作:固めて放置
地下鉄の駅の改札口と表の世界を繋ぐ細い地下道を帰宅途中のOLがコツコツと靴音を鳴らしながら歩いていた。
改札を抜けた先の出口は2つあったが、駅の出口が大通りに面していて、上り下り両方のエスカレーターが設置されている正面の駅の出口とは違い、
階段を上った先が人気のない寂しい裏通りであったこちら側の出口を利用する者は少なかった。
改札を抜けた先にすぐ出口までの階段がある前者の出口と違い、後者は駅を出るまでわざわざ長い地下通路を通らなければならないという事もあった。
たまたまこちら側の出口から出れば、大通りの信号待ちをしなくていいという事からそのOLはこちらの地下通路に歩を進めていた。
それが運命の分かれ道であった。
仕事帰りで疲れが混じってはいたが、その整った顔立ちに不安げな表情を浮かべたOLは立ち止まると辺りを見渡した。
何かの気配を感じる。誰かに見られている気がするわ。
この駅でまばらに降りた乗客は自分以外が正面の出口の方へと向かい、改札を抜けてからは自分の前後に人はいなかった。
こちらの通路に1人進んだ女性の後をつけて来る不逞な輩がいないとは限らなかったが、後ろを見てもそんな不審者の人影は存在せず、
自分がたった今歩いて来たばかりの狭い通路の空間がぽかりと広がっているのみで、彼女はほっと胸をなでおろした。
左右を向いても無論そこには灰色のコンクリートの冷たい壁面が存在しているだけだった。
もう。私ったら自意識過剰ね。こんな所誰かに見られていたら恥ずかしかったわよ。
そう考えながら軽く苦笑を漏らすと、すぐに元の整った顔つきに戻ると、再びコツコツと靴音を響かせながら歩み出した。
だが彼女の不安は当たっていた。彼女を対象に選び、密かに観察しながらチャンスを窺っていた者が存在したのだ。
そう、それは彼女のすぐ脇に・・・
「えっ。ちょ、ちょっと何よこれ」
彼女を襲う突拍子もない出来事に、今度は驚きの余り声が漏れた。
何の変哲もないコンクリートの通路の壁。
そこから包帯の様な白い帯状のモノが幾条も飛び出て来たかと思うと、それはまるで意志を持った生物の様に彼女の両手と胴体に絡みついた。
帯は悲鳴を上げようとした彼女の口にも捲きつくと、そのまま物凄い力で絡め取った彼女を壁に引き寄せ始めた。
彼女は両足を踏ん張って何とか引き寄せられまいと試みるも、壁の中から伸びる帯の力には到底適わなかった。
引き寄せられた体が壁に衝突しそうになり、OLは咄嗟に両手を前に出し衝撃を和らげようとした。そこで彼女は更に驚愕する事になる。
壁に触れた手の平がそのまま壁にめり込んだかと思うと、そのまま壁の奥へと潜り込んで行ったのだ。
そしてついには手首の先までもがコンクリートの壁の中に潜り込んで行き、壁はなおも彼女の体をその内部へと呑み込んで行った。
―嫌よ。こんな事って有り得ない。誰か。誰か助けて―
自身の体が壁に呑み込まれていく未知の恐怖にOLは涙目を浮かべながら首を振って見せる。
だがそんなOLの様子にも壁から伸びた白い帯は一片の容赦も見せる事もなく彼女の体を引き寄せ続けた。
肘の先までが体に潜り込みながらも、両足を踏ん張り、何とか抵抗を続けるOLの体に無慈悲にも更に帯が巻きついた。
そして彼女に有無を言わさぬ力で一気に壁の中へとたぐり寄せた。
OLは両足を大きく広げ、踏みとどまろうとする体勢を取っていた為、前傾の姿勢になっていた。
そこを容赦のない力で引き寄せられた為、前につんのめり、前のめりのまま壁の中に沈み込んで行った。
OLの端正な顔と豊かな胸が壁に衝突したかと思うと、そのまま粛々と壁に潜り込んでいく。
反射的に目をつむりおでこを前にした事で壁と接吻をする状態は避けられたが(とは言え接吻状態で壁に衝突したとしてもそのまま壁に潜り込んでいただけなのだが)、
目を開いた時には壁が目の前にほんの僅かまで迫っていた。
「ウプッ嫌、やだ助け・・・モゴモゴ」
溺れまいともがくかの様に何度か壁の中から懸命に顔を浮かべるも、すぐに力尽き壁の中に沈むと再び壁の外に浮上する事はなかった
頭が完全に壁の中に潜り込んだ後の壁の表面には彼女の髪が波紋を描いていた。
スーツの上からでも見て取れたスラリと伸びた背中も今や完全に壁の中に消えていた。
壁の外側には壁に呑み込まれたOLの髪が描く波紋の他、彼女のタイトスカートの臀部が浮かび上がり、それに踏ん張った体勢のまま大きく開いたパンストに包まれた両足が突き出ていた。
足は共に付け根から膝までが壁の中に潜り込んでいたが、最後に大きく引き寄せられた時に反射的に折れ曲がった右足は膝から先が曲がった状態で固定され、壁から宙に浮いた状態で上向きに伸び、
地面に引き摺られていた左足は軽く折れ曲がった状態で壁から伸び、靴の爪先が地面に接地していた。
これら無造作に壁から突き出た右の足も、抵抗の跡が残された地面に着いた左の足も共に突然の人智を超えた理不尽な目に遭わされた彼女の悲惨さを物語っていた。
身じろぎをするかのように僅かに左右に振られる弾力のある尻とぴくぴくと痙攣するかのように震える両足が一層の哀れを誘った。
突如自分を襲った帯によって壁の中に取り込まれた若いOL。彼女はその名状しがたい人智を超えた現象にただパニックに陥っていた。
目の前は真っ暗でそこに有るであろう自分の腕も見る事は出来なかった。
体は瞬きや腕を振り回してもがくと云ったある程度の動きを取る事は出来るようであったが、それ以上の大きな動きは制限されている様であった。
その為壁に引き摺り込まれた時の、手を前に出した前傾体勢を取った不自由な姿勢を動かすことは出来ず、不快さに顔をしかめた。
体の周りは冷たい圧迫感に晒されていた。これは自分が中に潜り込んだ壁のコンクリートの冷たさなのだろう。
後ろに突き出した足がコンクリートの感触とは違う外の空気を感じ、左足の爪先に壁の外の地面の感触を感じた。
そういえばお尻も圧迫感ではなく風の流れを感じるのは気がするわ。尻は壁に潜り込まず、壁の外に残されたままなのかしら。そんな事も考えられた。
彼女が壁に呑み込まれてから自分の体の状態を認知するまでの時間はほんの十数秒も経っていなかったが、目まぐるしく思考を巡らす彼女にはずっと引き延ばされて感じられた。
壁の表面からお尻を突き出している自分の姿を想像して羞恥を感じている間に更に30秒が経過した。
「ひっ」
目の前に現われた男の顔にOLは思わず悲鳴を漏らした。
黒に白縁のマスクから目元と口元だけ覗かせた不健康そうな唇の色をした不気味な顔。マスクの額には金の紋章があしらわれていた。
光の届かない真っ暗闇の空間にも関わらず何かが見えるというのもおかしな話だが、今の彼女にはそんな事を考えるゆとりなどなかった。
マスク男は本来コンクリートが存在するはずの黒い空間を体の周りは空気で、足元には地面が存在するかのように直立していた。
マスク男はマスク越しでも分かる不気味な笑みを彼女に向けると、OLにじりじりとにじり寄りだした。
「いや、やめて。来ないでー」
マスク男は自分に危害を加えるであろう男に抗おうと振り回したOLの腕を掴んだ。
シュワッ・・・
男に掴まれたOLの腕からそんな音にならない音が発せられたかと思うと、彼女は伸ばした自分の腕をピクリとも動かす事が出来なくなった。
それは自分の体の周りを包む冷たい圧迫感とは違う別の冷たさのもたらした効果であった。
体の内側から来る冷たさ。そう。まるで、まるで自分の腕が冷たい石その物になったかの様な。
マスク男は動揺するOLに再度笑顔を見せるとこう言い放った。
「駄目だよ。僕ちゃんに歯向かったりしたら」
なっ・・・何よコイツ。
大よそこの極限的状況から発せられるとは思えないそのセリフにOLは一瞬取り乱す。
「君は僕がずっと目を付けていたんだ。僕の物になって頂戴ねー」
そう言うや否や、男はOLの体に無邪気な園児の様にむしゃぶりついた。
頭を彼女の豊かな胸になすりつけたかと思うと鷲掴みにして揉みしだき、今度は太腿を執拗に撫でまわす。
ぴょんととび跳ねたかと思うと、両足を彼女の胴体に絡ませ抱きついた状態で嫌がる彼女に接吻を繰り返す。
懐から小型の卵型の装置を取り出すとスイッチをONにした。
怪しげに振動する機械を手に持った男は己の手を彼女のブラとショーツの中に差し入れ、敏感な部分に取り付けて行った。
OLは半泣きで男の狼藉をただ成す術もなく受け止めるしかなかった。
マスク男の児戯気味た愛撫が繰り返されるにつれ、OLの体は着ていた服や下着ごとじんわりと周りと同じコンクリートに変わっていく。
しかし今の彼女にはマスク男に纏わりつかれる不快さと、機械によって無理やり高められた性感以外の何かを感じる事も考える事も出来なかった。
男の指がパンスト越しに彼女の大切な部分に付けられた振動する装置に触れ、それを彼女の秘部にきゅっと押し付けられるとぷるぷると震える体は高みの到達点まで一気に押し上げられた。
最期に上気した顔から切なげに吐息を漏らすと、彼女の体は内側まで完全に石と化した。
腕を前に伸ばし、男の不作法でスーツははだけ、スカートの捲くりあげられた状態で、切なげに潤んだ表情を見せる哀れなOLの石化した姿。
だが実際には壁の内部の彼女の体と周りのコンクリートは境目が全く存在せず、外から見ればただのコンクリートの塊があるに過ぎなかった。
OLを吸い込んだ壁の表面からどろりと壁の色と同じ色をした液体が染みだし、壁から盛り上がった臀部を覆うと、更に下へと降りて行き
まるで意思を持った粘体生物の様に壁から突き出た足に纏わりつき包みこんでいった。
壁の色をした粘着質の液体が凝固した時、そこにあるのはアリ塚の様にこんもりと盛り上がった出っ張りに、壁から突き出た細長い直方体の『棒』であった。
普通の人が見てもよもや女が『壁』に埋まっているとは思わないであろう。
壁から伸びた帯も彼女を引き摺りこむのが完了した時に全て壁の中へと戻り、今そこにあるのは奇妙な『出っ張り』の他は何の変哲もない壁である。
この『出っ張り』も人間にはそこにあって当然の物として『認知』され、それをやがて『観測』するものがいなくなればじきに『消失』する。
ならば『消失』したものは一体どうなるのか。
文字通り消滅し、跡形もなく消えうせるのか。それともここではないどこか別の空間へと移動し、そこで誰にも知られずぽつんと存在し続けるのか。
それは『観測』するものが既に存在していないのだから調べようがないし、その時には消えてしまった『モノ』を気に留める者は誰もいないのだ。
だからこの事については深く考えていてもしょうがないのである。
壁の中ではマスク男が壁の中に取り込んで石化させたOLの姿を様々な角度からしげしげと眺め、時に抱きついて頬ずりをし、全身をまさぐったりと、
思うがまま弄んでいた。
「ご覧の様に新たに生産された試作型戦闘員『魔・ロールIV』は従来の潜行型怪人とは違い、その生来の住処を『壁の中』の側とする戦闘員です。
―ご存じの通り今までの潜行型怪人は潜行を終え、壁の外に出たところを地球の防衛者によって集中攻撃され撃破されてきました。」
淡々とした声で説明をするのは白衣を着た長身の研究員。その額にはマスク男が付けていたのと同じ紋様のサークレットが付けられていた。
それを聞いているのはピエロの扮装をした少年に、ボンテージ風の際どい衣装をした妙齢の女であった。
彼らも共通の金の紋様のアクセを身に纏っていた。
研究員は説明を続ける。
「ならば怪人の生息する場所を始めから無機物の中、つまり『壁の中』とする事にすれば、エネルギー切れにより壁の外へ浮上する必要は無くなるでしょう。
獲物を狙う時も怪人は自らの生やした触手のみを壁の外に出し、本体は壁の中に居続ける訳です。
これならば怪人の出現位置を補給拠点を突き止められて襲撃を受けたり、一般市民を囮にして待ち伏せしていた敵の狙い撃ちを受ける事はなくなるでしょう」
自らの研究の成果を語り終えると研究員は2人の幹部の顔を見やった。
ここに至るまで自分のやるべき事は全て手を尽くした。後は組織の作戦部長である2人が、自身の研究成果を実戦に採用するか否かを決めるのみである。
研究員はそう満足げに考えながら2人の裁可を待ち受けた。
2人は提出された仕様書に目を降ろした後、思案げに顔を見合わせた。
やがて最初に口を開いたのは玉乗りの玉の上に腰かけたピエロの少年であった。
「つまりさ。『壁の中』にいる怪人に『壁の中』に引き込まれた対象は背中やお尻、それに手足ばかりが壁の表面に浮かび上がるわけでしょ」
「ええ、そうなりますね。怪人にとっては『壁の中』が自分が存在する本来の空間に当たる訳であります。対象を己の虜とする時に対象の体の主要部分、顔や胴体をそちらの側、
つまり『壁の中』に引き込む訳ですから、壁の表面に浮かび上がる部位は従来の『壁埋め』とは真逆になる訳です」
「ゴルゴームのもたらす『成果』は美しくなくてはならないのよ。突き出たヒップや儚げな手足も確かに素敵だけどとてもお上品とは言えないわね」
足を組み合わせ、衣装のスリットの隙間から太腿を覗かせる女傑の女幹部が見下すような視線を彼に向けながら語り出した。
美しい物をこよなく愛し、サディスティックな性癖を持つ彼女の私室の壁には様々な次元から捕えられた少女達が、額に半身を埋め込まれた状態で
彼女によって齎された被虐の痕跡を残したままレリーフと化していた。
彼女に言わせれば、苦悶に喘ぐ少女たちこそこの世で最も美しい芸術品なのだそうである。
「『壁埋め』を行うからにはその『成果』は壁の外、こちら側に顕現しなければならないの。
つまり壁の表面に『犠牲者』の苦悶に満ちた表情が浮かび上がらなければ『成果』が現われたとは言えないわ。
無機質に染まりながらもツンと主張する胸の膨らみ。捲くれたシャツの裾から覗く可愛らしいおへそ。装置に圧迫されて横に潰れて広がったパンパンの太腿。
それらを『鑑賞』できるからこそ『壁埋め』の醍醐味があるんじゃないかしら。
いくら美しい髪の持ち主だとしても女の子の後頭部ばかり見てても余り嬉しくないわね」
「やっぱり僕は捕えた『獲物』を自由に弄れないと満足できないなぁ」
とピエロの少年。
彼は無機物に変質させた人間の体を捏ね回し『加工』する事により好きな形に形成し、自分好みの玩具に仕立て上げることを得意としていた。
そんな彼にとって人体の大部分を『壁』の中に埋め込んだたまま固定化するこのプランは地味な上に退屈過ぎて好めないのだろう。
作戦部長2人が提出されたプランに対して否認の決を下した事により、当プランの破棄が決定された。
研究員は一礼をすると会議室から歩み去った。
残念そうな表情を浮かべていた研究員だがすぐに気を取り直しシャキッと表情を整えると力強い足取りで研究室へと舞い戻った。
確かに自分が自身を持って提出した企画の承認が得られなかったのは残念だ。
だがそれならまた新しく研究を始めればいいだけだ。
なに、時間は無限にあるのだし、ここでは好きなだけ自分のやりたいように研究を進められる。
『固めの神髄とは対象をその無機物の内に捕らえ、固定化する事にこそ有る。(その際外側から見た美観などは二の次だ。)
表面のごつごつとした岩に封入され、或いは染み一つ無い壁の中に潜り込まされた、
外からは決して窺い知る事のない犠牲者の姿を想像する時は心が躍る 』
という自分の固めに対する信念が真っ向から否定されたのは悔しいが、時が廻ればやがて組織内でも自分の持つ方向性が主流となり浮かび上がる日も来るだろう。
その時が来るまで研究室で研究を続けながらゆっくりと待てばいいのだ。
そう決意すると研究員は研究成果の戦闘員の設計図と仕様書にプレゼン用の資料をクシャクシャと丸めこみ、
廊下に添えつけられたダスト・シューターに纏めて放り込んだ。
大きく口を開けた若い女の顔をしたダスト・シューターは自分の口に放り込まれた紙の束をこま切れに裁断しては飲み込んでいった。
せっかく時間をかけて纏めた企画を全部破棄してしまうのも勿体ないとも思えたが、今振り返ると恥ずかしいが何としても企画を通そうと躍起になり方々に平身低頭奔走してストレスが溜まった分、気分転換の憂さ晴らしの為だ。
一つの方向に固執していてはアイディアが枯渇してしまうという事もある。
この分野の研究では時間にも、予算にも際限がない分却ってインスピレーションが大事な要素となるのだ。
かと言って「広く浅く」でも大成するのは難しいんだがな。
そう自戒しながら次の研究のアイディアを練る研究員。
新しい研究の方向性をめぐる思考でいっぱいの彼の頭には自分が先に行った研究の後始末をしなければという考えは微塵も浮かんでいなかった。
例えば、自身の作成した戦闘員を研究施設に回収し忘れたままだという事に・・・
『魔・ロールIV』−通称マスク男は地面の下から人間を見上げながら次の獲物を物色していた。
実験の為にとマスターに人間の世界に出されてからマスターとの連絡が途絶えたままはや一週間が経った。
上からの『指令』がない以上不用意な行動は行ってはならないのが戦闘員の絶対原則だ。
マスターに絶対服従の意志を持つ怪人であったのなら、再び指令が来るまでエネルギーが切れるまでただ延々と何もする事なく一か所にじっと留まり続けるのだろう。
しかし特にマスターに対して忠誠心を感じていた訳でもない彼にとってはただ自分に課せられていた枷が外れたとしか考えられなかった。
ある程度の期間『指示』がない以上それは自分が何をすべきかの意志決定が、自身に委ねられたとみて良い、
と自分の都合の良い様に解釈したマスク男は最初の獲物を捕らえた駅の地下道から離れ、無機物の壁や地面、建物のコンクリートの中を潜ってあちこちを見て回る事にした。
『壁の中』を住処とする彼はエネルギーも地中に埋まった電線から摂取する事が可能であった為、補給の為表に出る必要は皆無であったから、自分は危険を犯す事なく一日中壁の内側から人間たちの様子を探る事も出来た。
彼が最初に捕らえた人間。彼の思わず一目惚れしてしまった20代のOLは今も石の体で一週間前の姿のままそこに有り続けた。
始めの数日こそ一日中眺めているだけでも飽きが来る事はなかったが、一週間もすればさすがに飽きが来てしまう。
「美人も三日見れば飽きる」と言うが彼の場合は一週間であった。
果たして自分の意中の相手を呼びかけても反応する事のない石人形に変え、それと向かい合っていて一週間持つのは凄い事なのか否か。
その判断は皆さんにお任せしよう。
繁華街の地面の中を背泳ぎで潜行しながら上を歩く人間たちを見上げマスク男は独り自問自答を繰り返していた。
「僕は確かにあのお姉さんが好きだったんだ。でも今は『好き』って気持ちを感じない。何でだろう」
「体を思うように弄り回している間は楽しいよ。でも終わった後この寂しい気持ちが満たされる事はないんだ」
彼には人生経験というものはそもそも存在しなかった。
そんな彼の視界を天上の街路ををゆさゆさと大きな尻を振りながら歩く熟年のおばさんが横切った時、彼の頭にするどく天啓が閃いた。
「そうだ。お尻だ」
一週間前の朝、会社に向かう彼女の顔を始めて見、彼女に一目惚れをした時、我を忘れた余り外に触手を伸ばす事を忘れた彼が潜む壁を彼女は何事もなく通り過ぎて行った。
ポカンと彼女を見送るマスク男の目に入ったのはスーツ越しでもしゃっきりと伸びたスラリとした背中。
そしてタイトスカートで包まれた左右の足の歩みに従ってゆさゆさと揺れるお尻。
それは半日の間彼の脳裏に焼きつき強く印象付けられていた。
しかし半日後の夜。帰宅中の彼女を勇気を振り絞った彼が壁の中に引き摺りこんだ時、肝心のお尻を壁の外へ置き去りにしたままだったのだ。
それではいくら彼女の体を弄っても満足する事がないのは当然ではないか!
マスク男は前回の反省を踏まえた上で次の対象に狙いを定める事にした。
この時には最初の犠牲者であり彼がかつて特別の感情を抱いていたOLに対する好意の感情はもはや彼の中で完全に消え失せていた。
彼は本来彼女からの愛を(それがどんなものかは彼には終ぞわからないが)、求めていた筈だ。
だからこそ、これだけの長い間周りから隔絶した空間で独り何も喋らない石の像と向かい合う事が出来たのではないか。
それがいつしか自分の求めようとするモノが自分の欲求を満たしてくれるもの、他者の介在しない孤独の世界での願望へとすり替わり、そうでないモノ−自分に充足を与えてくれないかつてOLだった石像-に対しては人並み以上の関心を持ちえない事に彼自身は気づいてはいなかった。
まあ記念すべき最初の獲物で有りかつては好意の感情を持っていた相手だ。たまには様子を見に行ってやるのもいいだろう。
地面の下を潜行する彼が狙いを定めたのは駅ビルの柱に寄りかかり、携帯電話を操作している大学生くらいの女の子だ。
黒いコートを羽織り、レギンスを履いた彼女は友人との待ち合わせの最中なのか、手持ち無沙汰に携帯で時間を潰しているらしかった。
マスク男は彼女が背中を預ける柱に潜行すると彼女の真後ろに立った。
背中のすぐ後ろに怪人がいるとは露知らない女は足を組みながら背中を柱に預け、携帯の液晶に注意を向けていた。
マスク男は左右の手の平からそれぞれ5本白い帯を放出すると、柱の外へ放出した。
「うっ・・・むぐ」
帯は彼女の体に絡みつくと、そのまま柱の中に引き摺りこんだ。
今度はまずお尻が向こうに残らない様に最初にお尻を壁の中に引き摺りこむ。
注意を払いすぎた余り勢いが着き過ぎ、マスク男に狙いをつけられたこの女の子は「く」の字に体を折り曲げた体勢で柱の中に取り込まれる事になった。
足を組んでいた為、一週間前のOLと違い両足で踏み留まる事も出来なかったので彼女が壁の中に潜り込むまではほんの数秒の間の事であった。
柱の外に残されたのは反射的に前に伸ばされた手の手首から先と宙に浮いた両足であった。その右手には直前まで操作していた携帯電話が握られたままであった。
彼にとっての愛しき『住処』でマスク男はたった今捕らえた少女の体を物色していた。
この前のOLよりは小ぶりだが形の良いお尻。瑞々しい肌。思わず吸いつきたくなる白いうなじ。
どれも彼のお眼鏡に適っていた。
一方で彼はこうも考える。
やっぱり総合的な価値観で云えば一週間前のOLの方が上だったかもしれないな。成熟間際の青い小娘も良いけれど、ある程度年を積んで洗練される美しさというのも有るのだろう。
それに胸は自分の求める物よりは少し小さ過ぎたかもしれない・・・
だがすぐに気を取り直した。
必ずしも自分の求めるものと完全に一致するなんて事の方が珍しいのだ。
世の中には女の子がこんなにいっぱいいるんだし。その時おりで自分の目に留まった女の子を『こちら』に呼び寄せれば良い。
飽きたらまた別の気にいった女の子を求めればいいんだ。
悲鳴を上げながらジタバタと抵抗する小娘の体を堪能しながらマスク男は「ケケケ」と不気味な笑みを漏らした。