神の戯(ざ)れ

作:板図らっこ


 気が付けば、神社の前。
 夕暮れの空を烏が泳ぎ、古い堂の壁には皹が入っている。
 この風景に見覚えが全く無いので、ここが何処だかは、検討が付かなかった。
 鞄から携帯電話を取り出し、画面を覗く。
 十七時三十二分。いつもなら、学校から家へ帰る途中である。

 今日の朝は普通に学校へ行き、いつもの退屈な授業を不真面目に受け、放課後に友達と他愛ない話で盛り上がりながら学校を出た所までは覚えている。
 しかし、その後の記憶が一切合財無いのだ。いくら思い出そうとしても、消えた記憶の片隅すら、つかめることが無い。
 周りを見たとしても、深い森に囲まれて、やはりココが何処だか分かる手がかりは見つからない。
 賽銭箱の前に石畳。その横には人の形を模した石像が二体、構えている。
 そこで遊ぶ、和服を着た少女。遊ぶと言えど、ただ鞠を撞き、転がった鞠を追いかけるだけの至って単純な遊びだ。
 歳は、小学校の低学年が、それ以前だろう。鞠を上手に撞きながら、歌を歌っている。
 私は、その少女に話しかけた。
「ねぇ、ちょっといいかな?」
「……」
 少女は、私の方に顔を向けたが、私への興味は無さそうである。
「ここ、どこだか分かる?お姉さん、なんていうのかな?気が付いたらここにいたって言うか……」
「神の戯れ」
 少女は、一言だけ、呪文のような、なにやら難しそうな言葉を口を出し、沈黙する。静寂がまた歩き始める。
「え、えっと、今なんて言ったのかな?」
「愚者であれ、天才であれ、民は神には逆らえぬ。世は条理に満たされ、人間は神が創られし常識に弄ばれる……」
 私に向けた言葉なのか、それとも私の後ろを流れる空に呟いたのかは分からないが、少なくとも私にはあまりの出来事に、彼女の言っている事が理解できなかった。
 少女はくるりと私に背を向け、堂に向かいゆっくりと歩を進め、私のほうを見ずに言葉を放つ。
「貴方は神の戯れには適さぬと判断されし人。帰りなさい」
「帰りなさい?いや、だからその帰り方が分からないのよ」
「迷えば、死。友とも思わぬ友人と共に心も身体も取られるのみ。貴方の傍の人のようになりたくなければ、早くお逃げなさい」
 貴方のそばの人……?この空間には今、私と少女の二人しかいない筈だ。私は辺りを見回すが、やはり人などいない。
 訳も分からず佇んでいると、ふと、横にある石像に目が行った。

 この石像は、何処かで見たことがある。しかし、何処で見たのかがはっきりと思い出せない。
 こんな今にも動き出しそうな精巧な石像なら、美術的関心があまり無い私でも忘れないとは思うのだが……。
 その時、ふとあることに気が付く。その石像が纏っている石の服が、私の通っている制服と全く同じなのだ。
 石像の顔に目を向けると、今日の放課後に一緒に帰っていた生徒と瓜二つだった。
 恐怖に満ちた顔、口は大きく開かれ、地面と水平に伸ばされた右手は、助けを求めているように見える。
 反対側の石像も、やはり下校途中に一緒にいたもう一人の友達だった。こちらも、恐怖に押しつぶされたような顔。
「もしかして、これって……アキミとマオが石になったって事……!?」
「自己中心的で自己陶酔型の崇高な神は脆く弱い人間の魂を使い遊戯する。その抜け殻は石へと堕ち果て永劫の時を彷徨う」
 少女はそう口にしただけだった。ただひたすらに鞠を見つめ、その姿は何となくだが哀愁を帯びていた。
「信じられない……」
 ふざけ半分で下校途中にマオの頬を突付いて遊んでいたが、今は突付いたとしてもあの柔らかい感触は返って来ない。
 女の私でも少し気になっていたアキミの豊満な胸も、今は美術品の一部品でしか無くなっていた。
 私は強大な恐怖に襲われた。足が震え、動かせない。それと同時に、後悔の念が湧く。
 確かにここに来てから、余り時間は経っていない。しかし、それでもなぜこの石像がアキミとマオだと気が付かなかったのか。
 もう少し早く気が付いていれば、何か変わっていたのかもしれないのに。
 アキミとマオは私の親友だ。ずっとずっと遊んできたのに、なぜ。私は、バカだ。
「お前はバカか?」
 ふと唐突にそんな言葉をかけられ、振り向けば和服の少女。
「此処にいつまでも居ては、貴方もこやつ等の様な姿になってしまうと言っておろう。早く逃げなさい」
 いつまでも此処に佇んでいる私を見て、怒りを感じているようだった。まるで私を逃がしたいみたいだ。
 そうだ。友達二人が既に犠牲になっている。私まで石になってしまっては、二人に申し訳ない。そんな気がした。
「分かった。ありがとう!」
 私は階段に向けて駆け出した。足は、動けるようになっていた。

 無限に続きそうな階段を、私は全速力で駆け下りて2分。遠くにだが、終わりが見えてきた。階段の下に鳥居が見える。
 背中から「ピキッ」という音。一瞬ハッとなり立ち止まるが、気にしている場合ではない。また下り出す。
 流石に疲れ始め、「カツカツカツ」という足音のテンポが遅くなり始めた。しかし、すでにあと少しで階段も終わりだ。
 少し安心した時、手に違和感が走る。右手を見てみると、既に灰色に染まっていた。
 友達の石像と神社の風景、恐怖が脳裏に蘇り、自然と早かった鼓動がさらに早まる。
 残った階段を一気に駆け下りた。あと少し、あと少しなのだ。あと少しで鳥居。
 残り約30段。……20段。……あと10段。
 と、そこで体勢が崩れた。足が一気に灰色に染まり、動かす事が出来ない。
 受身の体勢を取ろうとするが、既に足先と首しか動かす事が出来ない程にまで石化は進行していた。
「きゃああああああああああああ!!!!!」
 私はそのまま下へ転がり落ち、意識は深い闇の中へ落ちていった……。

 気が付けば、玄関の前。
 いつものドアが私を出迎え、空は暗い。おそらく、夜であろう。
 私の身体は、いつも通りだった。石から元に戻っている。安堵からか、ため息を一つ。疲れがドッと湧いた気がした。
 鞄から携帯電話を取り出し、覗く。二十三時丁度。家に帰ると親からこってり絞られたのは、言うまでも無い。
 翌日、学校からアキミとマオが行方不明になった事を告げた。
 帰る途中に一緒にいた私は先生から色々聞かれたが、「普通に一緒に帰って、普通に自宅で二人と別れた」と、答えた。
 言おうとはしたが、どうしても「神隠しに会い、二人は『カミノザレ』で石になった」とは言えなかった。


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