作:幻影
シュンの力を受けた町の風景は真っ白になっていた。
ブラッドであるしずくと健人を標的にした騒動が治まらないまま、人々は時間凍結を受けたのだった。ブラッドの力を目の当たりにした人々の顔には、まだ恐怖や動揺の色が消えていないまま、その動きを止めていた。
健人によって石化された女性警察官にも、時間凍結が及んでいるはずなのだが、すでに石像になって白くなっていた彼女たちは、石化しているのか停止しているのか分からなかった。
日常とは思えないような混乱に満ちた町の姿を見て、しずくは鎮痛な面持ちになった。
ブラッドを敵視し出したまま時間を止められた人々。しずくの困惑も時間停止したように拭い去ることができずにいた。
肩を落とすしずくを、健人は優しく抱き寄せた。
「シュンを助け出せれば、何とかみんなの時間を再び動かすことができるはずだ。オレだって辛いが、今は前に進むしかない。」
健人の言葉に、しずくは眼に涙を浮かべながら頷いた。
「シュンとあおいちゃんを助けられれば、みんなまた心を開いてくれる。私はそう思ってる。そのためにも、前に歩いていくわ。」
「ああ・・そうだな。」
悲しい視線で停止した町を見つめる2人。
神の怒りが刻一刻と近づいていても、彼らの中にあるのは、シュンとあおいの救出、それだけだった。
2人は後ろで見つめている麻衣に振り返った。
「覚悟は、できてるわね・・?」
戸惑い気味の麻衣に、健人としずくは頷いた。
「私はあなたたちに、私たちの計画に賛同させたいとは思っていない。でも、詳しい話だけでも聞いてほしいとは思ってる。あなたたちが来てくれることを、私は嬉しく思ってるわ。」
「姉さん・・・」
「私はあなたたちの選択に任せるわ。あなたたちの心が、全の信念を超え、シュンの心を呼び覚ませるか・・最後まで見せてもらうわ。」
麻衣は右手を差し出し、健人としずくはその手を取った。
「じゃ、行くわよ。」
2人が手を取ったのを確認して、麻衣は上空を見上げた。全たちの意識に同調しようと気配を探る。
そしてその気配をつかんだ瞬間、3人の体が淡く光り、そして姿を消した。
健人としずくは麻衣に連れられ、瞬間移動を果たした。
「ここは・・?」
「ここは時をつかさどる私たちの楽園。付けた名前は、時の楽園、クロノ・ヘヴン。」
健人の問いに麻衣が答えた。辺りを見回したしずくが、ふと足を止めた。
彼女の眼下に、変哲のない草原が突然途切れた、何もない空間が広がっていた。
白い霧のようなものが漂う空間に、しずくは思わず後ずさりした。その姿を見て、麻衣が妖しい笑みを浮かべる。
「ここは地上から離れたはるか上空に浮上しているわ。足を踏み外したら、まず命はないわ。」
「ふ、浮上って・・・?」
「そう。ここは私たちの力の余波によって浮かんでいる、人工的に作り出された孤島なの。」
「そうか・・ブラッドたちの楽園というわけか。」
戸惑うしずくに麻衣が答え、健人が納得する。
このクロノ・ヘヴンは、ブラッドの力で浮かんでいる浮遊孤島である。重力に逆らった孤島は、ブラッドに対する人間の侵害を受け付けなかった。
「シュンとあおいちゃんはどこなんだ、姉さん?」
健人が麻衣に問いかけると、麻衣は振り返って健人たちに視線を向けた。
「来なさい。2人はこの先にいるわ。」
そう言って麻衣は奥の建物の方へと歩き出した。健人としずくも頷いて彼女の後に続いた。
「ニャ〜ン!」
麻衣にリビングと思しき場所まで連れてこられた健人としずくに、1人の少女が飛び込んできた。驚いた健人は少女に抱きつかれ、そのまま廊下の壁に倒れかかる。
「な、な、何なんだ?」
わけが分からず慌てる健人と、その姿を見てきょとんとなるしずく。少女は満面の笑顔で健人に抱きついていた。
「ちょっとメロ、いい加減離れなさいよ。」
麻衣が呆れたように2人の姿を見下ろす。
「メロ?」
麻衣が呼んだ少女の名に、しずくは覚えがあった。それはかつて、シュンが飼おうとしていたノラ猫につけた名前だった。
「そうよ、しずくさん。この子はメロ。シュンが飼おうとした猫よ。」
「ええっ!?ウソ!?この子が、メロ!?」
麻衣の言葉にしずくが大声を上げて驚く。メロが顔を上げて、唖然となっているしずくをきょとんと見つめる。
「驚くのは当然よね。その子はシュンの力で、猫から人に姿を変えたのよ。メロも立派なブラッドなのよ。」
麻衣の話を聞いて、しずくと健人が困惑しながらメロを見つめる。
彼女の無邪気な態度は、飼い主にじゃれ付く猫の姿そのままだった。
しずくは思わずメロを抱きしめていた。何事か分からず、メロはしずくの腕の中で呆然となっていた。
「メロ・・・シュンがかわいがろうとしてた子猫・・・」
「あなた、とても懐かしい匂いがするよ。シュンに似たいい匂い・・・」
互いに寄せ合う2人の少女。昔の思い出にあるわずかな時間の出会いが、今ここによみがえっていた。
健人も2人を見て、思わず笑みをこぼした。
しずくとシュン、そしてメロが出会ったときには、その場に健人はいなかった。だが、彼女たちが再会を喜んでいるのは見て分かることだった。
「感動の再会のようだけど、水を差させてもらうよ。」
突然、リビングの入り口から1人の長身の男が入ってきた。クロノ・ヘヴンを統治・管轄しているブラッド、全である。
「全!」
振り返った健人がとっさに身構えるが、全は不敵な笑みをこぼしていた。
「慌てるなよ。オレは今は戦う気はない。」
「何っ!?」
構えを解かない健人をよそに、全はそわそわしている麻衣に視線を移す。
「麻衣、オレには全て分かっている。メロがいろいろ見聞きしてくれたからな。」
「全、私は・・・」
「気にすることはない。健人はお前の弟だ。神の怒りを迎撃するための犠牲にしたくないと考えるのが普通だ。できることなら、オレも誰も犠牲にはしたくない。だが、これ以外に方法はないし、計画はすでに始まっている。」
「貴様!」
いきり立って振り下ろした健人の紅い剣を、全は瞬時に剣を具現化させて受け止めた。押し切ることができず、健人に焦りの色が浮かぶ。
「とにかく落ち着け。天使を利用した罪は、半分はオレたちが犯したといっても過言ではない。この先、生きていこうとは考えてはいない。人柱となった後、オレたちはその命を散らすだろう。」
「だからって、シュンやあおいちゃんまで巻き込むつもりか!」
「生きる全てのものを救えるとでも思っているのか!?」
全が張り上げた怒号に、健人の覇気が消える。押し付けていた剣からも力が抜ける。
「何かを求めるためには、何かを捨てなければならない。ブラッドの力の使用で、使う者の血液を消費するように、どんなことにも代償は付きまとうものだ。」
「でも・・それで大切なものを切り捨てるのは、いけないと思うよ。」
全の言い放った言葉を、しずくは鎮痛な面持ちで否定する。
「あなたたちが罪を犯して、その罪を償おうとしているのは分かる。でもそのためにシュンやあおいちゃんを犠牲にしないで!」
涙ながらに全に訴えるしずく。彼女の表情が悲しみに歪む。
「幼い子まで犠牲にするなら、私はあなたたちの計画を止める!シュンの夢を、消させるわけにはいかない!」
涙を流して体を震わせるしずくの肩を、健人は優しく支えた。彼女の悲痛が健人の手にひしひしと伝わってくる。
「シュンの夢か・・・」
全が笑みを見せて呟く。
「ならば、お前はシュンの心を取り戻すとでもいうのか?彼は自分の名前以外の記憶を全て失い、今でもSブラッドの力にさいなまれている。何とか力を制御できてはいるが、いつまた暴走しないとも限らない。そんな彼を・・」
「救ってみせる。それが私の願いだから。」
全の言葉をしずくはきっぱりと言い返す。
今のシュンは記憶を失い、力も不安定になっている。それでも彼を助けたいというしずくの願いは変わらない。
「それに、全ての記憶がなくなったっていうのはウソだわ。」
「何?」
「だって、もし記憶が全部なくなってるなら、メロのことも忘れてるはずだよ。」
しずくは矛盾を抱えていた。
確かにシュンは記憶を失くし、姉であるしずくのことを忘れていた。しかし、飼おうとしていたノラ猫のことは覚えていて、その子を人間の姿にして連れて行った。
ほとんどの記憶が失われていても、全てが消えたわけではない。だから、その記憶を取り戻すことも不可能ではないとしずくは思っていた。
「私は信じる。シュンは必ず帰ってくる。ギターアーティストになる夢を持ったあの子が・・・」
しずくは涙でくしゃくしゃになった顔で笑みを作る。彼女の気持ちを察して、健人は彼女を優しく抱き寄せた。
何かを守るためでも、弟を失いたくない姉の想いを、健人は痛烈に感じていた。
その姿を見て、全はきびすを返し、出入り口の枠に手をかけて話した。
「ついてこい。とにかくお前の弟に会わせてやる。」
そう言って全はリビングを出て行った。彼に促され、しずくと健人はその後に続いた。麻衣が不安を抱えたまま、メロは満面の笑顔で続く。
様々な期待と不安を抱えながら、しずくたちはシュンの待つエネルギー増殖炉に向かっていった。
薄暗い中で光る球体に照らされた部屋に健人としずくは連れてこられた。
球体はなおもエネルギーを維持、増殖を繰り返し、太陽に並ぶようにその輝きを掲げていた。
力を操作、制御する装置の置かれているその中心に、その輝きを見上げている1人の少年が立っていた。しずくの弟、シュンである。
「シュン!」
しずくの呼びかけで、輝きを見つめていたシュンが振り返った。
「シュン、お客さんの到着だ。」
全が不敵な笑みを浮かべて声をかけると、シュンが虚ろな眼をして頷いた。シュンはまだ記憶が戻っていないと、しずくと健人は悟った。
「この人たち、南十字島にいたよね、全?メロの眼と耳は頼りになるよ。」
シュンが屈託のない態度で、しずくと健人を、そしてメロを見つめる。今の彼の眼に、しずくは姉としては映ってはいない。
「はやるな。まだオレたちに力を貸すとは言ってない。そもそも、協力どころかオレたちに敵対するほうが強いかもしれないな。」
自分たちの危機を煽るようなことを、全は余裕を崩さないまま口にする。彼のその態度が、麻衣の困惑をさらに募らせる。
少しがっかりしたように肩を落とし、シュンは再び天井の光球を見上げた。
余裕の笑みを消して、全が健人たちに振り返る。
「では改めて話しておこう。オレたちがやろうとしている、計画の全てを。」
立ちはだかる全を前にして、健人は覚悟を決めて頷いた。それを見て全が話を続ける。
「お前たちは、ミスター・ブロンズのことは知っているな。彼も紛れもないブラッドの1人だった。彼は世界に1人だけ存在する、神の使いとされている天使を娘として手にした。」
「それが、あおいちゃんか・・」
「しかし彼が犯したのは、神に対する冒涜、全ての世界においての大罪だった。それは当事者であるブロンズだけでなく、同じブラッドであるオレたちにまで矛先が向けられた。」
「ブラッド全員が、神の敵となったというのか・・!?」
「そういうことだ。そしてブラッドを滅ぼすため、神はこの世界に膨大な力を降り注ぐつもりなのだ。太陽に現れた大黒点と、世界各地に起きている異常現象がその証拠だ。たとえ多くの命が巻き込まれようと神は躊躇なく力を放出させるだろう。」
全はシュンと同じように、天井の光に視線を移す。
「だが、そんなことは絶対にさせない。全ての命が消えるくらいなら、オレたちの命を代償にしてでも世界を神から守る。」
「貴様、本気でそんなことを考えているのか!?」
全の決意を、健人が怒りの叫びで拒む。
「貴様らはその罪の償いのために、シュンやあおいちゃんの命まで代償にしようというのか!?幼い少年少女の命さえも、貴様たちは・・!」
健人は声を荒げて全に怒りをぶつける。しずくも全のやり方、健人の怒りを見聞きして胸を痛めていた。
「ブラッドが1人でも生きていれば、神はさらにその怒りを地上に降らすだろう。そうなれば、いくら時間凍結させて安全を保障させたとしても、世界は無事ではすまなくなるぞ。」
全のきっぱりという言葉に、健人は反論することができなかった。全の練った計画以外に、神の攻撃を防ぐ手段が思い当たらなかったからだ。
しかしシュンとあおいを犠牲にしようとしている全の計画を、健人はどうしても納得することができなかった。自分の弟を助けたいと願っているしずくも、彼と同じ気持ちだった。
「お前たちの気持ちも分からなくはない。オレにも兄弟や家族がいれば、どうしても犠牲にはしたくないと思うだろう。しかし、どうしても失うべき命ならば、被害を最小限に留める。当事者になれば、誰もがそう思うだろう。」
「私は思わない。」
全の言葉を否定したのはしずくだった。彼女はうっすらと眼に涙を浮かべていた。
「どんなに小さくても、誰かを犠牲にして得た平和に意味なんてないよ。生き残っても、平和の犠牲になった人を思って悲しむ人だっているはずだよ。辛くなっていく人が増えて、ホントに平和になるの!?」
しずくの涙ながらの訴え。全も彼女の思いを察しながら、その願いを否定して歯軋りする気分を感じていた。
「オレたちもできることなら何の代価も費やさずに事を進めたい。しかし、もはやオレたちに選択の余地はない。」
苛立ちと憤慨に体を震わせる健人としずく。その言動は、何もできずにいる自分の無力さにも向けられていた。
この場にいる全員に見守られている光球は、その輝きを強めていた。
「ところで、あおいちゃんはどこにいる?お前たちが連れ去ったのは分かってるんだ。」
健人が話題を変える。すると全が振り返り、不敵な笑みを浮かべる。そして健人の問いに答えたのは、無邪気な笑顔を見せていたメロだった。
「あのかわいい子ならねぇ・・そろそろ出してもいいよね、全?」
「ああ、頼む。」
全の承諾を受けて、メロは健人としずくの間をすり抜けて、部屋の壁に寄りかかった。そして近くのスイッチを押してすぐさま離れる。
轟音が響いて、部屋に振動が起こる。健人が思わず身構え、しずくはよろめいたメロを支える。
部屋の奥の鉄の扉がゆっくりと開き、奥の部屋がうかがえるようになる。
その光景に、健人としずくは驚愕せずにはいられなかった。
その部屋には淡い光を帯びたカプセルがあり、その中であおいが眠っていた。一糸まとわぬ姿で。
「あおいちゃん!」
しずくの顔が悲痛に歪む。健人は剣幕な表情に一変して、全に振り返る。
「貴様、あおいちゃんに何をしたんだ!?」
健人の怒号に、全は平然とした態度で答える。
「彼女には少し眠ってもらっているだけだ。」
「何っ!?」
「彼女も自分の力に対して不安定で、力を制御することができず外に漏らしてしまっていた。だから冷凍保存という形を取り、天使の力をせき止めたということだ。力を極力固定させておかないと、神への迎撃に支障をきたすからな。」
「きさまぁぁーーー!!!」
健人の怒りは頂点に達した。今まで不安や恐れという枷に収められていた力が、激しい怒りによって解放され、通常よりも威力のある紅い剣を出現させた。
健人は力任せに全に飛びかかる。
「ここまで落ちたか。」
全は瞬時に剣を出現させて、健人の攻撃を受け止める。健人がさらに力を込めるが、全は微動だにしない。
「見下げ果てたな。」
全は鋭い視線とともに、空いた左手を伸ばして衝撃波を放った。健人が激痛に顔を歪めながら、吹き飛ばされて鉄の壁に叩きつけられる。
ブラッドの力は、使う人の心理状態に大きく影響される。全に対する怒りの爆発が、逆に健人の放つ力の威力を半減させてしまったのである。
「健人!」
しずくが倒れた健人に駆け寄った。意識は保っていたものの、健人は激痛のあまりに立ち上がることはできなかった。
「健人、しっかりして!」
しずくの呼びかけに健人はうめき声を上げる。
満身創痍の2人の前に、シュンが平然とした表情で立ちふさがった。
「シュン・・・!?」
対峙する姉と弟。しかし弟には姉との思い出は一切ない。
「強行手段も、仕方がないことだね。」
「シュン、シュン!」
しずくが右手を伸ばすシュンに必死に呼びかける。しかしシュンは彼女の想いに全く答えない。
「オレたちに協力するんだ。でないと、無理やりにでも力を引き出さなくちゃいけなくなるから。」
危機感を覚えたしずくは、シュンが攻撃を仕掛ける前に、右手を伸ばして紅い光を発した。
彼女が力の限り放った閃光は、実の弟をのみ込んだ。しかし、その閃光は瞬いた直後、収束してシュンの右手の中で消失した。
自分の力を簡単に消される様を目の当たりにしたしずくが顔を強張らせる。歴然とした力の差に愕然としているのか、弟に手をかけようとした自分を後悔しているのか。困惑の高まったしずくに、その答えを出すことはできなかった。
「ムダだよ。ブラッドとSブラッドの差は明らか。時間を操るSブラッドであるオレに、あなたの力は通じないよ。」
平然と見下ろしてくるシュンに、しずくは愕然するしかなかった。
姉であるはずの自分を赤の他人として見ている弟。そして埋めようのない力の差。
しずくはシュンに対して、なす術を全て失った。
「じゃ、ちょっと止まっててもらうよ。逃げられるとは思ってないけど、念のため。」
シュンは改めて右手をしずくに伸ばし、力を集中させた。何の行動を起こせないことが明白の彼女に向けて。
彼の右手から放たれた閃光が、茫然自失のしずくと気を失っている健人を包んだ。