伝説の用心棒 第10話 「魔の森」

作:愚印


(あの時、ゴーレムが余計な動きさえしなければ…。)
 鬱蒼と茂る森の小道を人型の影が疾走していた。影の名はアオイ。王国隠密部隊を束ねる隊長、いや、隊長だったというべきか。部下は全滅、アオイ自分も暗殺任務に失敗し、逃走している最中だった。
 音もなく影から影へ移るように走る、忍び特有の影走り。本来は姿を隠して移動するために使う技だが、影同士が繋がってさえいれば、かなりのスピードで移動が可能になる。木々で太陽の光を遮られた森の中ということもあり、アオイは移動手段としてこれを使用していた。
 任務を失敗した場合、その場を一旦離れ、次の機会を待つ。隠密部隊、忍びの者の鉄則を彼女は守っていた。
(結局、『メデューサ及び用心棒暗殺作戦』で生き残ったのは私だけか。隠密部隊の事実上の壊滅。そして任務も失敗。これほどの失態を犯して逃げ帰ったとしても、将軍は私を許しはしまい。)
 王国の軍事に関する決定は、そのトップに位置する将軍の考え一つで決まる。任務の重要度からいって、隊長職の解任どころか処刑もありうる、とアオイは読んでいた。
(もっとも、おめおめと帰るつもりはない。あの用心棒だけは絶対に許せぬ。封殺の陣で挑んだ我が部隊の精鋭たちを、見届け役の私が到着する数刻の間に、言葉どおり消し去ってしまっ…。)
 思考が唐突に中断され、足がピタリと止まる。影に溶けていたアオイの姿が、薄暗い森の中にくっきりと浮かび上がった。
 その姿はまさに影だった。忍び装束は黒に染められ、鼻から下を黒い布で覆っている。額に鋼入りの鉢巻を締め、長い黒髪をポニーテールに纏め上げていた。武器を兼ねた手甲と脛当は艶消し黒に塗られ、手足の露出部は特殊合金製の網タイツで覆われている。胸元から覗く、きつく締め上げた白いさらしだけが、彼女が実態を伴う存在であることを証明していた。
 足を止めた原因に、アオイのきつい眼差しが注がれる。
「お待ちしていました。隠密隊長さん。」
 そこには、見覚えのある若い男が胸の前で腕を組み、道を遮るようにアオイを待ち構えていた。
「お前はメデューサの用心棒!!馬鹿な!!たとえ真眼が使える達人だとしても、忍びの影走りに追いつけるはずがないのに。」
 アオイは己の体術、特に影走りには絶対の自信を持っていた。確かに一般的な街道であれば、人の目を憚るあまり追いつかれることもあるだろう。しかし、ここは人気のない山道。しかも、任務に失敗し、全力で逃走を図っていたのだ。追いつかれるはずがない。それなのに、後からきたはずのこの男は、自分の目の前に立っている。
「もちろん普通に追いかければ無理ですよ。まあ、種を明かせば簡単です。ここまで道を通らず、森をまっすぐに突っ切ったんです。」
「そんな!!この『魔の森』を通り抜けたというのか!!」
 森の道は曲がりくねっており、確かに道を無視すれば近道は可能だろう。しかし、それは途中に何もなければの話だ。
 メデューサの住む洞窟は王国中央に位置する山の中腹にあり、その周囲は深い森で覆われている。通常であれば豊富な天然資源を求めて人の手が入るところだが、メデューサの瘴気のためだろうか、奇怪な植物と凶暴なモンスターが犇く魔境と化しており、外部からの侵入を頑なに拒んでいた。いつからか王国民は、そこを『魔の森』と呼んでいた。
 王国内部では過去に、危険地帯である『魔の森』をメデューサ共々魔法の炎で焼き尽くす計画が練られたこともあったが、王国魔道院によるシミュレーションで「好炎系菌類の爆発的な繁殖により、王国内の人口の半分が死滅する」との結果が出たため中止されている。
 今ある山道は、メデューサ討伐を目論む冒険者達が、獣道にモンスター避けの魔除けを埋めながら少しずつ切り開いてきたものだ。魔除けの効かない存在に出会う可能性は残されているが、危険はかなり減っている。しかし、一歩道を外れれば、森は本来の姿を取り戻す。人の背丈を優に越える巨大生物をはじめとして、人食い植物、ある程度知性を持った魔獣クラスのモンスター、実験材料を求める魔女・悪魔等危険な存在たちが跋扈する狂った世界。魔法や技を持たない人間は、ものの数分で骨の髄まで食い尽くされてしまうだろう。忍びの技に長けたアオイでも『魔の森』を通り抜けようとすれば、腕の一本でも失う覚悟が必要だった。
 その『魔の森』を、目の前の男は近道感覚で通り抜けてきたと言う。アオイは相手の技量を見誤っていたことを認めざるを得なかった。
(技術だけの剣術屋ではないということか。)
 剣術とは本来人型の存在に有効な技術であり、それ以外の形をした存在には無効な場合が多い。剣術を極めたと自称する冒険者が、下等な大蟻や大蛙にあっさりと餌食になることが多いのはそのためだ。過去の戦いを分析し、メデューサの用心棒もその類だろうとアオイは考えていた。真眼を使うことも掴んでいたが、先読みの技術と捉えており、真眼の概念自体を理解していなかった。
(人の姿をした化け物め!!)
 実力の差は、戦うまでもなく一目瞭然だろう。その技術・経験は、彼女のそれをはるかに超えていることは間違いない。敵に勝てないと判断した時、忍びの者に残された選択肢は逃走だけだ。アオイは周囲に目を配り、逃げ道を探した。
 前方は用心棒が塞ぎ、右手には瘴気に満ちた森が広がっている。左手は崖となり遥か下方で水音がすることから川が流れているのだろう。背後は道が続いているが、今更メデューサの洞窟へ戻るわけにはいかない。
(やはり、崖下に飛び降りるしかない。)
 正面と背後は塞がれている。右手の森は用心棒に追いつかれる可能性が高い。残された左手の崖を飛び降りるしか選択肢はなかった。忍びの体術であれば足掛かりの多そうな崖だし、簡単に谷底まで辿りつけるだろう。さすがの用心棒もそこまでは追って来られないはずだ。
 後はタイミングの問題だけだった。しかし、目の前の男は棒立ちのように見えてまったく隙がない。僅かでも動きがあればそれに乗じるのだが、男は彫像のように動こうとしない。実力差からいって、自分から動くのは隙を作るようなものだろう。
 二人の間を、時間だけがじりじりと過ぎていく。
(隙がないなら、作るしかないか。)
 焦りは禁物とはいえ、これ以上時間を掛けるのも得策ではないだろう。ここは「魔の森」、何が起こるかわからない魔境なのだから。アオイは言葉を慎重に吟味し、用心棒に話し掛けた。
「化け物の用心棒か。酔狂なことだな。」
 アオイの言葉に、用心棒は何の反応も示さない。しかし、次に放つ言葉の効果に、アオイは絶対の自信を持っていた。
「それとも償いかな?マクレイド王子。」
 報告の際、あの冷静な将軍を驚かせた事実。アオイの一言は期待通りの効果を発揮し、用心棒の瞳が驚きで見開かれた。その一瞬の隙をついてアオイは崖へと身を躍らせる。
「今日のところは退散する。お前が誰であるかは関係ない。この命ある限り、メデューサとお前を狙いつづける。心休まる時などないと知れ!!」
 捨て台詞を残すと、足場を慎重に選びながら、風に木の葉が舞うように崖を駆け下りていく。その姿は崖下に立ち込める霧の中に溶け込み、すぐに見えなくなった。


「俺が何の考えもなくここで待っていたと思うんですか?あなたが崖を下りるのは想定の範囲内です。残念ですが二度と会うこともないでしょう。何しろ、この下には…。」
 崖の縁に立ち、男はアオイの消えた霧をじっと見詰めていた。
「もっとも、最後の言葉は予想外でしたが…。さすが隠密部隊。情報収集能力は伊達ではなかったということですね。だが、それはそれで好都合。俺の正体を将軍が知ったとなれば、過去を清算するために必ず自分の手で俺を消そうとするはず。そして、それは俺も望むところ…。」
 独り言を呟きながら、用心棒は飽きることなく崖下の霧を見詰めていた。




(やはりここまでは追ってこないか。)
 崖を降り切り、アオイは今、川原に立っていた。辺りには濃い霧が漂っている。見えるものは白い霧ばかりで、確かに感じられるのは足の裏から伝わる川原の小石と水の流れる音だけだった。
(さて、どうする?この崖を上り直すのは、骨が折れる。やはり川に沿って麓を目指すのが適当だろう。)
 アオイは川の流れに沿い、川下目指して歩き始めた。


 歩くたびにポニーテールがゆらゆらと揺れる。代わり映えのしない景色に息苦しさを覚え、アオイは忍者マスクを首元にずらし、大きく息を吸い込んだ。もうどれくらい歩いただろう。霧は相変わらず濃く、視界を妨げている。


 目に映る景色は相変わらず白一色だったが、空気の流れがあるらしい。濃くなり薄くなり微妙に変化し、霧は様々な表情を見せていた。
 足の裏から伝わる川石の丸みを頼りに、アオイは川下を目指している


 小石が無数に転がる川原を歩き続けている。半日前に飲んだ兵糧丸のおかげで、空腹は感じていない。秘伝の製法で作られた兵糧丸は、一度飲めば三日は腹持ちする。
 霧は相変わらず濃いが、修行で研ぎ澄まされた感覚が正しい道を進んでいると伝えていた。


 霧で肌がしっとりと濡れ、解れた前髪が額に張り付く。顎で滴り落ちそうになっていた水滴を手で拭い取り、アオイは舌で舐めてみた。塩気は感じられない。
(汗はかいていないな。)
 鍛え上げた肉体に疲労の兆候がないことに彼女は満足した。


 さらさらと流れる清水の音が耳に心地いい。視界を白に塗りつぶされてもアオイには余裕があった。周囲に生き物の気配はない。視界をふさぐ濃い霧を、森の生物たちは避けているかもしれない。逃走中のアオイにとって、それは好都合だった。


 足元の判別すら難しい濃い霧。単調な川のせせらぎ。
 次第に感覚が麻痺し、霧と自分との境界が曖昧になる。
 自分という存在が霧の中に溶け込んでいくような…。自分自身が霧になっているような…。
 カツン!!
 足元の小石が僅かに音を立て、アオイは我に返った。
(こんなつまらないことを考えるなんてどうかしている。)
 アオイは強引に首を振り、浮かんでいた考えを打ち消した。


 アオイはゆっくりとだが確実に川下を目指していた。


 濃い霧の中、川下を目指していた。


 川下を目指していた。


 目指していた。


 いた。















 気まぐれな風が渓谷を駆け抜けた。濃い霧が揺らぎ、日の光が谷底に差し込む。
 そこには、無数の石像が無造作に立ち並んでいた。すべての石像が川下を向き、足を一歩踏み出している。川下を目指す石像の群。朽ちて目鼻立ちのわからないものから、バラバラに砕けたものもある。その中にはアオイの部下たち、そしてアオイ自身の石像もあった。

 アオイを包んでいた霧は、それ自体が意思を持つ霧状の生命体、ソウルイーター(魂喰らい)だった。
 ソウルイーターは、獲物を体内に取り込むと、肌や肺から獲物の体内に侵入し、体組織を瞬時に石に作り変え、魂と肉体を分離する。肉体から引き剥がされた魂は、ソウルイーターの霧粒状群細胞に囚われ、飴が舐め取られるように少しずつ少しずつ喰われていく。ソウルイーターは美食家で、恐怖や混乱といった不の感情は魂に苦味を混入させるため、獲物に都合のよい偽りの感覚をその魂へと与え続ける。そして残された石の肉体は、墓石のようにそこに佇み続けるのだ。参るものもなく、ゆっくりと朽ちながら…。
 何も知らない獲物は、希望を失うことなく霧の中を歩き続ける。いや、歩いているという錯覚に囚われ続ける。魂を喰い尽くされる、その時まで…。

 忍び装束を身に着けたアオイの石像。その瞳は灰色に染められ、今は何も映していない。その表情は自信と余裕に満ち、足場の悪い川原で一歩踏み出すという不安定なポーズを取りながらしっかりと立っている。
 その隣には、彼女が信頼を置いていた部下たちの像が立ち並んでいた。あるものは不安そうな表情をして、あるものは隣の者と手を繋ぎ、またあるものは二人で抱き合いながら石像と化していた。バランスを崩して倒れたのだろう。中身を失った忍び装束としっかりと握り締めた両手を残して、粉々に砕け散った像もある。
 
 日の光を嫌うように周囲から霧が押し寄せ、石像群はすぐに見えなくなった。



 アオイは霧の中を歩いている。鬱陶しい霧に眉をしかめながら、ただひたすら歩いている。
 いつまでも。いつまでも…。

つづく


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