永遠の檻(2)

作:日常の混沌


 “あの日”……私は変わった。
 そう、沢山の仲間を失った“あの日”。
 そのとき初めて知った感情……恐怖。
 が、もうひとつ知った感情……愛情。
 同士である男に恋をしたに違いなかった。
 私は彼に、侮蔑の言葉を浴びせた。潰されてしまいそうな大きな不安を紛らわすために吐いた言葉。
 正直、言い争いでもしたかったのかも知れない。そうすればきっと、気が紛れるに違いないとでも考えたのだと思う。
 けれど、彼は反論するどころか、虚ろな視線を地面に投げながら考えたはずもない一言を放ち……黙った。
 重い……本当に重い沈黙が流れる。
 そのとき、私は気づいた。
 仲間を失い、けれども敵はまだなくならないことに不安なのは自分だけではないと。潰れてしまいそうなのは彼も一緒なのだと。
(ああ……私はなんて身勝手だったのだろう……)
 いつもお嬢様のことを最優先に考えるこの男が弱気になるなんて、考えもしなかったのだ。でも、彼も人間。そういう感情があってしかるべきなのだ。
 なのに、私はそれに追い討ちをかけるようなまねをした。
 自分のしたことの重大さに、今更気づく。
 同時に、それは後悔の念へと変わる。
 私はこれまで、どれだけの人間の感情をそうやってどれだけ踏みにじってきたのであろうか……。
 守るものができて、自分以外の闘う理由ができて、やっと気づくなんて……。
 後悔の念は、生まれて初めての謝罪の言葉に変わった。
 彼は、驚いた風な顔を見せた後、
「守ってやるさ……」
 驚いたのはこっちだった。
 罵倒しかえすのが筋なのに……彼は、私の壁になると、私に全力で剣を振るえと、そう言ったのだ。
 妙なむず痒さを覚えた。
「――頼っちゃくれないか?」
 それはきっと、“嬉しい”という感情だったのだろう。意識せずして、頬の肉が少し緩むのを感じた。
 生まれて、初めての笑顔に違いなかった。
 ――守るべきものが、この日ひとつ増えた。

 町で耳にした“不朽の体”。
 朽ちることのない、絶対的なもの。
 それが……
「ここに、ある」
 目の前には、不気味な森がわたしを飲み込まんとばかりに広がっていた。
 禍々しい何かを感じた。寒気すら覚える。
 けれど、恐怖はなかった。これくらいの障害なら、幾度となく経験してきた。
 ざ……
 わたしは、迷うことなく深淵の森へと踏み込んでいった。

 何時間ほどあるいただろうか。
 明かりが、見えた。
 さらに歩いていくと、それは一軒の家屋から漏れるものだと分かる。
「あれが、噂の錬金術師の庵ね……」
 “不朽の体”は、術者の練成によって入手可能という噂だった。
 しかし、妙な感じを受けた。
「大抵、暗闇の中に灯る光とは、なんとなく暖かい感じを受けるものだけど……」
 あの光は、妙に冷たく感じる。
「まあ、こんな辺境に住んでる変わり者。冷たい感じを受けたって不思議じゃないか」
 そうこうしているうち、小屋の目の前にたどり着く。
 冷たい感じのするのは相変わらずだったが、それ以外に不振な感じはなかった。
「あら、何か変なところでもありまして?」
 ――悪寒。
 一瞬で前方に跳び、振り返る。
 そこには、闇にとけるようなローブを身に纏った女が立っていた。
(気配を……全く感じなかった……)
 背筋を、冷たい汗が流れる。
「ようこそいらっしゃいませ、客人。お待ちしておりました」
 と、うやうやしく礼をする。
「……待っていた……ですって?」
「はい。わたくし、この森の管理者ですもの。全てが分かりますの」
「面妖な……」
 皮肉で言ったつもりが、女は艶やかな笑みを浮かべた。
「はい。だってわたくし、術師ですもの」
 正直、目の前の女は怖かった。恐怖……というか、未知のものに対する畏怖とでも言えばいいか。“あの日”とは明らかに違う感情。
「とりあえず、中に入りませんか? 折角久しぶりに客人が来たというのに、立ち話もなんでございますもの」
 にこやかに言う女。その丁寧な感じに、むしろ妖しさを禁じえない。
(まあ、いざとなれば叩き斬るのみね……)
 私はそれに軽く頷いた。
「あ、でもその前にその物騒なものから手を放していただけません? 正直わたくし、怖いですわ」
「……?」
 言われてはじめて気づく。自分が、剣の柄に手を添え、いつでも抜剣できる状態をつくっていたことに。
(無意識ですら……女を警戒していたというの……?)
「ふふ……ありがとうございます。いくら一人旅に物騒な獲物が必要とはいえ、家の中ではそちらの方が物騒ですから」
 言いながら、家の中へと消えていく女。
 私は生唾を呑みながら、あとに続いた。

『殺られる前に、殺れ』
 それが、人生で初めて覚えた言葉だ。
 師……とは言いたくない。自分を、“飼っていた”存在。
 言うことを聞かなければ殴られた。痛いのは嫌だから、歯向かわなかった。
『先手必勝はあらゆる断りの先に立つ。故に、何よりも先に断て』
 次に、教えられた言葉だった。
 逃げようとした“兄弟”は殺された。別に特別な感情は覚えなかった。だから、逃げようという気にもならなかった。
『お前は優秀だ』
 と言われた。感情のないマシーンだと言われた。別に特別な感情は覚えなかった。だから、私の中で何も変わることなどなかった。
 やがて、“兄弟”だれもいなくなり、私も成人するくらいの背格好に成長した頃。
 ――ある日、迷子の猫を拾った迷子の少女を拾った。
 まだ小さい子猫と、自分よりも一回りほど小さい少女。
 偉そうな子どもだった……でも、何か温かかった。
 自分も迷子なのに、猫の心配ばかりをしていた。
 猫に舐められた……でも、何か温かかった。
 日が暮れた。私は彼女を家に誘うことにした。
 ……殴られた。
 訳が分からなかった。頭がぐわんぐわんと揺れて、何がなんだか分からなくなった。
 朦朧とする視界の中で、世界が赤く染まるのだけが、妙にはっきりと理解できた。
 まるで、世界の時間ひとつひとつが丁寧に切り取られていくような感じだった。
 ……猫が……宙を舞い……やがて……地面に落ちる……。そして……赤い……赤い海が……広がっていく……
 少女の、悲鳴が聞こえた。
 “飼い主”の、刃が高く掲げられるのが見えた。
 何をしようとしているのか、一瞬で理解できた。
 今までの、殺された“兄弟”たちと一緒だ。この少女は、一緒になるのだ。
 何か、変な感じがした。
 だから私は――
 世界が、再び赤く染まる。
 私も、赤く染まる。
「な、なにを……ばか……な……」
 頭上で一言そう漏らすと、“飼い主”はふたつになった。
 “うえ”と、“した”のふたつに。
 正直、なんでそうしたかは分からない。でも気づいたらそうしていた。私は、教えのとおりに動いた。
「殺られる前に……殺ったよ……」
 物言わぬ肉塊となった“主”に呟く。
 気づくと、少女はその場からいなくなっていた。
 
 後に私は、傭兵として街を転々とした。
 そこで、初めて世界を知ることになる。
 世界は決して綺麗なものではなかった。でも、悪くはなかった。
 籠の中の私の知らないことばかりだった。
 仕事をいくつかこなしているうち、名前のない私にも名前ができた。
 『舞姫』
 私はいつしかそう呼ばれるようになっていた。
 生きていくこと自体にも不自由しなくなってきた頃、私はいつしかあの少女と会ってみたくなっていた。私を籠から解き放ってくれた少女と。
 必死に探していたわけではないが、会えたらいいくらいに思っていた。
 そして数年後、ある街でひとりの男と会う。
 男は雨の中、捨て猫の頭を撫でていた。
「なにを……しているの?」
「ん? ……ああ、猫をね……うちにもじゃじゃ馬がひとりいるもんだから、なんかほっとけなくてな」
 何か、懐かしい感じがした。
 やがて、男は立ち上がり。
「あれ、あんたまだいたんだ? こんな俺なんて見てて楽しいかい? 酔狂だねえ」
「……こんな雨の中で小一時間以上も猫の相手をしている貴方のほうが酔狂でしょう?」
「あーまあ、変わってるたあよく言われるがね」
 と、にぃと笑って子猫をひょいと持ち上げ、歩き出す。
 私は、なんとなく着いていっていた。あえて言うなら気になった。そんなところか。
「こっちの事情で飼うことはできないが……」
「聞いてない」
「あらら、手厳しいこと。でも着いてきてるじゃん、あんた」
「目的地が同じ方向にあるのよ」
 我ながら間の抜けた回答である。
「まあいいや。独り言だから気にするな」
「…………」
「ま、食いぶちの豊富なあたりにおいてやればね。なんとか生きていけるもんだよ」
 路地裏の角を曲がる。
 そこは、外食街の裏路地だった。生ゴミと異臭の漂う、人外のアウトローの天国。
 男は、そこに猫を放った。くるっと回転して器用に着地し、振り返ることなく路地の暗がりへと走っていく。
「生き物は一人でも生きていける。けど、時には何かに導かれることだって必要なんだわな……。方向をちょいと指し示してやるだけでいい……」
「……哲学には興味がないんだけど」
「なはは……そりゃ俺もだ」
「〜〜〜〜〜〜。で、何がいいたいの?」
「要するに、だ。あんたはあの猫と一緒なんだよね、俺の直感によると」
「……面白いことを言うわね」
「まあまあ、そう睨みなさんな。でだ、あんた傭兵だろ? 見たところ相当腕もよさそうだし、どうだい、ひとりの主に仕えてみる気はないかい?」
 と、ニカッと笑う。
 私は少し考えた。……いや、素振りをしただけなのだろう。答えは始めから決まっていた気がする。
 直感で、“何か”を感じた。
「悪くない話ね……」
「交渉成立だな」
 男はもう一度、ニカッと笑った。
 そして私は、私の解放者と出会う。
 ――守るものが、できた。

「いい……気丈な魂をお持ちですのね……」
「何もない……空っぽな心さ……」
 私は、生い立ちから、今までの人生、そしてなぜここに来たかをすべて女に話した。
 女が仕事をするかどうかは、依頼人を気に入るかどうかで決めるらしい。
 だから、私は包み隠すことなくすべてを話した。どうせ嘘をついてにもどうせばれる。そういう感じもあったからでもあるが。
 小屋に入ったときに出されたコーヒーは一口もつけられることもなく、大分前から湯気を立てる行為をやめている。
「貴女の過酷な人生、恩人たる主人への想い、愛する人への想い。それら全てに敬意を表しますわ」
 妖しく笑い。
「契約を結びましょう。貴女の魂には、“不朽の体”がまさしくふさわしいですわ」
「有難い。で、一体私は何をすればいいの? それだけではないのでしょう?」
「あら……ふふ。お見通しですのね。わたくし、聡明な方は好きですわ」
「……褒めてもなにもだせないよ。いいから教えなさい」
「ええ、もちろんですわ……。でも、いくつか確認を取っておきたいのです。あとから何か不満を言われても後戻りは出来ませんので」
「……構わないわ」
「いいですか……。わたくしが叶えられるのは、貴女に『死なない体』を与えるだけ。それ以上は色んな制約がでますわ。苦しみだってある。それに貴女は耐えられますか?」
「私は永遠の死なない体が欲しいだけだ。何があってもお嬢様を……あの人を守らねばならない……。そのためには、なんだって耐えてみせるわ」
「よかったですわ……貴女の魂とても綺麗なんですもの……」
 目を細めて、心底嬉しそうな顔を作る。
 正直、背筋がヒヤッとした。
「褒めても何もでないと言ったはずよ。私が何をすればいいか、早く教えなさい」
「大丈夫ですわ……ちゃんとお教えします……それは――」

 私は、森のさらに奥へと歩を進めていた。
 目指す場所は、山の麓の洞窟。そこに“オリハルコン”という希少石があるらしい。それを取って来いとのことだ。
『錬金術とは、決して万能なんかじゃないんですの。物質を入れ替える際、元のものの質が不足する場合、なにか第3者的な“介入物”で補わなければいけないのですわ。大抵の場合は“介入物”は術者の魔力で補えるのですが、“不朽の体”なんていう禁忌の術を行うには、わたくしの魔力なんかでは到底補えませんの。そこで、別の物質が必要になるのですわ』
 それが、今から私が取りに行く“オリハルコン”だというのだ。
『森の奥にあるのでしょう? 取りおきがあってもおかしくないんじゃないの?』
『わたくし、置き貯めって苦手なんですの。どうしても一回で全部使っちゃいますのよ』
『……思うに、理由はそんなことが一番じゃないでしょう?』
『あら……おわかりです? 実はその洞窟には魔物が住みついてしまっているのですわ……』
 結局は、あの女では取りにいけない。そういうことなのだ。
 まあ、金をよこせとか言われるより遥かにましだ。こういう依頼ならお家芸である。
 少し不安なのが、“あの日”以来実戦がまったくないことだろうが、まだ数週間しか経ってない、体がなまっているということもないだろう。まず問題はない。
 そうこうしているうち、山が見えてくる。
 月光に照らされたそれは、なにやら異様な雰囲気に包まれていた。
 それから数十分歩いた頃だろうか。
 ――空気が、変わった。
 肌にねっとりとまとわりつくような空間に移動したかのような錯覚。
 私は反射的に剣の柄に手を添えた。
(どこから……くる……!!)
 近くに何かがいるのは分かる。直感がそう叫んでいる。
 しかし、気配がない。
 緊張感が五感をフルに刺激する。
 視線をゆっくりと這わせる。
 深淵の森。月光もここまでは大して届かない。視界は限りなくゼロに近い。
「――!!」
 背後に殺気……しかも至近距離!!
 それを頭で認識するよりも、私は先に動いていた。
 右半身へ体を傾け、左の手で裏拳を叩き込む形で身を翻す。
 その動作の行程で、私は見た。
 まるで、鶏を人間大にしたかのような化け物を。
 その化け物が、牙を生やした大口を開けていくところを。
 その大口から、何か液体のようなものが吐き出されてくることを……。
 直感が危険信号を鳴らしていた。
『これはヤバイ』
 と。
 しかし、一度動き出した動作を中断出来るほどに遅い動きなんかではない。動きが止まるとき。それは、相手が朽ちるか、己が朽ちるかのどちらかのみ。
 果たして、化け物の口からその液体は、放たれた……。

つづく


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