南海奇皇〜汐〜 第6話「魅波と兄と後輩と」

作:幻影


 ジョエルの中にいたスーラが、キュリオテスの波動を感じて家を出ていた。彼はランガの肩に乗り、島原の姉妹の誰かにランガとの意思の疎通を試みていた。
 しかし、魅波は仕事中。海潮の心は激しく揺れていた。今最もランガに近しいのは、その力を欲している夕姫だった。
 彼女の意思に反応したランガは、咆哮を上げながら島原の庭を飛び上がった。背中から翼を生やし、大空を飛翔する。
 そしてそのまま、彼女と和真が捕縛されている建物へと直進した。

「北北西より、何かが接近してきます!」
 警備室のレーダーが巨大な物体を感知し、待機していた警備員が叫ぶ。モニターを確認すると、そこには巨大な漆黒の生物が接近していた。
「ラ、ランガだ!」
 驚愕の声を上げる警備員。
 彼らの見つめるモニターの先、施設の中央広場にランガが降り立った。ランガは何かを探し求めて、周囲を見回している。
「ランガ!」
 その姿は夕姫と和真の眼にも飛び込んできていた。
「ランガ、ここよ!早く!」
 鉄格子のかかった窓から、ランガに向かって必死に呼びかける夕姫。それに反応して、ランガが左腕から触手のような指を伸ばしてきた。
「和真、離れて!」
「うわっ!」
 夕姫に引き込まれ、和真がうめく。その眼前の鉄窓が、激しい轟音を響かせながら崩壊した。
 吹き上げる煙に咳き込む2人。その煙が治まると、そこにはランガの巨大な右手が伸びていた。
「和真、こっちよ!」
「夕姫!」
 夕姫に連れられて、和真もランガの右手に乗る。
 2人を抱えたまま、ランガは背中の翼をはためかせて再び飛翔する。その旋風で煙が周囲に広がる。
「助かったわ、ランガ。どうなるかと思ったけど。」
「それにしても、夕姫やランガのムチャには驚いたぜ。一時はどうなるかと、冷や冷やしたよ。」
 和真が苦笑を浮かべると、夕姫はムッとして彼の額を小突く。
「イテテ!何すんだよ、いきなり!?」
「アンタだってムチャしたじゃないの!危なっかしいんだから!」
 怒りの治まらない夕姫と、額を押さえる和真。
「さてと、早く海潮を見つめないと。」
 そういうと夕姫は身をかがめた。すると彼女の体が、ランガの体に溶け込むように入り込んでいく。
「お、おい、夕姫!」
 和真が慌しく呼びかけるが、夕姫は完全にランガの中に入り込んでいた。
「おいっ、夕姫!いったいどうしちまったんだよ!?」
「うるさいわね!ちゃんと聞こえてるわよ!」
 必死に呼びかける和真に、夕姫の苛立った声が返ってくる。
 驚く和真がじっとランガの手のひらを見つめると、紅に染まった空間が見えてきた。その壁の中央には、夕姫が一糸まとわぬ姿で壁に埋め込まれていた。
「ゆ、夕姫!?何なんだよ、その姿はよ!?」
「ちょっと、アンタ!?じっと見ないでよ!」
 顔を赤らめる和真に、夕姫の怒鳴り声が返ってくる。彼女も赤面しているのだが、紅いこの空間ではそれは判別できない。
 これがランガや虚神の同化現象である。精神だけがその体内の空間で具現化し、一糸まとわぬ姿だけがその中に現れるのである。
 夕姫はランガと同調しながら、海潮の行方を追い求めた。しかし、家には彼女の気配が感じられない。
「海潮、いったいどこに行ったのよ・・!?」
 毒づきながら、夕姫は海潮を探す。深潮と接触する前に見つけ出さなければ、大変なことになる。
 そのとき、町のほうで大きな爆発音が響いてきた。夕姫と和真が視線を移すと、町で閃光がきらめいていた。
「まさか・・!?」
 夕姫は不安を抱えながら、和真を右手の上に乗せたまま、町のほうへランガを向かわせた。

 町を襲ったまばゆい閃光。それによる激しい衝撃。
 この事態を、会社で仕事をしていた魅波は気付いていた。もちろんその社員たちも、それに気付いてマドから外の様子を眺めていた。
(何なの、いったい!?・・・町で何が起こってるっていうの・・・!?)
 一抹の不安を抱えながら、魅波は現場の様子が気になった。
「誰か、先に現場の様子を見に行って!他の人もすぐに準備して!」
 魅波が社員に指示を出すと、2人の男女が先陣を切った。他の社員も慌しく現場へと向かっていく。
 出かける準備を整えながら、その姿を見送る魅波。社員たちが部屋から出て行ったのを確認して、彼女も部屋を出ようとした。
 そこへ黒髪の青年が入ってきた。鹿島英次である。彼に姿に魅波は眼を疑って足を止める。
「英次くん・・・どうしたの?あなた、まだ仕事の時間でしょ?」
 疑わしげに聞く魅波。すると英次は微笑を浮かべて答える。
「いや、抜け出してきてしまいましたよ。あなたに会うため、あなたと2人きりで話をするために。」
 英次がいったことの意味を、魅波は始めは理解できなかった。それに気にする様子を見せず、英次は話を続ける。
「先輩が望んでいたもの。それは、勝流さんを始めとした家族との生活。そうですよね?」
 英次の言葉に、魅波は何も答えない。その様子を肯定と見て、英次は続ける。
「でも彼はキュリオテスとしての責務を遂行しようとランガに牙を向けた。海潮ちゃんがランガと同化しているにもかまわずに。」
 英次は歩を進めて、窓から騒動を見つめる。
「追い求めていた兄がいなくなったことを悟った先輩は勝流さんを見限り、ランガと同化して彼を葬った。」
「やめて!」
 淡々と語る英次を、魅波はたまらず叫んでさえぎった。沈痛の面持ちになるものの、英次は話をやめようとしない。
「あなたの気持ちは察します。心のよりどころでなくなってしまっても、実の兄であることに変わりはない。」
「あなたに何が分かるの!10年の時間がすぎて、勝流さんは、私の知っている勝流さんじゃなくなってしまったのよ・・・!」
 英次の両肩をつかみ、訴えかける魅波。しかしそれでも、英次は表情を変えない。
「10年という歳月は長いです。その中で人が変わらないのはまずありえないことです。たとえあなたがどんなに願っても、この摂理をねじ曲げることはできません。」
 視線を魅波から、騒動の起きている町中に移す英次。
「ただし、たったひとつだけ、全てを変わらない形のままとどめる方法があるのです。」
「全てを変えずに・・・?」
「そうです。最近多発している怪奇事件はご存知でしょう。固まった町や人々は、時間凍結と呼ばれる特殊な力の影響を受けているのです。」
「時間凍結・・!?」
「時間凍結を受けた人々は、そのものの時間の全てが凍てつき停止します。流れ行く時の流れの中で、彼らだけが静止し孤立するのです。」
「まさか、あなたがあの事件の・・!?」
 驚愕を浮かべる魅波。英次は苦笑して彼女を手で制する。
「違いますよ。僕はただの人間。そんな能力は備わってはいませんよ。」
「でもあなた、この事件に関して知っていることが多すぎるわ!関わりがあるのは間違いがないはず!」
 英次が時間凍結に関わりを持っているのは明らかだった。仕事上で世間のニュースに近しい立場にある彼女には、普通の人には知りえないことを知っている英次に疑念を抱き始めていた。
 英次はひとつため息をついてから、魅波に視線を戻した。
「分かりました。いつか話そうと思っていましたし、今話しても支障はないでしょう。」
 魅波の両手を払い、英次は数歩後退した。
「僕は鹿島英次。日本政府、反バロウ議会の情報分析を受け持っています。」
「反バロウ・・・まさか、虚神会の・・」
「虚神会はキュリオテスの策略によって全滅しました。もはやあの老人たちを支持する人は一握りにも満たないでしょう。議会の会員は、キュリオテスを支持している人がほとんどです。」
「また、タオがランガを・・」
「確かに彼らはタオを、キュリオテスを支持しています。ですが僕は、この不条理といえる世界を変えようとしているだけなのです。」
「世界を・・!?」
「今、世界はつまらない理由で敵対し、戦争まで引き起こす始末です。だから、この乱れた現状を僕たちが平行させるのです。」
 英次の顔には、普段の大人しい表情はなく、悠然とした笑みが浮かんでいた。
「そのために、僕は1人のキュリオテスと協力を交わすことに成功しました。いえ、正確には保護したといったほうが正しいでしょう。」
「保護?」
 英次の言葉に魅波が眉をひそめる。
「彼女は精神的にやや不安定だったようで、キュリオテスとしての力もバンガの実体化もままならない状態でした。そこで僕たちは科学班の協力で、彼女の力を解放させることに成功しました。カプセル内で特殊な溶液に沈め、自然治癒力を高めた。結果、彼女はキュリオテスとして完全に復活したのです。」
 英次の述べる言葉に、魅波は驚愕を隠せなかった。危機感を覚え、急いで現場に向かおうとする。
「彼女の時間凍結を受けたらいかがですか?あなたの時間の全てを止めれば、あなたは何も変わらずにいられる。あの兄を想い続ける自分でいられるのです。」
 英次は悠然とした笑みを見せて、魅波に手を差し伸べる。時間凍結にかかれば、一点の時の中でずっといつづけられることができる。そうなれば、兄妹の想いもそのまま残せる。
 しかし魅波は、差し出された英次の手を取らなかった。物悲しい笑みを浮かべる彼女に、英次は疑いの眼差しを向ける。
「どうしたのですか?時を止めれば、あなたは勝流さんを思い続けていられる。あなたはあなたの望んだ楽園を手に入れられるのですよ。」
 英次が必死に訴えかけるが、魅波はその笑みを消さない。
「確かに、時間を止めてしまえば、勝流さんがそばにいてくれる。そんな気がするわ・・」
「なら・・」
「でも、もう遅いわよ。勝流さんはもう帰ってこない。私の知ってる勝流さんじゃなくなってたのよ。たとえ時間を止めても、私の楽園は・・私の中にしかないわ・・・」
 魅波は自分の胸に手を当て、勝流を想う。
 両親のいない島原の一家。魅波は妹2人の親代わりになっていた。そんな彼女の心の支えだったのが、兄の勝流だった。
 しかし兄の心は失われてしまった。兄と妹たちとの家族の団らんは、2度と叶うことはない。たとえどんなことをしたとしても、どんなに願ったとしても。
 完全に自分の言葉に耳を貸さないと悟り、英次はひとつため息をついた。
「そうですか・・・では仕方がないですね。ランガと行動をともにするだろう魅波先輩、あなたに敵対の意を示します。」
「英次くん・・・!」
「彼女とクロティアの力をもって、ランガ共々、あなたの時間を止めます。あなたの意思や願いに関わらずに。」
 英次は戸惑いを隠せないでいる魅波に背を向け、部屋を出て行こうとする。すると魅波は彼に向けて声を振り絞る。
「この10年で勝流は変わってしまった。そしてあなたも・・・でもあなたは、私にとって、ずっとよき後輩よ。」
「僕もです。僕にとってあなたは、すばらしき先輩だと思っています。」
 英次は振り返らずに魅波に自分の思いを投げかけ、そのまま部屋を出て行った。
 魅波が部屋を出て行ったのは、その出入り口をしばらく見つめてからのことだった。

 完全に信じられない心境で、立ちふさがるバンガ、クロティアを見つめる海潮。そんな彼女の愕然を、深潮はからかうように見つめる。
「一緒に来て、海潮。この力で、海潮の望んでる楽園を実現するの。」
 深潮の誘いに、海潮は全く反応しない。
 海潮の望んでいる本当の楽園は、何ものにも支配されず操られない世界である。タオから解放されることも、その楽園の要因だった。
「いや・・・」
 必死に声を振り絞る海潮。彼女の返答に、深潮が疑いの眼差しを向ける。
「深潮が作る世界は、絶対に本当の楽園じゃない・・」
「本当の楽園?」
「見えない何かに縛られない、正しいことを正しいといえる世界だよ。そう、時間を止められることさえも・・」
 海潮の言葉に、深潮は悲しい顔をする。
「でも、結局何が正しいなんて分からないよ。もし正しいものがあるとしたら、その正義はその人のものになっちゃうわけだよ。」
「深潮・・」
「それじゃただの独裁者と変わらない。そんなのに正義なんてないよ。」
 この世界に絶対正しいものは存在しない。その存在自体が間違いと化すからだ。
 正しいと思ったとき、間違いが始まる。正義と悪は相対的でありながら、隣接的ともあった。まさに合わせ鏡である。
 しかし海潮は信じたかった。どこかに本当の楽園が、何ものにも縛られない世界があることを。
 そしてそこに、時間凍結などかけられていないことを。
「私はそんなのにはならない・・私は誰も支配しない。私は誰にも支配されたくない!」
 深潮の誘いを、海潮は完全に否定した。
 彼女は自分が信じてきた正義を、これからも信じ抜くことを決めた。たとえ、彼女だけの正義とののしられることになっても。
 その先に、本当の楽園が見つけられると信じて。
「そう・・じゃ、私も私の正義のために戦う。海潮、あなたをこのクリティアの中に引き込む!」
 深潮が叫ぶと同時、彼女の背後にいる巨人が、空に高らかな咆哮を上げた。

つづく


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