桃源鏡・第1章「鏡の中の暗殺者」

作:幻影


「三宅葉月(みやけはづき)です!」
 担任に促され、葉月が元気よくクラスの生徒たちに挨拶する。
 彼女は幼い時に母親を亡くし、父親の転勤の都合で町々を転々としていた。
 そして17歳のこの日、彼女は女子高であるこの琥珀高校に転校してきたのだった。
「それじゃ三宅さん、後ろのあの空いてる席に座って。」
 廊下から3列目の1番後ろの席が葉月の席となった。
「よっ!あたし、瀬田弥生(せたやよい)ってんだ。弥生って呼んでいいから、葉月って呼ばせてくれよな。」
 左隣の席に座る弥生が声をかけてきた。黄色がかった茶のポニーテールをなびかせ、男のような口調で気さくな笑みを見せている。
「うん。よろしくね、弥生。」
 葉月も笑顔で答える。
「ところで、得意科目何だい?」
「え?社会科全般だけど。」
 突拍子な質問に、葉月は一瞬呆然となる。
「よかった〜。あたし、暗記ものは苦手なんだよな〜。」
「瀬田さん、他人に甘えてばかりだと上達しませんよ!しかもよりによって転校生を捕まえて・・」
「あっ!」
 担任に注意され、弥生が慌てる。
 こうして、葉月の新しい学校生活が始まったのである。

 その昼休み、葉月は弥生に誘われて、校舎内の食堂で昼食をとることにした。
 この学校には食堂が2ヶ所設置してある他、売店が2ヶ所、自動販売機が数台あるのだが、その日は彼女は弁当持参だった。
 しかし弥生たち数人は売店での購入を予定だったらしく、パンを数個買って食べることにした。
「葉月、この眼がねの子が若井満月(わかいみつき)、こっちの子供っぽいのが桜井椿(さくらいつばき)だ。」
「よろしくお願いします、葉月さん。」
「ちょっと弥生、椿のどこが子供だっていうの!?」
 満月が丁寧に葉月に挨拶する中、椿が弥生に抗議していた。
「見た目が小さい。見た目じゃなくても、わがままで駄々をこねるし。」
 弥生の指摘に椿がふくれっ面になる。その様子を見ていた葉月と満月が笑みを浮かべる。
「フフフ、おもしろいね。これなら思ってたよりすぐにここに馴染めそうだよ。」
 葉月が安堵の笑みを漏らす。
 転校ばかりしている人は、あまり馴染みのある友達がいない。仮にできたとしても、その人の事情によってすぐに別れることとなってしまうのが、転校生の悲しい宿命である。
 しかし、弥生たちの歓迎でその心配は無用のことになった。
「とにかく、分からないことでも何でもいいから、あたしたちに相談してくれ。」
「その代わり、今日の日本史の宿題を教えてほしいって言うんでしょ?ダメだよ。勉強はやっぱり自分で努力してやったほうが効率がいいよ。」
 その指摘が図星だったのか、葉月に言われた弥生がお手上げの仕草をとる。
「安心して。この椿が教えてあげるから!」
 その横で椿が自信たっぷりに言う。
「アンタに教えてもらうくらいだったら、あたしは潔く負けを認めるよ。」
「ちょっと、それってどういう意味!?」
「アンタだって成績いいほうじゃないだろ。」
「それこそ弥生に言われたくないわ!」
 葉月の眼の前で、2人の口げんかが続く。満月はその様子を笑みを浮かべて見ていた。
「また始まってしまいましたね。」
「あの、弥生と椿ちゃんはいつもああなの、満月さん?」
「ええ。本当に仲がいいんですよ。」
 葉月と満月の雑談の間、弥生と椿の口げんかは続いた。

 6時限目が終了して放課後。
 女生徒たちは部活に向かう人と帰路に着く人に分かれる。
 そんな中、葉月は弥生に声をかけられる。
「葉月、時間あるか?」
「うん。今日は大丈夫だけど、どうかしたの?」
「せっかくの機会だから、あたしがこの校舎を案内してあげようと思ってな。ダメか?」
「ううん、いいよ。転校するたびに分からないことだらけになるから、そうしてもらえると嬉しいよ。」
 弥生の誘いに葉月が喜ぶ。
「ちなみに、満月と椿は活動中。」
「何やってるの?」
「満月は弓道部。いつもはおっとりしてるけど、けっこううまいんだぞ、あいつ。で、椿は学校新聞同好会。」
「え?学校新聞?」
「ああ。会員はあいつ1人だけだけどな。」
 驚く葉月と呆れる弥生。
「ま、そういうわけだから、あたしが校舎を案内するよ。」
「ところで、弥生は部活には入ってないの?」
「まぁな。その代わり、暇な時間にバイトしてる。」
 雑談を繰り返しながら、葉月と弥生は教室を出て行った。

「あの奥の右側の部屋が保健室。あそこの保健の田端先生はかなり美人なんだよ。もしここが共学か男子校だったら、男どもが仮病使ってしょっちゅう訪れるかもな。」
 弥生が気さくな笑みを浮かべて、奥の部屋を指差す。
 職員室、体育館、各部室などを見歩き、今は奥に保健室のある廊下まで来ていた。
「あっ!もうこんな時間か。バイトがない日でよかったよ。」
 ふと時計を見た弥生が驚きの声を上げる。時刻はすでに5時半を回っていた。
「ありがとう、弥生。いろいろ案内してくれて。」
「いいって、いいって。葉月は今日からあたしたちのクラスの仲間なんだから。」
 葉月に礼を言われて、弥生が照れる。
「でも、すぐにまた転校になるかも・・」
「いいってば。たとえ短くたって、アンタはあたしたちの仲間だよ。」
 うつむく葉月の肩に手を乗せて弥生が励ます。
「さて、そろそろ帰らないと暗くなっちまうよ。」
「うん!」
 2人は元気よく廊下を駆け出した。
「今度、あたしの家に来なよ。1人暮らしで汚らしいとこでよければだけど。」
「多少汚れてても私は大丈夫だけど、迷惑にならない?」
「ならない、ならない。」
 楽しい雑談をしながら、2人は近くの昇降口から出ようとしていた。この学校は上履きに履き替える必要はなく、外履きでそのまま出入りすることができる。
「アレ?ドアがし閉まってるなぁ。」
 弥生が閉まっている昇降口のドアに疑問を抱いた。
 この学校は朝6時から夜の9時までは昇降口のドアは開放されて固定されているが、今はしっかりと閉じていた。
「ロックでも外れちまったのかなぁ?」
 ブツブツと言いながら、弥生はドアのノブに手をかけた。
「アレ?ヘンだな・・」
 弥生が力を入れてドアを押したり引いたりするが、ここで固定されているかのように全く動かない。
「どうなってんだ?全然開かないぞ。」
 力任せにドアを動かすが、それでもドアは動くことはなく、弥生はついにドアノブから手を離す。息を切らしてドアを見据える。
「壊れちまったのか?」
「事務の先生を呼んだほうがいいんじゃないかな?」
 弥生と葉月は微動だにしないドアを見つめる。
「弥生!葉月ちゃん!」
 そのとき、慌しく呼びかけてくる椿が葉月たちに駆け寄ってきた。
「どうしたんだよ、椿?そんなに慌てて。」
「満月ちゃんが、満月ちゃんが大変なの!」
 椿の言葉に、葉月と弥生の血相が変わった。

 椿に連れられて、葉月と弥生は2階の廊下の洗面所前に駆けつけた。
 葉月たちが眼をやると、そこには満月がしりもちをついて倒れていた。
 彼女は激しく動揺して体を震わせ、漏らす声は言葉になっていなかった。
「満月、どうしたんだ!?」
 弥生が声をかけるが、満月は全く聞こえていない様子だった。
 彼女が見つめる方向を弥生も見る。そしてその顔に恐怖が満ちる。
 半透明となった女生徒が、その目線の先の鏡の前で立ち尽くしていた。
「な、何なの、コレ!?」
 葉月もその姿に恐怖する。
 凍り付いてしまったのかと弥生が恐る恐る近づいてみる。
「これ、氷じゃない。ガラスだ。」
「え?ガラス?」
 弥生の言うとおり、それはガラスの像だった。まるで本物だと思えるほどのきめ細かい作りだった。
 怯えて震えている満月がゆっくりと手を上げて指差す。
「さっき、鏡の中に人がいて、その人が手をかざすと、あの人の体がガラスになって・・」
「えっ!?」
 満月の言葉に、葉月たちは硬直する。
 鏡の前に立つガラスの像。それは元はこの学校の女生徒だった。

 部活を終えた満月は顔を洗おうと2階廊下の洗面所に訪れた。
 そこには、1人の女生徒がもう1人の女生徒に暴力を振るっていた。
「ほら!早くお金を出しなよ!まだ痛い目にあいたいのか!?」
「私、お金なんて持ってません!」
 女生徒の悲痛な訴えも聞き入られなかった。
「やめなさい!」
 そこに満月の呼び止める声が飛んだ。
 その声に女生徒が振り返り、その間にもう1人の女生徒が泣きじゃくりながら駆け出していった。
「いじめをするなんて、ひどいと思わないのですか!?」
「何だ!?あたしに指図するつもりか!?」
 いじめに苛立った満月といじめを邪魔された女生徒が睨み合う。
 そのとき、壁に取り付けてあった大きな鏡から淡い光が発せられた。その異変は2人の視線が鏡に移った。
 そして女生徒が驚愕の声を上げる。
「お、お前がなんで・・」
 2人の見つめる鏡の中には、少し幼さの残る少女が写っていた。満月が眼を疑って鏡と廊下を見比べるが、少女の姿があるのは鏡の中だけだった。
 少女が鋭い視線を女生徒に向け、右手を伸ばした。その手からまばゆいばかりの光が放たれる。
 その光に包まれた女生徒が、あまりの眩しさに顔を手で隠す。
 やがて鏡からの光が治まり、満月が伏せていた眼を開けた直後、眼の前の現実を疑った。
 光を受けた女生徒の両手と下半身が、人間味を失った半透明の別の物質へと変わっていた。
「ち、ちょっと、どうなってるのよ!?」
 変わっていく自分の姿に、女生徒が恐怖して声を荒げる。
 満月もその姿に眼を凝らす。氷のように見えたその体はきめ細かなガラスだった。
 さらに女生徒の変化は進み、上半身にも及び始めた。
「い、いったい・・・なん・・で・・・」
 恐怖と混乱を顔に満たしながら、女生徒は完全にガラスに包まれて動かなくなった。
 そして、満月は椿が通りがかるまで、放心したように座り込んで体を震わせていた。

「まさか、そんなおとぎ話みたいなこと・・!?」
 必死に言葉を振り絞った満月の振り絞った説明に、弥生も葉月も言葉が出なくなってしまった。
「それにあいつ、千尋だぜ・・」
「知ってるの、あの人を?」
 弥生の呟きに葉月が聞き返す。
「ああ。あいつはあたしの・・」
「あたしたちの仲間(ダチ)だったヤツだよ、アンタは。」
 割り込んできた声に葉月たちが振り返ると、2人の女生徒が憮然とした態度をとっていた。いずれもガラス像になった女生徒、千尋と同じ柄のよくない身なりをしていた。
「舞、智香・・」
 弥生は、紅い長髪の舞と、青い短髪の智香の名を呼んだ。
「フン!馴れ馴れしく呼ぶんじゃないよ。アンタはあたしたちを裏切ったんだからね。」
 舞がふてぶてしく弥生をねめつける。それに対して弥生は鼻で笑った。
「裏切ったなんて人聞きが悪いな。あたしはアンタらの考え方に嫌気が差したんだよ。」
「何っ!?」
 弥生の態度に智香が苛立つ。
「その分じゃ、あいつをいじめて自殺に追い込んだことには、全く心に残ってないようだな。」
 怒りを込めながら不敵に笑う弥生。いきり立つ智香を舞が手で制した。
「そのことはとりあえず置いといて。ところでアンタ、千尋はどこなのよ?」
 舞は未だに困惑している満月に近寄っていく。
「あたしたちがそんなデタラメを聞くと思ってんのかい?言わないとためにならないよ!」
 満月に手を伸ばす舞の肩を葉月が掴んだ。
「何だよ、アンタは?」
「満月さんはまだ心の整理ができてないのよ。落ち着いてからにしなさい。」
「偉そうにしてんじゃないよ!」
 制止する葉月に、舞が振り返りざまに拳を振り上げた。
 しかし次の瞬間、廊下の床に倒れていたのは舞だった。
 葉月は繰り出した拳をかわしてその腕を掴み、そのまま背負い投げに持ち込んだのである。その出来事に、弥生も椿も唖然となっていた。
「・・こ、このヤロー!」
 はっとした智香がいきり立って葉月に飛びかかった。しかし葉月は即座に智香の腕を引っ張り背中にかけた。
「イタタタタ・・」
 痛みに顔を歪める智香。
「これでも私は去年から柔道を、一昨年から少林寺拳法を1年間ずつ習ってたんだよ。」
 痛がる智香の腕を放し、葉月は舞にも視線を向ける。
「話は後にしてくれないかな?せめて満月さんが落ち着いてからにして。」
「くそっ!覚えておいで!」
 舞と智香は捨てゼリフを吐いてその場を退散した。
 彼女たちを見送った後、葉月は弥生たちに振り返った。弥生たちはまだぽかんとしていた。
「すごいなぁ、葉月。見た目からは想像できないよ、あの技。」
 弥生が感心の声を上げる。すると葉月が笑顔で、
「一応、用心のために覚えただけだよ。」
 張り詰めていた廊下の空気が、笑いと安堵の声で和む。
 そして葉月は満月に近寄る。
「とりあえず、教室に戻ることにしよう、満月さん。」
「そ、そうね・・」
 何とか笑顔を作る満月は、葉月に手を貸してもらいながら立ち上がった。
 椿とともに教室に向かおうとした弥生の動きが止まった。
「あれは・・柚希・・・!?」
 振り返った葉月が鏡を見つめたままの弥生に不審を抱く。
「どうしたの、弥生?」
「えっ?い、いやぁ、何でもない・・」
 我に返った弥生が慌てて苦笑いする。彼女の脳裏に鏡に映った少女の姿が浮かび上がっていた。
 千尋をガラス像に変えた光を放った少女、葵柚希(あおいゆずき)の姿を。

つづく


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