Shadow 「果てしない青海」

作:幻影


 その日、ユウキは病院を訪れていた。
 昨日、事故に巻き込まれた少年を助け、ともに救急車に乗ってこの大病棟に運び込んだのである。
 少年は足を捻挫しただけで、命に別状はなかった。本当はそれよりも痛々しい重傷だったのだが、ユウキが力を使って傷を和らげたのである。
 とりあえず具合を確かめるため、ユウキは病院を訪れていた。病院内を見回しながら、その少年、タイキの寝ている病室にやってきた。
 タイキは母親と笑顔を見せながら話をしていた。
「やぁ、こんにちは。」
「あ、お兄ちゃん!」
 タイキが満面の笑顔をユウキに向ける。母親も彼に笑みを向ける。
「どうやら大丈夫みたいだね・・コレ、後で食べてください。」
 タイキの様子をうかがってから、ユウキは手に持っていたイチゴを積めた袋を母親に手渡した。
「危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました。」
「いいえ、怪我しているのに見過ごすなんてできないですよ。とにかく、大事にならなくてよかった・・・」
 母親に笑みを見せた後、ユウキはタイキに視線を戻す。
「タイキくん、今はゆっくり休んで、元気になることを先に考えるんだよ。」
「うん、分かったよ。ありがとう、お兄ちゃん。」
 タイキは頷いて、シーツをかけて横になった。ユウキもそれを見て、一礼する母親に視線を送ってから病室を出て行った。

 病棟の2階フロントは、入院患者と見舞い客で和やかな雰囲気に包まれていた。その光景にユウキも思わず笑みをこぼしていた。
 軽く食事をしようと思い、ユウキは地下1階の喫茶店に行こうとエレベーターに乗った。
 珍しく中は誰もいなく、薄明かりの灯る空間で1人たたずむこととなった。
 はずだった。
 妙に明かりがちらつくのが気になり、ユウキはふと天井を見上げた。
 すると突然、天井から1人の少女が落ちてきた。
「うわっ!?」
 ユウキは慌ててその少女を受け止めた。その反動で彼らはエレベーターの壁に叩きつけられた。
「いったぁい!最後までもたなかったなぁ。」
「イタタタ・・どうして女の子が上から・・・?」
 互いに頭に手をのせて痛がる2人。その間にエレベーターのドアが閉まり、再び上を目指して動いていた。
「悪いんだけど、このまま外に出るまで付き合ってくれない?」
「外?きみ、患者じゃないのかい?」
 少女は悪びれた様子も見せず、ユウキが呆れた様子で聞き返す。
 そのとき、エレベーターは1階に到着して、ドアが開く。そこには数人の看護婦が待ち構えているように立っていた。
 異様とも思えるその光景に、少女ばかりかユウキまでも言葉が出なくなってしまった。
「あら〜・・・」
「海堂アオイさん、病室に戻ってください。」
 唖然となる少女、アオイに真ん中に立つ看護婦が慄然と声をかける。
「付き合ってもよかったんだけど、もう鬼ごっこは終わりみたいだね。」
 ユウキはただ作り笑顔を見せるしかなかった。

「いや〜ん!はなしてぇ〜!」
 2人の看護婦に腕をつかまれながら、病室に戻されていくアオイ。その姿を見送るユウキ。
「いったい何なんだ?あれで入院患者なのかい?元気に思えてならないんだけど。」
「アオイちゃんは心臓が悪いんです。」
 ユウキの自問に、1人の看護婦が答えてきた。一瞬虚をつかれた面持ちでユウキが振り返る。
「心臓が、ですか・・?」
「ええ。もう入院して3年になるのですが・・入院当初に比べて回復はしているのですが、薬を飲まなかったり病室を抜け出したりで、私たちも困り果てているのです。」
「両親は、いないんですか?」
「はい。3年前の客船の沈没で亡くなって、アオイちゃんだけが生き残ったんです。」
「も、もしかして、嵐に巻き込まれたジャッカル号のことでは?」
 3年前、1隻の客船、ジャッカル号が、突然発生した嵐に巻き込まれて沈没した。アオイを除く乗客や船員119名は死亡。この事故で彼女は重い心臓病をわずらってしまったのである。
(なるほど・・・かわいくて明るくて、それにそんな辛い経験をしているなんて・・)
 アオイの詳細を知ったユウキは、彼女に対して興味を持ったのだった。

 翌日、ユウキは再び病棟を訪れていた。タイキではなく、アオイに会うためである。
 フロントで病室を聞き、エレベーターで上に上がる。そして廊下を進んでいくと、ユウキは聞き覚えのある声を耳にする。
「もう、はなしてよ〜!」
 気になりながら廊下を曲がると、アオイが看護婦に腕をつかまれていた。薬を飲まない彼女に、看護婦が苛立っていたようである。
「また逃げ出そうとしたのかい?」
 ユウキが笑みを見せながら声をかけると、アオイと看護婦が同時にユウキに振り向いた。
「ア、アンタは昨日の・・・」
 アオイが呟くと、看護婦は嬉しいのか、笑みをこぼした。

 今回はアオイはおとなしく病室に戻り、ユウキもそこを訪れていた。アオイはどこか不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「何しに来たのよ?あたしに何か用なの?」
 アオイが言うと、ユウキは笑みを浮かべて振り返った。
「ああ。君にちょっと興味があってね。」
「興味?病人のあたしに?」
「病人があんなにやんちゃになるとは思えないけどなぁ。」
 苦笑するユウキ。顔を赤らめるアオイ。
「いくらかわいいからって、病人を口説こうなんて、アンタも変わりモンだね。」
「よく言われる、かな・・」
 アオイの愚痴にユウキは苦笑いしながら答える。
 そしてユウキは、ふと1枚の写真に眼を写した。それは、アオイが映っていた海辺の風景だった。
 彼女の後ろに2人映っていた。彼女の両親だろうとユウキは思った。
「あれは・・?」
 ユウキが呟くと、アオイの表情が剣幕になった。
「4年前の写真よ。両親と海に行ったときのね。」
「何だかすごく嬉しそうだね。泳ぐのが好きだったとか。」
「昔ね。でももう、こんな体じゃ、もう泳ぐこともできないわ。」
「あれだけ元気そうに動けるのに?」
「海で泳ぐのはそんな軽はずみな運動じゃないのよ。今のあたしじゃ、水の中で少し歩くだけで精一杯なのよ。」
 アオイの語る苛立ちの言葉には、無力な自分の悲しみが混じっていた。海への、泳ぐことへの願い。それらを叶えられないほど、今の彼女は無力になっていた。少なくとも彼女自身はそう思ってならなかった。
 その様子を受けて、ユウキは悟った。アオイが泳ぐことに、海に大きな夢を抱いていたことを。
 それを承知で、ユウキはあえてアオイに問いかけた。
「何か、海に思い入れでもあるのかい?」
 するとアオイはしばし沈黙を置いて答えた。
「あたしね、いつかドーバー海峡みたいな大海原を泳いで渡ってみたいと思ってたの。あの長く冷たい海を数人で泳いでいく姿にあたしはひかれたわ。」
「そうか・・オレもTVでそういうのを見聞きしたことがあるよ。」
「でも、もうそれを叶えることはできなくなった。ただでさえ大海原を渡るのは並大抵のものじゃないのに・・」
 完全に落胆するアオイ。ユウキもしばらく言葉が出なかった。
 しばしの沈黙の後、ユウキは窓から外を、雲ひとつない青空を見つめた。果てしなく広がる風景が、彼の視線に飛び込んでくる。
 するとユウキは笑みをこぼして、呆然と見つめてくるアオイに声をかけた。
「まだ、夢を諦めるには早いと思うよ。」
「えっ?」
 ユウキの言葉に唖然となるも、アオイはすぐに不機嫌に答えを返す。
「アンタ、話聞いてなかったの!?この心臓じゃ、25メートル泳ぎ切ることもできないのよ!ふざけて言ってるなら、許さないわよ!」
「ふざけてなんかいないよ。夢は、いつまでも見続けることもできるんだよ。」
 ユウキは確信を持ったようにアオイに語りかけた。しかしアオイは彼の言葉を鼻で笑った。
 夢を見続けることは現実逃避としか思えない。それこそまさに夢物語だと彼女は思っていた。
「まさかここまでバカだったなんてね。もういいよ。帰ってよ。アンタといると辛くなるよ・・・」
 涙を浮かべるアオイを、ユウキは悲しい眼で見つめる。そして無言のまま、病室を出て行く。
 アオイを次の標的と定め、彼は小さく笑みをもらしていた。

 その翌日、アオイは病室から抜け出さず、ベットで横になって考え事をしていた。
 事故による傷害によって、叶わなくなったと思っていた夢。ユウキがかけた言葉によって、忘れようとしていた夢が再び呼び起こされたのだった。
 再び夢と現実の交錯にさいなまれるアオイ。その無常さに胸を締め付けられる思いでいっぱいになっていた。
 彼女の葛藤を、病室を訪れる医者や看護婦たちもわずかながら察していた。ユウキの登場が、彼女の心を揺さぶったのだ。
 そしてアオイに昼食を運んできた1人の看護婦が病室に入ってきた。
「アオイちゃん、昼食の時間よ。」
 看護婦が優しく声をかけるが、アオイはベットにうずくまったまま顔を見せようとしない。
 すると看護婦が1枚の手紙を取り出した。
「それと、あなた宛てに手紙が来てるわよ。」
 看護婦にそのことを言われると、アオイは顔を見せて起き上がった。渡された手紙をじっと見つめていると、看護婦がさらに話を続けた。
「差出人の名前が書いてなかったんだけど、開けて見るわけにもいかなかったし・・・じゃ、しっかり食べなさいよ。薬もちゃんと飲むんですよ。」
 アオイにしっかりと念を押して、看護婦は病室を出て行った。それを見送ってから、アオイは手紙の封を開いた。
「こ、これって・・・!?」
 その内容にアオイは眼を疑った。
「シャドウ・・・美女を連れ去るという、あの・・・!」

“海堂アオイさん、あなたのけがれなき体、いただきます。” Shadow

 それはシャドウからの予告状だった。変装した彼が病棟のフロントに、アオイに向けて渡したものだった。
 自分が次の標的にされたことに、アオイは戸惑いを感じた。
 今まで連れ去られた女性たちは、いまだにその行方さえ分かっていない。どんな状況に置かれているのかさえ不明なのである。
 しかしアオイは心の奥底で、奇妙な安堵感を感じていた。
 夢を諦め、このまま苦しい思いをしたまま生きていくくらいなら、このまま誰かに連れ去られてどうにでもなってしまえばいい。アオイの心は絶望感で満たされていた。

 月が輝く晴天の夜。静かな病棟の一室、アオイが横たわっている病室に、シャドウに扮したユウキは音もなく入り込んできた。
 ベットで横になっているアオイを見つめ、ユウキは笑みをこぼした。
「起きているんだろ?オレには分かってるよ、海堂アオイさん。」
 ユウキが声をかけると、アオイはベットからゆっくりと起き上がった。暗い病室の中、無表情で自分をさらいに来た青年の顔を見ようとする。
「アンタが・・シャドウ・・・」
 アオイが困惑しながら呟くと、ユウキは小さく頷いた。
「警察は呼ばなかったんだね。誰も出てこないし、騒ぎにもなってないから少し驚いたよ。」
「呼んだって仕方ないでしょ。警察もアンタを止められないし・・それに私は守られるほどのものでもないし・・」
「夢が叶わないと諦めてるのかい?」
 ユウキのこの言葉に、アオイが当惑して振り向く。
「ア、アンタ・・まさか・・・!?」
 アオイが驚きかけたところを、ユウキが彼女の唇に指を当てて静める。
「今夜は君にいい夢を見せてあげる。その代わり、君はオレの心を満たすために来てもらうよ。」
 ユウキは微笑んで、アオイに手を差し伸べた。しかしアオイは素直にその手を掴もうとはしなかった。
 彼の手を掴み導かれれば楽になれる。辛さしか与えない心臓からも、叶わない夢を持ち続ける虚無の生活からも抜け出せるだろう。
 しかしいざそれを実行すると、少し戸惑いを感じてしまう。それがアオイが手を伸ばすことにためらいを感じていた。
「大丈夫だよ。オレが君を楽にしてあげる。少なくとも、今のような辛い思いをすることはなくなると思うよ。」
 ユウキのこの言葉に、アオイは胸を打たれたような衝動を感じた。
 眼の前にいる青年は、まるで心を見透かしたように指摘をかけてくる。忘れていた夢を掘り返し、確信の持てない希望を持たせたのだ。
 でも、この人なら全てを任せてもいいかもしれない。彼は何かを自分にもたらしてくれるかもしれない。
 決意を決めたアオイは、差し出されたユウキの手を取った。
「どこに連れて行くのか分からないけど、1つだけ、行ってほしい場所があるの・・」
「海・・楽しく泳いだ海辺だね。」
「えっ!?・・・もしかして、アンタ・・!?」
 アオイは、ユウキが自分の心を読んでいることに気付いた。そんな能力で彼女の心を見透かしていたのだ。
「・・イヤなヤツだね。そうやってると、誰からも好かれないわよ。」
「これはじっと見つめないと心は読めないし、狙っている女の子にしか使わないよ。」
 アオイが嫌味を言うと、ユウキは思わず苦笑をもらした。するとアオイも笑いをこぼした。
「まぁ、いいわ。連れてってくれるなら行きましょう。」
 アオイはユウキの手を取り、ベットから立ち上がった。するとユウキが彼女を抱え込んだ。
 少し困惑しながらも、アオイはユウキに身を委ねた。
「されじゃ、行こうか。」
「・・・うん。」
 アオイが頷いたのを見て、ユウキは病室の窓を開けた。同時に風が勢いよく入り込んできた。
「こ、ここ5階・・・!?」
 アオイが驚きの声をもらすが、ユウキに一任したことで彼を信じることにした。ユウキは不敵な笑みを浮かべ、アオイを抱えて窓から病室を飛び出した。
 落下して地面に叩きつけられると思い、アオイは思わず眼をつぶった。しかし、はじめ急降下していった2人の体が、重力に逆らって宙に浮かび上がった。
 不審に思ったアオイがゆっくりと眼を開け、浮かんでいる自分たちに驚きを隠せなくなる。
「えっ!?と、飛んでる・・!?」
「驚いたかい?今のオレの力を使えば、こんなこともできるんだよ。けっこう疲れるけど・・」
「それって、あたしのせい!?」
「いや・・宙に浮かぶのは、慣れてないせいもあるけど、けっこう体力を使うんだ。そろそろ降りないと辛くなるなぁ。」
 ふくれっ面になるアオイに苦笑いするユウキ。体力の消費を感じ、ユウキは人気のない公園の中央に降り立った。
 そしてユウキの体から黒い霧が吹き出て、アオイがそれに驚く。
「これは・・!?」
「睡眠効果のあるガスさ。ちょっと寝てしまうけど、ちゃんと海辺には連れて行くから。」
 黒い霧にまみれて、アオイは意識がもうろうとなり、そして気絶する。だらりとなった彼女を抱えたまま、ユウキは黒い霧の中で姿を消した。
 彼女が思いを馳せていた海辺を目指して。

 静かに揺れる波。さらりとした白砂。
 ユウキに連れられて病室を抜け出したアオイは、その海辺で横たわっていたところで眼を覚ました。
「ここは・・・海・・・」
「やぁ、気がついたみたいだね。」
 体を起こして辺りを見回すアオイに、ユウキが声をかけてきた。シャドウとしての装いではなく、元の黒髪の姿をしていた。
 アオイがユウキに向けて、物悲しい笑みを浮かべる。
「やっぱりアンタだったんだね。」
「ああ・・」
「アンタは、気に入った相手は、その人の心まで知らないと気がすまないのかな?」
 アオイが皮肉めいたことを言ってみせる。冗談半分で言ったつもりの彼女だったが、ユウキは真面目に答えてきた。
「オレは相手の反応でも、オレの心を満たせるからね。どんなことで感情を高められるかも気になるところなんだ。」
「で、私ならどうなの?」
「君はやっぱり、海を大きく漂えるような解放感を与える、というところかな?」
「いちいち真面目に答えないの、バカ。」
 ユウキの頭を軽く叩くアオイ。手で叩かれた頭をさすりながら苦笑をもらすユウキ。
 静かに流れ行く波、大きく広がる夜の海を眺めつつ微笑むユウキとアオイ。
 彼女はいつの間にか思い出していた。時に静かに、時に荒々しくなる雄々しい海原。その水しぶき。
 その感触を確かめるため、アオイは流れてくる波に触れてみる。夜の冷たい海の水が、彼女の心を揺さぶる。
(忘れていた・・・この感じ・・・この海の冷たさ・・・そして心地よさ・・・)
 久しく接していなかった感覚に、アオイは思わず笑みをこぼしていた。その姿を見て、ユウキの微笑をもらしていた。
 そのとき、ユウキに向かって水がかけられた。まともに水をかぶったユウキが、呆然となりながらアオイに視線を戻す。
 アオイがユウキに向かって海水をかけてきたのだった。
「・・・おいおい・・」
「ぼうっとしてるから悪いんだよ。ほらっ!」
 アオイが喜びながら、さらにユウキに水をかけてくる。ユウキも笑みをこぼしながら、かれられてきた水から逃げていた。
「アハハ・・やったなぁ。」
 ユウキもお返しとばかり、アオイに向かって飛びかかった。すると勢いあまって、そのまま海水の流れてくる砂地に倒れ込む。
 海水の流れを受けながら、呆然となるユウキとアオイ。2人は沈黙し、波の流れる音だけが響いていた。
 しばらく黙っていると、アオイが笑いをもらしてきた。そしてユウキも笑みをこぼす。
 しばらく味わっていなかった水の中で得られる喜び。それを再び感じたことで、アオイの笑みがよみがえり、そのことにユウキも素直に喜んだのだった。
「大丈夫かい?」
「うん、平気。ちょっとはしゃぎすぎちゃったかな。」
 ユウキの差し出された手を借りながら、アオイがゆっくりと立ち上がる。海水を浴びて彼女はずぶぬれになっていた。
「水と遊ぶことがこんなに楽しかったなんて・・あの事故ですっかり忘れてたよ。でも・・」
 歓喜に満ちていたアオイの笑みが悲しみに包まれる。
「やっぱり、この心臓じゃ泳ぐまでは・・・」
 改めて夢を持てても、現実から離れることはできない。弱りきった心臓では、夢を叶えることは不可能とアオイは思っていた。
「・・もう、いいわ。どこにでも付き合ってあげるわ。」
 アオイは半ば諦めた態度で、笑みを消したユウキに近づいた。ユウキは彼女を優しく抱き寄せる。
「もう、気が済んだのかい?」
 ユウキがたずねると、アオイは沈痛の面持ちで頷いた。
「私がまた海に魅力を感じないうちに、早く連れ去って。」
「・・分かった。行こうか。」
 ユウキはアオイを抱いたまま、音もなく姿を消した。さざ波が砂地を濡らす海辺を後にして。

 ユウキに連れられたアオイがたどり着いたのは、暗闇が溶け込んだ世界だった。暗黒が無限に広がったこの空間に、彼女は不安を感じていた。
「ここはどこなの?・・何だか、空気が重い・・・」
 闇の淀んだこの空間に息苦しさを感じるアオイ。するとユウキが彼女の肩に優しく手をのせる。
「ここはオレの作った空間だよ。大丈夫。これから君は気分がよくなるから。」
「気分がよくなるって、どういうことなの?・・アンタ、いったい・・!?」
 謎が深まってきたユウキに、アオイは思わず問いかけた。
「見てごらん。」
 するとユウキはアオイに空間を指し示した。
 この光景にアオイは眼を疑った。空間には、一糸まとわぬ女性の石像が並べられていた。
「もしかして、アンタが今まで女性をさらっていったのは・・!?」
「そうだよ。オレの心の充実の証だよ。彼女たちがオレを心地よくさせて、彼女たち自身も気分がよくなったはずだよ。」
 不敵の笑みを見せるユウキの言葉に、アオイは絶句する。自分も彼女たちの二の舞になる。
「そして君も、オレの力で気持ちよくなるよ。」
 アオイの肩にのせていたユウキの手に力がこもる。驚愕するアオイだったが、抗うことを思い至らなかった。
 困惑する彼女を見つめるユウキが力を込める。

    カッ!

 彼の眼から閃光が放たれ、アオイの眼に注がれる。

    ドクンッ

 アオイの弱まった心臓に、強い刺激が伝わる。気絶しそうになるところを、アオイは何とかこらえた。
 激しい衝動に息を荒げ、アオイはユウキに視線を戻す。
「な、何をしたの・・胸が、締め付けられる・・!」
「心臓の弱い君には少しきつかったか・・でも、すぐに気持ちよくなるよ。」
  ピキッ ピキキッ
 ユウキが意識を向けると、アオイの両足に衝動が走った。自由に動かなくなったその足は白く固まり、ところどころにヒビが入っていた。
「あ、足が石に・・・今のは、石化の・・!?」
「ああ、そうさ。この石化で、君は弱まった心臓による胸の苦しみを消し去ってあげるよ。」
 ユウキは困惑するアオイを抱きしめた。愛を込めた抱擁を体験したことのない彼女はひどく動揺する。
「ちょっと、何を・・!?」
「やっぱり泳ぎに長けてただけはある。君の体は、オレが触れてきた女の子の肌の中で有数に入るよ。」
 ユウキはアオイとの抱擁を外し、自分の着ている服を脱ぎ始めた。
「な、何やってるのよ!?」
 その行為にアオイが赤面して抗議する。しかしユウキは全ての衣服を脱ぎ去った。
「このままだと、オレの着てるものまでダメになるからね。それに、裸になっていく君に、服を着たままというのは気がすすまないよ。」
「あ、あたしのほうが参っちゃうわよ!」
  ピキキッ パキッ
 抗議するアオイの石化が、彼女の下着を引き裂いた。白く固まった下半身が、ユウキの前にあらわになる。
「イヤァ・・!」
 アオイが恥らって両手で何とか隠そうとする。その慌てぶりに、ユウキが微笑む。
「隠すことはないよ。ここにいるのはオレときみ、そして同じように石化され、オブジェになった女の子たちだけだよ。
  パキッ
 石化はアオイの腰の辺りまで及び、上着までボロボロになる。
「それじゃ、始めようか。オレの心の静養を。」
 ユウキは再びアオイに近づき、今度は半壊しているシャツの下から、彼女の胸を触り始めた。体の奥から湧き上がる衝動に、アオイが顔を歪める。
「あ、あたしの胸・・・ぁぁ・・・」
「やっぱり思ったとおりだ。やわらかくふくらみのある胸だ。この心地よさがオレに快楽を与えてくれる。」
 ユウキはすがりつくように、アオイの胸を揉み解していく。彼だけでなく、アオイもその快楽を感じていた。
「ぁぁ・・・ああぁ・・うあぁ・・!」
「そうだよ。その叫び、その反応。それらが君を高く昇らせ、そしてオレにも快感を与えるんだ。」
「ぇ・・・かい・・かん・・・?」
「泳ぐのが好きだった君は、水に浮いたまま漂っていたことがあるはずだよ。水にもまれ、水の抱擁で快楽に似た喜びを感じていたはずだよ。それを分かっている君なら、この快感でも心地よくなれるはずだよ。」
 石になりかかっている腰元を舐めてくるユウキの言葉に、アオイがあえぎ声を上げる。彼の頭に手を触れながら、彼女は昔のことを思い出していた。
 ユウキの言ったとおり、アオイはかつて海で浮いてみたことがあった。
 何をしようということもなく、何も考えず、太陽の輝く青空を見上げて、海に漂う。青海に身を委ねることで、嫌なことを忘れたり、自分の今までを振り返ったりしてみた。
 今、彼女を包み込んでいる石化、そしてユウキの抱擁は、その海を漂う感覚に酷似していた。
「でも、快楽を感じるのはこれからだよ。」
  パキッ ピキッ
 ユウキに抱かれたまま、石化がアオイの上半身に及んだ。自分の眼前にあるものに触れようとする形のまま、彼女の両手が石化し、そして胸もさらけ出されて全裸となった。
 体が白い石に変わり果てたアオイ。しかし彼女の感覚はまだ失われてはいなかった。
 ユウキに胸を触られ、さらに体を舐められる気分を感じていた。
 そしてユウキは身をかがめ、アオイの石化した秘所に舌を入れてきた。
「あっ!イヤッ!」
 突然のことに、アオイが声を荒げる。彼女に伝わる快感と刺激がさらに高まる。
 ユウキはさらに彼女の秘所を舐め続ける。彼女にさらなる快楽を与え、さらに自分も快感を感じていた。
「ダメ・・・そんなとこ舐めたら・・・あたし・・あたし!」
 アオイが恥じらいを覚えてさらに叫ぶ。抗おうにも、石化した体は思うように動かすことができない。
 しばらく舐めきった後、ユウキはアオイの顔を見上げた。彼女はひどく動揺した様子を見せて、眼に涙を浮かべていた。
「海の中にいたときも、こんな気分になったと思うけど。」
 立ち上がり、頬を流れる彼女の涙を拭う。
「君はオレと一緒に海に出るんだ。最高の、永遠の快楽を堪能できる大海原に。」
 背後に回りこみ、さらにアオイを抱擁するユウキ。白い石になった胸を優しく撫でられ、アオイがあえいで吐息をもらす。
「・・う・・・み・・・」
「そうだよ。しっかりと見るんだ。すると広がっているはずだよ。太陽に照らされた青い海が。」
  ピキッ パキッ
 石化がアオイの唇を固め、わずかにもらしていた声を途切れさせる。
 薄れていく意識の中、アオイは楽しく泳いでいた青海を思い出していた。

 果てしなく広がる大海原。その高い空にアオイは浮いていた。
 ユウキに導かれた彼女は、一糸まとわぬ姿で、その青い海をはるか上空から見下ろしていた。
「すごい・・・こんなに海がすごく思えるなんて・・・」
 海を泳いでいたときも、海が果てしなく続いていることは想像がついていた。だが、この空から見渡してみて、改めてその壮大さを感じたのだった。
 彼女を優しく支えているユウキが、笑みを浮かべながら声をかける。
「海の広さとすばらしさは、そんな平面的に留まるものじゃないよ。」
「えっ・・?」
 疑問符を浮かべるアオイ。
 するとユウキが笑みを浮かべ、彼女を連れて急降下した。
「キャッ!」
 突然の落下に驚くアオイ。その驚きが意識にはっきりする直前に、彼女はユウキとともに海の中に入り込んだ。
 アオイは眼を閉じて息を止めていた。しかし息苦しさのあまり、思わず口をひらいてしまう。
「あ、あれ・・!?」
 海の中で息ができることに、アオイがきょとんとなる。それを知っていたのか、ユウキが笑みを浮かべたまま、海の中を眺めている。
「海の中もまた広い。底が見えない裂け目もあるんだよ。」
 広大な海の広さと深さを目の当たりにして、アオイはそこから視線を外すことができなかった。
 そして包み込む海の抱擁に、アオイは快楽に似た心地よさを感じていた。どこともつかず漂っている解放感。彼女が最も安堵できるひとときだった。
「気持ちいい・・・何だか心が洗われるみたい・・・改めて実感したわ・・・」
「これが海、これが水の中の世界なんだ。漂うだけで安らぎを感じられる。」
 ユウキがアオイを背後から抱きとめる。彼女はその抱擁に身を委ねることにした。
(そうね・・・このまま泳いでみてもいいよね。それがあたしの夢だったもんね。流れてみるというのが正しいかな。)
 アオイは瞳を閉じ、海の流れに身を任せた。その果てしない青海を渡りきることが不可能ではないことを信じて。

 ユウキに背後から抱かれたまま、アオイは動かなくなった。青海の幻を見つめたまま、彼女は石のオブジェに変わったのだ。
 悩ましい眼をしたまま、ユウキがアオイの胸を撫でていた。完全に石化した彼女は意識が消え、何も反応しない。
「無事に海を流れているみたいだね。」
 微笑しながら、アオイの首筋に舌を入れるユウキ。彼女の滑らかな肌と石の感触を確かめていく。
「オレのものになった君の体は、完全に石化した。弱りきったその心臓も、その苦しみを発することは2度とない。」
 アオイの前に回り込み、彼女の胸に手を当てたまま、空いた手で彼女の石の頬に触れる。
「終わりのない時間(とき)の中で、君は流れていくんだ。どこまでも続く、果てしない青海を。」
 ユウキはアオイの左胸の乳房に口をつけ、吸い出すように舐めまわしていく。そしてその舌触りを確かめながら立ち上がり、今度は彼女の唇を重ねた。
 アオイは全く反応を示さない。完全な石像として、ユウキの抱擁のされるがままになっていた。
「オレも・・快楽という海に浸れたよ。楽しかった。君はこれからも漂い続けてるといいよ。」
 アオイから体を離し、ユウキは笑みを見せてから振り返った。
「君は永遠の美と命を手に入れたんだ。今の君に、渡りきれない海はないよ。」
 微笑をもらしながら、充実感に満ちたユウキがこの空間から立ち去っていった。
 アオイは海を漂い続けていた。ただの石像でしかないことにもかまわず、彼女は果てしない青海を見つめていた。

つづく

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