光と影の天使・第5話

作:幻影


「もぉ〜、ジャンヌ〜、どこ〜?」
 昇と都を追っていったジャンヌについていけず、別荘の廊下で途方に暮れていたフィン。
 品のない声を上げて、ジャンヌを求めて辺りを見回している。
 天使は普通の人間には見えないので、不審がられることはないのだが。
 いくら空を飛べると言っても、人間よりも小さい天使は、同じ距離をかなりの労力を要するのだ。
「今のジャンヌなら大丈夫だとは思うけど、何か嫌な予感がするのよ。」
 フィンは一抹の不安を感じていた。
 聖なる力を覚醒させ、揺るぎない心を得たジャンヌは、悪魔には決して屈したりはしない。
 そう思ってるはずなのに、何かとんでもないことが起こるのではないか。
 フィンにはそう思えてならなかった。
「あれ?」
 廊下を進むフィンの先で、1つの部屋の扉が開いた。
「ま、まろん!?」
 扉の陰から現れた少女。その姿は間違いなく日下部まろんだった。
 しかしまろんは今はジャンヌに変身しているはず。変身を解いてこの辺りをウロウロしているはずがない。
「あなたは、いったい・・ううっ!」
 そのとき、フィンは激痛に頭を押さえた。
 少女から発せられる邪気が、フィンの体を蝕んでいるのだ。
 神に仕える天使は、悪魔の力に敏感で、邪気に触れるとその聖なる力を汚されてしまうのである。
「うっ・・苦しい・・もしかして、悪魔!?」
 苦痛にあえぐフィンを少女が妖しく見つめる。
「少し違うわね。確かにこうして魔力を放ってはいるけど、私はちゃんとした日下部まろんよ。」
「えっ!?それじゃ、あなたは!?」
「そうよ。私はまろんの影。心の痛みが生み出した、もうひとりの彼女なのよ。」
 少女が体から紫色の邪気を漂わせ、フィンに悪影響を及ぼす。
「ああぁぁーー・・あぁ・・・」
 フィンは自分の体から力が抜けていくのを感じた。
 必死にもがく手足が灰色に染まって、動かすことができない。
「あっ!・・あぁ・・」
 変わりゆく自分の姿にフィンが恐怖する。
「両親の離婚、稚空がシンドバットだということを知ったとき、そしてあなたが魔王に従う堕天使としてまろんのもとへ帰ってきたとき。その悲しみと苦しみが積み重なり、もうひとりのまろんを生み出した。それが私よ。」
 少女は自分の胸に手を当てて、悠然と語る。
 フィンも彼女の話に耳を傾けながらも、邪気と石化の苦痛に苦しめられていた。
「私はこれからまろんに会いにいく。だからあなたには邪魔されたくないわ。天使の力は少し厄介だからね。無事に私の世界に送ってあげるわ。」
「逃げて・・ジャン・・ヌ・・・」
 必死に声を振り絞り、フィンが完全に灰色の石像へと変わった。
 力を失い落下しそうになった天使の像を、少女が手を伸ばして受け止めた。
「これでまた、私の作る新しい世界の住人が増えたわ。」
 少女は石になったフィンを手にとって、出てきた部屋に戻る。
 そこには、彼女の魔力に侵され石化した弥白と水無月が立ち尽くしていた。
「まろん、待ってて。苦しみも悲しみもない、私たちだけの世界を作りましょう。」
 少女はテーブルの1つに近寄って立ち止まり、後ろを振り返った。
「やっと来たのね、シンドバット。いや、稚空。」
 少女の視線の先、部屋の前の廊下には、シンドバットと黒天使アクセスの姿があった。
「まろん!?どうして・・・!?」
「いったい、どうなってるんだよ!?」
 まろんそっくりの少女の姿に、2人が疑問符を浮かべる。
「あっ!フィンちゃん!」
 アクセスが驚愕の声を上げる。
 少女の手に握られた、石像と化した天使があった。
「委員長!?弥白!?どういうことなんだ!?」
 シンドバットも、変わり果てた2人の姿に声を荒げる。
 少女がフィンを近くのテーブルに置いて、妖しく語りかける。
「あなたたちにも言っておくわ。私はまろんの悲しみや辛さが生み出した彼女の影、もうひとりの日下部まろんよ。」
「何っ!?まろんの!?」
「そうよ。私は彼女の心の傷そのもの。だけどその悲しみも辛さも、まろん自身のもの。だから彼女に私を受け入れてもらって、その闇の怖さに打ち勝ってほしいのよ。」
「ふざけるな!」
 シンドバットがいきり立ち、ワイヤーを伸ばして少女を見据える。
「お前のやろうとしていることは、ただの独りよがりな支配だけだ!まろんのことを想っているなら、ここにいるみんなを今すぐ元に戻せ!」
「ウフフフフ。そう興奮しないで。お楽しみはこれからだよ。」
 あざけるように妖しく笑う少女に、シンドバットは舌打ちをして、手にワイヤーを握りしめたまま飛び出した。
 しかし、少女の姿が突然霧のように消えた。
「何っ!?」
 シンドバットは足をとめて辺りを見回した。
 部屋には自分とアクセス、石化された3人の姿しかない。
 彼らの耳に少女の声が響き渡る。
「まろんは私と再びひとつになるのよ。そして稚空、あなたも私の世界に招待してあげる。」
 哄笑を残して少女は完全にこの部屋から姿を消した。
「まずい!このままじゃジャンヌが、まろんが危ない!いくぞ、アクセス!」
 シンドバットがはっとして、部屋を飛び出した。
「あっ!シンドバット、待ってくれよ〜!」
 アクセスが慌てて駆けていくシンドバットを追いかけていった。

 ジャンヌは床に落ちているボロボロのリボンを手に取った。
 いつも都が愛用していた赤いリボンである。
 ときどき母親に曲がっていると注意されることもあった、いつも髪に留めているそのリボンは、昇の石化に巻き込まれて引き裂かれ、半壊した状態で床に落ちたのだった。
「都、私、もう大丈夫だから・・」
 ジャンヌはそのリボンを服の中に入れ、悪魔を封印するためのリボンを構える。
 昇が不敵な笑みを浮かべて彼女を見つめる。
「まろんちゃん、女神の洗礼を受けるんだ。でないと、ずっと苦しみ続けることになるんだよ。」
「幸せは自分の力で得るものよ!私の未来を決めるのはあなたじゃない!私自身よ!」
 ジャンヌはリボンを振り抜き、手を伸ばした昇をなぎ払った。
 悪魔にとり付かれた人に対するリボンでの攻撃は絶大であった。
「ぐわっ!」
 弾き飛ばされ壁に叩きつけられた昇がうめき声を上げ、倒れて気を失った。
 ジャンヌはすかさず「洗礼の女神」に振り返った。
「そろそろ正体を現しなさい!」
 ジャンヌの声に反応するかのように、女神像が形を変えた。
 別の物体へと変化してうごめき、邪気が凝り固まったような悪魔へと姿を変えた。
「あと少しでお前を手中に収めることができたというのに!」
 不気味な声を出す悪魔が、口から体と同じ紫色の煙を吹き出してきた。
 ジャンヌは素早く飛び上がってこれを回避するが、彼女が元いた場所に視線を移すと、煙を吹き付けられた床と壁が灰色に変色して亀裂が生じた。
「あの煙を浴びたら、何もかも石に・・!?」
 ジャンヌはさらに警戒を強め、悪魔に向けてリボンを構える。
「神の名の下に!」
 ジャンヌの背に、淡く輝く白い翼が広がる。
「闇より生まれし悪しき者を、ここに封印せん。」
 振り切られたリボンが悪魔の体を取り巻き、真紅の薔薇へと姿を変える。
「封印(チェックメイト)!」
「ぐああぁぁーーー!!!」
 咆哮を上げながら、悪魔が明白な光に包まれた。
 悪魔を封印して変化したチェス駒をリボンで引き寄せる。
「回収完了。」
 こうして悪魔は封印され、昇によって石にされた都や他の女性たちが元に戻る。
 はずだった。
「ウソ!?・・どうして・・!?」
 ジャンヌは眼を疑った。
 昇に力を与えていた悪魔が封印されたにも関わらず、煙が吹き付けられた床も壁も、都も元に戻っていない。
「そんな・・悪魔は今チェックメイトしたはずなのに・・!?」
「フッフッフッフ・・・」
 ジャンヌが振り返ると、意識を取り戻した昇が笑いを浮かべていた。
「女神によって洗礼された人たちは、元に戻る必要なんかない。みんなその美に酔いしれているんだよ。」
 ジャンヌは困惑していた。
 洗礼の女神に悪魔が取り付いていたなら、悪魔を封印された今、その偽りの洗礼が続いているはずはない。
 青い蝶、ブルーモルフォにとり付いた悪魔を封印したときは、その毒牙にかかって仮死状態となっていた人々は元に戻った。
 わけが分からないジャンヌに、昇が満面の笑みを見せて語りかけてくる。
「女神は消えてしまい、君に洗礼を与えることができなくなってしまったけど、僕はまだ君を不幸の底から救い出せる!だから僕と一緒に・・」
 そのとき、昇の胸を細い閃光が貫いた。
「・・・がはっ!」
 何が起こったのか分からず一瞬呆然となっていた昇が吐血し、鮮血が床にこぼれ落ちる。
「昇さん!」
 ジャンヌが声を荒げて倒れ込む昇に駆け寄ろうとしたそのとき、部屋の前の廊下に立つ少女の姿が彼女の視界に入った。
 少女のその姿にジャンヌは眼を疑った。
 向けている指先から昇を射抜いた閃光を放ったと思われる少女は、まるで鏡に映っているような、まろん自身に姿をしていた。
「あなたは・・・!?」
 混乱するジャンヌが振り絞った声に、少女は妖しく笑みを浮かべて答えた。
「まさか私を知らないはずはないよね?だって私はあなた、日下部まろん自身なんだから。」
 ジャンヌは少女のこの言葉に驚愕する。彼女の脳裏に、昨晩見た悪夢がよみがえってきた。
“私を受け入れなさい。”
 そう呟いて近づいてくるもうひとりの自分。
 灰色の石に変わっていく自分の中に、少女がうっすらと笑みを浮かべて溶け込むように入り込んでいく。
 そして頭の中が真っ白になった瞬間、夢が覚めたのだった。
「もしかして、あれって・・・」
 ジャンヌに夢で感じた恐怖がこみ上げてくる。
 その姿を見つめて、少女が笑みを強める。
「そう。あれは私が見せた夢。以前、あなたはおかしな夢を見たはず。あれはノインが見せた夢。それと同じ原理よ。」
 まろんは以前、ジャンヌ・ダルクが孤立し、シンドバットもその意を示すという夢を見たことがあった。
 それはジャンヌ・ダルクの魂を取り戻すために、悪魔に魂を売り悪魔騎士としてまろんに迫った、ジャンヌ・ダルクと愛を誓い合った男、ノイン・クロードの仕業だと少女は言った。
 それと同じようにして、少女は夢を通じてまろんに接近していたのである。
「あなたが、昇さんを・・」
 戸惑いを隠せないジャンヌが少女に訊ねる。
「彼も十分楽しんだはずよ。洗礼の女神に魅入られていたので、力を与えてあげたのよ。最高の美が手に入る洗礼の力をね。彼はその力に、力をかけた相手の身に付けてるものを全て破壊するという思念を加えたみたいだけど。私は少し納得いかなかったけど。だって、洗礼された人は結局は裸にされちゃうわけだから。」
 少女は笑みを消さずにジャンヌに近寄ってくる。
「全てはまろん、あなたに会うためよ。」
「私に?それじゃ、そのために昇さんを利用して、都やみんなを・・」
「そうよ。ただあなたに会うだけじゃおもしろくないから、とっておきのゲームを用意したのよ。そして昇さんは十分その役目を果たしてくれた。」
 突然近づく足を止めた少女は、体から薄黒い煙を発し、背中から黒い翼が生えてきた。
 その翼に包まれ、次に姿を現した少女は、ジャンヌと同じ姿かたちをしていた。
 違う点は、髪の色が透き通るような銀色をして、体から命を脅かすような邪気をまとっていた。
「ジ、ジャンヌ!?あなたは、いったい・・!?」
 困惑するジャンヌに、彼女そっくりの姿をした少女が口を開く。
「私は暗黒怪盗レイン。日下部まろん、神風怪盗ジャンヌの心の闇よ。」
「私の、心の闇!?」
 妖しく笑う闇の怪盗レインの言葉に、ジャンヌが驚愕の声を上げる。
 レインはさらに話を進めた。
「両親の決裂と離婚、稚空やフィンの裏切り。それらの出来事で心を傷つけられたときに生じた、あなたの悲しみや苦しみが外に飛び出して形となったのがこの私。」
「私が、あなたを生んだ・・」
「でも思いつめることはないわ。あなたの喜怒哀楽は、内にあっても外に出ても、結局はあなた自身のものよ。さぁ、改めてひとつに戻りましょう。あなたと私が、あるべき姿で。」
 レインは右手を伸ばして、ジャンヌへと歩み寄る。
 リボンを構えながらも、ジャンヌは困惑を隠せないでいた。

つづく


幻影さんの文章に戻る