作:幻影
悪魔への変貌を遂げたたくみが、蜂の怪物に視線を向ける。
蜂が身構え、咆哮を上げてたくみに迫った。
たくみは鋭い牙を光らせ、飛びかかってきた蜂の左手の針をかわし、鋭い爪でその体を切り裂いた。
痛烈な切れ味と強烈な力に押された蜂が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。衝撃を受けた壁が亀裂を生じてへこんだ。
体に3つの切り傷を付けられた怪物が、蜂の姿から人間へと戻った。女性の体にも依然、たくみがつけた傷が刻まれていた。
「に、人間・・・!?」
人に戻った怪物に、驚愕を覚えたたくみが、悪魔から人間へと姿が戻る。
その直後、呆然と立ち尽くす女性の体が突然白くなって動かなくなった。
恐怖と動揺を隠せないたくみが、恐る恐る女性に手を伸ばした。彼の手が女性の左肩に触れた瞬間、女性の体が音もなく崩れ去った。
その衝動にたくみが愕然となり、原型を失った白い砂の山を見下ろした。もはや、女性の面影さえなくなっていた。
「何なんだよ・・・何なんだよ、これは!?」
あまりに現実離れした出来事に、たくみが声を荒げる。
「突然こいつが怪物になって、周りの女を針で石にして、それからオレの姿が変わって・・・それじゃオレが、この人を殺した・・・!?」
「確かにそうなるわね。」
突然背後から声がかかり、混乱が増すばかりのたくみが振り返る。そこには紺色のジーンズをそろえた、黒い長髪をなびかせた大人びた女性が立っていた。
「でも、こうしたほうが正論なのよ。」
「何だよ、アンタは・・・!?」
平然と語る女性に、たくみは混乱の中、苛立ちをこみ上げてきた。
「この女はいったい何なんだ!?いきなり化け物になって人を石にして・・・そしてオレはどうしちまったんだよ!?オレも女みたいに化け物になって、引き裂いたら女が人間に戻って固まって、触ったら砂みたいに崩れちまった!」
「これは、ガルヴォルスよ。」
「ガルヴォルス・・・!?」
混乱するたくみに女性がかけた単語に、たくみの混乱はさらに強まった。
「何だよ、その、ガルヴォルスって・・・!?」
たくみの問いかけに、女性は笑みを含んだ口調で答えた。
「その前に自己紹介しておかないとね。私は不二(ふじ)あずみ。あなたは?」
「オレは・・不動たくみだ。ところで、いったい何なんだよ・・ガルヴォルスっていうのは・・!?」
苛立ちを抑えたたくみに、あずみが笑みを消して答えた。
「ガルヴォルス・・それは、誤った人の進化よ。」
「進化!?あんな化け物が、人の進化だっていうのか!?」
あずみが語った言葉に、たくみが信じられない心境で返す。
「だから誤った進化なのよ。」
あすみが体を震わせるたくみの肩に優しく手をのせる。
「人には、進化の可能性をもたらす因子が存在している。初めは猿だった人類が、知恵と技術を得て人に進化を果たした。それにはその人類の中にある進化の因子が存在したと考える人も少なくない。そして今でも、進化の可能性を秘め、その因子を保持している。」
あずみが砂と化した女性の亡がらに手を伸ばした。
「でも、ごくわずかに、誤った進化を行うときがあるのよ。このガルヴォルスもその一種よ。」
「そんなことが・・」
「ガルヴォルスは獣や悪魔の容姿と能力を持ち、まさに人間を凌駕した存在なのよ。今のように他者を石や別の物質に変化させてしまうことも可能よ。でも、ガルヴォルスは死ぬと人間の姿に戻り、石のように固くなり、砂のように風化してしまう。形も骨も残らず、塵にかえってしまうのよ。」
あずみの語る真実に、たくみは愕然となるしかなかった。自分はガルヴォルス。人が間違って進化した人でない存在。
人でなくなったことに、たくみは不安を隠しきれなかった。
「ガルヴォルスは知能を持った獣と言っても過言ではないわ。でもその中には、その力に囚われて、知能を失った完全な獣になる場合があるのよ。それらは無差別に人々を襲い、本能の赴くままにその力を暴走させてしまう。そこで、私は組織を先導して、ガルヴォルスを壊滅させることを提案したのよ。」
「壊滅って・・」
「ガルヴォルスを放置すれば、そのような獣が人々を容赦なく襲うことになる。あなたみたいに知性がある人には監視に留め、獣と化したものには破壊を遂行するわ。」
「けど、そんなんでいいのか・・・だって、元々は人間だったんだろ?」
腑に落ちないたくみ。しかしあずみは淡々を話を続ける。
「相手は人間を獲物としか認識していない怪物、畜生よ。みんなを守りたい、みんなを助けたいと思うなら、ためらってはいけないわ。」
たくみに言い聞かせた後、あずみは立ち去ろうとした。するとふと足を止めて、
「ビー・ガルヴォルスの針に刺された女の子たち、針を抜くか折るかすれば元に戻るわよ。」
おそらく先ほどの女性のことだろう、蜂の怪物から女性たちを解放する術を、あずみは笑みを浮かべてたくみに話した。
そして軽く手を振って、その場を立ち去った。
たくみが針を折ると、石化していた女性2人は元に戻った。そして恐怖のあまり、現実逃避するようにその場から離れていった。
たくみは呆然と彼女たちの後ろ姿を見つめていた。
自分は何者なのか。これからどうすればいいのか。
あずみから説明を聞いても、たくみの不安と混乱は消えなかった。
崩壊しかかった壁にもたれかけ、夜の空を見上げた。淀んでいるたくみの心とは裏腹に、空は透き通り月を映し出していた。
そこに1人の青年が通りがかってきた。年齢はたくみと同じくらいの黒髪の青年は、左頬が赤くなっていた。
青年はたくみの姿に気付き、足を止める。
「どうしたんだ、こんなところで?」
突然声をかけられ、たくみが顔を上げる。
「えっ・・いやっ、何でも・・・うぐっ!」
笑顔を作ろうとしたたくみが、胸から湧き上がる痛みにうめき始める。
「お、おい、きみ・・・あっ!」
心配の声をかけた青年が驚愕する。
たくみの顔に不気味な紋様が浮かび上がった。そして彼の姿が悪魔へと変わった。
「き、君は・・・!?」
驚く青年が後ずさりする。悪魔へと変身したたくみが、紅い眼光を青年に向ける。
すると、身構えた青年の顔にも紋様が浮かび上がり、ドラゴンへと姿を変えた。その変貌を目の当たりにしたたくみが、驚愕して姿を人間に戻す。
「お前も・・ガルヴォルス、なのか・・!?」
たくみの言葉に、青年も人間に戻って戦意を消す。
「知ってるのか、君は!?・・この力が何なのか・・・」
「今さっき聞いたばかりで整理がついてないけどな・・アンタ、名前は?」
「飛鳥だ。飛鳥総一郎。君は?」
「不動たくみ。」
人気のない公園の広場に移動したたくみと飛鳥。たくみは知る限りのことを総一郎に話した。
「そうか・・・ガルヴォルス・・それがこの変化と力というわけか・・」
飛鳥の言葉にたくみが頷く。
「あずみって人は、ガルヴォルスが、姿かたちから俗称を付けているようなんだ。悪魔の姿をしたオレは、デーモン・ガルヴォルス。アンタはさしずめ、ドラゴン・ガルヴォルスといったところか。」
たくみが浮かぶ苦笑いに、飛鳥も安堵の吐息をもらす。
「おかしいよな?分けわかんなくなってるのに落ち着いているなんてよ。」
「いや。分からなくなってるからこそ、こうして落ち着こうとしてるのかもしれない。普段の自分を保とうと必死になりながら。」
互いの気持ちを確かめ合う2人。そしてたくみが振り返ると、飛鳥が再び声をかけた。
「ところで、これからどうするんだ?」
「別にどうもしないさ。ただ、オレにも守りたいものの1つや2つあるから。ガルヴォルスがそいつらに手を出すっていうなら、オレは迷わずにこの力を使う。アンタは?」
「オレもさ。それともうひとつ。」
「もうひとつ?」
「ガルヴォルスは人間の進化だって言ったよね?だったら、オレはこう思うんだ。ガルヴォルスと人間は共存できるはずだって。」
「共存!?見た目は化け物だぞ!」
「できないはずはないよ。だって、ガルヴォルスは元々は人間なんだから。」
笑みを見せる飛鳥に、たくみは両手を上げるしかなかった。
「悪かったよ。オレの負けだ。オレもできる限り、協力したいと思ってるよ。」
「ありがとう・・」
2人が握手を交わしたそのとき、荒々しい咆哮がこの公園にこだました。たくみと飛鳥が振り返ると、公園の中央に人影があった。いや、その姿は人というよりも狼というほうが正しい。
狼は夜空に向かって雄叫びを上げていた。たくみたちが近づくと、その騒音に不快感を覚えて耳を押さえる。
「な、何だ、この頭に突き刺さるような雑音は・・!?」
「た、たくみ、あれ!」
飛鳥が示したほうにたくみも振り向く。その先の通りで耳を塞いでいた女性の体が、足から灰色に変色し始めていた。
変わりゆく自分の姿に恐怖しながらも、雄叫びに耳を押さえて苦しむ女性。
「これも、ガルヴォルスの・・!」
「多分な・・この雄叫びの中に、石にしちまう効果が含まれてるんだ・・!」
耳を押さえながら、石化していく女性を見つめるたくみと飛鳥。咆哮の雑音にさいなまれながら、女性は苦悶の表情のまま完全な石に変わった。
たくみたちは自分たちも石化されるのを警戒し、全身に力を込めた。2人の姿が悪魔とドラゴンへと変わる。
2人が大きく跳躍して公園の中央に着地すると、狼は咆哮をやめて2人に振り返った。
「こいつは・・」
「理性をなくしてる。あずみの言ってた、正真正銘の化け物ってわけだ。いくら共存を望んでも、もう聞く耳さえ持ってないだろうな。」
“人間を獲物としか認識していない怪物、畜生よ。”
たくみの脳裏に、あずみの言葉がよみがえる。目の前にいる狼は、もう人間の心を失ってしまったのか。殺す以外に、人間に戻してやる方法はなにのだろうか。
その問いかけは、飛びかかってきた狼によってかき消された。
振り下ろされた鋭い爪をかわし、2手に分かれるたくみと飛鳥。そして2人がイメージすると、右手にそれぞれが描いた形の剣が出現する。昔話で出るような魔剣、龍の牙を思わせるような剣である。
狼は飛鳥に狙いを定め、再び飛びかかって爪を振り下ろした。飛鳥はそれを剣で受け止め、狼を弾き飛ばす。
「たくみ!」
飛鳥が声をかけると、たくみが剣を構える。そして吹き飛ばされてきた狼に向けて、横なぎに剣を振りぬいた。狼の体が上半身と下半身に断裂される。
たくみが視線を傾けると、狼は虚ろな眼をした少年に戻っていた。彼女は両手を前に出そうとしたまま白く固まり、地面に倒れると粉々になって崩れ去った。
たくみは人間の姿に戻り、消えゆく少年の面影を呆然と見つめた。
間違っていることではない。このまま放置すれば、大勢の人が犠牲になっていたはずである。少年にはもう、人間としての理性がなかったのだから。
しかし、それで本当にいいのか。いくら怪物になってしまったとはいえ、こんな幼い少年を手にかけていいのか。
たくみの中に、拭いきれない疑問が浮かび上がっていた。
「たくみ、どうしたんだ・・?」
人間の姿に戻った飛鳥が、呆然となっているたくみに声をかけた。
「飛鳥・・・オレは、間違ったことをしているんじゃないのか・・・」
たくみの思いつめた言葉に、飛鳥にも動揺が伝わる。
これは共存ではない。いくら守るための戦いといっても、ただの殺し合いではないのか。
不安を抱えながら、飛鳥は口を開いた。
「信じるしかないよ・・・」
自分でも納得しきれない飛鳥の言葉に、たくみは笑みを作って頷いた。その片隅の通りで、石化されていた女性が元に戻り、何が起こったのか分からない様子を見せていた。
「あら、ずい分遅かったね。」
自宅のマンションに到着したたくみを待っていたのは和海だった。
「お前、なんでこんなところにいるんだよ!?」
たくみが驚きの声を上げる。
「まさかあなたが私と同じマンションだったなんてね。私も驚いちゃったよ。で、隆さんにたっぷり教え込まれてきたって感じね。」
「あ、まぁな・・」
和海の指摘にたくみは渋々頷いた。
自分の身に起こった、あまりに現実離れした出来事を、和海に話すわけにはいかないと思っていたからだった。自分が化け物になったなどとは。
信じるはずがない。信じたとしても冷たい眼で自分を見るに違いない。どちらにしても、いい心地がしない。
「まぁ、これも何かの縁だ。改めてよろしくな。長田和海さん。」
たくみが改まった態度を振舞ってみせる。その姿に和海が苦笑いを浮かべる。
この日から、たくみたちの新たな運命が始まるのだった。
一方、たくみと公園で別れた飛鳥は、明かりの消えた店の前までやってきていた。その奥のドアを軽くノックする。すると開かないと思っていたドアがゆっくりと開いた。
「夜遅くにすいません、柊(ひいらぎ)先輩。」
「おっ!飛鳥くんじゃないか。どうしたんだ、こんな時間に?」
驚きの声をもらす隆。その問いかけに飛鳥が答えようとすると、隆の横から美奈が眼をこすりながら顔を出してきた。
「あれ?総一郎、来てたの?」
「あっ!美奈ちゃん!」
美奈の登場に驚く飛鳥。
隆は飛鳥の高校時代の先輩に当たり、美奈とは同じ高校の同じクラスになったことがきっかけで付き合い始めた仲なのである。
「とにかく、立ち話もなんだから、中に入って。コーヒー用意するから。」
「いえ、そんなに気を遣わなくても。」
隆たちに促されて、飛鳥は中に入っていった。
「なるほど。父親と喧嘩して、家を出てきたわけか・・」
飛鳥の話を聞いて、隆が頷く。しかし飛鳥は、父親が死んだことを話さなかった。
自分が実の親を殺めてしまったことを、彼は少なからず後悔していた。こじれていたといっても、自分を育ててくれた恩師であることに変わりはないのだ。
「まぁ、そういうことなら仕方がない。僕の家にしばらく泊まっていくといいよ。美奈も喜ぶことだしね。」
「えっ?でも、それじゃ迷惑じゃ・・」
「そうだよ!しばらく泊まってくといいよ!」
困惑する飛鳥の前で喜ぶ美奈。
「気が済むまでここにいればいいよ。家に電話するのはそれからでもかまわないだろう。そうだ。よかったらここでバイトしてみたら?僕がしっかりとケーキ作りを教えてあげるから。」
活気を見せる隆に、美奈が苦笑する。飛鳥はしばらく考えあぐねた後、
「そうですか・・・では、お言葉に甘えることにします。」
飛鳥が頷くと、美奈が大喜びで部屋を回る。その姿に苦笑しながら、隆は飛鳥を迎え入れた。
隆は人情が厚く、よく相談を持ちかけられては快く話を聞いてくれた。話したくない事情には、あえてムリに聞くようなことはしなかった。
それが飛鳥には分かっていた。だからこの柊兄妹を訪ねてきたわけである。
その翌日、たくみと飛鳥が驚きの声を上げた。意外な再会への2人の戸惑いに、和海たちは疑問符を浮かべるばかりだった。
「ふぅ・・まさかアンタがここでバイトするなんてな・・まぁ、何はともあれ、よろしくな、飛鳥。」
次回予告
第3話「温泉の罠」
たくみたちが訪れた温泉宿。
そこで待ち受けていたのは、リザード・ガルヴォルスの謀略だった。
知能を持った怪物の恐怖。
その欲望が、和海たちに迫る。
「せっかくの力なんだ。存分に楽しまなきゃ損だぜ。」