白神の巫女 第七話「天乃の決意」

作:幻影


 道場にいた海奈たちにも、黒神復活は察知していた。
 膨大に放出された邪気の波動が、彼女たちにも伝わってきたのである。
(すごい・・今まで感じたことのないほど、強大で邪悪な気・・)
 海奈は黒神の邪気に恐怖さえ覚えていた。
「海奈さん、今から天乃ちゃんのところにいきましょう!」
 ゆかりが立ち上がって海奈に詰め寄った。
「あたしの力じゃどうにもならないかもしれないけど、天乃やみんなを助けたいのよ!止められても、あたしは行きます!」
「待ちなさい。」
 外に出ようとしたゆかりを、海奈は立ち上がりながら呼び止めた。
「一緒に行きましょう。」
「海奈さん・・!?」
 紅葉が驚いて思わず立ち上がる。
「ただし行動は常に一緒です。バラバラに散らずに行けば、ある程度危険は少なくなるでしょう。」
「分かりました。とりあえず、天乃を探して合流しましょう!」
 ゆかりが真っ先に家を飛び出し、海奈と紅葉もその後に続いた。

 次第に暗雲が立ち込めていく空を見上げ、黒神は自分の力の実感を確かめた。
 研究施設を兼ねたミーナの屋敷の前の庭に彼はいた。そこにミーナが血相を変えて駆けつけてきた。
「いったい何が起こったの、涼平!?ついさっき、膨大な黒いエネルギーをすぐ近くに感知したのよ!まさか、アンタ何かやったんじゃないでしょうね!?」
 彼女に肩を掴まれ、黒神は不気味な笑みを浮かべてゆっくりと振り返った。
「ちょっと、涼平・・!?」
 ミーナは眼の前の男の異様な様子に恐怖感を覚える。
 そこにいるのは涼平ではなかった。外見は彼と全く変わりなかったが、その心は黒神のものとなっていた。
「貴様はこの男に手を貸し、霊的能力を科学などといったもので解明し、我が復活に加担した者か。」
「ア、アンタ、涼平じゃないわね・・!」
 後退しようとしたミーナに、黒神は右手を突き出して淡い光を放った。
 その光に包まれ動きを封じられたミーナの手足が灰色に変わり、徐々にそれが進行していく。
 ミーナの顔に恐怖が浮かび上がる。
「ちょっと、私の魂まで取り込むつもり!?途方に暮れていたアンタを助け、黒神復活に持てる科学力を注ぎ込んだ私を手にかけるつもりなの!?」
 必死に抗議するミーナ。黒神の宿主である涼平に呼びかける。
 しかし、彼のこころは完全に黒神と同調していた。
「驕り高ぶるな。そもそもこの男は、貴様など我が復活のために利用していたに過ぎぬ。その科学で生贄となる白神の巫女を探させ、目的を果たせば貴様も生贄とする企みを企てていたのだ。」
「そ、そんなバカなこと・・!?」
 黒神から語られた涼平の胸中に、ミーナは驚愕する。彼女には、石化していく体に伝わる激しい気分の変化よりも、陥れられた苛立ちのほうが強かった。
「貴様は魂を奪われて、役目は終わる。貴様に代わってこの現世を破滅へと導いてやる。ありがたく思うことだな。」
「お、おのれ・・黒神がぁぁーーーー!!!」
 怒りのあまり、ミーナは石化していく体で叫び声を上げた。
 その咆哮を留めたまま、ミーナは完全な石像になり、石の体から魂の入った水晶が取り出される。水晶はそのまま黒神の体にうずまり、体内に入り込んでいく。
「また1人、魂が我が力となった。あとは白神の一族を滅ぼせば、我が前に立ち塞がる者はいなくなる。まずは失せたあの男と白神天乃を葬り去ってくれる。」
 黒神は宙に浮き上がり、そのまま虚空を飛び去っていった。

 昼と夜を見分けるのも難しいほどに暗くなった曇り空。
 その下の草原で、天乃は眼を覚ました。
 体を起こすと、その上には黒い巫女装束が折りたたまれて置かれていた。白神家の分家にあたる黒神の巫女の装束である。
 今彼女が着ている白装束の白衣は、涼平に引きちぎられたままだった。
 近くにある湖のほうに歩いていくと、大地が虚空を見上げていた。
「あ、あなた・・」
 天乃に声をかけられ、大地は振り返る。
「眼が覚めたか。」
「あの、私、いったい何が・・?」
「お前は黒神に仕えていたあの男に蝕まれ、内に秘めた力を解放させたことによって、黒神が復活した。」
 大地の言葉に天乃は動揺する。涼平との接触で乱心しかかっていたため、もっと驚いてもいいはずなのに、声があまり出なかった。
「黒神はあの男の体に憑依し、男もその邪気と心を一体化させた。そして奪われた魂は、黒神の力として取り込まれた。」
「それじゃ、みなみやひなたも・・」
 天乃は悲痛し、その場に崩れ落ちた。
「祭壇から脱出する途中にその装束を頂いた。おそらく黒神に仕える巫女のものだろう。着替えろ。」
 そう言って大地は立ち去ろうとする。そんな彼を天乃が背後から寄り添ってきた。
 大地は不快に思いながら振り向くと、悲痛に涙を浮かべている彼女の顔がそこにあった。
「お願い・・私をあなたのものにして!」
「何!?」
「私はあんな最低な人に好き放題にされた!今の私は完璧にあの人のものにされた!こんな嫌な気分じゃ、これからを生きていくなんてできないよ!だから・・」
 天乃は必死に大地にすがりついた。しかし大地には、苛立たせるだけだった。
「オレには関係ない。オレはお前を助けたいとは思っている。だがそれは、かつてオレがお前を救えなかった罪の意識からだ。オレはお前を拘束するつもりはない。」
 突き放そうとした大地の手を、天乃は自分の胸に押し当てた。
「お、お前!!?」
 抗おうとする大地を引っ張り、天乃はそのまま倒れこんだ。
「私だってこんなのはイヤだけど、このままあの人のものになるくらいなら!」
 天乃は大地に、無理矢理に自分の胸を揉ませる。
 恥じらいを嫌う彼女だったが、自分の体に押し込まれた不快な気分をどうしても拭い去りたかった。
 しかし今度は、それに付き合わされた大地が不快感を感じていた。
「は、放せ!こんなふざけたマネをするほど、お前は堕ちたというのか!?」
「ち、違う!・・ぁはぁ・・これは私を取り戻すためのもの!そしてあなたの罪を消し去るためのものでもあるのよ!・・ぁぁ・・」
 手を離そうと必死になる大地と、あえぎ声を上げながら言い放つ天乃。
「あなたには、私の気持ちを知ってほしいの・・」
 そう言って天乃は、大地をさらに抱き寄せた。彼の手が彼女の胸の傷に触れる。
「私はあのとき胸を刺され、あなたは谷底に突き落とされて、お互いに死の恐怖を体感した。それでも私たちは必死に生きようとした。たとえ自分にどんな運命が背負わされていたとしても。」
 天乃の言葉を聞き入れながら、大地は彼女の胸の傷に手を当てたまま黙り込んでしまった。
 彼の中に、白神の暗殺者から赤ん坊だった彼女を守ろうと立ちはだかった自分の姿がよみがえる。
 そのとき、彼女を抱いたときと、今彼女に寄り添っているときと感じる温もりが同じだった。
「私の中にこんな邪気が隠されてたなんて知らなかった。そのときの白神家にあんな規律があったってことも。だけど、それでも私は幸せに生きたかった。暗闇の日々から抜け出すためには、私が必要であり、また今の私にもあなたが必要なの。」
 それから天乃の抱擁は続いた。
 大地に自分の胸を揉み解させ、また胸の中に顔をうずめさせたりもした。大地は無抵抗のまま、彼女に促されるだけだった。快楽を感じず、ただ不快に感じながらも。
 しばらくして天乃は自分の袴を下ろした。一糸まとわぬ姿になった彼女は、大地の顔を無理矢理自分の股に押し当てた。
(やめろ・・)
 胸中で呟く大地の口の中に、天乃の秘所からあふれ出た愛液が入り込む。涼平が彼女にしたように。
(やめろ・・!)
 そして天乃は大地の顔を上げさせ、愛液のこぼれる唇を自分の唇に押し当てた。
(やめ・・くぅぅ・・・)
 大地の意識が遠のいていく。
 彼の口の中にあった天乃の愛液が、口付けを通じて彼女の口の中に入り込んでいく。
 彼がここまで自分を強いられたのは、白神の暗殺者に殺されかけて以来のことだった。九死に一生を得た彼は、自らを修羅と化し、自分の前に立ち塞がるものを全て葬ってきた。死の恐怖から逃れるために。
 しかし今は天乃に抱擁されて、地獄にいるような束縛から解放された気分を彼は感じ、そのまま眠りについた。

 その後、天乃は大地の着ていた胴着を脱ぎ去った。
 彼には体じゅうに傷が付けられていた。修羅として戦い続けたことを表している傷痕である。
 天乃は大地の傷だらけの体を抱き寄せた。そうすれば彼が傷つきながら死に物狂いに生きてきたことが実感できるかと思っていた。
(あなたも辛いことばかりだったのね。浮かれて生活してた私が恥ずかしくなるくらい・・)
 天乃は平和に生きてきた自分を悔やんだ。眼の前の男が生死を分かつ戦いを繰り返してきたことにも、全く気付かなかったからだ。
 そして天乃もそのまま眠りについた。
 彼らが再び眼を覚ましたのは、暗雲で陰った太陽が高く昇った頃だった。
「ねぇ、私たちの家に帰ろう。」
 天乃が大地に優しく話しかける。しかし大地は、
「それはできない。」
「どうして!?今の白神家には、あなたを襲ったような暗殺者はもういないよ!」
「そういうわけではない。」
「じゃ、どういうことなの?」
 天乃が疑問符を浮かべている中、大地は少し間を置いて口を開いた。
「オレがこのまま白神家に戻ることは、今までのオレの過去を捨て去るということだ。もしもそんなことをすれば、オレは自分のしてきたことを全て否定することになる。」
 大地は立ち上がり、苛立ちに拳を握りしめた。
「だから、オレは帰るわけにはいかないんだ。」
「大丈夫だよ!」
 大地の背後から、天乃が抱きしめてきた。
「誰だって、過去を消すことなんてできない。どんなことになっても、忘れることぐらいしかできないよ。だから、白神家に戻っても、何も傷つくことなんてないんだよ。」
 涙ながらに大地を呼び戻そうとする天乃。白神家の自分と修羅の自分が交錯する大地。
 2人の思いと戒めが互いの心を行き交っていた。
 そのとき、2人は巨大な邪気を感じ取り、虚空を見上げた。
「来る・・黒神がこっちに来る!」
「お前も感じたか・・」
 瘴気と威圧感に圧されながら、大地と天乃は衣服を身に付けた。
「お前はここから離れろ。黒神の狙いはオレだ。」
「いいえ、私は逃げるわけにはいかないわ!」
 大地の促しに、天乃は首を横に振る。
「もとはといえば、私の中にあった黒神の力が、黒神をよみがえらせちゃったのよ!だから、私が何とかしないと!」
 悲痛に訴える天乃に、大地は憤慨した。
「お前では黒神には太刀打ちできない!オレの邪魔にでもなろうと言うのか!?」
「敵わない相手だってことぐらい分かってる!それでも、私が何とかしなくちゃいけないのよ!」
 戦いに臨もうとする天乃と、それを否定する大地。
「足手まといにはならないから、私にも戦わせて、大地お兄さま!」
 その言葉に大地は押し黙ってしまう。
 大地と海奈は血のつながった兄妹(きょうだい)であるが、天乃はどちらにも血のつながりはない。そのはずなのに、天乃は彼を兄として慕っている。
 そのことが大地の心を揺らがせていた。
「ついに来たか・・」
 大地が振り返った先で爆煙が巻き起こった。黒神が瘴気を放ちながら姿を現した。
「ここにいたか。この場で貴様の息の根を止めてくれるぞ。」
 黒神が不気味な哄笑を上げる。大地が彼に対して鋭い視線を向ける。
「息の根を止められるのはお前のほうだ。オレの手で地獄へ葬り去ってやる。」
「愚かな。我が肉体には、霊力の強い魂が込められている。貴様ごときに我は倒せぬ。」
「笑わせるな。所詮は他者の力にすがっている負け犬の愚策に過ぎん。」
「愚策か否か、死をもって見切るか。」
 構えをとる黒神と大地。その間に突然、天乃が割り込んできた。
「お前、邪魔をするつもりか!?そこをどけ!」
 怒号を放つ大地。しかし天乃は動じない。
「黒神は私が生み出したと言ってもいい!だから私が責任をとるの!」
「お前などに何ができる!?ここから立ち去れ!」
 立ちのかそうとする大地と退かない天乃。2人の戦う意思が、逆に2人の心を突き放していた。
「どちらでも構わん。我が瘴気によって葬ってくれる!」
 笑みを浮かべて、黒神が2人に向かって飛び込んできた。
「どけ!邪魔だ!」
 天乃を振り払ったところに、大地に黒神の拳が叩き込まれた。
 大地は激しい衝撃を受けて吹き飛ばされ、草原を転げまわる。
 体勢を立て直した黒神が、大木に寄りかかる形で倒れた大地を見下ろした。
「まさか貴様がこうも容易く倒れるとはな。見下げ果てたものだな。修羅の道を歩む者が無様だな。」
 うめく大地をあざ笑いながら、黒神は右手を伸ばした。
「貴様の魂、もらい受ける。殺気のこもったその霊力、我が力の大いなる糧となろう。」
 大地は危機感を覚え、すぐに立ち上がろうとする。しかし、黒神が右手から淡い光を放つのが速かった。大地は覚悟を決めた。
 そのとき、大地の前に天乃が立ちはだかり、黒神の光を受けた。彼女は大地をかばって、黒神の呪われた邪気を受けてしまった。
 天乃の手足が灰色に変わり、体へと浸食を開始した。
 大地が彼女の行動に驚愕し、うっすらと笑みを見せる彼女を凝視する。
「お前、どういうつもりだ!?オレを、オレをかばうなど・・!」
 前に回り込んで両肩を掴む大地に、天乃が作り笑顔で答える。
「言ったでしょ・・あなたは、私のお兄さまだって・・」
 天乃の両腕が完全に石化し、下半身も石に変わった。その姿と彼女の言葉に、大地は絶望と苛立ちを感じていた。
「お前・・まだそんな世迷い言を・・!」
「あなたはどうにかなりそうだった私を助けてくれた。もしも修羅になっていたなら、私なんか気にも留めなかったはずだよ・・」
 大地は天乃の言葉に黙り込んでしまう。
 生きるために戦い、非情に徹してきた自分を兄として慕う彼女に、彼の心は揺らいでいた。
「お願い、お兄さま・・どうか、無事でいて・・・大地・・おに・・い・・さ・・・ま・・・」
 物悲しげに全てを託す天乃の顔が灰色になり冷たくなる。その石の頬に涙が流れ落ちる。
 大地が悲痛にあえぐ眼の前で、天乃は完全な石像に変わった。彼女の石の体を掴む彼の両手から力が抜ける。
「まずは1人。我が力と白神の力を併せ持つこの娘の魂を取り込めば、もはや我を止める者はおらぬ。その強大な力をもって、白神大地、滅べ。」
 黒神は不気味な哄笑を上げながら、淡い光を放つ右手を引く。天乃の石の体から、魂が封じ込められた水晶が取り出される。
 天乃の魂が黒神の手元に引かれていく。
 そのとき、旋風が黒神の眼前をよぎり、天乃の魂が消える。
「何っ!?」
 天乃の姿を見失い、黒神が辺りを見回す。そして定まった視線の先に、大地が殺気を漂わせて立っていた。彼の右手には、黒神が取り込もうとしていた天乃の魂を閉じ込めた水晶が握られていた。
「き、貴様!?」
 黒神が驚愕の声を上げる。魂の水晶を握ったまま、大地は黒神に振り返った。
「天乃はオレの心のより所だ。お前などに易々とは渡さんぞ!」
 大地が空いている左手を黒神に向け、霊力を集中させる。
「オレは、オレたちは、生きるために戦う。これまでも、そしてこれからも戦い続ける。お前などには決して屈しない!」
 大地は左手の霊力を黒神に向けて放った。黒神の眼前で爆発が起こり、爆煙が巻き起こる。
「おのれっ!」
 黒神が砂煙を払うと、そこに大地の姿はなかった。
「大地、貴様は決して我から逃れられぬ。天乃も我が糧としてくれようぞ。」
 黒神は舌打ちしながら、森林を見つめた。
 空は昼とも夜ともつかないほどに、暗雲で満たされていた。

つづく


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