THE EVIL No.2:Trap Master

作:扇雅


灼熱の太陽が真上に位置する時間、オフィス街に並んだガラス張りのビルは、その光を反射する。
時として巨額が動く事も有り得る大規模な都市は、昼も夜もなく機能し続ける。

逆に言えば、機能を失った都市に、救いの手が差し伸べられることは少ない。
中心街から離れた、沿岸部に位置する空きビルも、時代に取り残されたものの一つだった。
元々、開発ラッシュの後期に建てられた小さなビルだ。不況の煽りを受けて、短命に終わったのも無理は無い。
それ故か、最近になって新たな買い手が現れたという話も、地元でも大した話題にはならなかった。

―――最もその様に日陰になる場所こそ、魔性の者達が巣食うには格好の場所だった―――。



ガチャ
「ふぅ、次の一手、決めるのに時間がかかりそうだな…少し頭を休めるか」
作業着姿の男がドアを開け、ソファーに腰を下ろす。帽子を外して首を振ると、短めに切り揃えられた深紅の髪がなびく。

「またこんな所で寝るつもりですか?」
「…俺がどこで寝てても良いだろ。で、何か用だろ?」
不意に後ろから声をかけられ、男は振り向きもせず、答えた。
声の主は、肩よりも長く伸びた青い髪を一本に束ねた、同い年くらいの青年である。

穏やかな物腰の同僚は、気兼ねする事なく話を進めた。
「えぇ…私用でしばらく暇を頂きたいのですが」
「あぁ、OK…分かった。時間はどれくらい必要だ?」
「そうですね、2〜3日も有れば充分です」
「…竜、今度は一体、何をやらかすつもりだよ?」
「フフフ……。さぁて、どうしましょうか」
これ以上問い詰めても、何一つ答えてはくれないだろう。そう感じ取った赤い髪の男は、青い髪の友人に対し、それ以上の詮索を控えた。
そして、彼が出ていくのを見届けた後、帽子をアイマスク代わりに、短い休憩を取り始めた。

瀬音雅(せおとみやび)と京竜樹(みやこりゅうじゅ)。
彗星の如くこの世界に現れた二人は、常に獲物を求め続ける、伸長著しい魔物でもあった。



京竜樹は都心部の十字路で網を張っていた。
アーケード街の柱にもたれかかって往来を眺めている光景は、誰かと待ち合わせをしているように見える。
彼は穏やかな顔をしながらも細い目だけは鋭く光らせ、静かに“何か”を待っていた。


2日後、彼が待っていた“何か”は、唐突に、そしてあっさりと訪れた。
15歳ほどの少女が、向こうからやってくるのが見える。
ジーンズ、Tシャツの上にもう一枚羽織っただけという、ボーイッシュな軽装。女子としては背は少し高いか。

彼は予想以上の獲物が掛かった事を察知すると、素早く行動に移った。

「すいません、少々よろしいですか?」
「えっ?」
突然話しかけられ、少女はドキッとした。この時点で既に、話の主導権は青年が握っていた。
「現在、街頭アンケートを行っていまして…」
青年から仄かに漂う香水の匂いが、彼女をリラックスさせる。
悪質な販売業者かも知れないと思ったが、簡単な説明を聞く限りでは、本当にアンケートに答えるだけの様だ。
元々、街頭アンケートに答えたり、配られたティッシュを貰っていく性質の彼女は、彼に従う事にした。
青年が発する香りが、彼女の警戒心と判断力を鈍らせたのも有るかもしれないが……。

「マスター、個室は空いてますか?」
という言葉を聞いた喫茶店のマスターが意味深に笑ったのを、少女は見落としていた。
促されるまま個室に案内され(ウーロン茶で良いか聞かれたので慌てて頷き)、二人は向かい合って座った。
飲み物を飲んで少し落ち着くと、竜樹が話を切り出した。
「霧須由利(きりすゆり)、良い名前ですね。では、質問には思った通りの事をお願いしますね」

質問はごく在り来たりなものも有ったが、ちょっと変わった質問も多かった。
個室の中に、青年の香水の香りが広がってきた。由利はその匂いに、少しぼーっとしてきた。
「由利さんは、自分が綺麗だと思った事は有りませんか?」
「そんな、私なんて、とても……」
「私は美しいと思うんですけどねぇ…磨けば恐らく光りますよ」
「そんな事…無い…です」

気付かないうちに、部屋の中には竜樹の香水の香りで満たされていた。
その匂いをずっと吸っていた由利は判断力が鈍り、あまり考える事が出来ないようだった。
「正直なところ、年を取りたくない、不老不死になりたい、と考えてみた事は無いですか?」
「それは、ちょっとは有りますけど…」
「…叶わぬ夢、だと?」
少女は答えずに、少しだけ首を縦に振った。
「では仮に、それが叶うとしたら?」
「え?」
「万が一、不老不死を実現する方法が有るとしたら…由利さんなら、なりたいと思いませんか?」
「多分…なりたい、です」
「そうですか…やはり、美には拘りたいですね」

「……以上でアンケートは終わりです…由利さん?」
「あっ、はい、あまりお役には立てなかったかもしれませんけど」
「いえいえ、そんな事は決して……。ところで由利さん、先程の不老不死に関する事ですが」
「えっ…何でしょうか?」
「もう一度聞きますが、不老不死、なってみたいと思いませんか?」
竜樹の香水の匂いが部屋に充満し始めてから、もうかなりの時間が経過している。
その香りが完全に脳まで行き届いている由利の思考は、既に殆ど止まっていた。
「…なりたいです」
ほぼ条件反射で、このような言葉が出てしまっても、由利は訂正しようとしなかった。
「…実は不老不死のおまじない、と言うのが有るのですが…。騙されたつもりで、どうです?」
「…はい、お願いします」
由利は香水の匂いに夢中で、自分が竜樹の手中に落ちた事にも気付いていないようだった。

「ではこれからおまじないをかけますが…上着を脱いで頂けますか?」
「えっ…?上着、ですか…?」
「えぇ、その上に羽織っているものだけで結構ですので……」
由利は戸惑った素振りを見せたが、上一枚だけをゆっくりと脱いだ。
「では次に、上着を全て…脱いで頂きたい」
心なしか、青年の香水の匂いが一段と強くなった気がした。少女は、今度は何の抵抗も無く、上着を全て外す。
青年の指示一つ一つに対し、彼女は忠実に従った………。

やがて、全てをさらけ出した少女は、リラックスした様子で立ち、出会ったばかりの青年に全てを委ねた。年相応の胸が、呼吸で上下する。
竜樹は目を閉じ、呪文らしき言葉を詠唱する。風も無いのに、彼の長い髪がはためく。
猛スピードで最後の一句まで唱え切ると、少女に変化が現れた。

足元がくすんだ色に変わっていく。無論、由利はそれを何の抵抗も無く受け入れていく。その感覚がどのようなものなのかは分からないが、少なくとも苦痛ではなさそうだ。
膝まで押し寄せた石化の波は、今度は上半身に向かって広がっていく。臍や秘所に至るまで、例外無く全てが石化していく。
肺の辺りまで来ると、さすがに一瞬だけ苦しそうな顔をしたが、すぐに元の表情に戻った。
首に入る前に、石化は両腕を覆い、指の先まで別の物質に変換していった。

そして遂に、足を肩幅ほどに開き、両手をだらりと下げた、恍惚とした表情の石像が完成した。
立ち尽くしている、というのが相応しいだろうか。石像としてはとても不自然な感じが、変わった魅力を引き出している。
数分前まで人間だった“モノ”は、悪魔の罠によって新たな姿を与えられた。

(香水…か、これはかなり効果が高い…由利さんのお陰で新発見が出来ました、ご協力に深く感謝します)
青年は目の前で佇む少女だった石像に、軽く敬礼の姿勢を取った。
(そろそろあの子達も退屈してるでしょうし、また近々、何か考えなくては…)
そして彼は全裸の石像の頬を一撫でし、個室を出ていった。



青い悪魔の中で、新たな狂気の計画が練り上げられていく―――

―――誰にも悟られる事が無いであろう、笑顔という仮面で顔を覆いながら。


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