血石妖虫・終章

作:幻影


 巨大妖虫の手の1本が勢いよく振り下ろされる。
 武と音葉はそれをかわし、手の爪が地面を削り取る。
「なんて力なの!?普通の妖虫を大きく越えてるわ!」
 振り返った音葉が、武共々その威力に唖然となる。
「どうした?命がけで来なければ、すぐに死が訪れるぞ。」
 不気味な声を発する巨大妖虫が再び手の1本を振り上げた。
(たとえデカくて力が強くても、これだけデカけりゃ簡単に当てられるぞ!)
 巨大妖虫の注意が音葉に向けられたのを見計らい、武は銃の引き金を引いた。
 放たれた炸裂弾が巨大妖虫の頭部に命中し、爆発を引き起こす。
「やった・・・なっ!?」
 武の不敵な笑みが一瞬にして凍りついた。
 巨大妖虫は、炸裂弾などまるで通用していないように平然としていた。
「何をしたのだ?」
「ウソ!?全然効いてない・・」
「バカなっ!?この炸裂弾は、バズーカの砲弾を濃縮しているようなモンだぞ!それに妖虫の弱点である頭部に直撃したはず!効いてないはずは・・」
 強大な巨大妖虫の力と、それに対する自分たちの無力さに、武と音葉は愕然とする。
「貴様らが戦ってきた仲間と私を一緒にされては困る。私は血石妖虫を束ねる長。その程度の武器では、たとえ弱点である頭を狙ったところで全くの無意味。」
(だったら、眼を突いてそこから切り裂いて穴を開ける!)
 思考を凝らした音葉が、武刃を振り上げて巨大妖虫に飛びかかる。
「はぁぁーー!!」
「音葉、ムチャはよせ!」
 覇気を見せる音葉。彼女を呼び止める武。
「甘いぞ!」
 振り下ろされた武刃を爪で受け止める巨大妖虫が、そのまま音葉をなぎ払う。
「キャッ!」
 地面に叩きつけられた音葉がうめき声を上げる。
 痛みに閉じていた眼をうっすらと開くと、眼前に巨大妖虫が迫ってきていた。
「音葉!」
 妖虫の爪が音葉目がけて振り下ろされようとしたところに、切羽詰った武が飛び込んできた。
「ぐっ!」
 彼女をかばった武は右腕を爪に切り裂かれ、同時に放った炸裂弾が再び巨大妖虫の頭部に命中する。
「武!」
 音葉が悲痛な声を上げながら、傷ついた武の体を抱える。炸裂弾の爆発を受けた巨大妖虫だったが、これもまたダメージを受けてはいなかった。
「武、大丈夫!?」
「ああ、オレなら大丈夫だ。」
 痛みに顔を歪める武が、音葉の心配に答える。
「とにかく、ここから離れて体勢を整えましょう。早く立って・・」
 音葉が武の体を起こした瞬間、半透明な触手が2人の体にからみ付いた。
「し、しまった!」
 触手に締め上げられ、音葉と武がうめく。
 巨大妖虫の口から伸びた触手が、ついに2人を捕らえたのだった。
「捕まえたぞ、貴様ら。その身に刻みながら死ぬがいい。我々の糧となっていく自分の命の消失を。」
 触手の先端が生き血を吸って音葉たちを石化しようと狙いを定めていた。
(このまま触手から血を吸われたら、何もかもおしまいだ!)
 焦る武が触手を振りほどこうともがき、右手の銃を三度巨大妖虫の頭部を狙おうとする。
「ぐあっ!」
(う、腕が上がらない!)
 しかし、妖虫に傷つけられた右腕に激痛が走り、銃を構えることができない。
 その瞬間、血石妖虫の触手が、音葉と武の体に突き刺さった。
「イタッ!」
「ぐっ!」
 体に異物が突き破り、2人が痛みにあえぐ。
「地球人よ、焼き付けるがいい!愚かしき貴様らを守るために戦った、愚かしき2人の最期を!」
 巨大妖虫が仲間とともに咆哮を上げる。うめきながら立ち尽くす音葉と武から、触手を通じて紅い鮮血が吸い出される。
「く・・ぅぅ・・うああぁぁーー・・・」
 血を吸われる激痛に2人は叫ぶ。
(これが死の痛み。これが血を吸い取られるってこと。こんなにも痛いなんて。いや、痛いなんて生易しいものじゃないわ。お姉ちゃんも真希ちゃんも、こんな痛い思いをしてたなんて・・)
 音葉は自分の今の苦しみを、死んでいった人たちと重ねていた。
 ゆっくりと抜き取られる血液。生気を失って灰色に石化していく体。
 今まで体感したことのない変化と激痛である。
「あぁ・・・ぁぁぁ・・・」
 あまりの激痛に感覚が麻痺し始め、音葉と武が小さく声をもらす。
 真希が死んだ日の夜に感じた快感と類似した反応だが、その心理状態は全く違う。
 あのときは生を注入されるという表現ができるが、今は生を奪われる感じである。
「さあ、命を捧げろ。力を与えよ。貴様らの持てる全てが、この私のものとなるのだ。」
 巨大妖虫が音葉と武の血を吸い取っていく。
「ここまでか・・」
 武が諦めの言葉を漏らす。
 銃を握る右腕は傷ついて上がらず、触手に縛られているため、まだ動かせる左手に渡すこともできない。
 妖虫の石化の毒が体に回り、徐々に死へと近づいていた。
 そんな中、音葉はまだ諦めの気持ちを持ってはいなかった。
「どっちにしても、私たちは石になって死んでしまう。でも、何もできないまま死ぬのは、絶対にイヤよ!」
 音葉はいきり立ち、武の持つ銃を引っ掴む。
「音葉!?」
「それを貸して!」
 武の右手から銃を奪い取り、まだ右手に握っていた武刃で体に巻きついている触手を切り裂いた。
 吸い取ろうとしていた鮮血が飛び散り石になりかけている音葉と武の体に降りかかる。
「何っ!?まだあがこうとするか!」
 巨大妖虫が声を荒げる。
 石化によって自由を封じられつつあったが、音葉と武は触手による拘束から解放された。
「ただでは死なないわ、私たちは!」
 音葉は眼前にまで迫っていた巨大妖虫の左眼に武刃を突きたて、そこから力を振り絞って切り裂いた。
「ぐおっ!しまっ・・」
 うめく巨大妖虫の眼を亀裂を生じさせた武刃が振り抜かれて地面に落ち、音葉はそこから左手から右手に移した武の銃を必死に構える。
「これで終わりよ!」
 音葉の持つ銃から放たれた弾丸が、よろめきながらも眼を守ろうと構える爪の合い間を縫って切り傷に入り込んだ。
「ぬおっ・・・ごああぁぁぁーーーーー!!!」
 轟く咆哮を上げる巨大妖虫の頭が激しく揺れ弾け飛んだ。
 音葉の放った炸裂弾が、左眼の傷から入り込み、引き起こした爆発で巨大妖虫の頭を粉砕したのである。
 頭部を吹き飛ばされた巨大妖虫の体が轟音を立てて倒れ込み動かなくなる。
「やった・・・」
 音葉がうっすらと笑みを浮かべて安堵の声を漏らす。
 彼女たちを取り巻く他の妖虫たちが困惑した様子を見せていた。それらを見回し、音葉が鋭い視線を放つ。
「アンタたちの親玉は倒したわ。早くここから離れて!この銃の弾をお見舞いするわよ!」
 彼女に言いとがめられてか、血石妖虫の群れは煙のように散らばって去っていった。
「ふう・・・」
 音葉が安堵の吐息を漏らす。
 到底彼女には、武にも他の妖虫を倒せる力は残っていなかった。
 血のほとんどを座れ、毒による石化は肩や膝にまでかかっていた。結局、彼女のあの態度はただの強がりだった。
「武・・」
 音葉は銃を離し、武の体に寄り添った。
 張り詰めていた彼女の強気な覇気は悲痛へと変わり、眼から涙が流れていた。
 すがる音葉を、武は優しく抱いて笑みを見せる。
「これであのデカい妖虫は倒れた。ヤツらの頭脳を破壊したも同然だ。」
「でも私たち、もうすぐ死んじゃうんだよ!血を吸われて、石になって!お姉ちゃんや、真希ちゃんみたいに・・・」
 音葉の悲痛の叫びが次第に弱まる。
 血石妖虫の核とも言える巨大妖虫を倒すことはできたが、その毒にやられて死に向かって体が徐々に灰色の石に変わっていった。
「確かに、オレたちはもうじき死んでしまうが、オレはお前と一緒にいられることが嬉しいんだ。」
 泣きじゃくる音葉に、武は優しく語りかける。
「私もだよ、武。できることなら、生きてまたお互いの気持ちを確かめ合いたかったと思ってるの。でもそれももう叶わないね。」
 優しくされた音葉も涙ながらに笑みを作り、雲の少ない青空を仰ぎ見る。
「不思議な気分ね。」
「え?」
「もうじき死んじゃうっていうのに、それほど辛く感じないのよ。お姉ちゃんや真希ちゃんが死んだときのほうが全然辛かった。」
 そして武の顔を見つめる。
「武、私たちが生きている中での、最後のお願いを聞いてくれないかな?」
 武はしばらく沈黙し、音葉の願いを笑みを見せてうなずいた。
「キス、してほしいんだけど・・・」
 顔を赤らめて言う音葉。武も一瞬赤面しながらも、動く左腕で優しく音葉を抱きしめた。
「もうすぐ死んじゃうから・・だったら少しでもいい気分でいたいじゃない・・」
 涙を流す音葉は眼を閉じた。武からの口付けを待っているのだろう。
 そして彼女の唇に、甘く暖かい感触が伝わった。武が唇を重ねて口付けをしたのである。
 2人は今までになく心地よい気分に陥る。
(武、私はあなたが好きです・・・)
 音葉の中で生きている実感がわき上がる。小さい炎が消える直前で激しく燃え上がるように。
 同時に彼女の脳裏に今までの記憶がよみがえる。
 姉と過ごした日々とその同窓会での悲劇。
 血石妖虫の襲来。姉と友達の死。
 その怒りと悲しみに駆られた自分の戦い。その結果、いたいけな少女の真希を死なせた悔やみ。
 そんな彼女をなだめ、お互いの心を確かめ合った武。
 彼にも辛い思いを抱えていた。大学の級友を血石妖虫に殺され、音葉と同じ境遇に立たされた。
 それでも彼女に気を遣ってくれたが、彼もひとりぼっちになることを恐れていた。
 楽しいことも悲しいことも、全てはいい思い出となっている。
 だが、その命ももう尽きる。抱き合った2人を浸食する死の石化は、手足を固め顔にまで及んでいた。
(ゴメンね・・おねえ・・ちゃん・・・みん・・・な・・・)
 閉じている音葉の眼から再び涙の雫がこぼれる。
 武の姿だけを映している意識が遠のき、石化が完全に2人を灰色に変色させたところで途切れる。
 天草武と柊音葉。
 2人は今、その命を閉じた。

 1週間後。
 国際政府が新たに発足した研究団が、武が送信した血石妖虫に関するデータを基に、改めて対策を練った。
 そして人間の血液の成分を濃縮した凝固物質、ブラッドヴォルスによって血石妖虫をおびき出す作戦が取られた。
 頭脳の役割を果たしていた巨大妖虫を失った血石妖虫の群れは、次々とブラッドヴォルスの置かれた人気のない廃墟に集まってきた。
 そこへ、広範囲に散らばる標的への同時攻撃を可能とする拡散エネルギーレーザーが発射され、妖虫は一網打尽となった。
 この作戦が続けざまに行われ、作戦実行から3日をかけて、ついに血石妖虫は全滅した。
 自分たちがまいた火種を、人類は自ら刈り取ったのだった。

 2週間に及んで引き起こされた悪夢を洗い流すかのように、雨が1週間降り続いた。
 そして、地球に平和が戻り、太陽から降り注ぐ希望の光が輝いていた。
 その光に照らされた草原に横たわる2つの人影。
 魂となった音葉と武だった。
 2人は衣服を何も着ていない。魂は本来、生まれたときのように何も身に付けてはいない。
 そして2人の姿は普通の人間には見えてはいない。
「血石妖虫、ついに滅びたんだな。」
「武がパソコンに保存してたデータを政府のコンピュータに送信したおかげね。何もしないでパソコンごとデータを消されちゃったら、今頃みんな血石妖虫に殺されちゃってたかもしれなかったんだよ。」
 音葉と武は草原の上で寄り添いあいながら笑みを見せる。
「結局、人間が脅かした血石妖虫は、人間の手で滅ぼしたんだね。人間の住む場所を守るために。でもこれで分かってくれるかな、みんな?」
「オレは信じてる。本当に恐ろしい敵は、自分自身だってことを人々が理解することを。人間が過ちを犯せば、第2、第3の血石妖虫が現れるかもしれないからな。」
 そして2人は青空を仰ぎ見る。
「死んじまったんだよな、オレたち。」
「うん。太陽の暖かさも風の冷たさも感じないんだけど、あんまり実感が持てないんだよね。でも空は飛べる。命を失った代わりに自由になったって気分。」
「音葉、何か心残りでもあったのか?」
「ないわけじゃないけど・・生きて帰って、武と一緒に暮らしたかったと思ってたし。でも、こうして武といられることには変わりはないか。」
「そうさ。オレたちはこれからずっと一緒さ。誰にも邪魔されない。」
 そう言って武は音葉の胸に手を触れる。
「周りのものに感じることはできないけど、魂同士なら。」
「もう、武ったら・・ぁぁ・・・」
 武がゆっくりと音葉の胸を揉み、彼女を心地よくさせていく。死んで魂だけとなった人は、もう血や愛液を流すことはない。
 それでも魂同士による接触や快感は感じ取ることはできる。
 愛に満ちた抱擁を続けながら、音葉と武はお互いの心を確かめ合う。
「お前もきれいな体してたんだな。」
「失礼ね!私だって水着姿で現れたら、男なんてたくさん寄って来たわよ!」
 自分の胸と武の顔を見比べながら、音葉が思わず赤面する。
「こんなお前と一緒にいられて、オレは幸せだよ。」
「もう、オーバーね、武は。ところで、これからどうするの?」
 呆れながらも、音葉は話題を変える。
「どうするって・・もうオレたちにはやるべきことはないじゃないか。この世をさまようか、あの世に昇るか。」
 一瞬唖然となる武。
「迎えが来るかもしれないし、しばらくこの世(ここ)を回ってみるか。」
「迎えって?」
「笑顔のかわいい天使か、それとも地獄の使いか。」
「私はそんなに悪いことはしてないわよ!」
 慌てる音葉に、武は笑いを浮かべる。
「そうね。生き返って何かしたいってことでもないけど、しばらく街を見て回るのもいいかもね。」
「ああ。でも明日にしよう。今はお前を抱きしめていたいから。」
「そんなに抱きついてきて、もしお姉ちゃんや真希ちゃんが来たら・・」
「そんときはそんときさ。」
「・・そうだね。」
 そして2人は草原の上で再び抱擁を始めた。
 地球を救った2人の英雄は、今もお互いの心を確かめ合っている。

終わり


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