デッド・エンジェル 第5話「揺れる想い、止まる時間(とき)」

作:幻影


 クリスシティは非常警戒が出されていた。
 デッド・エンジェルが攻撃を仕掛けるという通報を受け入れて、自衛隊が出動したためである。
 軍人が臨戦態勢に入っているこの街は、嵐の前の静けさに包まれていた。
 その殺風景な通りを歩く、1つの人影があった。
「何かが接近してきます!」
 兵士の1人が上官に報告する。
「何?」
 上官が双眼鏡を覗いて様子をうかがう。そこには1人の男がふらつきながら歩いてきていた。
 上半身には何も着てなく、ジーンズと靴をはいているだけだった。
「まさか、あれはもしや、デッド・エンジェル。」
 上官の言葉に、兵士たちが銃を構えた。
 街中を歩く男、ロウは視線を鋭くしながら口を開いた。
「そこをどいてくれ。」
「全員、かまえ!」
 ロウの呟きに耳も貸さず、上官の命令で兵士たちが銃口を向ける。それでもロウは動揺1つ見せない。
「やめておけ。今のオレには手加減できそうもない。」
 ロウの背中から黒い翼が広がる。
 デッド・エンジェルに変身したロウは変わらない歩調で進んでいく。
「おのれ、デッド・エンジェル!撃て!」
 上官の怒号とともに、銃弾が次々とロウ目がけて撃ち放たれる。
「止まれ。」
 ロウの呟くのと同時に、弾丸が彼の周囲で停止し、力なく地面に落ちていく。
「なっ!?」
 兵士の数人が驚愕の声をあげる。そこに上官の罵声が飛ぶ。
「うろたえるな!やむをえんが砲撃を開始する!」
 数人の兵士がバズーカ砲を持って前線に出る。
「浮き上がれ。」
 ロウがまた呟くと、バズーカ砲は重力に逆らって宙に浮かび上がった。
「うわっ!」
「そんな・・」
 兵士たちが次々と困惑する。苛立つ上官に、ロウが声をかけた。
「オレはその先に用があるんだ。そこをどけ!さもないと、こんな程度じゃ済まさないぞ!」
 上官は舌打ちしながらも、ロウをこのまま行かせた。
 デッド・エンジェルの力の前では、激情に満ちたロウには、軍隊の兵力さえ無力と化してしまった。

 ひと気のない堕天使の森の園の中央。
 そこにある十字架に、メイは張り付けにされていた。
 デッド・エンジェルへと変身していたため、ジーンズとスニーカーを身に付けただけの格好で、上半身はあらわになっていた。
 囚われの身となった彼女を悠然と見上げるカオス。
「哀れな堕天使・・キースが彼女を石化したときに名づけた題名だったな。」
 カオスが小さく言葉を漏らす。
 やがてメイが意識を取り戻し、小さくうめく。
「ん・・んん・・・ここは・・?」
「気がついたかい?ここは堕天使の森公園、中央広場さ。」
 困惑するメイに、カオスが不敵に笑う。
 堕天使の森。
 このクリスシティの近くでは昔、デッド・エンジェルが栄えていたという噂が流れていた。この場所にもデッド・エンジェルがよく過ごしていたため、堕天使の森と名づけられたのだった。
「ちょっと、何なの、コレ?」
 メイが手足を縛る縄を見て動揺する。体に力を入れようとするが、思うように力が発揮できない。
「もがいてもムダだよ。君を捕らえているそのロープには、力を封じ込めてしまう効力を持つ。堕天使の姿にはなれても、その力を扱うことはできないよ。それにこのロープは、普通の人間の力では絶対に断ち切れない。」
 メイが十字架から抜け出すには、手足を縛るロープを魔かデッド・エンジェルの力でほどかなければならない。
 必死にもがくメイに、カオスが近づく。
「もうじき、この街をかわきりに、世界は闇に包まれる。このカオス・クラインが、愚民のはびこるこの世界を変えるのさ。」
「クライン?・・それって、世界的な産業成績を納めていた有限会社、クライン・コーポレーションじゃ・・」
「その通り。よく知ってたね。」
 クライン・コーポレ−ション。
 世界産業に足を踏み入れている者の中に知らない者はいないと言えるほどの大企業である。
 しかし、5年前の本社ビルの崩壊によって、企業の財政は大暴落し、結局倒産してしまったのである。
「オレはその会社の社長、レイダー・クラインの息子のカイト・クラインさ。だけど父は群衆に見せる人情あふれた態度とは裏腹に、私によく暴力を振るってきていた。」
 カオスは右手を、身動きの取れないメイの左頬に当てた。
「母を始め、いろいろな人に助けを願ったよ。でも誰も助けようともしなかった。不条理な現実が、私をデッド・エンジェルとして覚醒させたのさ。」
「それじゃ、あの本社ビルの災害は・・!」
「そうだよ。デッド・エンジェルの力で、あの愚かな男ごと葬り去ったのさ。私に救いの手を差し伸べなかった者数人も含めて。私はカオス・クラインと名を変え、この力で人間の愚かさを粛正する。」
「そんなことさせない!いくらなんでも人間を滅ぼすなんて!」
 メイがいきり立ち、堕天使へと姿を変えた。しかし、どんなにもがいても堕天使の力は発揮されない。
「今の君は、持てる力を全て使えない、何もできない哀れな堕天使。」
 カオスは、メイの頬に触れていた手で彼女の胸を掴んだ。
「ち、ちょっと・・」
 メイの困惑がさらに強まり、思わず顔を赤らめてしまう。
「デッド・エンジェルは、天使とも悪魔とも、人とも違う異端の種族。しかし、人はその力だけで異端として見るだけでなく、隔離すべき存在とも考えていく。こちらには全く敵意がなくても、こちらの命を殺めようとする。」
「あ・・あうう・・・」
 呟くカオスに胸を揉みほぐされて、メイがうめき声を上げる。カオスが気にせず話を進める。
「人間は決して我々を受け入れようともしない。ならば、強引にでも受け入れさせてやるまでだ。」
「あはっ!・・・」
 メイの上げる声が荒々しくなる。
 そのとき、カオスの手が止まり、メイは少しばかりの安堵に落ち着いた。
 彼が振り返った先には、メイが危機に陥ったときにはいつも駆けつけてくれた男の姿があった。
「カオス、お前何を・・」
 ロウが息を荒げながらカオスに聞く。カオスが悠然とした態度で答える。
「やっとここまでたどり着いたか、ロウ・シマバラ。」
「メイを放せ!」
 ロウの怒号とともに、黒い翼が広がった。
 白い髪、紅い瞳。ロウはデッド・エンジェルへと姿を変えた。
「剣よ!」
 ロウは具現化された紅い剣を手に取り、カオス目がけて振り下ろした。
 カオスは難なくこれをかわすが、ロウはその間にメイを縛るロープを断ち切った。
 十字架から落ちるメイを、ロウは剣を捨てて受け止める。
「大丈夫か、メイ!?」
「うん、平気。ちょっと胸揉まれちゃったけどね。」
「何っ!?」
 平然と恥じるようなことを言うメイに、ロウは思わず赤面する。
「ロウ、君はここで私に葬られて息絶えるのだよ。」
 カオスの言葉に、ロウははっとして我に返る。
「デッド・エンジェルは、必ず人間に受け入れなければならないものだ。何故ならデッド・エンジェルは、人間が簡単になれる存在だからだよ。」
「何だって・・」
 カオスの発した真実に、ロウとメイが動揺する。
「人がデッド・エンジェルになれる条件。それは、人であることを捨てることさ。だが、人間は自然と人に執着してしまい、なかなか人であることを捨てきれない。だから人はデッド・エンジェルを隔離した存在だと思い込んでいるんだよ。」
 紳士服を着ているカオスの上着が裂け、黒い翼が広がった。
 彼もデッド・エンジェルの力を解放させたのだ。
「私はこの力で、愚かしき人間の在り方を変える。そのためにはロウ・シマバラ、君は不要かつ邪魔な存在なのだよ。だから、消えろ。」
「剣よ!」
 ロウとカオス、2人の声が重なり、同時に具現化する剣を握る。
 ロウの持つ紅い剣とは違い、カオスは混沌に満ちた漆黒の色の剣をしていた。
「さあ、決着をつけようか!」
 カオスが漆黒の剣を振り上げ、ロウに飛びかかった。ロウは振り下ろされた剣をかわし、カオスの動きをうかがう。
 カオスが振り返りざま、横なぎに剣を繰り出してきた。それを自分の持つ紅い剣で受け止め、押しのけてカオスに斬りかかった。
 ロウのないだ刃がカオスの頬をかすめる。
 出血した頬に手を当てて、カオスが笑みをこぼす。
「なかなかの腕前のようだ。」
「これでも剣術に長けてるんでね。剣でオレを相手にするなら、もっと訓練したほうがいいな。」
 ロウが不敵に笑い、剣を構えなおす。
「確かにすばらしいね。だけど、デッド・エンジェルの力は、私のほうが上だ!」
 カオスは漆黒の剣を消し、背にある翼を広げた。
「な、何だ!?」
 吹き荒れる烈風が周囲を揺らし、ロウが辺りを見回す。
「今、見せてやろう。君には備わっていない、堕天使の本当の力を。」
 旋風が激しさを増してロウに吹き付ける。まるで嵐のようだ。
「堕天使の翼、デッド・フェザー・ウィンド。」
 カオスの翼から羽が散らばり、風の中を飛び交う。
「ぐああぁぁーーー!!!」
 無数の羽が鋭い刃のようにロウの体を傷つけ、ロウは激痛にあえぐ。
「ロウ!」
 メイがロウの名を呼ぶが、荒々しい竜巻に阻まれて彼女には2人の姿が見えない。
 やがて竜巻が治まると、傷ついたロウが落下して地面に激突する。
「イヤアッ!」
 その姿を目の当たりにしたメイが、悲痛の叫びを上げる。
 宙に浮き上がっていたカオスが着地し、倒れたロウを見下ろす。
「これが君と私の決定的な差だよ。デッド・エンジェルの真の力を扱えない君が、私に勝てるはずがないのだよ。」
 カオスが再び漆黒の剣を手に取り、切っ先をロウに向けた。
「ロウ・シマバラ、この堕天使の広場が君の墓標だ。天国で世界が変わりゆく姿を見続けるがいい。」
 カオスがロウ目がけて剣を振り下ろそうとしたそのとき、
「ぐあっ!」
 カオスがうめき声を上げて、剣がロウから外れる。
 彼のわき腹に鋭い刃が貫き、メイが背後で息を荒げていた。
「お、お前っ!?」
「ロウは殺させない!あたしだって、ロウを守ることができるはずだよ!」
 メイが剣を作り出し、それを背後からカオスに突き刺したのだった。
「メイ・・ダメだ!離れろ!」
 起き上がるロウが声をかけるが、それでもメイはカオスから離れない。
「おのれっ!」
 いきり立ったカオスが漆黒の剣を突き出した。
 その刃が、メイの腹部に突き立てられた。
「あっ・・・」
 眼を丸くして、メイがゆっくりと仰向けに倒れる。体から鮮血があふれ出る。
「メイ!」
 叫ぶロウに、カオスが剣を引き抜いて見据える。
「このヤロー!」
「はぁぁーー!!」
 怒りを爆発させるロウに対し、カオスが声を荒げて、最後の力を振り絞ってデッド・フェザー・ウィンドを発動する。
 荒々しい烈風と研ぎ澄まされた羽が襲うが、ロウはそれに構わずに剣を構えて突進する。
「やあぁぁーーー!!!」
 怒号とともに、ロウの突き出した剣がカオスの胸を貫いた。
 カオスの背中から鮮血が飛び散り、堕天使の黒い翼が花びらのように散っていった。
 荒くなる呼吸のリズムも狂い始め、唇から体中が震えだす。
「こ、こんなことが・・未熟な力でこの私を倒すなど・・」
「確かにオレ1人じゃ勝てなかったよ。メイが助けてくれなかったら、負けていたのはオレのほうだったよ。」
 ロウがカオスの懐で小さく呟く。
「仲間を想う気持ちか・・2人で1人前と言った・・ところか・・・」
 紅い剣が体から抜け、カオスがそのまま倒れる。
「しかし・・君も失ったものは大きい・・未来永劫、自分の受け入れた運命と、これからの孤独を呪うと・・いい・・よ・・・」
 不敵に笑うカオスが紅蓮の炎に包まれ消えていく様を、ロウは悲しく見つめた。

 ロウは紅い剣を消し、傷ついたメイに駆け寄った。
「メイ、しっかりしろ!おいっ!」
 悲痛の思いで叫ぶロウに、メイが痛みに耐えながら笑顔を作る。
「ロウ、ゴメンね。あたし、何の役にも立てなくて・・」
「そんなことないよ。メイが助けてくれなかったら・・・ありがとう・・」
 地で濡れたメイの体を強く抱きしめるロウ。
 デッド・エンジェルは不死身ではない。
 人間よりも能力が優れているだけで、不死の命を持っているわけではないのである。
 メイの見つめるロウの姿がぼやけてきた。
「アレ?ヘンだな・・ロウの姿、見えないよ・・・」
 その言葉に、ロウは顔を強張らせて語りかける。
「メイ、オレはここだ。今はデッド・エンジェルの姿をしてるが、正真正銘、ロウ・シマバラだ。」
「あたし・・このまま死にたくない。ロウとずっとそばにいたいよ。ロウ・・・」
 笑顔を見せていたメイの表情が、悲しみに染まり眼から涙があふれる。
 カオスから受けた傷は致命傷に到っていたため、デッド・エンジェルの力でも回復させることができなかった。
 しばしの沈黙の後、ロウは口を開いた。
「メイ、お前を助ける方法が1つだけある。」
「えっ?」
「けど、これを行ったら、2度と元には戻れなくなる。それでもいいか・・?」
 真剣な眼差しを送るロウの言葉はおぼつかなかった。メイは再び笑みを作って、
「かまわないわ。ロウと一緒にいられるなら、どんなことになったって・・」
 メイの決意にうなずくロウは、立ち上がってメイを立たせた。
 そのとき、彼らの周囲に先程の自衛隊が駆け込み、ロウたちに銃口を向ける。
「デッド・エンジェル、お前たちに安息の時はない!我々が処罰する!」
 上官の高らかな声が響くと、ロウが顔を歪めて、
「やめろ!お前たちは傷ついた女子供にまで引き金を引くと言うのか!?」
「それがデッド・エンジェルならば当然だ!お前たちは世界を滅ぼすバケモノだ!すぐに排除しなければ、人々に平和は訪れない!」
 その非情な言葉に、ロウは怒りをあらわにし、周囲に気圧を巻き起こした。
 激しい烈風にあおられ、銃を構えていた兵士たちが怯む。
 怒りを込めた視線を向けて、ロウが叫ぶ。
「デッド・エンジェルだからって、何の危害も加えていないオレたちを、お前たちは撃つというのか!?邪魔だからっていちいち殺すお前たちのほうが、よっぽどのバケモノじゃないか!!」
「何だとっ!?破滅をもたらす堕天使の分際で!」
「これ以上やるなら、もう容赦しないぞ!」
 いきり立つ上官の怒号を、ロウの怒りを込めた低い声がさえぎる。
 何もしていないのに殺される。そんな非情な考えをロウは認めたくなかった。
 彼の言動が虚勢でないことを悟り、兵士たちはその場に立ち尽くすしかなかった。
 その様子を確認して、ロウは再びメイに顔を向ける。
「メイ、一緒に願い、そして唱えよう。」
「うん・・・」
 2人は気持ちを合わせようとお互いの眼を見つめた。
 2人は同じイメージを展開していた。
 心の中で発動する力の効果をイメージし、言葉によって現実へと発動させる。
 イメージした効果はただ1つ。
「時間(とき)よ、止まれ。」
 ロウとメイが同時に力を放つ言葉を発した。
 力の効果により、2人は体が足元から徐々に灰色に変わっていく。
 その変化に、兵士たちが驚愕し唖然となる。
「これで、メイとずっと一緒だ。」
 ロウがメイに笑みを見せる。しかし、メイはふと不安を見せて、
「でも、ロウはそれでよかったの?あたしなんかのために・・」
「言っただろ?オレとお前はいつも一緒だって。」
 ロウは眼をつぶって、メイを優しく抱きしめた。メイもその抱擁に寄り添う。
 自らにかけた石化が、はいていたジーンズや靴も、堕天使の黒い翼も、少女の柔らかな胸も浸食していった。
 それでも、2人の堕天使に恐怖はなく、静かに微笑むだけだった。
「ありがとう、ロウ・・・」
「オレもだよ、メイ・・・」
 この小さな呟きを最後に、2人は抱き合ったまま完全に灰色へと変色した。
 石化が、2人の時を止めたのだった。
 呆然としている兵士の眼の前で、堕天使は終わりのない愛の中へと沈んでいった。

 数年後、デッド・エンジェルの存在を畏怖する者はほどんどいなくなった。
 クリスシティの堕天使の森公園は整備され、新たな賑わいを見せていた。
 その中央広場のさらに中央に花園が置かれ、その花々に囲まれるように2人の男女の像が置かれた。
 上半身をさらけ出し、背には天使の翼を生やしていた。
 人々の間では、2人の天使が神の怒りに触れ天罰を受けたという噂が流れているが、この2人の真実を知る者はいない。
 人々はその笑みの中から悲しみが伝わってくる2人の石像に、こう名前をつけた。
 「哀れな堕天使」と・・・


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