THE EVIL No.1:Demon's Awaking

作:扇雅


霧のかかった夜の港はとても静かだ。
昼間は漁獲量を自慢する漁師の姿も見られたが、今となってはそれが嘘に見える。

ならば、今この時間に人影が見えるのは気のせいだろうか。
海に夢を見出した硬派な集団なら、それを眺めていても違和感は無いが、男達は、海には目もくれずに走っている。
何より、全員黒服なのが奇妙…。ならば考えられるのは、良からぬ事を企てている連中である、と言う事か。

男達がやって来たのは、ペンキの剥がれかけた倉庫の前。リーダー格であろう男がシャッターを叩くと、中から返事が返ってきた。
『…合言葉は?』
と聞かれ、男達が合言葉を答えるや否や、シャッターがゆっくりと開き始めた。

倉庫に明かりが灯る。倉庫の中は整然としている。いや、むしろ殺風景、と言った方が正しいか。
中では倉庫番と思しき男が一人、黒服の集団を待っていた。
「あんた達が取引相手か。夜も遅くに、ご苦労様」
「……例の物はどこに有るんだ?」
「おいおい、もうその話かい?焦らなくても、品物は逃げねぇって」
「夜が明ける前に仕事を終えなくてはいけないんだ、急いで頼む」
「へぇ…大変だなぁ、組のモンは。取ってくるからこの辺で待ってな」

裏取引。

表の世界では滅多に見かけない商品。それにかけられる法外な値段。駆け引きを楽しむバイヤー。
アンダーグラウンドの世界では当たり前のように行われる、言わば日常―――。

黒服の男達が周囲を眺めている間に、倉庫番が大きな箱を車に載せて戻ってきた。
「ご注文の品は、コイツで良いのかい?」
箱を開け、中に詰まった梱包剤を取り除いていく。
中から出てきたのは、一体の石像だった。

全裸の女性の大理石の像。
今にも声が聞こえてきそうな表情は、恐怖とも驚愕とも取れる。
全体的に生きた人間をベースにしたようなリアルさを感じるのは、気のせいではないだろう。
一本一本まで忠実に再現された髪。動きのあるポーズ。下腹部も人間とほぼ同じだ。

「身長、ヘアスタイル、スリーサイズ、その他諸々……。殆ど指示通りのモノだ」
「素晴らしい……。よくここまで似た石像を“入荷”したものだな」
「少し時間は食ったけどな。理想と大して変わらない筈だ」
「では、約束の金額だ」
「………確かに。毎度どうも」

予定通りに取引を終え、商品はトラックの荷台へと運ばれる。
「私も一つ、理想の像が欲しいものだな……」
「もし希望があるなら、次回の商談の時、持ちかけてみたらどうだい?安くしてくれるかもしんないぜ」
「ふふっ、まぁ気が向いたら頼むよ」
トラックが唸りを上げ、荷物を載せて走り去る。
しかし、黒い服の彼らは知る由も無い。その商品が、元は本物の女性であった事を。
そしてその女性が、この倉庫番によって石にされた事を………。



遡ること2ヶ月前。男はとある女性―――取引の材料にされる前の彼女―――に目をつけた。
男はすぐさま調査を始めた。持てる人脈をフルに活用し、時間をかけて所在地・経歴・勤務先など、細かなデータを揃えていった。
そして、様々な要素を加味し、事を起こす日時と場所―――彼女の人生の分岐点になる日―――を絞りこんでいく。

決行の日の夕方、彼は大通りに面する喫茶店でブラックコーヒーを啜っていた。
「襟志田泉美(えりしだいずみ)、24の独身。商社の受付嬢。見た目と……髪はサラサラのロン毛だったな。うっし完璧」
決行直前にデータを見直し、標的が顧客の希望条件を満たしているかを確認する。

ターゲット、襟志田泉美の勤務時間が終わってからしばらくした後、予想通り彼女はビルの外に姿を現す。
同時に、男も動き出した。通りの反対側から彼女の様子を伺う。
ここは大通りだけあり、振り向く者はいても不審に思う者はいなかった。最も、彼がそこまで計算しているかどうかは分からないが。

やがて彼女は道を曲がり、人通りの少ない道へと入っていく。
男が仕掛ける場所は、ここだ。
この道には、自分と彼女以外の者が近付けないように、少し細工をしてある。
彼女は疲労感からか、猫の子一匹通らないこの状況に疑問を抱きもせず、ゆっくりと歩を進めている。
男は静かに、しかし確実に相手との距離を詰め………牙を剥く。

一瞬の出来事。泉美の背後から、不可視の衝撃が襲った。
「!?」
彼女は驚きのあまり声が出せない。自分の体の自由が利かなくなっている事に混乱するだけだった。
衝撃波の影響か、服や下着、果ては靴やハンドバッグまでもが消し飛び、その身には一切の物を纏っていない。

身体の不自由さはすぐに違和感に変わった。
まず、胸部が無くなるような感覚を感じたが、その感覚はすぐに腹部、肩に達した。
両肩から先の感覚を失っていく彼女は、ふと前に出されたまま動かせなくなった左手に目をやった。
見ると、肩の方から急速に肌の色が失われていく。足も同じようなペースで石になっていく。
自分が無機質な物質に変わっていく事に、底知れぬ恐怖を感じた。
「ぃ、いや……!」
悲鳴をあげようとしたところで、石化が口に達した。
表情は驚いたままに固定され、涙を浮かべた目も一色に染まっていく。
彼女の意識を恐怖が支配した瞬間、髪の毛の先まで石化が完了した。

後ろでその光景を見守っていた実行犯は彼女に近付く。
絶妙のバランスで直立している石像。何も出来ないまま変わり果てた女性。
彼はそれを抱きかかえ、ゆっくりと来た道を戻り始めた。
こうして、彼女は“入荷”されたのである。



Prrrrr……Prrrrr……
静けさを取り戻した港に、甲高い携帯の音が鳴り響く。
この場にいるのは倉庫番一人。無論、鳴っているのは彼の携帯だ。
「何だ?…………あぁ、取引は無事に終わったぜ。……朝のミーティング?野暮用が有るからお前に任すわ」
Pi

「さて、と。そろそろ、暴れ始める時だな……」
男はそう呟いた後、何の前触れも無く港から姿を消した。


この男の正体は何者なのか。そして、人を石に変えた目的は何なのか。
それは、いずれ明かされる時が来るかもしれない。
ただ一つ言える事は―――

―――悪魔は今、目覚めたばかりだ。


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