伝説の用心棒 第2話 「奇妙な依頼」

作:愚印


「お飲み物はコーヒーでいいかしら?」
 アリサは早朝の一杯として作った、少し香りの落ちたコーヒーをカップに注ぎながら、キッチンから男に向けて問い掛けた。
「あっ、すいません。ええっと、ブラックにしてください。」
 男は大きめのソファーに身を預けながら答えた。腰の剣はソファーに立てかけられている。
 アリサは両手にコーヒーカップを持ち、ひとつを男の前に、もうひとつを自分の前において男の対面のソファーに腰掛けた。2人は洞窟内の一室で、テーブルを間に向かい合っていた。落ち着いた調度品で揃えられた室内は、壁に淡い光を放つ魔法石があるため、外と同じくらいの明るさを保っている。
「本当にごめんなさい。お客様なんてもう何年も来ていないものだから、つい…。」
 つい…で殺されては、たまったものではないだろうが、下を向いて口篭った彼女に男は慌てて声をかけた。
「いえ、ホント、気にしてないですから。実際、俺、ケガしていないし。」
 先ほど洞窟の外で、散々謝る彼女を何とかなだめすかし、男は苦労してこの状況にまで持ってきていた。彼女の後悔の念が再発しないよう、躍起になったとしても仕方の無いことだろう。
「そう言ってもらえるとありがたいけど…。」
 まだ申し訳なさそうにしている彼女を見て、男は話題を変えることにした。
「ああ、そうそう自己紹介がまだでしたね。俺はマークっていいます。あなたはメデューサさんで間違いありませんか?想像とだいぶ違いますけど。」
「ええ、メデューサで間違いないですよ。ただ、メデューサは世間が過去の伝説を元に一族の実力者につけた俗称、親からはアリサと名付けられています。できれば私のことは、アリサって呼んでくれませんか?」
 さほど気にした風も無く、アリサはマークと名乗った男に自分の名前をあっさりと教えた。
「す、すいません、アリサさん。そんなこととは知らず…。」
 一瞬(しまった)と言う表情を見せ、マークはすまなさそうに顔を俯けた。そのあまりの落胆振りに、アリサは慌ててフォローを入れる。
「いえ、いいんですよ。アリサなんて呼んでくれたのは、両親と今のあなただけですから。」
 アリサの柔らかい微笑は、マークを安心させた。

 場が落ち着いたところで、アリサは本題に入ることにした。
「ところで、私に会いに来たってさっき言いましたよね?何の御用でしょうか?あなたほどの腕前の方が?」
 マークは一度、上げかけた顔を再度俯かせ、ぼそぼそと答え始めた。
「ええと、まずあなたに会ってみたかったのが一つ。」
 アリサはちょっと嫌な顔をした。
「まあ、たしかにわたしは見物するに値する珍しい存在だから…。『伝説の怪物』ですもんね。一族の者もほとんど残っていないでしょうし…。でも見世物には向きませんよ。石になるから…。」
 再びアリサの顔に陰が浮ぶのをみて、マークは慌てて発言を否定する。
「あ、いえ、誤解しないでください。会いに来たというのは口実みたいなもので、その、ええと…。決して、見世物なんて考えたことはなくて…。そのう…。」
「じゃあ、どういうご用件でしょう?」
「それが、ですね。そのう。」
 プチン!!
 アリサはマークのその煮え切らない言葉に、頭の中で何かの線が切れた音を聞いたような気がした。突然、テーブルに身を乗りだして、彼女はマークに詰め寄った。
「正直に話してくれませんか!!ああ、いらいらする!!その咽喉の奥に魚の小骨が引っ掛かったような喋り、大嫌い!!はっきり言ったらどうなの!!」
 ビクン!!
 マークはその剣幕に少し怯みながら、アップになって迫ってくるアリサの顔を逃げもせず見つめていた。彼女の瞳の中に苛立ちと僅かな不安を見て取り、意を決して本来の目的を告げることにした。
 アリサもマークのその真剣な表情から、興奮を抑え、腰を落ち着けて聞く体制に入った。
「わかりました。正直に言います。単刀直入に。俺の左肘から先をあなたの石化能力で石にしてくれませんか?」
「はあ?」
 その思いもよらない内容に、思わず間抜けな声をあげるアリサ。
「いや、だから、俺の左腕の肘から先を石にしてもらいたいと…。」
「それはわかりました。なんでそんなことをしてもらいたいのかが、わからないんだけど?」
 自分をメデューサと知った上で、客として現れた凄腕の男、マーク。訳有りであろうことは容易に想像がついたが、その答えはアリサの予想外だった。メデューサの髪は、魔道関係者にとって垂涎物の素材なので、てっきりそれを分けてくれとでも言うのだろうと思っていたのだ。実際、それ目的で襲ってくる冒険者も多かった。
彼女としては、攻撃を問答無用で仕掛けたこともあり、他者を害する内容でなければ協力を惜しむつもりは無かったのだが、それにしても理解に苦しむ内容だった。
「俺、文献読んで、あなた、ってゆうか、あなたの一族について調べたんですよ。その能力についてですけど…。それである一文を見つけたんです。」
 マークは視線を虚空に漂わせ、文献の内容を思い出す。
「メデューサに立ち向かい敗れた女戦士は首から下を石にされ、石にしたメデューサが倒されるまでその姿のままであったと。石にされた女戦士は自ら死ぬこともできず長い時間を泣き続けたと。」
 アリサにとって、その話は初耳だった。彼女の一族は、その危険な能力から、十数年前に時の権力者によってほとんどが滅ぼされ、今ではアリサのように力がある存在が数人、世間から身を隠すように息を潜めているだけである。マークが見た文献は、まだ、一族全盛の頃の記録だろう。
 しかし、アリサの中ではまだ話が繋がらない。
「それと、あなたの腕を石にするのと何の関係が?」
「わかりませんか?左腕を石にすることで生身の部分は歳を取らなくなると読み変えられませんか?」
 少し考え込むアリサ。その言葉の意味を理解したとき、彼女は(まだ若いのに)という白い眼をマークに向けた。
「つまり、不老の体を私の能力で得たいってこと?」
 その眼差しにたじろぎながら、マークはすぐに否定した。
「いえ、そんなものを望んじゃいません。求めるものは同じかもしれないけど、目的が違います。俺の目的は強くなることです。そこらの権力を持ったジジイみたいに、ムダに長生きしたいわけじゃない。俺はもっと強くなりたい。強くなるには時間が足りない。また、今後現れるであろう好敵手と、時代を超えて剣を交えたい。それだけです。」
 マークの主張を聞いていて、アリサはふと疑問に思いそれを口にした。
「左腕が使えなくなるのは、強くなるのに支障があるんじゃない?」
「それは大丈夫です。俺の使う剣技は右腕一本しか使いませんから。左腕はバランスを取るためにしか使いません。本来、俺の今のレベルまで鍛え上げたら、左腕は布で巻いて封印します。いざという時に使えないようにね。」
 アリサは、マークのお願いを一通り聞いてその内容を理解したものの、協力することについては躊躇していた。石化能力を老化停止に使ったことなど、今までなかったためである。自分がその効果に疑問を持っているのに、それを相手に使っても良いものかどうか…。
「うーん。あなたには借りがあるから、協力は惜しまないけど、今までそんな悪趣味なことをしたことないから、できるという確証がないのよねえ。もちろん、左手だけを石にすることはできるわよ。石化の進行、部位、解除、材質は確かに私の思いのままだから。でもねえ。そんなにうまくいくかしら?」
 マークはここが正念場と見て、説得にかかった。
「そこを何とかお願いします。もちろん見返りは考えてあります。成功・失敗に関わらず、しばらくの間、俺、あなたの用心棒をしますから。さっきの様子からして、冒険者や勇者やらが頻繁に訪れているんでしょう?名誉や私欲、誤った認識に基づいて…。あなたなら大抵の輩はしりぞけるでしょうけど、俺みたいなのが来たら大変でしょう。用心棒、どうですか?それにこれなら、俺自身も強敵と戦えますから。」
 少し得意そうなマークに、アリサは寂しそうな顔で答えた。
「それほど魅力的な提案とは思えないわ。私はそこまで生きることに執着しているわけではないから。今、生きているのは両親との約束を守っているだけ。積極的に死のうとは思わないけど、力及ばず倒されて死ぬのは運命だと思って諦めるつもりなの。だから…。」
 アリサの寂しそうな告白は、マークの直情的な怒りに遮られる。
「そんな悲しいことを言わないでください!!これまでのあなたの苦しみを俺は知りません。でも、そんなのは間違っていると思います。どんな困難が目の前に立ち塞がっても、それを乗り越えようとするのが生きている者の義務じゃないですか?仕方なくなんて生き方は、その約束をしたご両親に対しても失礼だと俺は思います。」
 その心の、いや、魂のこもった言葉に、アリサはマークの人柄に改めて好感を持ち、彼に協力しようと思った。効果云々はともかく、この若者のためにやるだけやってみようと。
「ごめんなさい。変な話になっちゃって。いいわ。やってみましょう。」
「本当ですか?ありがとうございます!!」
「でも、効果がなかったからって私を恨まないでね。悪いのは、そんな文献を書いた奴だからね。それを理由に切り殺されるのは勘弁してよ。」
 アリサはマークの傍らに控える黒鞘の剣を見て悪戯っぽく笑うと、大袈裟に頭を下げてお願いした。
「そんなことしませんよ。信用してくださいよ。会ったばかりで無理かもしれませんけど。」
「冗談よ。冗談。あなたの誠実さは十分伝わっているから安心して。」
 2人は顔を見合わせて笑い合った。

 アリサとマークは、洞窟の一室で向かい合っていた。そこは室内に家具や装飾品が何も置かれていない殺風景な部屋だった。マークの左腕は、石化に備えて篭手等は外されている。
「じゃあ、いくわよ。」
「お願いします。」
「しかし、お客様にあの姿を、しかもあの顔を見られることになるとはねえ。本当はあの姿をまじまじと見られるのは嫌なんだけど。」
「す、すいません。」
「まあ、めったに見られるもんじゃないから。しっかり見ていいわよ。」
「そういわれれば、そうですね。あ、いえ…。」
「一応説明しておくけど、石化はあなたが私の顔を見ることによって起こるけど、私が石化しようと思わない限り、石化は始まらない。石化する時は合図を送るから。それから、私の能力で石化した部分がある限り、その石化の進行は私の影響下にある。つまり、その間は私の思いのまま。私が気変わりしたら、いくら達人のあなたでも石化から逃れられないわよ。この石化の支配は、あなたが完全に石化するか、完全に生身に戻るか、私が死ぬか、このいずれかになるまで続くから。また、完全に石化してしまえば、私でも生身の身体に戻すことはできなくなるから。完全石化状態でも材質の変化だけは可能だけどね。いろいろ言ったけど、デメリットの方が大きいわよ。それでもいいの。」
 アリサが一息で説明を終え、念押しようとマークを見ると、彼は退屈そうに部屋を見回し、あくびをしていた。
「ちょっと、聞いてるの!!」
「聞いていますよ。それに俺はアリサさんを信用してますから、不安はありません。」
 アリサは、その言葉を嬉しく思ったが、それと同時に違和感を覚え、思い切ってマークに尋ねてみた。
「ねえ、あなた、わたしのこと誰かから聞いてない?初対面にしては、ちょっと私を信用しすぎているような気がするのよね。」
「ギクリ。そ、そんなことはないでしょう、と思います。たぶん。」
「そう、まあいいわ。確かに本当の私を知る存在なんて、今ではいるはずないものね。よし、じゃあ、姿を変えるわよ。」
 あからさまに怪しいマークの回答をあまり気にとめずに、アリサは変身を準備する。眼をいったん閉じ、数瞬の間を置いてカッと見開き、素早く蛇の頭に鱗の手足という姿に変身した。
「どう、ご感想は。」
「………。」
「あまりの醜さに引いちゃったかな?そりゃそうよね。蛇の頭に、鱗の手足。瞳も爬虫類だものね。」
「ああ、すいません。いや、その。」
「どうかしたの?」
「ええと…。そのう…。」
「はっきり言いなさいよ!!」
「こんなこと言ったら、アリサさん、怒るかもしれないけど…。」
「怒らないわよ!!」
「今のアリサさんも、なかなか綺麗だなと。」
「えっ!!」
 予想外の言葉にアリサは、目を丸くする。
「いつものアリサさんは例えれば花の美しさだけど、今のアリサさんは厳しさを備えた、うーん、高みから落ちてくる滝の水の美しさってところですかね。アリサさんは嫌ってるようですけど、俺は今の姿も魅力的だと思います。」
「そ、そう…。」
「これって、俺だけしか気付いてないんですよね?アリサさんの今の顔は、誰もまともに見たことないだろうから。ちょっと得した気分ですね。」
「………。」
 沈黙したまま俯くアリサの顔を不安そうに覗き込むマーク。
「怒ってません?」
 マークの動作に気付いたアリサは、慌てて否定した。
「お、怒ってないわ。そ、それじゃ、石化に移るわよ。そうそう、石化後は大理石になるから、左手は握ってね。大理石って結構脆いのよ。後でご希望の材質に変えてあげるけど、念には念を入れて拳を握っておいたほうが良いと思う。指がいろんなところに引っ掛かっても大変だろうし。」
「わかりました。それでは、お願いします。」
 アリサの髪の蛇を指であやしながら、マークは軽く頷いた。

「じゃあ、私の目を見て。」
「こうですか。」
 2人は至近距離で見つめ合った。マークの期待に満ちた瞳がアリサの瞳を射抜く。
先ほどのマークの発言を思い出し、アリサは気恥ずかしくなって、つい目線を逸らしてしまった。
(確かに俺が彼女の顔を見ればいいので石化に問題はない。でも、彼女が俺から完全に眼を離すことに問題はないのかなあ?なんだか、いやーな予感がするんだけど…。)
 マークは注意したかったのだが、アリサの集中を乱す可能性があるので黙っていた。
 マークの左拳が、ゆっくりと灰色に染まっていく。痛みや違和感は無い。ただ動かなくなるだけである。その自分の身体に起こる不思議な変化をマークは物珍しそうに眺めていた。
 
(私のこの姿が美しいだなんて、初めて言われたな。親にだって言われたことがなかった。)
「………さん。……サ…ん。」
(厳しさを備えた滝の美しさ。本当にそう思っているのかしら。)
「……サさん。もう肩まで石……。」
(からかっているだけかも。それでも嬉しいな。魅力的か…。)
「……えてますか?…リサさん……。」
(それから、私の爬虫類の瞳も目を逸らさずに受け止めてくれた。)
「……う足まで石になっていま……。」
(それに、私の蛇の髪を撫でてくれた。でも、あれは危ないわよね。毒蛇だから。)
「アリサさん!!もう、首の下まで石になっちゃってますよ。考え事はそれくらいで、こっちの世界へ帰ってきてください!!お願いしますよ!!」
 マークの必死の言葉でアリサは我に返り、驚いて彼へと目線を戻した。
 マークは首から下を灰色に染めていた。アリサの石化は装飾品にまで及ぶらしく、使い込まれた革鎧も灰色に染まっている。ただ、漆黒の鞘に収まった剣だけは元の姿を保っていた。足を肩幅程度に開いて、不自然ながらもなんとか安定感を確保している。マークは少し涙目になってアリサを見つめていた。
 アリサは一瞬状況が飲み込めず、マークを凝視した。
「へっ?あっ、あああ!!ごっ、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
 マークの咽喉元が白く染まり始めた。
「謝るのはあとで…いい…から、石化の…進…こ……。止め………。」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。」
「………。」
 かろうじて額までで石化が止まったマークが、当初予定していた左肘から先の石化状態になったのは、きっちり三十分後だったという。

つづく


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