見えざる選択肢 その4

作:固めて放置


その老人の名はザガロフと云った。
半生を魔術師ギルドで魔法の研究に費やした後、引退後は街に隠棲し、余生を送っていた。
魔術師の中には、禁忌に手を染めるなどしてギルドから追放されたり、
邪な衝動から犯罪行為に走り、討伐指名を受ける者なども少なからず存在したが、
ギルド時代の彼はそれらの行いからは全く無縁だった。
その彼が今になって何故この様な行為に走ったのか。
元々女性に対する歪んだ支配の欲望を秘めていたのかもしれない。
色恋と無縁の生涯を送り、老いからくるあせりもあったのかもしれない。
偶然酒場にいた冒険者から石化の能力を持ったマジックアイテムの話を聞いた時、
老魔術師の裡に籠められた邪心に灯がともったのであった。

そのマジックアイテム―本来の名前は知る由もなかったが『メドゥーサの瞳』とザガロフは名付けていた。―の
最初の犠牲者となったのが偶然彼の目に止まり、一夜を買われた街娼であった。
初めのうちこそ自らがしようとする行為に自身で恐れおののき躊躇していた彼であったが、
そのまだ若い娼婦と取るに足らない会話を交えているうち、彼女に見下されている自分に気づき、
(あくまで彼の主観でしかなかったが)老いた自身に惨めさを感じた時、
気づけば彼女を襲い、縛め、魔力の奔流を浴びせていた。
十分な詠唱と魔力の充填をしていなかった事から、『瞳』の力は十分に発揮せず、
足からじわじわと、恐怖を感じさせつつ進行した石化は、最後に犠牲者の意識を残したまま完了した。

物言わぬ石像と化した彼女を目の前にし老人の精神は高揚していた。
頭の悪い娼婦の甘ったるい声色からもたらされる馬鹿げた会話。
女というだけでちやほやされ、自らもそれを売り物にした、娼婦の男に媚びた目線と仕草。
その癖内心では男を馬鹿にし、どうやって金をふんだくるかしか考えていないそのあばずれた心。
そういった一切全てが石の束縛の元では無力と化し、凍りついた彼女は老人の思うがままの存在でしかなかった。
この時であった。彼の持っていた理性の枷の一切が失われたのは。

この『眼』を使い世の女性を思うがまま支配しよう。
無力に全てを晒したまま固まった女は自身に他とない陶酔を与えてくれるだろう。
だが娼婦、その内側に汚らしい欲望と打算の心しか持たない女達は駄目だ。
何より老人が求めたもの。
清らかな乙女、貞淑な婦人、純朴な少女たちこそ己に傅かせるに相応しいのだ。
そう考える老人は、自らの考えがおおよそ世の規範を逸脱したものであると
省みる理性は残っていなかった。

老人は街の住宅を引き払い、遺跡に居を構えると、正道から逸れた如何わしい男達を雇い、自らの欲望を実行に移し始めた。
若い間は研究で篭りきっていた事もあり、貯えは大量にあったのだ。
うら若き新妻の、老人の前でさらけ出した、彼は顔を見たこともない亭主に向けられた一途な愛や献身の情が。
汚れを知らない乙女の、老人に僅かでも良心が残っていると信じ、最後まで慈悲を訴え続けた叫びが。
「瞳」の前に無力に凍りつき、後はただ老人の前にその硬く冷たい身を晒すのを見て、彼はいたく満足するのであった。

老人に打ち捨てられた娼婦の石像は、商人崩れの男の手に渡り、出鱈目な口上を添えられて領主に献上されそうになったり、
今では怪しげな演芸の見世物として男の日銭を稼ぐ手段と化していたが、彼には与り知らぬ話であった。

そして今、セリーに自らの欲望をぶちまけた後、眠りについていた老人は、
ごく短い睡眠をとり終えると必要最小限の食事を取り、身だしなみを整え、
新たに「眼」の餌食とする犠牲者を連れるべく、部屋を出るのであった。
今の老人はただ自身の欲望の為に行動する機械でしかなかった。

これもまた、邪悪な魔法に魅入られた者の辿る末路なのかもしれない。



遺跡の入り口から離れた場所に潜み、様子を窺うのは冒険者一行。
入り口には特に見張りはいなかった。
小男の証言では、犯人は老人と男が1人ずつの計2名のみであった事から、強行突入するのは容易いかもしれないが、
もし老人が魔法を扱う能力を有していた場合、使い魔を使役していたり、モンスターを手なずけている可能性が考えられた。
女性たちが囚われている事から、いざとなったら人質とされる事が考えられる為、戦闘はぎりぎりまで避けたいということもあった。
しばらく様子を見た上で入り口周辺には危険がないと判断した一行。
身を起こし入り口まで駆け足で近寄り、入り口で一度立ち止まると、内部の様子を確認した後、慎重に遺跡の中へ足を踏み入れるのであった。

入り口からは20mほどの通路が延びていた。罠が仕掛けられている様子はなかった。
それは遺跡の『住人』に通路が普通に使われていることを考えれば当然であるが。念には念を入れる冒険者である。
通路を抜けるとそこには古代帝国様式の紋章で装飾された部屋が広がっていた。
特に部屋を調査しても、旧時代から設置されていたであろう幾らかの備え付けの品以外は、
特に目ぼしい物も何もない部屋であった。
左右を見渡せばそれぞれに通路が延びており、お互いの通路はそれぞれ別の行き先を示していた。

冒険者達はしばらく逡巡した上で『左側』の通路へ足を進めるのであった。
通路の先はすぐ右へ折れ曲がっており、あとはそのまま奥まで一直線、
その間にある部屋を一つ一つ探索していくのであった。


アンナ達の囚われている部屋に、老人が入ってきたのはこれが3度目であった。
そして彼女達を奴隷を値踏みするかのような目線で見渡すと、クリスに目を留めた。
ついに自分の番が来たと知り絶望の表情を浮かべるクリス。
玩具を欲しがりだだをこねる子供のように手足をばたつかし、
連行しようと近づいた男に殴打を浴びせる。
それには思わず男も、さっきまで泣きじゃくっていただけの少女にこんな元気が隠されていたのかと
驚かされずにはいられなかった。
「何で私なのよ。連れて行くなら他の子にしてよ」
形振りかまってられないとばかりに叫ぶクリス。
身勝手とも思えるが、この土壇場の状況で誰が責められるだろう。
いや、自分は生き延びようとする強い意志の発露ではないか。
その叫びは老人を喜ばせた。

「お姉ちゃんの代わりに私を連れて行って」
部屋の中を一条の声が響く。
声の主は幼い少女、フローラであった。
「ほう」
感心したように呟く老人。
まだ幼い彼女。
世の邪悪な魔術師がどのような陰惨な実験を行っているか知らないだろう。
男にかどわかされた女がどのような目に遭うかなど想像も出来ないだろう。
ある程度年を重ね分別を得た女たちは、だからこそ今自分のいる状況に恐怖し、絶望するのである。
幼いフローラはただ漠然と未知の恐怖を抱き、幼さゆえの無知から勇気を発揮しているにすぎない。
だがしかし、と同時に老人は思う。
その勇気は無知ゆえに一切の打算もなく、ただ純粋であった。
その純粋なものを純粋なまま封じ込めてみたい。
老人の中を新たな欲望の鎌首がもたげるのであった。
老人はフローラも連れて行くよう男に命じる。
男は2人を横に並ばせると背後から2人を誘導する。
クリスとフローラは顔を見合わせる
クリスの表情は先ほどの自分の発言を恥じ、フローラに詫びる様なものであったが、
フローラは気にする事ないとばかりに屈託のない笑顔だった。
2人は1人取り残されるアンナに心配そうな目線を向ける。
本来今から何かがその身に降りかかるのは2人の方である訳だが、今まで監禁されていた彼女達にとっては、
1人誰もいない空間に取り残されるアンナの境遇に寂寥を感じるのであった
そんな可笑しな考えも今まで境遇を共にしてきた彼女達の最後の共通認識であり、
冷たい空間の中お互いを励ましあう無言の冗談であった。

老人と男。それと2人の少女。
4人は部屋を出て、遺跡の通路をゆっくりと歩くのであった。


「へ・・・くしゅっ」
扉の閉まる風圧で舞い上がった埃に、アランは思わず小声でくしゃみを漏らした。
幸い辺りに一行以外の生き物のいる気配はなく、誰かに聞きとがめられるような事はなかった。
遺跡の最初の分かれ道を左に進み、内部の探索を進める一行。
既に幾つかの部屋の調査を終えていたが、中は人がいた痕跡はなかった。
こちら側はこれ以上調査を続けても無駄ではないだろうか。一度最初の部屋に戻り、右側へ進むべきではないだろうか。
一行のうちの誰ともなくそんな提案が持ち出される。
だが遺跡の主は内部にどの様な狡猾な仕掛けを施しているかもしれず、また、モンスターが奥に残っていたとしたら戦闘になった時厄介だ。
まずはしらみつぶしに内部の調査をして行こう。
そう結論付けるとさらに奥の調査を進めるのであった。


クリスは後悔していた。それは他でもなく先ほどの自分の発言である。
取り乱していたとはいえ、自分がうっかり軽率なことを口にしたばかりに、
幼いフローラまでもが自分と共に男たちに連れられることになってしまったのだから。
彼女の心の中を何て自分は恥ずかしいんだろう、といった意識が芽生える。
彼女の恥の意識は、世間一般で云う「格好悪い」とか「情けない」とかいった、
見てくれから生まれる打算から産まれたものかもしれない。
しかし、根底はどうであれ、人は「外側」に目を向ける事によって大きく成長するものなのである。

奥の部屋に辿り着き、壁の前に立つ様に言われる2人。
ここに来て、にわかに不安を覚え始めだしたのか、幼い少女はクリスの腰に手を回すと身体を委ねた。
「ママ・・・」
もう会えないのかと思うと、その声は今にも泣き出しそうなものであった。
クリスの肌はか弱い少女の体温を、吐息を感じていた。
委ねられた身体の重みは今この現実を実感としてクリスに訴えかけているようであった。

幼い頃から甘やかされて育てられてきたクリス。
それは本人が望んだものではなかったが、周囲の友人や大人たちから「彼女は何でも他人任せの子供なのよ」
とレッテルを貼られてからは、周囲からますます甘えん坊の子供として扱われるようになり、
自分もいつしかその環境に依存するようになっていた。
そんな彼女にとって誰かに頼られるというのは初めての経験であった。
まだ小さい女の子がさっきはあれだけの勇気を見せたというのに、自分は脅えたままで恥ずかしくないのか。
今その子が目の前で恐怖に脅えているというのに、自分は何もしないままでいいのか。
今この場、自分がどうにかしなければという意識は、僅かな間に彼女の表情を見違えたものにさせた。
元々彼女は強い意志を秘めた子であったのかもしれない。

「心配しないで。お姉さんのそばにいれば大丈夫よ」
先ほどまでとは打って変わった落ち着きを見せ、フローラに力強い笑顔を見せるクリス。
笑顔を向けられたフローラも一瞬驚いた様子を見せ、大きな目をぱちくりさせるが、
すぐに自分も笑顔で返すとより強くクリスの腰に手を回すのであった。
それはちょっと痛かったけど、その痛みはクリスにとっては誇りであった。
クリスもフローラの肩を優しく抱き寄せた。

「こちらを見るんだ。よそ見などするのではない」
老人が命じる。
ええ、言うとおりして上げますよ。
これから何をされるかは分からない。けどどんな目に遭おうとも心だけは永遠に許す事はないんだから。
クリスとフローラは最後に笑顔で強く頷き合うと、
正面を見据え、強い意思を込めた視線を老人に向けた。


遺跡の最奥に辿り着いた冒険者一行。
ここに至るまでの全ての部屋を探索したが、
生き物のいた痕跡は見つからず、住人たちに放置されていると見てよかった。
「お宝でも有ればいいのにねえ」
と呟くのはジェシカ。
「誘拐された女性たちを見つけるのが何より先ですよ」
マーティンが嗜める。
生真面目な彼にジェシカは冗談だってと軽口を返してみせる。
結局こちら側では目的とするものは何も見つけることが出来なかった。
冒険者達は一度最初の部屋まで戻り、残った『右』の通路の調査をする事にした。
果たして今までの遺跡の左側の調査は徒労であったのか。
だがそれはあくまで結果論であり、未知の空間を探索する冒険者達にとっては、
闇に潜む未知の危険という不安要素を潰すことが出来たというのは
彼らが探索を進めていく上での確実な一歩なのである。

もし彼らの行動を見て、全くの無駄足だったねと確信を持って言える者がいるとしたら、
そう、それは全てを見下ろす「神」の他ないのだから。


新たに2人を石の仲間に加えたザガロフ。
完成した石像の観察もそこそこに、老人に湧き上がって来るのは新たな石化の欲望であった。
最後に残された少女は果たして彼にどの様な姿を見せてくれるのか。
女という「素材」をどの様に「加工」しようか。老人の妄想は尽きることがない。
勇敢な姿を見せたまま固まった少女達に対しては、今すぐにでも自分の手で汚してやりたい気持ちが湧いていたが、
それは全てが終わってからでいいだろう。
老人の頭に思い浮かぶのは今まで石にした7人の像と、新たに加わった5人の石像、
己が造り出した全ての石像を自分に侍らし、それに思いつく限りの行為をし尽くす光景であった。
それを考えると一度くらい陵辱行為を我慢するのも容易い物であった。
老人は男を伴い足早に歩き、1人取り残された少女のいる部屋へ足を踏み入れるのであった。

寄り添いあい共に一点を見据えたまま動きを止めた2人の少女。
2人が再び柔らかさを取り戻し、笑顔を交し合う日は来るのだろうか。


手前の部屋まで引き返し残る右側の調査を進める一行。
手前側の扉から順番に部屋の中に入り、調査を進める一行が次に入った部屋は
老人が『陳列室』と名づけていた部屋であった。


再びアンナの前に現れた老人と男。ルイザやセリーの時と比べると間隔はそれ程空いていなかった。
男は1人残ったアンナを拘引する。
彼女はいよいよ自分の番が来たことを悟った。
先に連れて行かれた彼女達の身に何が起こったのかは分からないままだが、ついに最後まで戻ってこなかったことから既に最悪の覚悟はついていた。
彼女を見る老人の顔は邪悪な笑みを隠そうとすらしていなかった。
意識を取り戻してから今までいた部屋を出て、暗い通路を進み奥の部屋に入る。
彼女の背後で扉が閉まった。


何番目かの部屋に入った冒険者を出迎えたのは、幾体もの『彫像』であった。
像が目に入った瞬間一行に緊張が走る。
ダンジョンや遺跡の中の彫像には、普段は不動を維持しているが、
侵入者を察知すると排除するべく行動を開始するガーディアンの役割をする物も存在するからだ。
剣を弾く石の身体を持ったそれらは冒険者にとっては脅威の存在である。
だが像は一行を出迎えても反応する様子はなかった。
改めて像を見渡すとそれらは遺跡の守護者と云えるような類の像ではなかった。
彫像たちは皆若い女性を模ったもので、一瞬の動きをそのまま封じ込めたかのようであった。
「恐怖」や「絶望」、「嘆き」と言った表情を浮かべた像が多いのが気にかかる。像の製作者はどんな趣味をしているのだろうか。

部屋の中の像は全部で9体存在した。
一つ一つの像を順番に観察していくリーナ。やがて1体の石像が彼女の目に留まった。
長い髪を振り乱し何かを叫ぶような顔のその石像。
彫刻にしては簡素なドレスで石の胸元も大きく開いていた。
像の中には何か扇情的なものを感じさせる様な雰囲気を漂わせるものがあり、
僧侶は不快感に顔をしかめ、女性たちも余り良い気分はしなかった。
その像の首回りの寂しさに何か首飾りでもしていれば映えるのでしょうにね、とリーナは思う。
その瞬間彼女の頭で何かがはじけた。
『誘拐された女性』、『肖像画』、『家に置いたままのお気に入りのブローチ』・・・

自分の頭の中で何かが思いついた瞬間、それを他のメンバーにまくし立てていた。
「ここにある石像は誘拐された女性が石に変えられたものかもしれないわ」
それを受けた3人も瞬間的にそれを理解しハッとなる。
胸元の開いた女性の像。その顔は悲しみに歪んでいた為さっきまでは気が付かなかったが、
新婚の夫婦の家にあった『肖像画』に描かれていた若い妻のものと瓜二つであった
胸元にブローチが架けられているところを想像すれば、さらにわかりやすい。

部屋の中の像が皆若い女性のものである事や、像の「絶望」や「悲しみ」、「嘆き」と言った
どこか暗いものを感じさせる振舞いは、生きた人間を石にかえた物であると考えれば納得がいくものであった。

「そんな・・・」
今まで無事を信じ、全力でその行方を追っていた女性たちの成れの果てを知り、肩を落とす冒険者。
「石化」とは生き物の肉体を文字通り石とする、魔法の力によって起こされる現象の事である。
石化した生物はその生命活動の一切が停止されるが、命を失ったわけではない。
そして石化が解かれるまで動くことなく、その石化した瞬間の姿を維持し続けることになる。
なお石化の魔法は複雑な詠唱や儀式、魔力の充填が必要とされるため、日常生活で便利に用いられる事はない。
冒険者の中でわざわざ実戦に使えない石化の魔法を習うものは皆無であるといえた。

石化の呪いは街で高位の術士によって解呪する事が可能ではあるが(それなりの代価と引き換えであるが)、
出来るなら何事もないまま救出したかったと言うのが人情である。
もっとも最初の誘拐からはある程度日数がたっている訳で、それはほとんど望めないわけではあるが、
「石化」していただけで命は無事だったから良かった、と考えるほど冒険者は人でなしではない。

「待っててね。必ずお家に連れて帰ってあげるから」
涙を浮かべたまま石と化した少女に語りかけるジェシカ。
誘拐された女性たちの中にはまだ十代の者も多く、
こんな若い女の子達までが過酷な石の束縛を受けているのかと思うと、冒険者たちの心は痛んだ。
そして湧き上がるのはこの様な真似をした『誘拐犯』への怒りであった。

女性たちの安否と誘拐犯の『目的』が判明した今、一行はこの部屋で再び対策を練るのであった。


部屋に入ったアンナの最初に目に留まったのが壁際の2体の彫像であった。
その彫像がフローラとクリスの姿をしていると気づいた時、そして自分も壁際に立たされた時、
今まで連れて行かれた4人の身に何が起こったか、そして自分に今から何が起こるのかを理解した。
老人はアンナをセリーの時のように壁に拘束させた。
そして、すぐに石化の行動を開始しようとはせず、アンナに向かって滔々と語り始めた。
それは陰気さを感じさせる老人の口から発せられるとは思えないほど、饒舌なものであった。

老人に語った内容は今まで石にしてきた11人、
彼女達が石になる前にどのような感情を表し、そしてどのような表情を浮かべ石へ変わっていったか。
自らが石にした順番に一人一人説明して行くものであった。

ある者は愛する者の名を叫びながら石に変わっていった。
また別の者は目を覚まして間も無く、自分の状況すら分からないまま、成す術もなく石に変えられた。
一度は助けるそぶりを見せつつ、結局は態度を翻し、安堵していた顔を絶望に塗り替えてみた事もある。

老人の話が進み、セリーの最後の状況を聞いた時、アンナの心は痛んだ。
将来を悲観し、諦観の意思を露わにしていたセリー。
そんな彼女も石化の恐怖と恥辱に向き合わされ、心を恐怖に囚われたままその身を石化された。
思い出に浸る事すら許されず、かつての恋人の名を叫ぶ事もなかった彼女。
こんな悲惨な運命がもたらされる程の事を彼女がしたというのだろうか。
それをもたらした張本人である老人に対し、怒りが湧いてくるのを感じた。

老人の話はいつしか石像に変えた女性たちに対し、自身がどのような恥辱を与えていったかの話に変わっていた。
抵抗する事の無い体に与えられるおおよそ考えられる限りの陵辱。
その澱みない口調からもたらせる遠慮の欠片もない下品な話はアンナの顔をしかませた。

ザガロフは少女の顔を窺いながら話し続ける。
石化の恐怖を前にし、今度の娘はどんな絶望の表情を見せてくれるだろうか。
今はまだきつく結ばれたその口から悲嘆が漏れるのは今か今かと待ち望まれた。

アンナの口が開かれた。


部屋の中、本来人間である女性の石像を前に居心地の悪さと、
悠長に会話をしていて良いのかという申し訳なさを感じながらもこれからの行動を話し合う一行。
石化の魔法を扱うと判明した事から、小男の言っていた老人が魔法使いである事がわかった。
人里から離れた場所に身を潜め、怪しげな実験や儀式に手を染める者。
なるほど今の状況とぴったりである。
このまま奥に進むか。
一度街に戻り警備隊に報告し、対策を練るべきか。
いずれにせよ、数や重量、街までの距離を考えると
女性たちの石像をこの暗い場所から運び出すのは全てが完了してからの事になるだろう。
行方不明者とこの場の石像の数の違いから、まだ3名が奥にいるらしい事も推測できた。

強行論を主張したのはリーナである。
ここに至るまで侵入者を拒む仕掛けがまったく無かった事。
モンスターなどを手懐け護衛とする様な努力もされていない事。
護衛といえるのが用心棒1人しかいない事。
そもそもこのアジトが外敵に対する備えを全く施されていない事。
曰く「奴らは馬鹿だ」

一見すると余裕の現れにも見える。
しかし、魔法使い、特に二つ名で呼ばれギルドから討伐指名を受けるような邪悪な者たちの強かさは
本来表に表れるようなものではなく、闇に潜む、その立ち回りの狡猾さにあるのである。
現に討伐者たちに捕捉され、正面から勝負を挑まれた彼ら邪悪な魔法使いが、大抵は敢え無く討ち取られている事からも、
どんな邪悪な者も決して不死身ではない事を物語っている。
そんな彼らに比べれば、簡単に位置を突き止められ、危機感のまるで無いこのアジトの主は下の下である。
石化の魔法を扱うのは不安だが、魔法の技能が戦闘能力に直結する訳ではないのは言うまでも無い。
いや、その石化の魔法も本人の技能ではなく何かのアイテムによるものかもしれない。

「ここのアジトの主はただ自身の欲望のために動いてるに過ぎないんだわ」
そう結論付けるリーナ。
しかしその後先考えない見境の無さにより、短期間にこんなに多くの被害者が出たのかと思うと、
理不尽さを感じずにはいられなかった。
ここで一度街に戻った場合いくら危機感の無い彼らでも小男が戻ってこないのに気付き、逃走する恐れがある。
その場合今石像となっている被害者達は救出できるだろうが、新たに被害者が生まれる事になる。
今度は魔術師も慎重になり、行方を捜すのは困難になるであろう。
ならば今ここで決着をつけるべきである。
リーナが語り終えたとき、既に一行の考えはまとまっていた。

今から行う殺生にあらかじめ神へ許しの祈りを唱えるマーティン。
女性たちに与えられた石の縛めに悲しみを覚え、
彼女達に代わって奴等にたっぷり返礼をしてやりましょうと息巻くジェシカ。
そして決断を下すのはパーティーのリーダー。
一度決めた事を最後までやり通す強い意志を持つ男、アラン。

4人は顔を見合わせると行動を開始する。部屋を出る時、後ろは振り返らなかった。
石にされた女性たちの可哀相な姿をこれ以上目に入れたくなかったからだ。


「可哀相な人ね」
その言葉が自身に向けたものであるとザガロフが気付くまでには数秒の時間がかかった。
呆然とし、返す言葉を言いあぐねる老人にアンナが続ける。
「真っ当に愛を育む事も出来ず、女性に対して歪んだ情を向けることしか出来ない人。
 何も喋らない石像相手に人形遊びを続けて、それで支配できたと思い込んでいる」

今まで自分の思う通り場を支配して来た老人にとって、相手からの反撃は全くの予想外であった。
アンナは相手が動揺しているのに手ごたえを感じつつ、とどめに言い放つ。
「あんたなんかちっとも怖くないわ、変態さん」

老人の顔が憤怒に染まる。
足をどたばたと踏み鳴らし、クリスとフローラの石像に駆け寄ると、
「ならばその変態相手の人形でしかないこいつらは何だというんだ」
そう言うなりクリスの石の唇を乱暴に吸い、2人の体を弄る。

ごめんね、クリス。フローラ。
自分の言葉が引き金となって、彼女達への恥辱をもたらした事に罪悪感を覚える。
でも今は引き下がる訳には行かない。
だから今は心の中で謝った。

「あら。それで満足なの。そんな乱暴な扱いしか出来ないなんてお人形さんともロクに遊べないのね。
 それにいくら乱暴に扱ったところで彼女達は何も感じる事はない。石の体なんて所詮は抜け殻でしかないわ」

「抜け殻だと」
ザガロフが問い返す。
「彼女達は死んでいる訳ではない。私に屈し、その恐怖と絶望に染まった魂は今も石の体に囚われ続け、
 これからはその石の体を永久に晒し続ける事になるのだ。」

石にされた後も汚され続ける女性たちの名誉の為にもアンナは怯む事は無かった。
「体が石になっていくのを見るのは怖いでしょうね。
 石になった後、自分の体がどう扱われるのかを考えるととても不安だわ。
 もうお日様の光をみれない、愛する者に会えないと考えるのは何よりもつらかったでしょうね。
 でもそれは決してあんたなんかに屈した訳じゃない。
 人が恐怖を感じるのはその人が暖かい人の心を持っているという何よりの証でもあるのよ。
 あんたは他人の恐怖心を利用して支配したつもりでいる様でしょうけど、
 他人を脅して支配しようなんて真似は刃物を持った○○○○だって出来るわ。
 そんなものはね、本当に他人の心を奪ったなんて言えないの。
 そんな事をして人の心を操った気になって得意げになるなんて、石の像しか相手に出来ないあんたらしいわね。
 つらい思いをした彼女達の心も石になった今は安らかな眠りについているわ。
 あんたがいくら石の殻をいじってみたところで、私達の心までは犯せはしないわ」

アンナも石にされたまま、もう目覚める事が無いのかもしれないと思うと、とても怖かった。
でもそんな様子はおくびにも見せない。

知らない場所に連れて来られ、不安だった私を元気付けてくれたルイザ。
こんなに幼いのに過酷な目に遭いながらも最後まで気丈さを失わなかったフローラ。
あんなに臆病な子だったのに、最後は勇敢なところを見せつけたクリス。
そして刃物を持った○○○○、もとい老人の悪意に翻弄され、
恐怖を体現したままその身の時を止めた可哀相なセリー。
そして彼女達の前に石にされた、何人もの女性たち。
彼女達の名誉の為にもアンナは老人に屈するわけには行かなかった。

さあ早く私を石にしてみなさい。でもそれはあんたにとっては敗北。
あんたは他人を支配していた気になっていたに過ぎないという事を認めたということよ。
私の後もひょっとしたら可哀相な子が連れて来られて石にされるのかもしれない。
でもいくら人を石にしたところで、あんたは永久に人の心を得る事が、人の情に触れる事が出来ないのよ。
私達は決して屈する事は無い。
今までも。そしてこれからも。

老人の顔が憤怒に染まる。
枯れた右手がアンナに向かって振り出される。
ブラウスが破れ胸が露わになるが、アンナは怯まなかった。
さらに老人は殴打を加えようとするが、それを制したのは中年の男であった。
「それはどうかと思いますぜ」
今まで静観していた男だが、陰険な老人が言いまくられる展開は痛快であり、お嬢さんの気丈さに感心するばかりであった。
俺もこれだけ誇りを持って生きていたら、人生変わっていたかもしれないな。
結局はこんな薄暗い場所で、人間味の無い、女もまともに相手に出来ない老人の言いなりになって、
その日暮らしの金を得て満足する人生になってしまったが。

しばらく男を睨んでいたザガロフだが再びアンナに向き合う。
よろしい。ならば望みどおり石にしてやろう。
どれだけ喋ろうが所詮石の束縛の前では無力なのだ。
お前を石にした後は三日三晩ありとあらゆる方法で責め苛み、それから決して人の来る事の無い、海の底に放り込んでやる。

「瞳」に魔力が込められる。

扉の前に立つ冒険者。
さっきまで調査した遺跡の構造から、ここが最奥の、最後の一部屋である可能性が高い。
おそらくは誘拐犯と残りの女性たちはこの中にいるだろう。
扉の向こうからは僅かであるが、人の気配が感じられた。
対人戦闘が目前に迫り、4人の顔に緊張が浮かぶ。
数で勝る一行は先手必勝を図るべく強行突入に備え、
マーティンはメンバーに加護の魔法、リーナは前衛に肉体強化の呪文をかけていった。


「瞳」に魔力を込め終えると、老人はアンナにそれをかざした。
魔力の奔流が彼女に浴びせられる。
魔力の主の邪悪な意思を反映してか、石化はゆっくりと進行した。
体を包む光の眩しさに思わず目を閉じる。
体が鉛の様に重くなり、まるで重りを付けられて海に沈められたようだ。
息苦しさから肺いっぱいに息を吸い込みたかったが、満足に呼吸ができない。
もがこうにも既に身体の動きは封じられていた。
石化の進行は特にどこの部位からという訳でもなく、全身が一様に石に変わっているようであった。
石化が進行するごとに身体の重さと暗闇がもたらす閉塞感は増していき、
彼女の精神を押し潰しそうになったが、ある一点を境にそれは安らぎへと変わった。
それは全身の感覚器官が機能しなくなった事による錯覚かもしれないし、
石の体の均質のバランスがもたらす感動なのかもしれなかった。
少女の脳裏によぎるのは故郷の風景。
彼女の帰りを待ち望んでいるであろう家族や、
いつも彼女に笑顔を向けてくれた優しい村人達の事であった。

「村祭、行きたかったなあ・・・」
その思考を最後に少女の身体は完全に石に変わった。
石像の表情は老人との対決の後に関わらず、安らかな笑みを浮かべていた。


扉を蹴り開け、部屋に飛び込んだ冒険者の目に映ったのは石に変わった少女の前に立つ老人と1人の男であった。
『敵』を確認した瞬間、冒険者は行動に移っていた。
パーティーの前衛のアランが威嚇の雄叫びをあげ一直線に突っ込む。
そのサポートは両手でメイスを持ったマーティン。
後方ではリーナが待機し、詠唱の準備をしている。状況を見てから唱える魔法を決める心算だ。
部屋の奥に進むジェシカは敵の側面に回り込み、隙を見て敵の行動の妨害を図る。

老人は突然の奇襲に慌てふためき、混乱しているようである。
自分に向かってくるアランを前にしても回避行動すらできずにいた。
老人と突っ込んでくるアランの間に男が立ちふさがる。剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。
老人も気を持ち直し闖入者に対して抵抗すべく、魔法の詠唱を始める。

戦いの火蓋が切って落とされた。


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