつも、雪那はすごく嫌な予感がした。


莉香:そこに住んでるお兄さんにね、こうやって…


 突然、莉香は自分のスカートの端を掴んで捲り上げた。
唖然とする雪那を無視して莉香は楽しそうに話を続ける。


莉香:ふふ、こうやってパンツ見せてあげたり、
   服の上からお尻やおっぱい触らせてあげるとお小遣いくれるの。


 莉香は両手で摘んだスカートの端をパッと放す。
スカートはヒラヒラと舞い下りて元の位置、膝が隠れる辺りの位置に収まった。
 莉香はイタズラっぽい笑みを浮かべて雪那の反応を窺っている。
時が停止したかのような沈黙の後の雪那の反応は、正しく莉香の期待通りのものだった。


雪那:……り、莉香ちゃん……、…それって……!

莉香:いいのよ。パンツなんて見せたって減るもんじゃないし。
   お尻とか触らせるにしたってタッチするか軽く撫でるぐらいだもん。
   ちょっとくすぐったいけどね、ふふふ。

雪那:……で、でも…! それってやっぱり良くないよ…! 危ないよぉ…!

莉香:大丈夫よ。お兄さんは優しいからあたしを襲ったりなんかしないもの。
   お互いそれで満足してるんだし、誰もイヤな思いなんかしてないわ。

雪那:…うーん……でも……。


 やっぱりなんか納得できない。
でも、莉香を説き伏せられるだけの言葉を雪那は持っていなかった。


莉香:…ねぇ、雪那。今から行ってみない? お兄さんの所に。

雪那:えぇ…?!

莉香:こないだお兄さんが言ってたんだ。「絵を描きたいからモデルが欲しい」って。

雪那:…莉香ちゃんがモデルやればいいんじゃないの……?

莉香:あたしはもう描いてもらったもん。
   違う子の絵が描きたいんだって。あたし飽きられちゃったのかなぁ。


 莉香はランドセルの中からスケッチブックを取り出してページを捲る。
そこには確かに美麗な少女の鉛筆画…莉香の絵が描かれていた。
 体育座りの要領で膝を抱え、首をやや斜めに傾けて
どことなくアンニュイな表情をしてこちらを向いている。
脚はぴったり閉じられてはおらず、足元に向かってほんの少し開いているが
斜め前からのアングルである為にその華奢な脚で上手いこと下着が隠れている。
でもそれが虚ろ気な表情と相俟って却ってやらしい。
 全て鉛筆で描かれているからだろうか。
まるで莉香に絵のようなポーズを取らせ、
それをモデルにして作った彫像をスケッチしたかのような印象を受ける。


莉香:上手でしょう。お兄さん、絵を描く事だけが目的みたいだから
   描いた絵は記念に貰っちゃったの。


 まるで自分が描いた絵を見せているように、
莉香は少々はにかみながらも自分がモデルとなった少女画を自慢する。
最初は訝しんでいた雪那も徐々に興味を抱いてきたようだ。…そう、莉香は勝手に解釈する。
 そうして莉香はパタンとスケッチブックを閉じた。


莉香:じゃあ、行こうか。お兄さんの家。

雪那:え、えぇ…!? ねぇ、ちょっと莉香ちゃん…!?
   わたし、まだ行くとも何とも言ってないんだけど……!


 莉香に強引に手を取られた雪那は、
もはや為すがままに連れられていくしかなかった……。



莉香:お兄さーん、あたしだよー。入るねー。


 なばえ荘に到着した二人。
莉香はノックと同時に来訪を告げると、中の住居人の返答を待たずして扉を開けた。
鍵は掛かっていないらしい。
部屋の中はやたらと物が多く、雑然としているように見えて
自由に動き回れる程度には整頓されている。


青年:……やぁ…莉香…。…来てくれたんだね……。……嬉しいよ………。


 この部屋の主と思われる青年が姿を見せる。
男性にしては髪が長く、洗う以外にろくな手入れをしていないだろうボサボサ頭。
その髪と眼鏡に隠れて表情はよく分からないがあまり血色は良くなさそうだ。
Yシャツも所々よれており、自分の外観にはてんで無頓着であることがよく分かる。


青年:……その子…? …莉香のお友達って……。

雪那:……!


 自分の事を指しているのだと感じ、雪那は身を竦ませる。


莉香:うん。“雪那”っていうのよ。

青年:……雪那ちゃんか……。…綺麗な名前だね……。

雪那:…………。


 遠くを見ているような小声である為か、褒められているのにあまり良い気分はしない。
一方の莉香は勝手に冷蔵庫を開けて飲み物を注いでいる。
まるで自宅にいるようなくつろぎ振りだ。


莉香:どうぞ。

雪那:…あ、ありがとう…。


 雪那に飲み物を渡すと、莉香は勢いよく自分の分を飲み干した。
釣られて雪那も飲み物を口にする。
甘い味のする果汁入り飲料が喉を通り抜けていき、ほんの少し雪那は落ち着きを取り戻した。


青年:……じゃあ…早速始めようか……。
   …まずは…服を脱いでくれるかな……。…あぁ…下着は着けたままで良いからね……。

雪那:えぇぇ…!?

青年:……それじゃあ僕は向こうに行ってるから……。
   …莉香は適当にくつろいでて良いよ……。

莉香:はーい。


 雪那は早速後悔した。今から逃げても遅くはないだろうか…?
先程の絵の中の莉香は服を着ていた。
しかもミニスカートでありながらわざわざ下着の見えないアングルで描かれていた。
だから、まさか自分がヌードモデルをやらされるだろうとは思っても見なかった。
 …そう言えば、青年は「下着は着けたままで良い」と言っていた。
莉香の絵にしても、見ようによっては自分から下着を晒すような姿勢であるにも拘らず
あえて下着は描かれていなかった。
あの青年は莉香の体に触れたりもしているとの事だが、
それは服の上から、そして本当に触るだけだったりほんのちょっと撫でたりするだけであるらしい。
 …それは青年のせめてもの良心だろうか。
それとも、単にそういう嗜好なだけ…?
……だめだ。どうしても変な方向にしか考えが進まない。


莉香:大丈夫だから。


 …そんな動物園のふれあい広場の飼育員みたいな笑顔で言われても……。
…でも、もう…覚悟を決めるしかないのだろうか…。
 雪那は躊躇いがちに服を脱いでいく。
青年に言われたとおり下着一枚を残して。
膝を折り曲げ、腕を交差させて自分を抱きしめるようにして胸を隠す。
肉食動物に追い詰められた草食動物のような涙目で青年がいるであろう奥の部屋を見詰めている。
 ちらと莉香の方を見た。
「危なくなったら助けてくれるよね?」と念押しするように。
莉香は何も言わず微笑んでいる。
 一抹の不安を抱きつつ、奥の部屋に視線を戻そうとしたその時だった。


雪那:……えっ……!


 体の中心から電流が走り抜けたような痺れを感じ、
続いてぞっとするくらいの寒気が雪那を襲った。
何気無く視線を下ろす。…そこで雪那は見てしまった…。
 ……一体どこで選択を間違えたんだろう……?
そんなちょっとした回顧録を開く余裕すらも無かった。
 雪那の体の中心から、色が失われつつある。
石のような灰色に染まり出し、それが徐々に広がっていく。
 立ち上がろうとする両脚…抱きしめるようにして胸を隠す両腕…
全身が金縛りに掛かってしまったかのように全く動く事が出来ない。
まだ人間としての色を保ちつつある部分も、
材質は既に石に変化させられてしまったかのようにピクリとも動かす事が出来ない。


雪那:……り…か……ちゃ…ん………たす…け……て………!


 微かに動く唇を震わせながら、搾り出すように救いを求める。
瞳から頬を伝って流れる涙が既に石と化した鎖骨に落ちて黒く滲み込んだ。


莉香:大丈夫だから。

雪那:……………!?


 録音した音声を再生するように同じ台詞を繰り返す。
それはつまり…「助ける必要は無い」…「助けない」……そういう意味なんだろうか。
 例えば、学校の廊下で背後からスカートを思いっきり捲り上げる時のように…
あるいは用があるふりをして指で頬を突いた時のように…
イタズラっぽい笑みを浮かべたまま、莉香は石の彫像となりつつある友達の姿を楽しそうに眺めている。


雪那:………り……か………ち……ゃ…………

莉香:無理に動かない方が良いよ。痛くなっちゃうから。

雪那:…………ど………う………し…………て……………


 「どうして」
その言葉をどう解釈したのか、莉香は冷蔵庫から口をラップで包まれた試験管を取り出し、
中に入っている無色の液体を雪那に見せ付けるようにゆっくりクルクルと回した。


莉香:これ、魔法のお薬なんだって。
   これを飲んだ人はしばらくすると石になっちゃうの。


 それだけ言うと試験管を冷蔵庫に戻し、そしてまた何事も無かったかのように
入れ違いに出したペットボトルから二杯目を注いで一気に飲み干した。

 断る事も逃げる事も出来なかった自分の迂闊さに対する悔いも、
飲み物と偽って得体の知れない液体を飲ませた友人に対する憤りも、
今や全身殆どが石となった少女には無い。
あるのは唯、恐怖。

 全身が動かない恐怖。
変質していく恐怖。
誰も助けてくれない恐怖。
人が人でなくなる恐怖。

躯が石になっていく恐怖。

…………………………。


莉香:おばさんには、あたしの家にお泊りするって事にしておくね。


 最後の言葉は果たして届いたのだろうか。
そこにある、裸の少女の石像に。


青年:……もう…良いかな……? …入るよ……。


 タイミングを見計らったように青年が部屋の奥から姿を現す。
真新しい、莉香と御揃いのスケッチブックを手に。
そして死んだ魚のような眼でたった今出来上がった少女の石像を眺めている。


青年:……可愛いね…。


 一言呟くと、石像の正面に腰を下ろしてスケッチブックの表紙を開いた。
それを見た莉香は、構ってもらいたい愛玩動物のように青年に擦り寄ってくる。


莉香:…ねぇ、何か忘れてんじゃない?

青年:…あぁ……そうだったね…。…ごめん……。


 青年は懐から数枚の紙幣を出し、莉香に渡した。


莉香:……ちょっと…、今日これだけ?

青年:……今日は紹介料だけだからね……。
   …それに…雪那ちゃんの分もあるから……。

莉香:……けち。


 莉香はぶすーっとした表情で、彼女にしてみれば少額のお金を財布に仕舞い、
友人の成れの果ての少女像を見詰めている。


莉香:…あたしも脱ごうかな…。

青年:……それは良いね……。…今度…お願いするよ……。


 そして莉香は帰っていった。雪那を残して。
青年は莉香を見送ると、さっきは開け放しておいた扉の鍵を掛けた。
今日はもう他に来客の予定が無いからだろうが、
まるでこれから先の時間を誰にも邪魔されたくないが為の行為にも思えた。

 物言わぬ石像となった雪那。
だがその意識は完全に消失した訳ではなかった。
夢の中の光景を見ているような薄ぼんやりした視界の中に映るのは、
あるいは今の自分以上に意志薄弱にさえ見える青年の姿。
 今が何時なのか分からない。
夕方なのか夜なのか、ひょっとしてもう次の朝を迎えているのか。
ただ一つはっきりしているのは、ここには雪那と青年の二人しかいない。
二人だけの時間。
 青年は器用な事に、モデルの雪那から一切目を離さずに鉛筆を走らせている。
まるで目と腕とが別々の存在であるかのよう。
さすがにこれは人間業の範疇なんだろうか。
コンピュータをキーボードを見ずに操作するのとは訳が違うだろうに。
 石像となってしまった雪那に視界を動かす事は出来ない。
眼に映るのはただ一心に自分を見詰める青年の姿。
雪那はそこから目を反らす事が出来ない。
 雪那は、当然ながら男性に裸を見せた経験は無い。
最後に父親と風呂に入ったのはいつの事だっただろうか。
大事な所は隠れてるとはいえ、耐え難い程の恥ずかしさを感じているに違いない。
まるで…胸を覆う両腕や、何故か一緒に石化した下着をも透かして…、
躯の全てを見られているような……そんな真っ直ぐな視線を雪那は受け続けた。
 今はもう動く事は無い筈なのに、
雪那は心臓が壊れそうな程の勢いで鳴り響いているような感じがした。
時間の感覚はもう壊れているんだから、きっともう………



 朝が来た。魔法が解ける時間。
青年が絵を完成させると同時に雪那の体は柔らかさと温かさを取り戻し、
雪那は石の像から普通の女の子へと戻った。
 青年は礼の言葉と一緒にお金とスケッチブックを残して
また奥の部屋へと消えていき、二度と姿を現さなかった。
無言で服を着る雪那。
 戸を叩く音と同時に莉香がやってきた。
扉を開けた雪那は前と後ろとに二つのランドセルを抱えている。
一つは莉香の物。もう一つは雪那の物。
多分昨日の内にでも雪那の家に取りに行ったんだ。
 …そう言えば扉の鍵はいつ開けられたんだろう。

 通学途中の小学生女子二人。
並んで無言で歩いている。
莉香は何か声を掛けようとして、でも何を言って良いのか分からずにおずおずとしている。
真新しいスケッチブックを抱いた雪那が口を開く。


雪那:…莉香ちゃん……。

莉香:…………。


 無言の莉香。
もう何を言われても覚悟は出来てるつもりでいた。


雪那:…これ…、クセになっちゃうね…!


 雪那は笑って、自分の鉛筆画が描かれたスケッチブックを莉香に見せた。


莉香:でしょう?


 二人の少女は笑い合い、そして今日学校が終わったら買い物に行く約束をした。


 倒錯した笑顔はどこまでも無邪気だった。


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