光と影の天使・第7話

作:幻影


「うっ!」
 そのとき、今まで悠然としていたレインの表情が苦悶で歪んだ。
 彼女は自分の体を抱きしめ、ほとばしる激痛に爪を肌にくい込ませていた。
 何が起こったのか分からず、シンドバットが呆然としている。
「こ、こんなことって・・」
 苦痛にあえぐレインの背中から、まばゆいばかりの白い光が浮き出る。その中からレインに取り込まれたはずの、まろんの姿があった。
「まろん・・・」
 シンドバットが一糸まとわぬ彼女の魂に見入る。
「まろんっ!」
「そんな・・私から、私から出ていこうとでも言うの!?」
 シンドバットとレインが声を荒げる。
 光と影の天使の体が、きらめく閃光とともに分離し、その反動でレインが床に倒れ伏す。
 影に囚われていたまろんの魂が、石化したジャンヌの体にゆっくりと近づき、淡い光を発しながら溶け込んでいく。
 魂が戻った宿主の体は、生気を失った灰色の石に命の輝きを取り戻した。
 石化の呪縛から解放されたジャンヌは、2、3度瞬きをしてからレインに真剣な眼差しを向けた。
「どうして・・どうして私から出て行くの!?私と分かれたままじゃ、あなたはさらに辛い思いをすることになるのよ!」
 苦痛から解放されたレインが、息を荒げてジャンヌに悲痛の叫びを上げる。
「そんなことないよ。私にはみんなが、仲間がついている。だから、もうどんな困難にも負けたりはしない。自分(わたし)の世界なんか作らなくたって、私は辛さを心に抱えたりはしないよ。」
 ジャンヌの顔から笑みがこぼれる。彼女の眼からは涙の雫が浮かんでいる。
 レインがジャンヌに向けてさらに泣き叫ぶ。
「私は、ただまろんに幸せになってほしいだけなのよ!だから、みんなを連れてきて、私自身もあなたを守ろうと・・」
「私、改めて自分の弱さを知ったわ。置き去りや離婚、裏切りや死、これらが私の心に闇を生み出し、外に呼び出してしまった。昇さんを死なせてしまったのも、都たちを石に変えてしまったのも、全て私・・・」
 レインの言葉をさえぎって語りかけるジャンヌの顔から、だんだんと笑みが薄れていく。
 自分の弱さ、自分の心の闇が、都や昇たちを脅かしてしまった。ジャンヌはそう自分自身を悔やんでいた。
「もし、あなたが現れてくれなかったら、私は自分の弱さに気付かないまま、どこかで間違いをしていたかもしれなかった。あなたとの出会いを、私は感謝してるよ。」
 ジャンヌのこの言葉が、苛立ちに打ちひしがれていたレインの心を強く打った。
 必死に気持ちを伝えようとした彼女の眼から涙があふれ、その場に力なくひざをつく。
 呆然となっているレインの前に、ジャンヌはゆっくりと歩み寄った。
「あなたも辛かったんだね。分かるよ。だって、私はあなた、あなたは私だから。」
 涙を流しながらも優しく微笑むジャンヌに、レインは泣きじゃくるように抱きついた。
 自分の宿主にしがみ付き、悲しみの混じった声で枯れるくらいに泣き叫ぶ。
「私、辛かった!寂しかったの!気がついたら、まろんがいなくて・・」
 レインが自分の思いをジャンヌに伝える。
 悲しみや辛さによって生み出された彼女も、悲しみや辛さを抱えて彷徨っていたのである。
「いつも辛い思いをしているまろんをほっとけなくて、だから、みんなといつまでも一緒にいられるようにして、私もまろんを守ろうと・・」
「私のためにいろいろしてくれたんだね。だけど、それは間違ったことだよ。そんなことをしたって、誰も喜んだりはしない。それに、もうひとりぼっちじゃないよ。私も、あなたも・・」
 ジャンヌは優しく微笑み、涙を流すレインの銀の髪を撫でた。
「私は私が好き。そして、私の心であるあなたも。」
「私も?こんな私でも、好きになってくれるの?」
 虚ろな表情で聞くレインに、ジャンヌは小さくうなずいた。
 そのことがとても嬉しく感じ、レインはジャンヌに寄り添った。
「ありがとう・・・まろん・・・」
「戻っておいで。もうひとりの、私・・・」
 うなずいたレインは、ジャンヌにさらに体を寄せた。
 黒い翼の天使として現れていた心の影は、きらめく光の粒となって、白き天使へと入り込んでいく。
 寂しさや辛さによって生まれ外に飛び出していった心の一部は今、宿主のもとへと還っていったのである。
「レイン・・私の心・・・」
 ジャンヌは立ち上がり、胸に両手を当てた。
 今気付いた自分の闇の上に、その形が重なって心に重くのしかかる。
「まろん・・・本当に、まろんなのか・・?」
 その光景を呆然と見つめていたシンドバットが、何とか声を振り絞ってジャンヌに訊ねる。
「うん。もう大丈夫。」
 ジャンヌが振り返り笑顔で答える。
「レインは私の心が生んだもの。だから私が強く願えば、都たちを元に戻せるかもしれない。」
 そう言ってジャンヌは眼を閉じ、神に祈るように手を組んだ。
 彼女の脳裏に、たくさんの思い出がよみがえる。
 幼い日の友情。共に新体操で競い合った友。泥棒と刑事としての対立。
 そして、待ち焦がれていた両親からの手紙と、その喜びを分かち合った仲間。
 様々な思いがジャンヌのまろんの心の中で交錯する。
 そして彼女の背からまばゆいばかりの白い天使の翼が広がり、神風を伴って散りばめられた。

 別荘の周辺に、天使の羽根が雪のように舞っていた。
 ジャンヌを追って奮闘していた刑事たちも、この光景に見とれる。
 昇のコレクションルームで立ち尽くしている裸の女性の像に、その光の粒が吸い込まれていく。
 一糸まとわぬ女性たちから、取り付いていた石の殻が剥がれ落ちる。
「あっ!あたし・・」
「キャッ!」
「あわわ、どうしたらいいの!?」
 石化が解け元の姿に戻った女性たちが、いろいろな様子を見せていた。

 別室でも、レインの邪気に侵された弥白と水無月、フィンも元に戻っていた。
「あ、あれ?僕、何でこんなところにいるんですか・・?」
「わたくし、まだ悪い夢でも見ているのでしょうか?体が石に変わって、気がついたらこんなところに・・」
 2人がこの状況を理解しきれないでいた。彼らは近くの机で疑問符を浮かべているフィンの姿は見えていない。
「アレ?私、どうなってるの?ジャンヌ、ジャンヌ〜!」
 わけが分からなくなり、フィンはジャンヌを探し求めて再び飛び上がった。

 昇によって裸の石像にされていた都も、その石化の呪縛から解放された。
「えっ?私・・」
 どういう状況に自分が置かれているのか理解できなかったが、周囲を見回して記憶がはっきりとした。
 洗礼の女神に魅入られた昇の闇の力で石にされ、衣服を剥がされて全裸にされていたのである。
「あっ!ジャンヌ!」
 ジャンヌの姿を捉えた都は、安堵の息をついてその場に腰を下ろした。
 彼女はジャンヌに助けられたことを悟った。
「あっ!稚空!?」
 視線を移した都は、近くにいたシンドバットの姿を捉えた直後、顔を赤らめて自分の体を抱きしめた。
 素肌をさらけだした体を何とか隠そうと必死だった。
 シンドバットも思わず赤面し、後ろを振り返ったまま常備している白のコートを都に差し出した。
「は、早く着てしまえよ。恥ずかしくて見ちゃいらんないよ。」
「わ、私のほうが恥ずかしいわよ!」
 愚痴をこぼしながら、都はコートを羽織って肌を隠した。
「もう。・・でも、これでよかった・・・」
 その様子を呆れながら見ていたジャンヌが、うっすらと笑みをこぼした。
 かけがえのない友が無事に帰ってきた。仲間の存在を心強く感じているジャンヌにとって、そのことがとても嬉しかった。
「そろそろいくぞ。警官たちが来るぞ。」
「えっ?・・・あ、うん。」
 涙さえ浮かべていたジャンヌに、シンドバットが声をかけてきた。
「ジャンヌ!」
「シンドバット!」
 そのとき、レインの石化が解けたフィンとアクセスが飛んできた。
「ジャンヌ、大丈夫?」
「うん。もう大丈夫だよ。」
 フィンの心配に、ジャンヌが笑顔で答える。しかし、その笑顔がすぐに曇った。
 レインの閃光で胸を撃ち抜かれた昇が、床でぐったりとしていて動かない。
「ここは私たちに任せて。警官たちに私たちの姿は見えないから。」
「う、うん。頼んだわ、フィン。」
 フィンとアクセスに都と昇を任せ、ジャンヌはシンドバットとともに別荘から脱出した。
「さあ、こっからがおいらたちの本領発揮だぜ、フィンちゃん!」
 活気を見せるアクセスにフィンはうなずいた。
「まだかすかに息があるわ。私たちの力を与えれば、息を吹き返すかもしれない。」
 フィンとアクセスは昇に意識を集中した。
 額の宝玉からまばゆい光が輝き、昇に命の炎を呼び起こす。
 力を注ぎ息を荒げる2人の天使。その視線の先で、瀕死に陥っていた昇がゆっくりと体を起こした。
「あっ!昇さん!」
 昇の生還に都が歓喜の声を上げる。
「み、都ちゃん・・・」
 虚ろだった昇の表情が、都に眼をやった直後に悲しみに濡れた。
「ゴメン、都ちゃん!僕、どうかしてたみたいだよ!僕は、君やたくさんの女性たちに甘えていたみたいだ!ゴメン、こんな目にあわせてしまって・・・」
 昇は打ちひしがれて大粒の涙を流す。その姿に都は笑って答える。
「私は、もう大丈夫だよ、昇さん。こうしてあのときの昇さんが戻ってきてくれただけでも、私は嬉しいわ。」
「都ちゃん・・・」
 都の言葉に、昇は涙を流しながらも笑顔に戻る。
 洗礼の女神に魅入られた彼は、女性の肌に美を感じて欲望に駆られてしまった。しかし、ジャンヌが女神像にとり付いた悪魔を封印し、レインという心の闇を受け入れたことで、彼はその呪縛から解放されたのである。
「ジャンヌはどこだ!」
 そのとき、ジャンヌを追い求めて警官たちが別荘の廊下を駆けていた。
 そして都の父、氷室が昇たちのいる彼の寝室で足を止めた。
「都、昇くん、大丈夫か!?」
「お父さん!」
 氷室は一瞬困惑した。自分の娘の恥らう姿がそこにあったからだ。
 昇は氷室に駆け寄り、声を振り絞った。
「氷室さん、僕を逮捕して下さい。」
「昇くん!?」
 どういうことだか分からず、氷室が驚きの声を上げる。都も突然のことに言葉を失った。
「あの連続誘拐事件、僕が起こしたものなんです。洗礼の女神に魅入られた僕は、さらなる美を求めて女性の肌に執着してしまったんです。」
 彼の言葉を悲しげに聞いた氷室は、しばしの沈黙の後、差し出された彼の両手に手錠をかけた。
「昇さん!」
 氷室に連れ出される昇を、女性警察官に介抱される都が呼び止める。
 昇はうっすらと笑みを見せて、
「都ちゃん、僕のことは心配しないで。僕はこの罪を償って、この人生を一からやり直そうと思ってるんだ。これは、僕の心の弱さを乗り越えるためでもあるんだ。」
「昇さん、また、帰ってくるよね?昴お兄ちゃんやみんなにも会ってくれるよね?」
「うん。もちろんだよ。」
 都の笑顔でうなずく姿を見て、昇は氷室に促されて別荘を後にした。

 その後、昇やレインに誘拐された人々は救出され、裸の女性たちも女性警察官たちによって保護された。
 別荘の寝室からは洗礼の女神は姿を消していた。
 不可解な連続誘拐事件は犯人の自首によって幕を閉じたが、ジャンヌは予告どおりに女神像を盗んでいったと警察は認識した。
 これはまろん自身の越えるべき障壁だった。
 彼女はそれを乗り越え、新たに自分の心の在り方と仲間の存在を噛み締めたのだった。

 壮絶な事件が幕を閉じて、その月の最後の日曜日の早朝。
 インターホンがマンションの廊下に響いた。
 1回鳴らされた後、2回続けて再び鳴る。
 その音に起こされるまろんと稚空。
 朝早く起きている東大寺家では朝食を取っている中、都と氷室がその音に気がつく。
 鳴り続けるインターホン。
 3つの玄関のドアがいっせいに開かれる。
「うるせえ!」
 熟睡していたところを起こされて不機嫌になったのか、稚空が怒鳴り声で顔を出してきた。
 同時にまろんと都がそれぞれの玄関から顔を出す。
 まろんの部屋の玄関の前に、2人の男女が立っていた。
「ただいま、まろん・・」
 男性は笑顔をまろんに向けた。
 彼女は2人に見覚えがあった。いや、今まで忘れたことなどなかった。
 まろんの両親、匠ところんだった。
「お父さん・・お母さん・・」
 まろんは喜びのあまり、眼から涙が浮かんだ。
「今までよくがんばったわね。心配かけて本当にごめんなさい、まろん。」
「今までお前に寂しい思いをさせた分、私たちに甘えてくれ。これからは、家族3人楽しい日々を過ごそう。もちろん、お前の友達も仲良く過ごしたいと思っている。」
 優しく語りかける両親に、まろんは涙を流して寄り添った。
 久々に再会した両親にすがる娘の背中を、匠は優しく撫でてあげる。
「やっと、やっと戻ってきてくれたんだね・・」
 幼い頃に離れ離れとなった両親が今、間違いなく自分のそばにいる。
 ジャンヌ抹殺のために悪魔に取り付かれ、バラバラになっていた3人の家族が今ここにいる。
 その光景を目の当たりにした都も涙を浮かべ、稚空も喜びを隠せないでいた。
「おかえり・・お父さん、お母さん・・・」
 涙ながらに笑顔を作り、まろんは両親の再会を喜んだ。

両親と仲間たちとともに、日下部まろんの新しい生活が今、始まるのだった。

終わり


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