作:幻影
ミスター・ブロンズが死亡した夜が明け、何事もなかったかのように朝日が昇っていた。
「眼が覚めたようだね。」
ベットから起き上がったあおいに、しずくが声をかける。
まだ眼の覚め切っていないあおいは、眼をこすりながら辺りを見回している。
「ここは早人の家よ。私はここに居候させてもらってるの。健人も住み込むことになったから。」
笑顔を見せるしずくに戸惑うあおい。
ブロンズの豪邸から逃走した健人たちは、警備員の包囲網をかいくぐって、無事に早人の自宅に帰ってくることに成功した。そのとき、あおいは泣きつかれたのか、眠ってしまっていた。
しずくが普段使っているベットにあおいを寝かせ、しずくは早人のベットで、早人と健人はブロンズの雇っている警備員たちを警戒しながら、リビングで寝たのだった。
この時間まで、警備員がこの辺りを訪れることはなかった。
「あおいちゃんもここに住んだら?早人も了承してるし。というか早人、あおいちゃんのことすごく気に入っちゃってるみたいなのよねぇ。」
苦笑するしずくに、あおいから次第に笑みがこぼれてきた。しかし、すぐまた沈痛な面持ちになる。
「お父さんのこと、まだ気にしてるのね・・」
そのことを察したしずくが、あおいに声をかける。
「当然だよね。だって今まで世話をしてくれた人がいなくなっちゃったんだもの。あおいちゃんの気持ち、私にも分かるなぁ。」
「しずく、お姉ちゃんも・・?」
聞いてくるあおいに、しずくは物悲しい笑みを浮かべて頷いた。
「ちょっと一緒に来てほしい場所があるの。健人も早人も一緒に。さぁ、とりあえず朝ごはんにしよう。」
差し出されたしずくの手をとって、あおいはベットから降りて部屋を出た。
「おぉっ!しずく、あおいちゃん、起きたか!」
いつも以上に元気な声をかけてくる早人。彼は健人の作るハニートーストに感嘆していた。
健人は昔、調理を教わったことがあり、料理や食事の支度は得意分野だった。
「今日は出かけたいところがあるから。もちろんみんな一緒だよ。」
「しずく、まさかあの場所に行くつもりなのか?」
しずくの言葉に、健人が神妙な面持ちで訊ねてくる。
「そろそろ早人にも、あおいちゃんにも知っておかなくちゃ。健人もこうしてまた会えたわけだし。あの場所に、時間の止まったあの場所に。」
しずくの決意に健人は頷いた。
健人との再会を果たしたしずくは、早人やあおいに、自らの過去を明かそうとしていた。そんな彼女の思いを察して、健人も明かすことを心に決めた。健人としずく、そして彼女の弟、真夏シュンとの出会いを。
港から船で十数分の距離にある小さな島、南十字島(みなみじゅうじとう)。
その唯一の港に健人たちは到着していた。
「またここに来るとはね、しずくちゃん。ここに来るのは数人の調査団か、お前さんぐらいなもんだよ。」
健人たちを船で送ってきた中年の漁師が、のんきな口調で語りかける。しずくが苦笑しながら、
「ありがとう、おじさん。2時間後にまたよろしくね。」
「おう。ゆっくりしていきな。といっても、何もないところだけどな。」
漁師は笑いながら船へと戻っていった。
しずくは作り笑顔で去っていく船を見送った。
「ここに何があるんだ、しずく?見たところ、普通の孤島の感じがするけど。」
早人が港と陸地の境目から辺りを見回す。この辺りは何もおかしなところのない平凡な草道が続いていた。
「少し歩いてみれば分かるよ。」
しずくと健人の顔からは笑みが消えていた。彼らの中にある悲しみの過去が、この場所に足を踏み入れたことで再び呼び起こされていた。
しずくに促されて、早人とあおいは歩を進めた。抱えていた疑問。その答えはすぐに分かった。同時に驚愕を覚える。
彼らがたどり着いた町の人々は、真っ白になって固まっていた。平穏に思える町中で、その動きを止めていた。
「これは!?」
愕然とする早人が悲痛の面持ちに暮れているしずくに振り返った。彼の求めた答えを、健人が代わって答える。
「この島は、あのときから時間が止まってるんだ。オレとしずくが出会った、3年前のあの日から・・・」
「止まってるって・・・だとしたらこれはSブラッドの仕業・・・時間の流れを操る、Sブラッドの・・・でも、誰が・・・!?」
押しつぶされそうな気持ちを抑えて、早人は続けて健人に疑問を投げかけた。
早人は一瞬、Sブラッドである健人の仕業ではないかと思った。しかし、しずくが信頼を寄せている彼が、そんなことをするはずがないとも思っていた。
躊躇の気持ちを必死に押し殺して、健人は重い口を開いた。
「シュンだよ。」
「シュン・・?」
「しずくの弟・・・オレの姉さんに血を吸われ、ブラッドの力を暴走させてしまった、しずくの弟だよ・・・」
「弟って・・・!?」
健人の言葉に早人が驚愕する。眼に涙を浮かべながら、しずくが話を続けた。
「3年前に起きた、タイム・デストラクションっていう事件は知ってるよね?」
しずくの問いに、早人は戸惑いながら頷く。
「突然光の柱が立ち上り、その周囲が壊滅的な打撃を受けたって大事件だ。詳しいことは知らないけど、まさかここがその中心だったなんてな・・・」
早人が時間の凍てついた町を見回して、事件について口にする。硬直した人々は、力の存在に気付き逃れようとしていた様子を見せていた。
あおいはこの光景を目の当たりにして、困惑している。
「ここは私とシュンの生まれた場所。そして、健人と出会った場所でもあった。」
しずくは空を流れる雲を見上げて語り始めた。出会いと別れ、喜びと悲しみの過去を。
「いってきま〜す!」
しずくとシュンが元気に家を飛び出した。
シュンが生まれて間もなく両親を亡くした彼女たちは、この南十字島に住んでいる親戚の家に引き取られてきたのである。
この日、しずくとシュンは町に買い物に出かけたのである。空は雲ひとつない快晴で、昨晩の雨が川のように流れていた。
「お姉ちゃん、早く、はやく〜!」
「待ってよ、シュン!慌てると転ぶよ!」
活気あふれるシュンとは対照的に、息を大きくついているしずく。
「大丈夫だよ。僕はお姉ちゃんと違って、おっちょこちょいじゃないもんね。・・・うっ!」
元気な振る舞いを見せていたシュンが、突然咳き込んでその場に座り込んだ。
「ちょっと、シュン!」
シュンの様子に、しずくは血相を変えて駆け寄った。
「シュン、また心臓が・・!?」
「へ、平気だよ・・もう、平気だから・・・」
苦痛を感じながらも、必死に笑顔を作ろうとするシュン。
彼は3ヶ月前から心臓病にかかり、この島の病院では治せない状況にあった。島の外の病院なら治せる可能性があるが、しずくたちにその治療費を払えるお金はなかった。
やがて発作が治まり、しずくが安堵の吐息を漏らす。
「無理しないでよ、シュン。もし何かあったら・・・」
「ごめんね、お姉ちゃん。いろいろ心配かけて・・・」
しずくに笑みを見せるシュン。しかしすぐにその笑みが消える。
「僕ももっと強かったら、心臓が弱くなかったら、お姉ちゃんにこんな辛い思いをさせずにすんだのに・・・」
シュンは自分の弱さを責めていた。生まれついてから心臓が弱く、いつも姉のしずくに心配をかけてしまっている。
自分の無力さを悔やんでいるシュンに、しずくは笑みを見せる。
「そんなことないよ。シュンはいつも元気でいようとしてる。それが私にも元気を与えてくれる。シュンがいてくれるだけで、お姉ちゃんはとっても嬉しいよ。」
「お姉ちゃん・・・」
シュンの悲しみは喜びに変わった。
こんな自分をここまで想ってくれている姉に、シュンは心から喜びを感じていた。
これが、姉弟の絆をさらに深めたのだった。
「あっ!町に出かけないと!行こう、お姉ちゃん!」
「ちょっとシュン、そんなに急がなくてもお店は閉まらないよ〜!」
さっきの発作がウソだったかのように駆け出すシュンを、しずくは笑顔を浮かべながら追いかけた。
「にんじんにジャガイモ、それと・・・これで全部だね。」
町の入り口で、買ったものを確かめるしずく。
シュンは外の空気を吸って深呼吸している。すがすがしい空気は、シュンの病んだ心と体を癒していった。
「ねぇ、ちょっと森の空気吸いに行こうよ、お姉ちゃん!」
シュンが買い物袋を持ち上げたしずくに元気に声をかける。彼の言葉に一瞬きょとんとなるしずく。
「シュン、また発作が起きたらどうするの?あまり無理しないほうが・・」
「自然の空気を吸ってると心が洗われる感じがするんだ。ほんのちょっとだけでいいから、お願い、お姉ちゃん。」
必死に頼むシュンに、しずくは肩を落とした。
ここまで活気あふれたシュンを、彼女は懐かしく思っていた。大自然の中で振舞う彼の姿に、何かひかれるものを感じていたのかもしれない。
「いいわ。でも、ちょっとだけだよ。」
「・・うんっ!」
笑みを見せるしずくに、シュンは満面の笑顔で頷いた。
帰り道の途中にある森の入り口。そこから道を外れて、シュンは大きく息をついて立ち並ぶ林を見回していく。
「木っていいなぁ。こんなに大きく強く伸びて、生きてるんだからね。」
木々の姿に感嘆するシュン。その裏で弱い自分への悔やみを感じていることに、しずくは気付いていた。
「あっ!お姉ちゃん、ちょっと来て!」
シュンの突然の声にしずくは駆け寄った。
「どうしたの、シュン!?」
「お姉ちゃん、人が、人が倒れてるよ・・!」
シュンが指し示す場所をしずくが眼をやる。そこには、黒い長髪の青年が、大木にもたれかかって眠っていた。
「大丈夫かな、この人・・!?」
「分かんない・・・とにかく、家まで運ぼう。このままほっとくわけにはいかないよ。」
しずくはシュンの助力を借りて、青年を背負い込んだ。青年の体重が重くのしかかるが、しずくは必死に耐えて、彼を家まで運び込んだ。
家に戻ったしずくたちを、家主である佐奈(さな)は驚きながら迎えた。
彼女は1人の青年を抱えて帰ってきたのである。青年は疲れて眠っていただけで、傷や別状は見られなかった。佐奈は彼をしずくのベットに運んでいった。
それからしばらく時間がたって日が沈もうとしていた頃、青年はしずくに見守られながら目を覚ました。
「気がついたみたいだね。」
「・・・ここは・・・?」
しずくに声をかけられながら、青年は寝ぼけ眼で辺りを見回す。
「オレは確か・・・島の森で小休止してたはず・・・」
「そうだよ。あなた、森の大木で眠ってたのよ。だから私たちが背負って、家まで運んできたわけ。」
「何っ!?寝てたって!?」
しずくの言葉に慌てて窓をのぞく青年。陽が落ちかけて夜になろうとしていた。
「しまった・・・早くここを出て行かないと・・・うぐっ!」
立ち上がろうとした青年が、突然うめいてうずくまる。その様子にしずくはたまらなくなって駆け寄る。
「ちょっと待って!まだ動けるような体じゃないよ!今日はここでゆっくりしていったほうがいいよ。」
「ダメだ・・・オレに関わったら、この町の人たちがどんなことになるか分からない!そうなる前に、オレはここを出て行く!」
部屋を出て行こうとする青年を止めるしずく。
「放してくれ!このままじゃ、君も・・!」
「ダメだよ!このまま生かせちゃ、私たちが辛くなるよ!」
出て行こうとする青年と、彼を止めるしずく。やがて過労で青年は倒れ、再び眠りについてしまった。
しずくは思わず安堵の吐息をついて、青年を再びベットに寝かしつけた。
青年が再び眼を覚ましたのは、一夜を明けて朝日が差し込んできた頃だった。
さすがに彼はこの町を出て行くことを諦めていた。
青年はそばでテーブルにもたれかかって眠っていたしずくに眼をやった。どうやら彼を付きっ切りで診てくれたようである。
(すっかり世話になってしまったなぁ。今さらここを出ても仕方がないか・・・)
青年は観念して、しずくが起きるまでベットに横になっていることを決めた。しかし間もなく、眼を覚ましたシュンが部屋に入ってきた。
「よかったぁ。眼が覚めたんだね。お姉ちゃんから聞いたけど、無理やり出て行こうとして大変だったみたいだね。」
シュンは満面の笑顔で青年に声をかけた。同時に、眠っていたしずくが眼を覚ました。
「すまなかった・・・オレはいろいろと面倒を抱えているんでな。あんまり長居したくなかったんだ。ところで、ここは?」
「ここは私たちの家だよ。」
青年の問いかけにしずくが答えた。
「ところで、あなたの名前は・・?」
今度はしずくが質問を投げかけ、青年は笑みを浮かべて答えた。
「健人・・・椎名健人だ。」
しずくたちがキッチンに顔を出すと、佐奈が朝食の支度をしていた。健人のためを思って、いつもの朝食よりも豪勢な調理を行っていた。
彼女が思ったとおり、テーブルいっぱいに並べられた料理を、健人は次々と胃の中に収めていった。その姿にしずくとシュンは唖然となって言葉が出なくなっていた。
「よっぽどおなかがすいてたんだねぇ。多めにつくっておいてよかったよ。」
佐奈が満足げに、健人の食べる様を見守っていた。しずくとシュンの持つ箸が止まっていることも気にせず、健人は黙々と食事にありついていた。
やがてテーブルのほとんどのものを食べつくした健人。未だにしずくたちは唖然となっていた。
「いやぁ、すみません・・・2、3日何も食べてなかったから、つい・・・」
頭に手を乗せて照れ笑いを浮かべる健人。その気さくさに、しずくとシュンは思わず安堵の吐息をつく。
「ホントにすごい食べっぷりだったよ。おなかが破裂しちゃうんじゃないかと冷や冷やしたよ。」
シュンが食事の後片付けをするしずくを手伝いながら呟く。その言葉に健人は苦笑する。
「さて、腹ごなしに外に出かけるよ。いろいろ話もしたいし。」
「うん、いいよ。でも片づけが終わってからね。」
活気のある返事をするしずく。健人はしばらく窓から外を眺めていた。
その日も天気がよかったが、健人は心のどこかで一抹の不安を抱えていた。
家の近くの道をゆっくりと歩く健人としずく。彼女の制止も聞かずに、シュンも彼らについてきていた。
シュンに気付かれないように、しずくは健人に耳元で囁いた。
「シュンは、実は心臓が悪いのよ。」
「えっ・・?」
「島の外の、都会の病院に連れて行けば治らないこともないんだけど、治療費が高くて、とても私たちやおばさんたちじゃ払えないよ。」
悲痛で眼に涙を浮かべているしずくに、健人の笑みは次第に消えていった。
朝食のときに見せていた満面の笑顔の裏に、とてつもない悲しみを抱えていたことに健人は気付いた。そしてそれは、自分の背負っている宿命と悲しみとどこか重なるような気がしていたのである。
「けど、まだ可能性が残ってるんだろ?だったら、諦めるには早すぎるんじゃないか?」
「えっ・・・でも・・・」
「オレもできるだけのことはしてあげたいと思ってる。放ってはおけないんだ。辛い思いをしながら何もできないでいるのを。」
「あなた・・・」
健人の言葉に励まされるしずく。家族や親戚以外で、これほど自分たちのことを思ってくれる人とであったのは彼が初めてだった。
「ありがとう、健人・・・」
涙を流しながら歓喜に湧くしずくに、健人は苦笑する。
「おいおい、そんな大げさな・・・」
「私たち、お父さんもお母さんも死んじゃって、今はおばさんの世話になってるけど、なかなか友達が作れなくて・・・」
その場で泣き崩れてしまったしずくの肩に、健人は優しく手を添える。あまりの嬉しさに、彼女は涙をこらえることができなかった。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
その姿に気付いたシュンが、心配そうに近寄ってきた。しずくは顔を上げて笑顔を作る。
「な、何でもないよ。ちょっと眼にゴミが入っただけだから。」
「そ、そう・・・?」
腑に落ちないながらも、シュンはしずくに頷いた。
喜びなのか悲しみなのか分からなかったが、シュンはしずくの動揺にあえて手を出さないことにした。気にすると、自分もまた辛くなると感じたからだった。
「さぁ、立ち上がろう。これ以上弟くんに心配をかけちゃいけないだろ?」
「う、うん・・・ゴメンね、シュン。」
涙を拭いて立ち上がるしずく。彼女に元気が戻ったことに安堵の笑みを浮かべる健人。
「うぐっ!」
そのとき、シュンが胸に手を当てて、苦痛に顔を歪めてその場にうずくまった。
「シュン!」
しずくが血相を変えてシュンに駆け寄った。彼の弱まった心臓が再び発作を起こしたのだ。
「おい、大丈夫か、君!?」
健人も息を荒げるシュンに駆け寄った。
「ち、ちょっとムリしちゃったかな・・・外の空気がとっても気持ちよかったから・・・」
汗を流しているシュンが笑顔を作ろうとする。彼が言ったとおり無理をしていることは、しずくにも健人にも明らかだった。
「とにかく、家に戻って・・薬ぐらいはあるだろ!?」
「う、うん・・!」
しずくは頷き、健人はうなだれたシュンを抱えて家に急いだ。シュンの呼吸はひどくなる一方だった。
「ど、どうしたの、アンタたち!?」
シュンを抱えて帰ってきた健人たちに、佐奈は驚きの声を上げた。シュンの容態が悪化して、なかなか発作が治まらなくなっていた。
「シュンが、シュンが大変なの!?おばさん、薬まだあったよね!?」
佐奈の答えを待たずに。しずくが自分の部屋に駆け込んだ。健人もそれに続いて、シュンをベットに寝かしつける。
依然にシュンは呼吸が乱れ、落ち着きのない様子だった。
しずくは錠剤を水と一緒に飲ませる。するとシュンは次第に落ち着きを取り戻してきた。
「ふう・・・何とか治まったな。」
健人が安堵の吐息をついた。しかし、しずくはシュンの容態を楽観視できなかった。
「前よりも発作がひどくなってる・・・このままじゃ、シュンは・・・」
涙眼でうつむくしずくを、健人は後ろから優しく抱きしめた。
「シュンくんは大丈夫だ・・・君が信じてやらないと。」
しかし、健人の励ましも、しずくの打ちひしがれた心を落ち着かせるにはいたらなかった。
部屋を包み込む重く沈んでいく空気。しかしそれはこれから起こる悲劇の始まりでしかないことに、しずくも健人も知る由もなかった。