伝説の用心棒 第5話 「傀儡」

作:愚印


「よく飽きないものね。毎日毎日。」
 マークが日課である剣の鍛錬を、洞窟前の広場で行っている。アリサは、洞窟の入り口に背を預けながら、その激しい動きをぼんやりと眺めていた。
 鍛錬とはいっても、アリサには、剣を片手に演舞を踊っているようにしか見えない。その流れるような動きは、見るものを引きつけるのに十分な美しさを備えていた。以前、マークに踊ることが鍛錬になるのかと聞くと、イメージトレーニングだと答えた。マークの説明によると、ムダを省いた動きは舞のように見えるらしい。千人の兵士を仮想の敵として戦っていると説明されたが、笑っていたので本気かどうかはわからない。
 マークの動きがさらに激しくなる。その流れるような動きは変わらないが、スピードがアリサの目でも確認しきれない速さにまで加速し、突然止まった。
「ふー、あっ、アリサさん、見てたんですか?遠慮せずに声をかけてくれたらよかったのに。」
「ごめなさいね、覗き見みたいなことをして。ところで、どう?ミスリルの腕には慣れた?」
 ミスリル化当初、マークは新しい左腕の扱いに苦労していた。
 まず、石化部の感覚がないというのが大きい。腕が確かにそこに存在しているにもかかわらず、自分の自由にならないもどかしさにマークは苦しんだ。また、ミスリルは軽く、身体が感じる腕の重量もそれほど以前と変わっていないのだが、その微妙な違いも、より高い精度を求める彼の剣技に、少なからず影響を与えていた。
 しかし、アリサが今見たところ、その影響は克服できたらしい。
「ええ、もう大丈夫です。以前と同じ、いえ、それ以上の動きが今では可能ですよ。」
 安心させるように腕を振ってみせるマークに対して、アリサは言いにくそうに話を切り出した。
「ねえ、マーク。一つ質問してもいい?」
「なんですか?俺に答えられることなら答えますけど。」
「あのね、さっき、ふと思ったんだけど、マークはどうして強くなろうと思ったの?きっかけを教えてくれない?」
 それはアリサにとって、マークに会った時からの疑問だった。
「生きていくために必要だった、ではダメですか?」
 その答えに、アリサは首を横に振る。
「あなたの強さは、生きるためにしては、過分すぎるわ。それに、最初から今以上の強さを目標にしなければ、その年齢でそこまでの強さを身につけられないはずよ。」
 その断定的な言葉に黙り込んだマークは、しばらく考えた後にゆっくりと口を開いた。
「じゃあ、言い換えます。生き残るためには、強さが必要だったんです。何ものにも負けない強さが…。」
 アリサは、一瞬、マークの瞳が暗く翳ったのを見逃さなかった。
「ごめんなさい、変なこと聞いちゃって。ちょっと気になったものだから。さあ、汗かいたでしょう。シャワーでも浴びてきて。朝食の準備をしておくから。」
 あえてそれ以上理由を聞こうとはしなかった。アリサ自身、喋りたくない過去を持っていたし、必要であれば、向こうから話してくれると思ったからだ。それに、今の関係を自分から壊したくなかった。
 いつの間にかマークは、アリサの中で信頼できる存在として、次第に大きくなっていた。もっと彼を理解したいと思うほどに…。

 ズシーン。
 ズシーン。
 巨大な何かが近づいてくる。
 マークは地響きで、昼寝をしていたソファーから転げ落ちた。
 アリサは外出中で、マークは一人留守番をしていた。訪れるのは敵だけだし、その敵も頻繁に来るわけではないので、鍛錬の心地よい疲労感からウトウトとしていたところだった。
「イテッ。敵かな?敵だろうな。まあ、アリサさんが居なかったことが不幸中の幸いか。」
 マークは既に2組の敵を追い返していた。メデューサ退治に来て、その用心棒と戦うのは不本意だろうが、その実力差の前に、一組は捨て台詞を残して、もう一組は技術談議を親しく話して、立ち去った。
 切り捨てることも可能だったが、あえてマークは見逃した。自分がアリサの用心棒をしていることを広めることで、闘う対象をアリサから自分に移せるのではないかと、期待してのことだった。
 アリサは、マークが用心棒として戦うことを認めていた。しかし、無意識かどうかは判らないが、闘いを終えたマークを出迎える時に、いつも申し訳なさそうな顔をする。
 敵であれば、できることなら彼女が帰る前に決着をつけておきたかった。

「コーンーニーチーハー♪」
 入り口から想像と違った、かわいくて元気のいい女の子の声が響いてくる。先ほどまでの地響きはなんだったのか興味が湧いたマークは、素早く使い込まれた革鎧を身に着け剣を掴むと、慌てて外へと向かった。
「こんにちは。」
 一応、社交辞令で挨拶を口にしながら外に飛び出したマークは、目の前に佇む2つの影に、目が釘付けとなった。
 一つは、巨大な黒い金属の人型。人型というには若干腕が大きすぎるきらいはあるが、バランスを崩すほどではない。それだけに、その巨体と合わせて禍禍しい印象を強くしていた。
 もう一つは、その肩に乗った、青いドレスに身を包んだ可憐な少女。長い金髪を背中に流した少女は、容姿が整いすぎて人形のような印象を与えていた。
(ゴーレムか…。アリサさんだったら苦戦しただろうな。)
 魂無き傀儡、自動人形、様々な名を持つゴーレム。コアと呼ばれる制御装置を人型の物質にはめ込むことで、術者と呼ばれる操縦者に操られる魔道兵器。その能力も千差万別で、術者が念じていないと動かない本当の操り人形から、ある程度ゴーレム自身が判断して動くものまであり、目の前のゴーレムは、その動きから後者であることがわかった。
 ゴーレムの大きさは術者の魔力に依存する。少女の魔力の強さが、その見上げるような巨体から窺い知れた。そして、そのパワーはボディーの材質で決まる。現段階でそれは不明だが、直感的にその底知れぬパワーをマークは感じ取っていた。
 また、ゴーレムは機械的な存在で、従来の生命体とはまったく違った、コアを中心とした感覚器官で相手を察知する。アリサの石化能力は、相手が彼女の顔を見ることにより効果を発揮するため、見るという行為が存在しないゴーレムに、石化効果は期待できない。純粋に戦闘力勝負になるだろう。術者と思われる少女を狙えば楽かもしれないが、ここに現れる以上、対策は万全と見ていい。アリサの実力を過小評価するわけではないが、苦戦は免れないはずだった。
 かわいい少女がゴーレムの肩から飛び降りると、首を傾げながらマークに質問をした。
「おにいちゃん、だーれ?わたし、ミリア。こっちはゼータだよ。あのね、ミリア、ゆーめーになるために、メデューサさんをたおしにきたの。」
(常識のある奴は、ここでこの子を諭して追い返すところだろうけど。うーむ。)
 ゴーレムの威圧的なボディーを見たときから、マークは闘う欲求を抑えられずにいた。しばらく暇を過ごしていたので、闘いを求める血が疼くらしい。
「俺はマーク。ミリアちゃんだったかな?メデューサさんと戦いたかったら、まず、俺に勝たないといけないんだけど、それでも戦う?」
「うん、たたかうよー。先手必勝!!ゼータ、やっちゃえー。」
「ガオーン。」
 少女がゴーレムの肩から降りる。ゴーレムは頭上に両腕を掲げ、一声雄叫びを上げると、マークを叩き潰すべく、その巨体に似合わぬスピードで巨大な拳を繰り出した。マークは、その拳をまったく無駄のない動きで避け、腰の黒鞘からゆっくりと刃の輝きを引き出していった。
 
 ゴーレムの拳が、左右立て続けにマークに向かって振り下ろされる。マークはそれを最小限の動きでかわしていた。拳が空気を押しつぶす時に生じる気流に乗るように、フワリフワリとかわしている。まるで、羽毛が風に舞っているようだった。
「おにいちゃん。かわすだけじゃ、かてないよー。」
「それもそうだね。じゃあ、反撃させてもらうよ。」
 振り下ろされたゴーレムの右腕を紙一重でかわし、その腕を足掛かりにしてゴーレムの頭上に飛び上がると、頭を下にして面前に捉えた右肩に斬りつけた。
 ガキン!!
 耳障りな音を立てて、マークの剣は弾き返された。予想外の手ごたえに、僅かに崩れた体勢を整えながら、マークは少し驚きの表情を浮かべる。
(あの一撃で断ち切れないのか。)
 マークは鍛錬と剣自体の強度により、力を入れずとも鋼鉄を紙のように切り裂くことができた。今戦っているゴーレムも、その外観からアイアンゴーレムだと踏んでいたのだが…。
 ゴーレムの肩を見ると、表面を覆う黒い金属の下から、マークの左腕と同じ青白い輝きがこぼれ出ていた。
(なるほど、ミスリルゴーレムだったのか。どうりで。)
 その後、何度か斬りつけてみたものの黒い外装にしか傷をつけられなかった。
 しかし、決め手を欠いているのはゴーレムにしても同じことで、次第に速くなるマークの軽やかな動きについていくことができず、いいようにあしらわれていた。
 術者であるミリアには、その膠着状態が耐えられなかったらしい。
「うーん。ちからおしではだめだねー。じゃあ、こっちも本気でいくよー。」
 その言葉と共に、ゴーレムの傷口が輝き始めた。と、同時にマークの左腕も輝き始める。
(腕が反応している!!なんだ!!)
「ブレストヒート!!」
 突然ゴーレムの胸が赤く輝いたかと思うと、真っ赤な熱線がマークめがけて放たれた。とっさに左に跳び避けるマーク。しかし、熱線は地面をじりじりと焦がしながら、素早く確実に彼を追いかけていく。
(バカな!!ゴーレムに魔法発動能力はないはず。いや、まてよ。俺の左腕が反応した。ミスリルゴーレム。そうか!!)
 マークは熱線をさらに大きく避ける。熱戦はその動きを追いかける。熱線はゴーレムの正面にしか放てないらしく、常にマークを正面に捉えようと上半身を動かしていた。30秒ほど照射された後に、その赤い帯は収束していった。地面には熱線による焼き焦げた跡が、複雑な幾何学模様を描いている。
(少女が簡略化した魔法に指向性を持たせ、ゴーレムから発動させているってところだろう。普通のゴーレムと違って、かなりの部分をゴーレム自体が独自に考えて動くから可能なんだろうな。しっかし、ミスリルで魔法の効果を増幅すると、あそこまでの威力を発揮するのか。)
 ちらりと少女の方を見ると光り輝く球体に包まれていた。
(そして、ミスリルで強化された目に見えるほどの魔法障壁で、術者本人は身を守りつづけるというわけか。まさに死角なしだな。)
 ミスリルで増幅されているとはいえ、少女自身の実力は相当なものだと、マークは他人事のように感心した。同時に二つの魔法を唱えるだけでも、かなりの知識と魔力が必要だからである。
「アイスハリケーン!!」
 ゴーレムの口から放たれる絶対零度の空気の渦。渦に飲まれた雑草が、瞬時に凍りつき粉々に砕け散った。マークは咄嗟に後方へ飛び、冷気をかわすと右腕の剣を握りなおした。
(確かに強い。でも、一対一の闘いでは、その本来の実力を発揮できないだろうな。どう考えても、こいつは多数の敵を屠るために作られている。はっきり言って、戦争向けの兵器だよな。それに、俺には…。)
 マークは目をつぶった。瞬時に真眼が発動する。それに呼応するかのように、右手に握り締めた剣の刀身が、どす黒い闇に覆われていった。

 すべての感覚が消失する。そして、それに変わる感覚が、身体の隅々にまで行き渡る。
 自分を中心にすべてが現れる。自分を含めて、すべてを感じることができる。ある瞬間に世界がぶれ始める。ぶれは次第に大きくなる。ぶれは、数瞬先の相手、周り、自分の動きを表す影となって先を進んでいく。
(見える。俺には見える。どう動くべきかが。)
 数瞬先を移動する自分の影を、マークは追いかけるように動いていった。

 冷気の渦へ飛び込むように、マークはゴーレムへと突き進んでいく。冷気に取り込まれることなくゴーレムの懐に飛び込むと、マークはゴーレムの両太腿を右に薙ぎ、返す刀で左腕を斬り飛ばした。闇の刃は、何の抵抗もなくミスリルを切り裂いていった。
 両足を大地に残したまま、滑るように前のめりに傾いていくゴーレム。
 ズン!!ズシーン!!
 最初に左腕が、次いで胴体が、地響きを立てて地面に落ち、動かなくなった。
「これで終わりっと。どうする?まだ続けるかい?」
 目をつぶったまま問いかけるマーク。
 ミリアは、倒れたゼータを見て息を飲んだが、すぐにマークを睨みつけた。
「おにいちゃん、あまいよ。必殺、ロケットナックル!!」
 プシュー!!ゴォウワ!!
 唯一残された右腕の肘の関節から排気が行われたかと思うと、右腕が切り離され、凄まじい勢いでマークに向かっていく。しかし、マークはまるでそれを知っていたかのように飛び上がって避けると、ゴーレムの胸に降り立ち、闇に染まった剣先をゴーレムの頭部に向ける。切り離された右腕が上空から現れ、ゆっくりと下降し、元の位置に収まった。
「まだ続ける?これ以上やるなら、頭部のコアを壊すことになるけど。」
「おにいちゃん、しってたの。コアをこわせば、ゼータ、死んじゃうって。」
「まあ、ゴーレムとは何度か戦ったことがあったから。」
「おにいちゃんのバカバカ。ゼータ、ころさないで。ゼータはおとうさんが残してくれた、たったひとりの友達なのに。それなのに、それなのにころすだなんてひどいよ、おにいちゃん。」
 ミリアは防御障壁を解き、無数の火炎弾を手のひらから次々とマークへと放ち始めた。
「いや、まだ壊すとは言ってないんだけど。ちょっ、ちょっと人の話を聞いて…。」
 無数の火炎弾を剣で頭上に弾きながら、マークはどうミリアを落ち着かせるか思案していた。

「フンフンフーン。」
 アリサは、自家菜園で収穫した野菜や果物を籠いっぱいに積み込み、帰り道を急いでいた。普段ならマークが手伝ってくれるのだが、今回は、一人で行くと言い張った。
「手伝ってもらってばっかりじゃ、身体が鈍っちゃうわ。ただでさえ、用心棒をしてもらって、最近戦ってないんだから。」
 洞窟前の広場が眼下に見渡せる高台で、アリサは歩みを止めた。
 巨大な人型の金属が横たわり、その傍で戦闘が行われていた。マークが、真っ青なヒラヒラドレスを着た少女から無数の火炎弾を受けている。必死になって天空に弾いているが、アリサには押され気味に見えた。
(マークが危ない!!)
 石化をするには条件が整っていないため、アリサは動きを封じる意味で氷結魔法を唱えた。首にかけてある胸元のペンダントが淡い光を放つ。
「アイスウォール!!」
 そして、広場に向かって森の中を駆け出した。

 尽きることなく迫ってくる火炎弾を頭上へ弾きながら、マークはミリアに質問した。
「ねえ、ミリアちゃんは、なんで有名になりたいの?」
 休むことなくミリアも答える。
「ミリアね。ゆーめーになっておとうさんを捜すんだ。わたしたちのつよさでゆーめーになれば、行方不明のおとうさんも捜しやすいとおもうし、」
「ふーん、お父さん捜しか…。」
 相変わらず止まることのない火炎弾を弾きながら、少しマークは辛そうな顔をした。
「ねえ、ミリアちゃん?メデューサさんは諦めて、他のことで有名にならない?今回はゴーレム、壊さないって約束するから。有名になるのは他の方法にしてくれないかな?」 
 魔法を放ちながら首を傾げて、ミリアは再確認する。
「ほんとに、ゼータ、こわさない?」
「壊さない。約束するから。」
「ほんとにほんとう?」
「約束は守るから。だから、ミリアちゃんも約束してくれる?」
「うん、もうメデューサさんは狙わない。他のことでゆーめーになる。」
 ミリアはやっと火炎弾を放つのを止めた。
(ふう、なんとかなったか。しかし、ミリアちゃんはすごい魔力の持ち主だな。普通あれだけの魔法を使えば、へばってしまう筈なのに。まったく影響がないみたいだ。)
 足元に横たわるゴーレムの左腕に目をやりながら、マークはホッと一息ついた。
「おにいちゃんてやさしくて、つよいんだね。ミリア、こんなにされ、きゃあああああ。」
 突然のミリアの悲鳴に、慌てて振り返ったマーク。そこには、両足首を氷で包まれたミリアが、恐怖で顔をゆがめて涙ぐんでいた。

 ミリアにとって、それは恐怖でしかなかった。すぐに魔法による氷だと悟ったミリアは、魔法を放った相手を捜し求めたが、その姿をどこにもない。相手が判らないだけに、えたいの知れない恐怖が少女の心を蝕んでいった。
 目の前にいるマークを疑う気持ちは、不思議と湧いてこなかった。それまでのミリアへの対応が、子供だからと侮ることのない、信頼するに足りるものだったからである。現にマークは、目を見開いて驚愕していた。
「あしが、あしがうごかないよう。」
 氷に対して炎の魔法で対抗しようとしてみたが、あまりの恐怖に精神集中が出来ず、炎を形成することができなかった。
 氷は成長するように盛り上がり、ミリアを細い脹脛、太腿と少しずつ取り込んでいく。氷は取り込んだ部位に、最初は痛みを、次いで痺れを与え、最後にすべての感覚を奪っていく。その喪失感が、ミリアの心に恐怖と不安をさらに膨らませていった。
「おにいちゃん、つめたいよう。」
 フワリと膨らんだスカートとその中身を覆い尽くす氷。下着越しに感じる氷の冷たさに、ミリアはまだ動かせる上半身をブルリと震わせる。失われていく下腹部の感覚は、少女の奥底に疼きを一瞬だけ与えて、すぐに掻き消えた。
「おにいちゃん、こわいよう。さむいよう。」
 ほとんど膨らみのない未発達な胸を、そして、華奢な腕を氷は包んでいった。服を着ている部分は直接肌に氷が触れることはなかったが、冷たさは服を通して情け容赦なく伝わってくる。
「いやだ、こんなのいやだ。たすけてよう。」
 必死に顎を上げ、首を伸ばすミリアをあざ笑うかのように、氷は首を這い登り、顔を覆い尽くす。
「おとうさ…ん…。」
 透明な氷に包まれたミリアは完全に沈黙した。透明な氷の中に封じ込められた、かわいい青の衣装に身を包んだミリア。その表情は恐怖で歪み、目に浮かんだ涙は氷と混じることなく結晶化していた。
 氷柱と化したミリア。マークは、その哀れで美しい氷の宝石が完成するまでの間、心を奪われて見つめ続けることしか出来なかった。

「マーク、大丈夫?」
 アリサが森の中からマークに駆け寄ってくる。その姿を見て、マークはことの顛末を一瞬で悟った。
「アリサさんの仕業ですか。なんてことをするんですか!!早くミリアちゃんを元に戻してください!!」
「へっ?で、でも…。」
 思ってもいないマークの叱責に戸惑うアリサ。
「もう彼女に戦う気はなかったんです。早く、早く。」
「ごめんなさい。てっきり、あなたが襲われているものだと…。」
 いつもの謝罪モードに移ろうとするアリサを強い言葉でマークは遮った。
「言い訳はいいですから早く戻して!!」
「はい…。」
 アリサはシュンと肩を落として、解除の呪文を唱えはじめた。

「おにいちゃん、こわかったよう。」
 氷から開放されたミリアは、マークに素早く抱きついた。アリサは眉をひそめた。
「ごめんなさいね。お姉さん、早とちりしちゃって。ミリアちゃんだったかな?」
「ねえ、おにいちゃん。このおばさんだれ?」
「お、おば!!」
 アリサの髪のざわめきを見て、マークは慌てて口を挟んだ。
「こっ、この人、メデューサさん、ミリアちゃんが戦おうとした人だよ。でも…。」
「うん、おにいちゃんとの約束だし、もうこんなおばさん、興味ないしどうでもいいよ。」
(おばさん、おばさんと連呼するんじゃないわよ!!あっ、いけない。相手は子供よ。冷静にならなくちゃ。)
 眉間をピクリと動かすだけで、なんとか怒りを押さえ込んだアリサ。
「ねえ、おにいちゃんとおばさんは恋人同士?」
 アリサの耳がピクリと動いた。
(さすがは子供ね。聞きにくいことをストレートに聞けるとは…。マークはどう答えるつもりかしら?)
 期待と不安を入り混じらせて、アリサはマークの次の言葉を待った。
「いや、そういうわけでは…。俺はアリサさんの用心棒だから…。」
(やっぱりね。マークならそう答えると思った…。)
 ある意味、予想通りの答えに、アリサはガックリと肩を落とした。
「ようじんぼう?なにそれ?まあいいや。とにかく、おにいちゃんはまだフリーなんだよね。」
 アリサは、ミリアの値踏みをするような視線が少し気になった。
「ミリアがおにいちゃんの恋人になってあげる。」
(子供は無邪気でいいわね。うらやましい。恋人か…。)
 自分では言う勇気もない言葉を簡単に口にできるミリアを、アリサは心底羨ましく思った。
「いや、恋人は…。ミリアちゃんまだ小さいし。そうだ、友達ってことで。」
「ともだちー?じゃあ、もうすこしおおきくなれば恋人になれるの?」
「えっ、えーと、まあ、そうなるかな。」
(フフフ。マークったら、子供相手に真剣に答えてる。まあ、そこが彼らしいところだけど。)
「わかった。いまは友達で我慢してあげる。」
 そう言うと、ミリアはマークに無邪気な笑顔を浮かべながら近づいていく。
 アリサはその動きに、なぜか嫌な予感を覚えた。
「おにいちゃん、約束だよ、ねっ。」
 ミリアはマークの足元まで来ると、ジャンプをして彼の首にぶら下がり、唇にキスをした。唇が触れたとたん、マークは目を見開いたまま、ピクリとも動かなくなった。
 アリサは見た。ミリアがマークと唇を合わせながらこちらを見ているのを。勝ち誇ったような目をこちらに向けているのを。お前にこんな真似ができるのかという挑発を。
 それは、少女というよりは、女の妖艶さを漂わせていた。少なくとも、アリサにはそう見えた。

「じゃあ、さよーならー。おにーちゃん、またねー。約束、わすれないでよー。」
 応急で直した、継ぎ接ぎだらけのゴーレムの肩に乗り、ミリアは森の中へと姿を消した。
 アリサはその様子を終始、無言、無表情で見送ると、次いでマークを睨みつけた。
「ねえ、マーク。マークの言う友達って、キスをする関係なんだ?しかもあんな小さな子と。」
 先ほどの突然のキスで魂を他所へ飛ばしていたマークは、アリサの問い掛けで我に帰った。
「えっ、い、いえ、そういうわけでは…。」
「じゃあ、どうして、あの子の接近を簡単に許したのかな?」
「えっ、ええっと、突然だったから。」
「常在戦闘、真眼使いのあなたに、あの程度の動きが避けられないはずないわよね。」
「いや、あれは戦闘じゃないし。」
「そう、戦闘じゃなければマークは、誰かが目の前に近づいてきても気付かないんだ?」
「いえ、そういうわけでは…。気付いてましたけど、動けなかったというか。そのう…。」
 不機嫌さを隠すことなくアリサが近づいてくる。アリサはマークの目の前に立つと、自分より頭一つ分高いマークの顔を下から覗き込んだ。
 マークは目の前に迫ったアリサの怒り顔を、ただ見つめることしかできなかった。蛇ににらまれた蛙のように身動き一つできない。そんな状態の中で、普段の穏やかな笑みとは違う、美女が称える怒りの表情を、マークは心の片隅で綺麗だと思った。
 とつぜんアリサの瞳から怒りの炎が消えた。フッと頬が緩んだかと思うと目が閉じられ、その端正な顔が視界一杯に広がった。アリサの腕が首の後に回される。
 唇に触れる柔らかな感触。鼻孔をくすぐる甘い香り。それは一瞬だったのだろうか?それとも、数分だったのだろうか?マークには判別がつかなかった。
 アリサの顔がゆっくりと離れていく。別れを惜しむかのようにゆっくりと。
「ほんとに動けなかったようね。さあ、戻りましょう。今日は新鮮な野菜もあることだし、腕によりをかけておいしい物を作るわよ。」
 普段より心持ち赤い頬をしたアリサが、マークに声を掛け、逃げるように洞窟へ戻っていった。
 しかし、マークは何も考えることができず、置き忘れた人形のように立ち尽くしたままだった。それは、アリサが料理を完成し、一緒に食べようと探しに来るまでの30分間、続いたという。

つづく


愚印さんの文章に戻る