Blood -Chrono Heaven- File.11 しずくとシュン

作:幻影


 シュンの前に現れたしずくは、その光景に驚愕する。
 力を奪い取られて廊下の壁に寄りかかる形で倒れていた麻衣は、全身が石化したように真っ白に固まっていた。
「麻衣、さん・・・」
 彼女の声が途切れた時点で分かっていたことだった。しかし、実際にその眼で見てみると、さらに悲痛を隠せずにはいられなかった。
 彼女は弟のために命を散らした。全てを託し、全てを信じて。
 事切れた彼女から、しずくは平然と見つめているシュンに視線を移す。彼の右手には、彼女の力を奪ったと思われる水晶が握られていた。
「シュン・・・」
 しずくは困惑しながら、シュンに歩み寄ろうとする。シュンがそんな彼女に水晶を向ける。
「次はあなただよ。協力しないなら、オレは力ずくでもあなたを・・」
 シュンが敵意を見せる。しかししずくの歩みは止まらない。
(健人、早人、麻衣さん・・わたし、必ず呼び戻してみせる。シュンの心を。ギタリストになる夢を持ったあの子の心を。)
 しずくは胸中で改めて決意を固める。
 今は何としてでもシュンを助けたい。傷だらけになっても、世界が滅ぶことになっても、シュンが無事に帰ってきてほしい。
 しずくの純粋な想いは揺るぎないものとなっていた。
「シュン、帰ろう。みんな心配してるよ。」
 笑顔を見せて呼びかけてくるしずくに、シュンは一瞬動揺する。
「な、何を言って・・・!?」
「あなたは心臓が弱いんだから、ムリをしちゃダメじゃない。早く帰って、シュンが元気なところをみんなに見せよう。」
 戸惑うシュンに、しずくはなおも笑顔で答える。
 彼女はシュンの記憶を取り戻すため、昔にさかのぼっていた。自らが記憶の時間を戻すことによって、シュンが記憶を取り戻してくれると信じていたからだった。
「何を言ってるんだ!?オレは強いんだ!心臓が弱いなんて、そんなこと!」
 しずくの言葉を否定するシュン。しかし、その声には苛立ちが込められていた。
「弱かったから、強くなったんだよね。ブラッドの力を手に入れて。」
「違う!オレは最初から強いんだ!神の怒りにも、決して屈したりしない!」
「私がお姉さんじゃないと思ってもいい。だけど、私のことを信じてほしいの。」
 しずくのこの言葉に、シュンは思わず押し黙ってしまう。
「私はあなたを信じてる。あなたが私を信じてくれれば、私はもうそれでいい。」
「うるさい・・・」
 近づいてくるしずくに、シュンが苛立った表情を見せる。
「お願い、シュン・・」
「うるさい・・・」
「私を、信じて・・・」
「うるさい!」
 シュンの叫びとともに、激しい振動が廊下を揺らす。その衝動に、しずくは少し動じたようだった。
 そんな彼女に、シュンが力を奪い取る水晶を掲げた。
「今度こそ、お前の力を奪い取って、神に対抗する力に!」
 シュンの思念を受けて、水晶が輝きだす。水晶の光は霧のようにしずくに伸びていく。
「うくっ・・・!」
 光が容赦なく力を吸い取り、しずくが痛みに顔を歪める。しかし、彼女は進める足を止めない。
 力を失った彼女の体が、まばらに白く変色していく。麻痺にも似た感覚が彼女を襲う。
「水晶は確実にお前の力を吸い取っている。やがて体が白く石化して、その命を終え・・・えっ!?」
 悠然としたシュンの表情が一変する。力を奪われているはずのしずくの石化が、逆に解けていこうとしていた。
 ブラッドの力は心の強さ。失いかけていたしずくの力がよみがえってきているのか、水晶の呪縛をはね返しているのか。水晶の力でも、しずくの接近を阻むことはできなかった。
 やがてしずくに拒絶された水晶に亀裂が生じ、注がれた水が容量を超えて破裂した風船のように、粉々になって吸収した力があふれ出した。
 しずくの秘めた力に少なからず脅威を感じるシュン。砕かれた水晶の破片が残る右手から、なおも近づくしずくにシュンは視線を向ける。
「こんなことって・・・だったら、時間を止めて・・・!」
 シュンは焦りの色を見せながら、破片を振り払った右手から閃光を放つ。閃光に接触したしずくの体が再び白く変色する。
 白く固まった部分の時間が凍てついたことで、次第に時間の流れのずれが生じ、しずくに激しい苦痛を与えていた。
 しかし、それでもしずくは下がらない。シュンを救うため、彼女は前へ進もうとしていた。
「下がらない・・絶対に下がらない・・・」
 激痛に顔を歪めながらも、シュンに歩み寄るしずく。
「ここで退いたら、何もかも失くしてしまいそうだから、だから下がらない。」
 しずくは苦痛に耐えながら、前に進む。体に張り付いた時の氷が剥がれ落ちていく。
(そんな・・・時間凍結も屈しないなんて・・・この人は、いったい・・・!?)
 ありとあらゆる能力に負けないしずくに後ずさりを見せ始めるシュン。彼女に脅威を抱き、顔に不安と怯えが浮かび上がる。
「く、来るな・・・」
 シュンは思わず、しずくを突き放すような言葉を漏らしていた。彼が怯えきっていることがそれを物語っていた。
「来るな・・・」
「もう怖がることはないよ、シュン。」
「来るな・・・!」
「家に帰ろう。みんな待ってるから。」
「来るな!」
 憤慨したシュンが紅い剣を出現させ、しずくに向けて振り下ろした。しかし、心乱れたシュンの剣は、無防備のしずくに接した瞬間、彼女に傷を負わすことさえなく砕け散った。
 消失する剣の柄を目の当たりにしながら、シュンは混乱してしまう。まるで大きな動物に対面して泣き出しそうになる子供のように、しずくに完全に怯えてしまっていた。
 どうしたらいいのか分からなくなったシュンを、しずくは両手をかけて優しく抱きしめた。シュンの震えはまだ止まらない。
「私たちの家に帰ろう、シュン・・・」
 涙を流しながらのしずくの言葉が、恐怖に引きつっていたシュンの胸を打った。
 彼の中に覚醒するものがあった。いや、今まで奥にしまわれていたものが、長い時を越えて呼び出された気分だった。
 自然と痛みはなかった。頭痛も、恐怖による痛みも、力の暴走による苦痛も。
 しずくに抱かれて、シュンは心地いい感覚に身を委ねていた。ひきつっていた彼の顔から恐怖が消えていく。
 シュンの眼にしずくの笑顔が映る。それは自分を受け止めてくれただけではない。気遣ってくれる自分の姉として認識していた。
「おねえ・・さん・・・?」
 シュンは戸惑い気味にしずくに声をかける。その言葉にしずくの笑みが強まる。
「シュン・・・!」
「姉さん・・・姉さんだ・・・!」
 シュンが笑みを浮かべてしずくを抱きしめた。抱擁しあう2人。
 ブラッドの力の暴走で失っていた記憶を取り戻し、今ここに、姉弟が3年の時を隔てて再会を果たしたのだった。
「シュン、思い出したのね!」
「姉さん・・姉さん・・!」
 大粒の涙をこぼして、喜びを分かち合うしずくとシュン。
 その姿をきょとんと見つめているメロ。シュンの驚異的な力と、それに抗ったしずく。2人の姿に少なからず驚いているようだった。
「よかった・・・ホントによかった・・・」
 シュンが戻ってきた。そのことを心の底から喜ぶしずく。
 しばらく抱擁した後、しずくとシュンはメロに振り返った。するとメロが取り乱したように動揺する。
 しずくが笑顔を見せてメロに声をかける。
「心配しないで、メロ。シュンは私のところに帰ってきただけ。そしてあなたも、私のところに帰ってきてもいいんだよ。」
「えっ・・・?」
 思わずきょとんとなるメロに、しずくはさらに話を続ける。
「あなたはシュンがかわいいと思った猫。悪い子には思えないよ。」
「姉さん・・・」
「今度は、佐奈さんに飼ってもらえるように私も頼むから・・・でも、そんな必要もないかな・・」
 シュンによって人間に姿を変えたメロを見て、しずくが苦笑いする。元々は猫だったメロも、意思を持った人間なのだ。
 しずくはそう思い、メロを迎え入れた。
「とにかく、よろしくね、メロ。」
「・・・うんっ!」
 しずくの笑顔とシュンの暗黙の歓迎を見て、メロが歓喜に沸きながら彼女たちに飛び込んでいった。
 元々が猫であるため、2人の姉弟にすがりつくメロ。彼女にはかわいいものにじゃれ付く癖があり、しずくとシュンもその部類に含まれていた。
「さ、早く健人のところに行こう。あおいちゃんを助けに向かってるから。」
「全・・・」
 しずくが立ち上がると、メロが耳を立てて振り向く。
「健人は今、全と戦ってるよ。でも、とても辛そう。あの女の子もそばにいる。気絶してるみたい。」
「えっ!?」
「なんだか、力を使うことを迷ってるみたい。なかなか攻めていかないよ。」
 驚くしずくに、メロが聞き耳を立てて淡々と状況を説明する。
「とにかく、急いで健人の後を追わないと!シュンとメロはここから逃げて!」
 危機感に不安になったしずくが、シュンとメロに言いとがめる。
「でも、姉さん・・!」
「これ以上、シュンたちに辛い思いをしてほしくないの。大丈夫。私が無事に健人を連れて帰るから。」
 戸惑うシュンに不安になりながらも、しずくは笑顔を見せて頷いた。
 弟との絆を取り戻した姉は、健人を追って廊下を駆け出した。

 振り下ろした剣をはね返され、健人が壁に叩きつけられる。もたれかかるように崩れ落ちる健人を、全が不敵な笑みを浮かべながら見下ろす。
「どうした?何をためらっているんだ?お前の力を全て使えば、オレを倒せないこともないはずだ。」
 握る剣の切っ先を健人に向ける全。
 全は健人の力の暴走を目論んでいた。Sブラッドとしての力の制御が不安定である健人を暴走させ、労費したところでとどめを刺す。Sブラッドでない全の描いた、唯一の打開策だった。
 しかも、うまくいけば計画のための力に代用することも可能である。全の中に歓喜が湧き上がっていた。
 健人も力を全開したかった。しかし、反射的に力を押さえ込んでしまい、全力を発揮することができずにいた。
 傷だらけの体を起こして、健人はゆっくりと立ち上がった。あおいを助けようという気持ちが、彼を後押ししていたのだ。
「その状態でまだ立ち上がるのか?早く力を見せてくれ。」
 悠然とした態度を崩さない全。
「力だと?それならもう見せている。」
「見せている?その姿がお前の力というのか?」
 必死に声を振り絞る健人に、全は呆れたように哄笑を上げる。
「ここまで落ちていたとは。見下げ果てたものだな。こうなっては、もう何の期待もできないな。」
 呆れた全は左手で健人の胸ぐらを掴み、剣の切っ先を彼の首筋に向ける。
「いっそのこと、お前の力を最大限に利用させてもらう。」
「オレは・・・オレは・・・」
 息の詰まる気分にさいなまれながら、健人が全を鋭く見据える。
「オレはみんなのところに帰るんだ!」
 健人が全に向けて剣を振りかざした。しかし、全はそれに気付き、健人の剣を振り払った。
 弾かれた剣が気を失っているあおいの前の床に突き刺さった。その衝動で、あおいが意識を取り戻した。
 もうろうとする意識の中で、あおいはゆっくりと顔を上げ、体を起こす。その視界に、健人と全の姿が飛び込んでくる。
「健人!」
 首を締め付けられている健人の姿を見て、あおいが声を荒げる。
 彼女は眼の前に紅い剣が床に刺さっていることに気付く。ブラッドの力で具現化された剣である。
 助けなきゃ。今まで助けてもらってるのだから、今度は私が健人を助ける。
 湧き上がる奮起に駆り立てられ、あおいは剣の柄に手をかけた。
 剣は軽く床に刺さっているだけだったが、あおいの力では引き抜くのも労を費やすものだった。それでも必死に力を込め、あおいは剣を引き抜いた。
 全はあおいが眼を覚ましたことに気付いていたが、すぐに視線を健人に戻したようだった。
「これで終わりだ。平和のいしずえとなるがいい。」
 笑みを強めた全が剣を構える。
 そのとき、全の背中を紅い刃が貫いた。
「何っ!?うぐっ・・!」
 驚愕する全が振り返り様、吐血して握っていた剣を落とす。彼の視界にピンクの長髪の少女が飛び込んでくる。
 剣を突き立てたあおいの顔に、全の鮮血が降りかかる。彼女の白い肌が紅に染まる。
「ま、まさかそんな力が・・・!」
 予想していなかったあおいの力に苛立ちながら、全は体を貫いている刃を叩き折り、その勢いであおいの頬を殴打した。転倒したあおいが、殴られて赤くなった頬に手を当てる。
 そして全が再び健人に視線を戻したそのとき、体勢を立て直し、剣を出現させていた健人が斬りかかった。
 剣は全の体を切り裂き、さらに鮮血を噴き出させた。眼を見開いたまま、全が仰向けに倒れる。
 息を荒げる健人が血まみれの全を見下ろす。全は不敵な笑みを見せて健人を見返す。
「これが、オレの、オレたちの力だ・・・」
 健人が全を鋭く見つめて呟くように声をかける。
「そうか・・・だが、これで希望の光は完全に絶たれた・・・お前たちに、世界にもはや未来はない・・・」
 小さな哄笑を漏らしながら、揺れ動く空を仰ぎ見る全。暗雲立ち込める空は、嵐の前のように静かになっていた。
 それは神の怒りがこれから世界を襲うことを予感させていた。
 健人は握る剣を消失させて、倒れたままのあおいに駆け寄る。
「あおいちゃん、大丈夫か!?しっかりするんだ!」
 健人が呼びかけると、赤くなった頬に手を当てながら、あおいが健人に顔を向ける。
「健人、わたし、戦うことができたよ・・」
「ああ。君がいなかったら、オレは全にやられてた。助かったよ。」
 互いに笑みを見せる2人。健人はあおいを立たせて、うごめく空を見上げる。
 そこにしずくが慌しい様子で駆け込んできた。
「健人!」
 しずくに呼びかけられ、健人とあおいが振り返る。
「健人、終わったの・・・?」
 不安を抱えたしずくの声に、健人は真剣な眼差しで頷く。
「全は倒した。しかし、神の怒りが迫ってきている。」
「でも健人もあおいちゃんも無事でよかった・・・」
「あおいちゃんが力を貸してくれたおかげで、何とか勝つことができた。ホントに助かったよ。シュンは?」
 健人が安堵の吐息を漏らすしずくに問いかける。
「もちろん無事だよ。メロも一緒にいる。」
 しずくの答えに、健人は少し落ち着いた様子を見せる。
 彼らの追い求めていたものに、やっとのことでたどり着き、凍てついた弟の心を解放することができた。
 姉弟の喜びの再会の場に立ち会えなかったことは心残りだったが、健人は歓喜を胸に秘めていた。“弟”を救うのは“姉”。麻衣の言葉が脳裏をよぎった健人は、しずくを信じたことを心の底から嬉しく思っていた。
 しかし、その喜びに浸っている時ではない。
 空から地上に向けて、神の怒りのいかずちが刻一刻と迫ってきていたのだ。立ち向かうべき相手は、まだこの空に存在する。
 健人は覚悟を決めて拳を握り締めた。
「しずく、あおいちゃんとシュン、メロを連れてこのクロノ・ヘヴンから脱出するんだ。」
「えっ・・?」
 健人の言葉の意味が分からず、しずくが疑問符を浮かべる。
「神の力が世界に向けて放たれる。いくらシュンが時間凍結を及ぼしていても、防ぎきることは極めて難しい。オレがSブラッドの力を全て出し切って、神のいかずちを止める。」
「ダメ!ダメだよ!」
 決意を固めた健人をしずくが呼び止める。彼女の眼に涙が浮かんでいた。
「健人と別れてここを離れるなんてできない!もう離れたくないよ!」
「しずく・・・」
 しずくの悲痛の言葉に、健人は押し黙ってしまう。
 離れたくない気持ちは彼も同じだった。しかし、このまま神のいかずちに世界を危険にさらすわけにはいかない。無事に生きて帰れると信じて、健人は自ら危険に飛び込む決意をしたのだった。
 それでもしずくの、健人のそばにいたい気持ちに変わりなかった。片時でも離れたくない。弟のシュンと同様、健人はしずくにとってかけがえのない大切な人なのである。
 しばし互いの困惑した顔を見つめあい、健人としずくは空を見上げた。いかずちが降りかかろうとしている暗い空を。
「どのくらい危険なのか分からない。いや、死ぬ可能性のほうが高い。」
「それでも、私は健人のそばにいたい。シュンを助けたい。だから、私も戦う。」
 不安を思い起こさせる健人の言葉にも怯まず、しずくは決意を見せる。
 もう、何も失いたくない。大切なものが、時間を止めたまま崩壊するのは見たくない。
 生きて帰ることを前提に、しずくと健人は空の奥に潜む強大な力に挑もうとしていた。
「ね、姉さん・・・」
 そのとき、扉のほうから声がかかり、健人たちが振り返った。メロに支えられながら、シュンがこの屋上までやってきていた。
「シュン!」
「逃げてって言ったのに・・・!」
 憤りを感じながら、しずくがシュンに駆け寄る。
「このクロノ・ヘヴンは、現実世界より時間の流れが速い。世界はオレの力で時間が止まってるから分からないけど、ここに来るいかずちの速度は、ここからだと本来より遅く感じるはずだよ。」
 シュンの言ったことを理解するのに、健人としずくは少し時間を要した。
 このクロノ・ヘヴンは、人間が普段過ごしている世界よりも、時間の流れが速くなっている。だから、普通は捉えることのできない光の速さも、時の狭間で隔てられているクロノ・ヘヴンから見れば、その速度が遅く見れるので、光の速度を捉えることが可能なのである。
「つまり、神のいかずちがここに到達するまで、少しだが時間があると・・?」
 健人の出した結論にシュンは頷いた。
 しかし、いかずちの威力が弱まるわけではないことは、この場にいる誰もが分かっていた。
「オレが、神のいかずちを止める。」
 シュンの発したこの言葉に、この場にいた全員が驚愕し、しずくが動揺した。

つづく


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