フロス塔の戦い

作:狂男爵、偽


「嗚呼、誰か助けて」
白いシルクのドレスから伸びた色白の細い手足は既に半分程半透明の青い氷に包まれていた。体の自由は奪われ少女は立ち尽くしたまま宙に浮いていた。腰まで伸びた黄金色の髪は大きく広がったまま時間が止まったように動かなかった。
「冷たい、わたしの体が凍ってしまう」
普段気丈さと高貴さを湛えた美しい少女の顔は絶望と苦痛に染まり、薄っすらと霜に覆われていた。僅かに開き気味の手足が氷に全て覆い尽くされてゆく。そして白いドレスは冷たい青に染まってゆく。首筋やわき腹の辺りや黄金色の髪も背中事、体中に青い染みが出て来て、瞬く間に氷の塊に成長して大きく広がり始める。
「嫌々、もう許して、」
この国の姫であるフローリアを苛むのは氷の凄まじい冷たさだけではない、聞こえるのだ。自分を生贄にしたこのおぞましい儀式のせいで凍り付いてゆく自分の国の大地や民の悲鳴が。そして体中の氷が全て合流して首から下が完全に氷の塊に閉じ込められた。
「嗚呼、ごめんなさい、私が愚かなばかりにあなた達を苦しませて」
嘆くその顔を氷の触手が覆ってしまう。大きく開かれた青玉のような瞳は、輝きを失っていないことはフローリアが未だ苦しみ続けている事をしめしていた。
〜アア、シュウハヤクワタシヲコロシテクダサイ、デナイトスベテガコオリニトザサレル、オネガイハヤク〜
途絶えない、悲痛な心の叫びを聴いて姫を氷の塊に閉じ込めた、
魔界八将軍が一人”白い獣”は狂ったように大笑いを始めた。その
哄笑は高い塔の最上階から辺り一帯に響き渡ったが、全てが凍り付いていたため、誰も聞いたものはいなかった。

第一章
長い螺旋階段を上りきった、紺のエプロン姿の少女が一息ついた。
あとは、目の前の階段を登りきれば最上階に着く。出来ればもっと手前でガーターとかで立ち往生したかった。上がればなんたらしち将軍とかがいるに違いない。奥の怪しげな部屋でも探索して、時間でもつぶそうかと、右のほうのおさげをいじりながら考えていると、
「待つニャン、一人だと危ないニャン」
予定と違う人が来た。振り向くとやはり黒い拳法着姿の猫耳娘立っていた。
「なんであんたが来るのよ、お兄ちゃんはどうしたのよ。」
不機嫌を隠そうとせず髪と同じ色の紅い瞳を向けて言った。
「シュウの奴はあの魔女に連れて行かれたニャン、多分例の洞窟だニャン」
赤茶の肩で切りそろえた髪が乱れている。ここまで全力で走ってきたのだろう。
「あいつとお兄ちゃんを二人きりにしたわけ、なに考えているのよ。」
エプロンドレス姿の少女ユカが詰め寄ろうとした。猫耳娘のユカは気まずげに目を逸らしていたが、頭上を影が差した途端、顔色を変えて思い切りユカを奥の部屋に突き飛ばした。
「きゃー、」
なすすべなく、すごい勢いで転げてゆくユカに構わず、上から降ってきた大きな白いゴリラに向かって鋼のガントレットの拳をたたきつける。その瞬間ゴリラの目が輝いてミュウの時間が停止した。
そして、ミュウは殴りかかった姿のまま青白い光に全身を覆われていた。白いゴリラはニタリと笑うと指をカチッとならした。
バキバキバキと異音が鳴り響いてミュウの全身を分厚い氷が包み込んだ。耳は緊張でピンと立ち、髪は振り乱したまま、敵を黒い瞳で睨み付け、拳を突き出した姿でミュウは冷たい氷の中に閉じ込められていた。
「スミマセンが手抜きなので半日しか持ちません、あとでたっぷり可愛がってあげますからそれで勘弁してください、素敵な氷像を贈ってくれたお礼にね。」
氷に語りかけると、白い獣は冷気が噴出している奥の部屋を熱心に
覗き込んだ。

第二章
「いたたたた、ミュウっ少しは手加減しなさいよね。」
一番奥の壁際まで飛ばされたミカは、突き刺すような寒さですぐに気が付いた。ふらつきながら、立ち上がった。何故かミュウの返事がない。辺りは真っ白な霧に覆われなにもはっきり見えなかった。微かに部屋の壁際に人影のようなものが、等間隔に並んでいたのが分かった。
「もう返事くらいしてよね、いつまですねているのよ。」
ミュウと合流するために部屋を出ようとして、一歩も歩かない内に
壁のようなものにぶつかった。
「ちょっと何これ。」
急に現れた壁のようなもののため部屋を出るどころか、しゃがみ込む事さえ出来なくなっていた。不意に霧がはれた。
微かに見えた人影は自分と同じか少し下くらいの少女達が、ぼろぼろの格好で、泣いていたり、苦しんでいたりした姿で氷像にされていた。
「まさかここは、」
言い終わらないうちに黒い革靴が真っ白なに覆われた。
「嫌ーつっ冷たい、」
足元から徐々に体を犯してゆく冷たさに体が痺れて自由が失われてゆく。正面の壁についたままの両手は既に白い手袋ごと凍り付いていた。痺れるくらいの冷たさと手足を覆う白い霜がゆっくりと肘や
膝を覆っていく。
「かっ体が凍るー、」
そしておさげの先や膝下まである紺のスカートのふちからも霜の
侵食は始まった。音もなく薄いからだは、下からゆっくりと白く
染められてゆく。
「たすけて、たすけて、お兄ちゃん、お兄ちゃん。」
こない助けを求めたまま悲しみの表情をゆっくり白く染められて、
ユカは氷像にされてしまった。追い詰められて壁にに縋りついた姿はまさに哀れだった。
その様子に白い獣は見蕩れていた、故に頭上で大きな衝突音がきこえてくるまで、侵入者に気が付かなかった。

第三章
「フフフフフフ」
ひたすら背後の暗い笑い声が背中に突き刺さるが、気にせず、勇者シュウは周りを見回した。誰かとそっくりの紅い髪と同じ色の瞳、
しかしいまは、紅玉のような色の胸当てと盾を構え、いささか、焦燥のためかくすんで見えた。無論未だ晴れない視界を塞ぐ埃のせいかもしれない。
「そんなにユカちゃんが気になるの、お兄ちゃん。」
辺りの様子を探るのを中断してつい、振り返ってしまう。そこには全身を黒いローブで覆い目深にフードをかぶった魔女がいた。隠し切れていない豊かな体付きとフードから肩に垂らした長い銀色の髪が、魔女である事を示していた。
「時間がないって、火竜様も宮廷魔術師の爺さんも言ってたじゃないですか。」
「でも、火竜の奴に砲弾代わりに、敵にぶつけてもらうなんてかなり乱暴じゃない。」
かなりお気に召さなかったらしい。弁解の言葉を一つも思いつかない内に、後ろから迫る邪気に気が付いて、炎を纏う剣で斬りつけた。
ガキッ、白い大きなゴリラが振り上げた右肘に受け止められた。
「いきなり、斬りつけるなんてこの頃の人間は礼儀がなってませんね。」
やたら丁寧な言葉と共に、冷凍光線が放たれた。
バリバリバリバリ、紅い盾が輝き二人を襲う光線をはじいた。
「礼儀がなってないのは手前だろ、姫様はどうした。」
にらみ合うシュウにニタリと笑いかけて、埃が晴れてきた最上階の
大広間の中央に目線を向ける。そこには、いなくなった夜のまま、白いドレス姿のフローリアが美しい顔を悲しみに染めて立ち尽くした姿で、宙に浮いた五メートル四方の大きな氷に閉じ込められていた。
「失礼な、約束どおり一人でいらっしゃったので、私は一人で塔でおとなしくしているし、フローリア殿下には傷一つつけてないじゃないですか。」
不意にシュウを大きく飛び越えて、魔女のリカに迫った。
「フン、獣には物の道理が分からないってことね。」
ローブからいきなり紅玉のような杖が白くて細い腕と共に現れた。
「まてリカ俺が巻き込まれッッッ」
勇者事、杖から放たれた雷がゴリラを反対側の部屋の端に吹き飛ばした。
「姫は私が助けるから、そいつさっさと倒しておいてね。」
魔女は氷の真下の魔方陣に飛び込んだ。
「物の道理が分かってないのは貴方の方ですよ、お嬢さん。」
踏み込んだ瞬間、ローブに覆われた足元が霜のようなものに真っ白に覆われた。
「こっちを忘れないでくれよ。」
先に立ち上がったシュウが、大上段で斬りかかった。
「おっと退屈させてしまいましたか、私も修行が足りませんね。」
正面から額で受けてそのまま立ち上がると共に、頭突きで剣ごとシュウを突き飛ばす。
「このー石頭にも程度があるぞー」
シュウは抵抗せずそのまま後ろのさがって間合いを取る。その間に
ほっそりとしたリカの腰まで氷の結晶が白く染めながら這い上がる。

第四章
ドカーン、白い獣が先ほどまでシュウがいた床を殴りつける。
「先ほどの勢いはどうしました、早くしないとお仲間が大変ですよ」
豊かな胸まで霜に白く染められて冷たく凍らされながら構わず、
リカは紅い杖を頭上に掲げ、小さな声で何かの呪文を唱え始めた。
何故か聞き覚えのある事に白い獣は少なからず違和感を感じた。
「そうだな、これで終わりにしてやるぜ。」
シュウが剣先を白い獣に向けて無謀とも思える突撃をした。
戸惑いが、白い獣の迎撃を遅らせて再び正面から受けたが毛皮に傷一つつかない。
「無駄ですよ、紳士には姫がご加護をくださいますからねえ。」
そのまま、近くの柱にむけてシュウを殴りとばした。
「ぐはっ、貴様フローリアに何をした。」ふらふらのシュウは何とか立ち上がる。厭らしい笑みを返す白い獣の後ろ、氷の中にいる姫が空ろな輝きの瞳が泣いているように見えた。その下では、リカの体が首筋まで、白く染められていた。
シュウを黒い影が覆う。白い獣が勢いよく、殴りつけてきた。
〜オニイチャン〜泣きそうな妹の声がきこえた。朦朧とする意識が覚醒して、シュウは体をかがませて最後の力をこめて再び剣先を
迫る白い獣に向けた。「無駄なことを。」呟いた瞬間背後で、呪文が完成した。
「最初の火」紅い杖が砕け散り、白い光が一瞬辺りを包んだ。
そしてのど元までのど元まで氷像となっていたリカは瞬時に解凍され、魔方陣は消滅して加護を失った白い獣は胸を貫かれた。
「グガガ、馬鹿な、真之一族にしか使えない精霊魔法だと、貴様何者だ。」その言葉が断末魔となった。白い獣は絶命しうつむけに倒れた。
氷が大量の蒸気に変わり、開放されたフローリアはふらつきながら、倒れた魔物に突き立った剣に縋るシュウに覆いかぶさった。
背後の魔女の放つ殺気に勇者の声無き悲鳴が長い冬を終えた、この国に響き渡った。
真下の部屋でミュウは奥の部屋の少女達を介抱しながら一言「付き合いきれないニャン」と呟いた。


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