Serpentine 前編

作:闇鵺


 わたしは今日も鏡を覗く。
そして自慢の長いブロンドを丁寧に櫛で梳く。
仔馬の尾の様に一つにまとめたり、左右に分けてみたり、編んでみるのも可愛いと思うけど
やっぱり何も小細工はせずに真っ直ぐに流しておくのが一番綺麗だと思う。
 髪弄りを終えると、鏡から少し目を離して全体像を確認する。
金の粒をまぶしたかのようにキラキラと輝く髪。
瑠璃色の透き通るような大きな瞳。
穏やかな秋の日のような柔らかい肌。
 胸の辺りにはもう少しボリュームが欲しい気もするけれど
あまり大き過ぎても重くて邪魔そうだし何より美しくない。
それに十四というわたしの年齢を考えれば
ほんの少し膨らんで見えるぐらいが丁度良いんじゃないだろうか。
 鏡の中のわたしにニコリと微笑む。
鏡の中のわたしもニコリと返す。
あぁ…なんて可愛らしいんだろう。

 わたしの姿を見た人は誰もが口にする。
「美しい」「可愛らしい娘だ」と。
そう。わたしは美しい。
世界中探したって、わたしより可愛い女の子はいないんじゃないかと思う。
 わたしの美しさを天使や妖精に例える人もいるけれど
わたしに言わせれば役不足もいいところ。
きっと神様だってわたしの美しさを羨んでいるに違いない。

そう…神はわたしに嫉妬した。
だから神は呪いをかけた。


 突然、わたしの髪がざわめきだす。
手も触れていないのに髪が勝手にいくつかの細い房に分かれ、寄り集まっていく。
鏡の中で、悪戯小僧に弄られたようにメチャメチャに髪が枝分かれしていくのを、
何が起こっているのか分からないわたしはただ呆然と眺めている。
そして、いくつにも分かれた髪の束の先端が形を変え、
わたしが息を飲んで押し黙るのと引き換えに…

シャーーーーーーッ

啼いた。

 わたしの髪の先が無骨な鱗をまとっていき、
生気の無い瞳と小さな牙を持つようになった。
わたしの髪が無数の蛇に変化した。


「きゃああああぁぁぁぁぁぁ!!」


 わたしは化粧台から鋏を取り出し、うぞうぞと蠢く蛇の一匹を引っ掴んで
その首の根元に大きく開いた鋏の刃を食み込んだ。

 ブジュウゥ!!


「…うぐっ…ぅ……!!」


 文字通り、自分の身を切るかのような鈍い激痛が頭の中に響いてくる。
苦い草を溶かしたような緑色の汁が、深く切れ込みの入った蛇の首から噴き出してくる。
かまうものか。わたしは蛇の首に食い込ませて半開きになったままの鋏を力任せに閉じる。

 ブヂブヂブヂブヂ……!!

 蛇の頭が落ちる。それがまるで幻だったかのように
床に落ちる寸前、蛇の頭は元の髪に戻ってパサリと床に散る。
……思い知ったか。
 憎き蛇の末路を見届けたわたしはこの調子でとばかりに顔中に汗を垂らしながら鏡に向き直る。
さて次はどの蛇の首を切り落としてやろうかと。
そこでわたしは絶望的な光景を目の当たりにした。
 たった今切り落としたはずの髪があっという間に伸び始め、また元の蛇に戻ってしまった。
蘇った蛇は「よくもやってくれたな」と恨み言を吐くように
わたしに向かってシャーッ と一声啼いた。


「いやああああぁぁぁぁぁぁ!!」


 わたしは鋏を鏡に投げつけた。
鏡に映るわたしの顔の中心に鋏が突き刺さり、それを中心に醜いひびが走り抜け、
それまでずっとわたしの美しさを称えてきたはずの鏡がその役目を放棄したかのように、
あるいはわたしの変貌に驚いて息の根を止めてしまったかのように
バラバラと大仰な音を立てて崩れ落ちた。
 わたしは鏡の断末魔をその眼に植えつけ、恐ろしくなって一歩二歩と後ずさる。
耳元では無数の蛇達が、わたしの臆病を嗤うように呻き声を上げている。


「ああああああああああああああ!!!」


 言葉にもならない悲鳴を上げながらわたしはその場から逃げ出す。
屋敷を飛び出して、町中を駆け回って、そして
夜空の闇を吸い込んだ鬱蒼とした森の奥へどこまでも逃げていく。
 でもどんなに走ってもどこまで逃げても
呪言のような蛇の声から逃れることはできない。
当たり前だ。わたしを嘲笑う声の主たちは皆わたしの頭から生えているのだから。
 そんなことにも気が付かず、
着の身着のまま飛び出して裸足で表を駆け回るなんて
普段なら絶対にしないようなこともやってのけ、
枝葉に擦って服が台無しになってしまうことにも気が回らず、
とにかくわたしは逃げた。どこまでも逃げて、それから…
…鳴いて…啼いて……泣いた。



 どれほど時が経っただろう。一体どこまで走ったんだろう。
普段ろくに運動なんて汗臭いことなどしないわたしだから
わたしが思うほどには時間も距離も過ぎてはいないのかも知れない。
それでもわたしは精も根も尽きるほどに走り抜け、そしていつの間にか意識を失っていた。
 気付いた時には夜が明けていて、そこは右も左も分からない森の中だった。
近くで水の香りがして、夜通し走り続け叫び続けたわたしの喉が水分を欲して
その涼しげな香りの元へフラフラと足を運ぶ。
手探りで草木を分けつつ進み、開けた所に出るとそこには
水浴びをするのに丁度良さそうな湖があった。
わたしは貪りつくように水面に顔を埋め、ゴクゴクと水を飲み下す。


「……ぷはぁっ…。……はぁ…はぁ……」


 冷たい水に顔を浸したことで薄ぼんやりとしていた意識が目を覚ます。
それと連なって、わたしが顔を突っ込んだせいで
ゆらゆらと揺れる水鏡の像がゆっくり形を取り戻す。
 もしかしたら、昨夜に見た“もの”は幻だったのかも知れない。
だってもうあの忌々しい声はすっかり静まっているのだもの。
そんなわたしの淡い期待は見事なまでに呆気無く打ち砕かれる。


「…………………」


 瑠璃色の瞳は色が褪せ、一晩中泣き腫らしたせいか充血していて
まるでひび割れた蛇紋石(サーペンティン)の出来損ない。
肌はすっかり生気を失って死人のように蒼白く、服も所々が破けていて酷い有様。
そして…見まいとしても視界に入る、
昨日までは何よりの自慢だったのが、今は何より疎ましい、
わたしの意思もお構い無しにうぞうぞと蠢く…髪の蛇。


「これが……わたし…なの……?」


 昨日までのわたしとはまるで違う、化け物のような女の子。
変わり果てた自分の姿を目の当たりにしたわたしは
空腹や疲労も重なって、ぐらりと視界を横倒しにしてそのまま湖のほとりに身を横たえた。
そしてこんな哀れな姿を誰にも見られないように、そして自分自身で見てしまわないように
両手で顔を覆い、弱々しく嗚咽を漏らした。

…どうして……こんなことに………。

続く


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