桃源鏡・第4章「硝子の心」

作:幻影


「弥生、私をかばって・・・」
 体がガラスになっていく弥生を見て、葉月は困惑していた。弥生は振り返らないまま、気さくに声をかけてきた。
「言っただろ・・アンタはあたしの仲間(ダチ)だって。ダチはお互いの気持ちを分かち合えるヤツ。そして、そのダチのために体を張るのは当然だろ?」
 葉月は立ち上がって弥生の前に駆け寄る。弥生はガラスに変わっていく自分の体の冷たさと痺れの中、必死に笑顔を作ろうとする。
「弥生、私・・・」
 弥生の肩に手を乗せ、葉月が悲しみに顔を歪める。
「そんな顔するなよ。あたしはあたしのやるべきことをやっただけだよ。あたしは柚希を守れなかった。自分の悩みばかりを押し付けて、アイツの悩みを聞いてやらなかった。同じ後悔はしたくなかった。だから、ダチは何が何でも守り通したかったんだよ。」
 弥生が気さくな笑顔で葉月を励ます。
 弥生のガラス化は手足をから胴体へ浸食を始めていた。
「昔のアンタに何があったか知らないけど、あたしには分かる。葉月、アンタはあたしや柚希の辛さを自分の辛さのように感じ取ってくれている。アンタは全く無関係じゃないと思うよ。」
 笑顔を崩さない弥生の眼からうっすらと涙があふれる。
 彼女の体は頭から下はガラスに変わり、急激に冷やされた感覚に陥り、熱さも冷たさも感じていなかった。
「弥生、ダメ!弥生!」
 葉月が弥生のガラスの体にすがりつく。
「葉月、柚希を助けられるのはもうアンタしかいない。けど忘れないでほしい。アンタにはダチがいることを。あたしも、満月も椿も、みんな・・いっしょ・・だか・・・ら・・・」
 ガラスが弥生の唇を包み込み、涙を流す瞳をも覆っていく。
 ついに、弥生までもが柚希の力でガラスの像と化してしまった。
 あまりの辛さに、葉月は弥生の冷たい体に寄り添って静かに泣く。
(分かったよ、弥生。あなたの想い、私が代わりに柚希さんに届けてみせる。)
 涙にぬれた眼を拭い、葉月は柚希に振り返った。柚希は自ら弥生に手をかけたことに対して困惑していた。
 葉月はそんな彼女に真剣な眼差しを向ける。
「柚希さん、私も実はいじめを受けてたときがあったわ。」
 葉月の言葉を聞いてはいるが、柚希は動揺して抗議の言葉が出ない。
「お父さんの転勤が相次いだせいで、私は転校を繰り返してたわ。それでクラスになかなか馴染めなくてよくいじめられて、友達もなかなかできなかったから助けてくれる人が少なかった。」
「だから、私の辛さが分かるとでも言うの!?勝手なこと言わないで!」
 必死に声を言い放つ柚希。しかし葉月は全く動じない。
「だけど、それでも私は必死に助けを求めながら辛さに耐えてきた。柔道や拳法を習ったのも、その護身用にと思って。」
「たとえあなたの言うことが事実でも、いじめや非情な現実を受け入れたことに変わりはないわ!何を考えてるの、あなた!?」
 柚希は苛立って右手を上げた。葉月さえもガラス像に変えようと必死になっていた。
「私はそんな不条理を受け入れてなんかいないよ!それに、あなたみたいに逃げたりはしない!」
「わ、私が逃げてるって!?」
「そうよ!あなたはいじめに立ち向かうことを諦めて逃げ出したのよ。自殺という逃げ道に。そしてあなたはその憎しみをぶつけているだけ。関係のない人たちまで巻き込んで。」
「関係なくないわ!みんな私を見捨てた!許せるとでも思えるの!?」
「あなたがしているのは結局はいじめをした人たちと変わらない。それに、みんなに自分の憎しみをぶつけて回って、その後に何が残るの?心の埋まらない空しさと新しい憎しみを生み出すだけ。さらに自分を辛くさせるだけよ。」
「知ったようなこと言わないで!」
 柚希は右手から葉月目がけて、ガラスの光を放った。
「ガラスに変えられれば、そんな滑稽な態度も取れなくなるわ!」
「そんなことをしたって何の意味もない!弥生だって喜ばないよ!」
 怒りに囚われた柚希に抗議の声を出す葉月。彼女の両足が柚希の力によってガラスに変わっていく。
「ちゃんと思い出して!あなたの友達のことを、弥生の気持ちを!」
「うるさいっ!」
「あなたは弥生の悩みを聞き、心のより所になってくれた。だから逆に、あなたが弥生に悩みを打ち明けてもいいじゃないの。あなたが弥生を本当の親友だと思っているなら、必ず力になってくれたはずだよ。」
 葉月の言葉に、柚希の上げた手から力が抜ける。光が治まり、ガラス化が腰に及んでいる葉月の姿が明瞭になる。
「弥生・・・」
 柚希はガラス像になった弥生に視線を移す。
 ガラスとなった下半身の冷たさと痺れに耐えながら、葉月が再び柚希に語りかける。
「誰も助けを求めてきた人を見捨てる人ばかりじゃない。少なくても、弥生はあなたの助けになったはずよ。」
「私・・私は・・・」
 柚希は脱力して腕をだらりと下げる。葉月を見た彼女の眼からうっすらと涙が浮かんでいる。
 葉月は振り返らないまま、柚希に声をかける。
「誰にだって間違いはあるし、誰かを心の底から憎みたいときだってある。でも、本当の強さはその憎しみに縛られず、立ち向かうことだと思う。だから、もう少し親友を、弥生を信じてあげてほしい・・・」
 涙ながらに語る葉月は、笑顔を崩さなかった。
 そして、葉月にかけられたガラス化は腰の辺りで止まっていた。柚希の憎しみが途切れたように。
「もっと、あなたに頼ってもよかったんだね・・弥生・・・」
 柚希は安堵の吐息を漏らして、眼を閉じた。弥生にすがりたいと思っていたが、鏡の世界でしかいられず外に出られずにいた。
 そして、彼女の体が足元から徐々にガラスへと変わっていった。
「ゆ、柚希さん、何を・・!?」
 葉月がその様子に驚愕する。駆け寄りたい気持ちだったが、下半身がガラスになっているため動けず、また窓ガラスが阻んでいるため彼女に寄り添うことができない。
 ガラス化が腰にまで及んだ柚希が、葉月に優しい笑みを見せる。
「私が消えれば、ガラスになった人たちは元に戻る。」
「それじゃ、柚希さんが!」
「私は自分の憎しみを周りにぶつけてた弱い人間だった。でも、あなたや弥生と会って強くなることができた。葉月さん、あなたも弥生と同じ、かけがえのない親友だと思ってるから・・」
 柚希のガラス化が首元まで浸食していく。
「ダメ!やめて、柚希さん!」
 葉月が懸命に呼びかけるが、動かない体と次元の違う世界の境に駆け寄ることを阻まれる。
「ありがとう、弥生、葉月さん・・・」
 満面の笑顔を葉月に向けたまま、柚希はガラスに包まれた。そしてその体に亀裂が入り、木端微塵に弾け飛んだ。
「ゆ、柚希さん!!」
 叫ぶ葉月の視線の先で、柚希は粉々に砕け散って消えていった。
 そして、葉月を浸食していたガラスが膜のように剥がれ、前のめりに体重をかけていたために、そのままの勢いでふらつく。
「あっ!わっわっ・・!」
 何とかバランスを取ろうと、窓に寄りかかる葉月。夜の闇を映し出す窓は、廊下の明かりが照り返してきて葉月の姿を反射させていた。
 しかし、柚希の姿はそこにはなかった。
 ガラス像にされていた人たちに取り巻いていたガラスが、剥がれて粉々に砕け散った。柚希が消えたことで、みんな元に戻ったのである。
「あれ?どうなってるの?」
「私、何してたんだろう・・?」
 元に戻った女生徒たちと教師たちが、困惑した面持ちで辺りを見回す。
「葉月・・・」
 窓ガラスに寄り添っていた葉月は、声をかけられて振り返った。弥生が虚ろな表情で見つめていた。
「弥生、私・・」
「分かってる。柚希は、行っちまったんだな。アイツのいるべき場所に・・」
 悲痛に顔を歪める葉月と呆然としている弥生。
 否定したいと思っていながらも、柚希の死を現実として受け入れなければならなかった。
「アイツは分かってくれたんだよ。誰もが薄情な連中じゃないってことを。あたしたちが力になってくれることを。だから、柚希のためにもあたしはダチのために体を張る。2度とあんな後悔はしたくないから。」
 弥生はゆっくりと葉月の肩に手をかける。
「弥生・・・」
 葉月はそのまま弥生に寄り添って泣きじゃくる。弥生はそんな彼女の頭を優しくなでる。
「弥生、私も親友を大事にしたい!これからもよろしくね!」
「ああ。たとえまた転校になったとしても、あたしたちとアンタの絆は切れたりはしない。絶対に。」
 そう葉月を励まして、弥生は窓ガラスに手を当て、力を込める。すると、さっきまでビクともしなかった窓が大きく開かれた。
 少し冷たい夜の風が入り込み、葉月と弥生の髪を揺らす。
「どうやら解放されたようだ。あたしたちは助かったんだよ。」
 闇夜に包まれた外から街灯の明かりが小さく差し込んできた。
 葉月たちの友情が、憎しみに囚われた柚希のかたくなな心を溶かしたのだった。
 そしてこの友情は、これからも変わることはない。

終わり


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