悪魔というものは

作:モンジ
イラスト:mou


悪魔というものは酷いものだ。
人間の世界で気に入った女性を見つけては、様々な手を尽くして少女を自分のものとし、悪魔の世界へと連れて帰ってくる。
連れて帰ってくるのは別に構わない。人間を悪魔の世界へ連れていくには本人の許可が必要だからだ。
無理やり連れてこれるものでもなく、本心から望まないと人間は世界を渡れない。
つまり悪魔達は、あの手この手を尽くして女性を自分に振り向かせようとする。
贈り物を送ったり、優しくしてみたり……あの手この手を尽くして女性達を惚れさせる。
悪魔なのだから催眠術くらい使えばいいのだろうが、催眠術で籠絡させても世界は渡れないらしい。
結構、悪魔も面倒なのだ。
そうして、見事惚れさせて悪魔の世界に連れてくると、とたんに女性の扱いが雑になる。
連れてきさえすれば彼等のものなのだ。
連れて来た途端に家畜にしたり、メイドにしたり、玩具にしたり……
以前までひたすらに優しかったのに、とたんに酷い扱いになる。
中には悪魔に気に入られて妻となる者もいるが、それも長く続かず、悪魔の気まぐれで次の日には家畜になったりもする。
普通、あの手この手で自分のものとしようとするなら、それなりに愛着も湧くはずだが、それがないのだ。
少女達は帰ろうとしても帰ることができず、ひたすら悪魔達の言うことを聞くしかない。
世界を渡る前に契約を結び、一切を悪魔に捧げると誓っているのだから。
本当に、悪魔というのは酷いものだ。








ガシャン、と音を立ててガラスが散乱する。
散乱する陶器の破片。
床に広がる赤い赤い紅茶の染み。
手を滑らせた少女の顔には絶望しかなく、それ以外の者には僅かに歪む憐憫の表情。
そして、床に広がったポットの破片を見つめる冷やかな視線が一つ。
彼女達メイドの主であり、伯爵の位を持つ悪魔でもあるメニストの視線。
すらりとした長身と、腰まで伸びる長い赤髪が特徴の凛々しいくも美しい悪魔。
その瞳が移すのは、床にばら撒かれた紅茶と破片だ。
かたかたと震えている少女に見向きもしない。
その紅茶が彼の足元まで流れた所でその口が開かれた。

「おい」

なんの感情も含んでおらず、ただ無機質な声に、震えていた少女がびくりと跳ね上がった。

「突っ立っていないで、とっとと拭いたらどうだ?」
「も、申し訳ございません!」

必死なほどの形相で床を拭き始める少女。
しかし、動揺と焦りの所為か上手く拭き取ることができず、もたもたと時間だけが過ぎていく。
他の者は手を出すことはない。手助けをすれば自分達にもとばっちりが来るからだ。
ただ、その少女だけがカタカタと震えながら床を拭き続けている。
目に涙を浮かべ、半ば咽びながら少女は手を動かす。
普段は勝気であったその顔も、今では涙と焦燥感でぐちゃぐちゃだ。
短めの黄色い髪が忙しなく揺れていた。
もたもたと時間だけが過ぎていく。
時間にすればほんの数分のできごとだ。しかし、少女にとってはひたすらにひたすらに長い時間であった。
早く拭かねば、早く綺麗にしなければ、早く、早く、早く。

「もういい」

短い言葉が彼女の上から聞こえた。呆然と顔を上げる
言われた言葉を理解できない。言われた言葉が信じられない、そんな表情。
絶望に現われる無表情。

「役に立たないメイドなんぞいらん」
「お、お待ちください! どうか許してください!」

必死の声を張り上げる少女を冷やかに見つめながら、メニストは指先に小さく魔法を描く。
彼女は決して要領が悪いわけではない。
このミスも初めてのものだ。それまでは本当によく働いていた。

「五月蠅いよ。五月蠅い役立たずには、醜い獣の姿がお似合いだ」

しかし、それにも拘らずメニストはそう呟くいた。
そして少女に指先を向ける。
とたん、その指先が紫に輝き、少女に閃光が迸った。
部屋に充ち溢れる紫電、そして魔力が少女の体を駆け巡る。
しかし、閃光が収まっても何も起きず、少女はただ、驚き立ちすくんでいるだけだ。

「な、なにを……」
「黙れ、犬は静かに言うことを聞いていろ」

そうメニストが言った瞬間、少女の体に変化が起きた。
口がどんどん裂けていく、広がっていく。
鼻がどんどん伸びていく。
その鼻の先がどんどんと湿り気を帯びていく。

「うあ、あああああああっ!!」

少女の絶叫が部屋に響きわたった。
その白く細い腕がざわざわと泡立ち、毛が生え始める。

「か、痒い……体中が痒い! 体が熱いよぉ!」

自分の肩を抱きしめながら、少女が叫んだ。
際どいデザインのミニスカートによって、剥き出しだった太股にも黄色い体毛が生えている。
体中の体毛がもさもさと伸び始め、少女の真珠の様な肌を覆っていく。
顔にもその毛は生えており、細かな毛がびっしりと顔を覆っていた。
そこに生えているのは犬の毛だ。
伸びた鼻は犬の鼻だ。
裂けた口には犬歯が生え、耳が犬耳へと変わってしまった。
最後に、少女は尻の付け根に大きな違和感を感じた。

「お、お尻がぁ……あぁ、あああ!」

仰け反り、びくびくと恍惚に震えながら、少女のスカートから尻尾が勢いよく飛び出した。
そうして一人の犬が出来上がる。
少女の髪の色と同じ明るい黄色をした犬。
露出度の高い黒のメイド服を着た雌犬の獣人。
ピコリとついた小さな犬の耳。
愛らしく、そして美しかった少女の顔は、最早見る影も無く、獣毛に覆われている。
その小さかった口は大きく裂け、伸びた犬歯が見える。
つんと立っていた可愛らしい鼻は、大きく伸び、鼻の先が湿っている。
その瞳は人間のものではなく、犬のそれだ。
小さな人の犬がそこにはいた。


「な、なにこれ……」

変わり果てた自分の手を見つめながら、呆然と少女は呟いた。
その細く、滑らかだった指は、爪の生えた犬の肢になっている。

「豚にしなかっただけ良かっただろう? これからは床を這いつくばっていろ、犬」
「ひ、酷い……」

メイドとして扱き使われ、日々主に脅えてご機嫌取りのために生き、その挙句が犬に変えられる。
そんな仕打ちに少女の理性が崩れ落ちた。
何故自分がこんな目に合わなければいけない。
どうしてこんな醜い姿にならなければならない。
犬のようになった目からボロボロと涙が落ちていった。

「戻してよ……元に戻してよ!!」

ただ、叫んだ。
自分の姿を否定するように、この現実を見つめないようにするために。
涙を零しながら、犬に成果てた少女は目の前の悪魔に怒鳴りつける。

「もう、家に帰してよ!……こんなの、もう嫌ぁ!」

一際大きく、そう叫び少女は、その場に崩れ落ち泣き出した。
しばらくその様子を眺めていたメニストは、不意に口を歪めて言う。
悪魔の笑みというのは、こうも醜く、そして禍々しいものか。

「そうか、犬になるのも嫌か……」

そんな言葉と共に、メニストの手に白い光が集まっていく。
膨大な魔力のそれは、暴力的なまでの力を振りまき、その巨大な部屋を揺るがした。

「ならば、せめてもの優しさだ。物として使ってやるよ」
「……え?」

突如、白い粘液が犬となった少女に落ちてきた。
それはどろりと粘っこく、少女の体に落ちる。

「熱っ!」

びくりと体をよじって、少女が身を引いた。
白い粘液はどろどろに溶けた蝋だ。
白い蝋が少女の体に鋭い痛みと熱を与える。

「動くな、大人しく浴びろ」

そう言ってメニストが指を動かすと、どこからか飛んできた木板に少女が縫いつけられた。
その手足は板に付いていた金具に固定され、その短い尻尾も鉄の輪で固定されて、股の間から覗いている。
手足を広げられ、バツの字のように毛むくじゃらの体が張付けにされた。


「いやああああ!!」

木板に固定された少女の上に容赦なく溶けた蝋が垂れていく。
蝋のむっとした匂いが部屋に充満し始める。
少女の体に蝋が垂れるたびに、その体が跳ねた。
手首、足首を固定され、動けない状態で、びくりびくりと逃げるように少女が動く。
その尻尾も、痙攣したように震えている。
蝋が垂れた所は瞬時に冷え、蝋が固まっていた。
短い犬の毛が蝋で白く染められていく。

「あ、熱っ! 熱い、やめてええ!」
「貴様の全身が蝋になるまで見ていてやる。その醜い姿のまま蝋人形として飾ってやろう」

そう言うと、蝋の垂れてくるスピードが速くなり、絶えることなく熱い蝋が降っていった。
少女は立てられた板に張り付けられたまま、その熱の塊を浴び続けていた。
その黄色い犬の毛が白く染まる。
どろどろと固まりを残しながら蝋が冷えていく。

「ああああああああ!!」

一際大きな叫びが、屋敷に響き渡っていった。


数十分が経ったあたりで、メニストが椅子から立ち上がった。
犬となった少女は、巨大な蝋燭へと変わり果てていた。
苦痛に歪んだその顔は、ひたすらに少女の絶望を伝えてくる。
大きく開かれた口の中も、鋭い犬歯も、蝋で固まっている。
体の中から蝋が冷え固まっているのだ。
板に張り付けらた格好のまま動かないその様子は、まるでレリーフのようだ。
ピンと伸びた尻尾に、蝋から逃げようとしてもがいたまま固まった体。
まるで、今にも動き出しそうなほどの生々しさと、絶望に溢れた躍動感があった。
目から垂れて固まった蝋が、まるで涙のように見えて、一層の苦しさと悲しさを伝えてくる。
毛の一本一本から固められて動けない状態。
動きたくとも蝋が体にのしかかり、冷えて固くなっているため、身じろぎすら出来ない。声を出すことも出来ない。瞬きすらもできないのだ。
あと一日もすれば魔力の影響で、体の中から蝋になるだろう。
そうして、彼女は完全な蝋人形へとなるのだ。
椅子から立ち上がったメニストは、蝋人形と成り果てている少女にそっと語りかけた。

「そのまま、見せしめとして永遠に飾ってやる。永遠にその犬となった醜い姿をさらし続けるんだよ」

恐らく少女には聞こえていないだろう、しかし、悪魔はそれにも関わらず優しく語りかけたのだった。




どうだろうか? 少しは悪魔の酷さが分かっただろうか?
ちなみにこの少女は、まだ屋敷の壁に立て掛けられて、晒し者にされている。
このような仕事ミスによる罰の他にも、本当に身勝手な理由で少女を弄ぶことがある。




「退屈だな……」

そうメニストが呟くと、その場にいたメイド達が一斉に怯え始めた。
その表情を表に出すわけではないが、多くの者が顔を強張らせ、そして背中に冷たい汗をかく。
この悪魔が退屈と言った時には、必ずメイドになにかゲームをさせるのだ。
決してクリアできることのない悪魔のゲーム。
終わりのないゲームに参加させられ、必死に足掻き続ける少女達を見て楽しんでいるのだ。

「おい、そこのお前」

そう言って彼が指差したのは、活発そうな印象を与える少女。
肩口で揺れる茶髪が印象的で、そこに居るだけで元気を分けてくれるようなそんな少女だ。
年は十八歳程であろう。
小柄ながらも、女としてきちんとした体を持っているのが、服の上からですら分かった。

「わ、私ですか!?」

思わず声を上げる少女。本人はひたすらに深い絶望。
それ以外の者は、一時の安堵。まだ自分は無事に生きられるという、悲しい安心。

「口の利き方がなっていないな?」
「も、申し訳ございませんっ!!」
「まあ、いい」

興味無くそう言って、ぱちんっ、と指が鳴らされた。
すると、突然巨大な扉が少女の目の前に現れる。
ごてごてと趣味の悪い装飾の付いた、錆びついた鉄の表面。
多くの怨嗟と悲しみが何層にも何層にも染み込んだような、そんな扉だ。
軋むような音を立てて扉が開いていく。
それは呻き声にも、泣き叫ぶ声のようにも聞こえる音だ。
扉の中からは、眩いばかりの光が漏れていた。

「い、いや……」
「もたもたするな。とっとと入れ」

そうメニストが言うと、一瞬の閃光が部屋を包み、そうして扉と少女が消え去っていた。

「まったく、手間を取らせて……」

そう呟くメニストの顔は、ひたすらに退屈そうであった。




少女が気付くと、そこはひたすらに長い廊下だった
辺り一面真っ白で、他には何も見えない。
しばらく辺りを見回していると、不意に、頭に声が響く。
メニストの声だ。
抗うことが出来そうにないほどの何かが、その声には含まれていた。

『その回廊を抜けてみせろ、無事、帰ってこれたら貴様の願いを一つ聞いてやろう』

少女が何かを言おうとしたところで、突然、通路から白い何かが噴き出した。
油の様などろりとした匂い……蝋だ。

『その蝋は私の魔力が込められている。まあ、詳しい説明をしてやってもいいが、そんな暇は与えられないぞ?』

その言葉に、少女は弾かれたように走り出した。
早く進まなければ不味い。
直感と今までの経験でそう思った。
相手はあの悪魔なのだ、どんなことをしてくるか分からないのだから。
そうして走っていく間にも、どんどんと白が濃くなっていく。
まるで蝋の霧だ。
そう、少女は思った。
むっとした匂いが鼻に付く。
体に思い風がまとわり付くような、感覚。
口の中がどんどん脂っこくなっていく。
ふと服を見ると、黒のメイド服が白くなっていた。
細かな蝋が服に付いているのだろう。
いや、服だけではない、彼女の全身に細かな蝋が張り付いていく。
そんな様子を見て、彼女は絶望の表情を浮かべた。
その顔に浮かぶのは明らかな焦燥。
足に力を入れようとしても、地面がすべり踏んばることが出来ない。
どんどんと、体が重くなっていく感覚。
走りにくい。節々が軋んだように固くなる。
振り払おうとしても、体にこびり付いた蝋は落ちない。むしろ更に蝋が増えた気がする。
ふと、少女は気付いた。

(さっきよりも霧が濃くなってる!)

そのことに気付いて、全速力で走ろうとするが、いまさら力を振り絞っても遅かったと、彼女は知った。
手足は、最早曲げることも出来ないほどに蝋が張り付き、固まっている。
指を曲げようとしても、何重にも手袋をしたかのように動かない。
瞼が動かない。
間接が最早動かなくなってきている。
力を込めて走ろうとしても、足が上手く上がらない。
ようやく上げたとしても、今度は下ろすことが出来ない。
動きがどんどんと鈍くなる。

(う、うごけ! 動いてよ!)

ぴったりと張り付いた細かな蝋が、薄い層となって少女を包んでいた。
必死に体に動くよう命令しても、それが手足に反映されない。
動けなくなる恐怖。彼女はそのことにパニックを起こした。
ちっとも動かない手足を振り回そうとする。体についた蝋を取ろうとする。
しかし、その手足はぴくりと動くだけで、それが更に彼女を恐怖に陥れる。
最早、彼女は分厚い蝋に包まれていた。
顔にも、胸にも、剥き出しの太股にも、蝋が厚く積もっている。
彼女を寸分の隙間も無く蝋が包んでおり、まるで彫刻のようにその表面は滑らかだ。
遠くから見ればマネキンのように見えるかもしれない。

「あ……う……がぁ」

呻きながらも、足をずるようにして前に進む。
霧が目に積もり、目はもう見えていない。
小さく呼吸をするたびに、体の中に蝋が侵入してくる。
胸が重い。肺が蝋で固まりかけているのだろうか?
腕を鈍重に前に突き出し、少しでも前に進もうとする。
しかし、最早その足は動いていない。
上げていた腕も、もう、下ろすことができない。
走っている時ははためいていたスカートも、空中で固まったままだ。
少女はもう、動くことができなかった。

「い……ゃ、ぁ…………」

小さく呻いた声を最後に、少女は完璧に動きを止めた。
その顔にも体にも厚く蝋の層が出来上がり、彼女を包み込んでいる。
その瞳は蝋で固まり、瞬きをすることはもうない。
蝋で固まったその口は、最早声を発することはない。
周りを元気付けていた笑顔は無く、苦しみのまま蝋に閉じ込められたその顔はもう、変わることはない。
助けを求めているかのようなに伸ばされたその腕は、何かを掴むことはない。
そこにいるのは少女ではない。
真っ白に染まった、ただの蝋人形だ。
ぴったりと体に張り付いた蝋が、服の皺の一つ一つ。少女の動きの一つ一つを封じ込めている。
美しい生きた蝋の塊がそこに立っていた。
やがて、蝋の霧が晴れ始める。
少女は気付かなかったが、彼女の周りには、彼女と同じ運命を辿った人形たちが転がっていた。
転んだまま、動けなくなった者。
最後まで懸命に走ろうとした者。
最早諦めて、祈りを捧げていた者。
様々な格好の少女達が、そこで蝋人形となっていた。
立った状態から倒れたのだろうか、横倒しのままになっている蝋の少女も何体かあった。
白の墓場。
おびただしい数の少女が、そこで蝋となっていた。
そのいずれもが、恐怖を顔に張り付け、口を大きく開いていた。
そんな恐怖の蝋人形達の一つに、彼女は加わることとなった。
そして、その様子を水晶で見つめるメニスト。
彼は一つ溜息を吐くと、水晶に映るその映像を切った。

「今回の奴は詰まらなかったな。もっと泣き叫べば面白い物を……」

子供が、興味を失った玩具にいうように彼はそっと呟く。

「次の人間は少しは楽しませてるといいのだがな」

このゲームに失敗し、蝋人形となった少女達は、巨大な蝋燭の灯として、この館を照らすこととなる。
メニストの部屋にも、泣き叫んだ顔の蝋人形が、頭に火を灯して部屋を明るくしていた。
その火が彼女を溶かし尽くした時、その時がその蝋人形の少女の二回目の死であるのだろう。






彼がこのように扱っている少女達も、元は彼を慕って、こちらにきた少女達なのだ。
自分のものにする前までは、本当に熱心に、そして優しく扱ってきた者達である。
悪魔というものは酷いものだ。
もっとも、だから悪魔なのであろう。


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