Blood File.17 孤独の傷痕

作:幻影


 あゆみは快楽に身を委ねて眠っていた。
 穏やかに眠る彼女を見つめるワタルといちごの表情は虚ろだった。
「あゆみちゃん、とっても苦しんでたんだな。」
「そうだね。家族や友達を殺されて、妹に裏切られて、そしてブラッドにされて忌まわしい力を植えつけられた。こんな辛さ、私でも耐えられるかどうか。」
 2人の気持ちは重く沈んでいた。
 あゆみの肌に触れたとき、彼女の体温とともに孤独感も伝わってきていた。ひとりぼっちになる辛さは、ワタルも痛いほどに分かっていた。
 ブラッドである彼はその恐ろしさゆえに、人々から冷たい眼で見られ、誰にも頼ることができず、たった1人きりで苦しみもがいていたことがあった。
 もしもいちごに会わなかったら、彼はその孤独の海に流されていたことだろう。
 いちごはワタルにとって、1番の支えとなっていた。
「でも本当に辛いのは、ブラッドの力に飲み込まれてしまうことだ。無意識のうちに本能の赴くままに誰かを襲い、そのショックでさらに自分を追い込んでしまう。」
 ワタルの言葉に、いちごは思いつめる。かつて彼女もその狂気に支配され、危うく親友の血を吸ってしまうところだった。
「何にしても、オレたちがあゆみちゃんを助けてやらないと。彼女はブラッドになることを望んだ君と違って、ブラッドにされてしまったんだからね。」
「そうね。同じブラッドである私たちが力を貸してあげないといけないね。」
 いちごの言葉にワタルは頷き、彼女の胸に手を当てた。
 眠るあゆみにすがりながら、いちごは快楽を感じながら声を漏らしていた。

「我が力を受け継ぎし者、カオスサンよ。」
「お前は!?」
 突然響き渡った声に、ワタルが驚愕する。
 眼の前に、彼にブラッドとしての力を与えたディアスの神、ディアボロスが現れた。
「お前はついにSブラッドの力を覚醒させた。」
「Sブラッド?時間を越えるほどの力を持ったブラッドのことか!?」
「そうだ。Sブラッドは時をも操る。その力を覚醒させた者は、何者にも抗うことのできない時の流れから自由であり、その束縛を受けない。」
「時間を越えられるというのか、そのSブラッドの力というのは!?」
「意思の強さと血の代償によるが、いかなる過去や未来を渡ることができる。その力の使い方は、お前自身がよく理解しているはずだ。」
 ワタルは広げた自分の両手を見つめた。時間を操れるほどの力が、今の彼の中にある。その事実を噛み締め実感する。
「よいか、カオスサン。もうじき、我が力を、ディアスの神としての力を受け継ぎし者が、完全な形でよみがえる。おそらくその者が、お前にとってかつてない脅威となるであろう。お前の持てる力をいかにして使うか、お前の心に問うてみるのだな。」
 そう言って、ディアボロスの姿がワタルの前から消えた。

「ディア・・!」
 ワタルがベットが飛び起きて手を伸ばした。しかし、そこにディアボロスの姿はなかった。
「夢か・・」
 ワタルは呼吸を整えながら、自分の手のひらを見つめる。
「ワタル?」
 その声にいちごが眼を覚まし、眠い眼をこすりながらワタルに訊ねる。
「どうしたの、ワタル?悪い夢でも見たの?」
 続けてあゆみも眼を覚まして、ワタルに聞いてきた。ワタルは苦笑いして、
「いや、何でもないよ。ハハッ・・」
 そう言ってワタルはベットから起きて、背筋を伸ばす。
「さぁ、今日も1日、元気でいきましょう!」
 ワタルの作り笑顔に、いちごとあゆみも笑顔を見せる。しかしワタルは、心の中でディアボロスの言葉を思い返していた。

 ワタルはその日も、パンの販売に力を注いでいた。
 あゆみが手伝ってくれたことで、店にくる客が急増していた。中には彼女目当てで来る人もいてパンを買わない始末で、パンを売る側であるワタルには迷惑な話だった。
 その時間、あゆみは散歩ついでに買い物に出かけていた。そのためパンを買いに来る純粋な客だけが店を訪れ、ワタルにとっては嬉しいことだった。
「こんなに静かっていうのも困りものだな。大騒ぎなのもどうかと思うけど。」
 1人ごとを呟きながら、来客を待つワタル。しかし、それから数分後に来店してきたのは、彼の求める純粋な客ではなかった。
 安堵の吐息をついていたワタルは、その人物を見て椅子から立ち上がる。
「すみません。警察の者です。」
 私服の刑事、石田がワタルに警察手帳を見せて名乗る。続けて長身の刑事、高瀬が名乗り、2人の警官が頭を下げる。
「何かあったんですか、刑事さん?」
 ワタルが深刻な面持ちで訊ねる。すると高瀬が1冊のノートを開いてワタルに見せた。
「最近、この周辺で奇妙な事件が多発しておりまして、今我々はそのひとつの飛行機消失事件の乗客の1人を重要参考人として捜索しているところなんです。」
「えっ?でもあの事件、その名の通り、飛行機が完全に消えてしまったんでしょう?乗客も全員。」
「ええ。ですが、この近くで、その人の姿を見たという証言が取れまして。この人です。」
 高瀬が見せたノートには、その乗客のリストが載っていて、高瀬がその中の1人を指差した。その写真を見て、ワタルは胸中で驚いた。
「水島あゆみ。彼女の姿を、近くの人が目撃したそうです。」
「ま、まさか、だって乗客は全員・・」
 ワタルは驚愕を押し殺して、高瀬に返答する。
「我々も、手がかりなら些細なことでもと思って捜査に当たっています。心当たりはありませんか?」
「いえ、そのような人は見かけませんが・・」
 ワタルはあえてあゆみのことは伏せた。精神的に辛い状況にある彼女には、警察の取調べを受けさせるには酷だと考えたからだった。それに、彼女は消失した飛行機の乗客の唯一の生存者である。おそらくワタルが考えている以上に、あゆみに辛い思いをさせることだろう。
 人の心を大事にしているワタルにとって、仲間を売るようなことはしたくなかったのだ。
「そうか・・」
 石田がため息をつき、高瀬がノートを閉じる。
「何かありましたらすぐに警察に。どんな些細なことでもかまいません。あと、また怪事件が怒るかもしれません。戸締りなどはしっかりとしておいてください。」
「はい、分かりました。」
 高瀬の言葉にワタルは頷いた。
「では。」
 そう言って石田たち警察は振り返り、店を出て行った。
 彼らの姿が見えなくなってから、ワタルはひとつため息をついた。あゆみを気遣って、あえてうそぶいた。
 しかし、そんな彼の中に、一抹の不安がよぎっていた。

 散歩ということで街を回っていたあゆみは、商店街へとたどり着いていた。
「さてと、ずい分歩き回っちゃったから、いい加減買い物済ませちゃわないと。」
 独り言を呟きながら活気よく駆けるあゆみ。その足がふと止まる。
(ヘン・・冷たすぎる・・)
 あゆみは冷たい空気を感じ、腕をさする。商店街には異常ともいえるほどに低下した温度で満ちていた。
 あゆみは警戒しながら街に並ぶ店を見回していった。周囲の人々はその冷たさに凍えていた。
 そしてしばらく商店街を進んでいくと、あゆみは眼の前の光景に驚愕した。
 商店街を抜けた先の広場にいる人々が、真っ白に凍り付いて動かなくなっていた。
「これって・・!?」
 あゆみは広場に足を踏み入れ、氷づけにされた人の1人に手を当てる。背筋を震わせるような極寒が彼女に伝わる。
「凍ってる・・いったい何が・・!?」
 あゆみは周囲に注意を向けた。暖かい真昼の街で、突然人が凍りつくほどに気温が急降下するはずがない。何者かによって凍らされたのだ。
 ブラッドとなったあゆみの五感は、あらゆるものの微動さえも捉えるほどになっていた。
 そして彼女が振り向いた直後、その先で缶が落ちる音が響いた。
 その方向に駆けていくと、街路樹の陰に1人の少女が隠れていた。その姿にあゆみは困惑する。
 ブラウンの髪をツインテールにしているその少女と、妹いずみの姿が重なって見せたからだった。
「お、お姉ちゃん・・」
 少女の呟きに、あゆみは我に返る。
「あっ!ゴメンね。名前、何ていうの?」
「私?めぐみだよ。霧原めぐみ。」
「めぐみちゃん、ここで何があったの?」
 あゆみが聞くと、めぐみが眼に涙を浮かべて必死になって答えた。
「う・・パパと・・ママが・・・」
 めぐみが指差した先をあゆみが見つめると、そこに横たわった人が2人いた。
 氷づけにされている人々とは違い、その男女は腹部に氷柱が突き刺さっていた。
 あゆみは彼らの体に触れて、すでに事切れていることを悟る。
「ひどい・・誰がこんなことを・・」
 あゆみの中に憎しみと悲しみが込み上げてくる。
 めぐみは自分と同じ運命を背負わされた。家族も親友も亡くしたあゆみにとって、彼女の気持ちが痛いほど伝わっていた。
「フッフッフッフッ・・・」
 突然広場に響いた哄笑に、あゆみとめぐみが同時に振り返る。水色の長髪をした長身の女性が近づいてきていた。
「あなたは・・?」
 吹きすさむ冷気の中で、あゆみが女性に訊ねる。すると女性は妖しい笑みを浮かべて答えた。
「私の名はビーズ。こうして人の姿をとっているけど、実は悪魔なのよ。」
「悪魔・・ディアス・・!」
「フフッ。そう呼ぶのが自然かもしれないわね。」
 あゆみの呟きにビーズが笑う。
「あの人だよ!私のパパとママを襲ったのは!」
 めぐみが泣きながらビーズを指差す。ビーズは妖しい笑みを消さない。
「あなたが、あなたがめぐみちゃんの両親を、街の人たちを!」
 憤怒するあゆみに対し、ビーズがあざ笑うように答える。
「この氷の輝きは、私の心を魅了して満たしてくれる。特に人の形をとっていてくれたらなおさらよ。」
 ビースが氷づけにされた人の1人に手をかけ、裕福に浸る。
「この透き通ったきらめきが、私を心地よくさせるのよ。だけど、この2人はその子を守ろうとしたのでしょうけど、私に傷をつけたのよ。だからつい殺しちゃった。凍らせた人は私が死ねば元に戻るけど、死んでしまったら元も子もないわね。」
 広場にこだまするビーズの哄笑。それがあゆみの心を奮い立たせた。
「許さない!自分の欲望のために、めぐみちゃんの両親を奪うなんて、絶対に許さない!」
 あゆみの体から荒々しい紅いオーラがほとばしる。そして彼女の伸ばした右手から衝撃波が放たれ、紅いオーラとともにビーズに襲いかかる。
 力を収束させていたため、衝撃波は氷像には当たらず、ビーズだけを狙って飛んでいった。
「ぐっ!」
 うめき声を上げながら、ビーズは後退してあゆみを見つめる。
「そうか。あなたもディアス。いいえ、ブラッドね。こんなに強い力を使えるのは、ブラッド以外にいないわ。」
 次第に哄笑を強めるビーズ。
 あゆみはワタルからブラッドに関することを聞いていた。ブラッドの力が、使う人の心理状態に大きく左右されることも。
 ブラッドの力は心の強さにある。ブラッドとなったあゆみは、そのことを理解し、力の発動に細心の注意を払っていた。
 しかし今はめぐみの両親の仇をとるため、その歯止めを外して力を使用したのである。
「めぐみちゃん、私があの人をやっつけてあげる。人の命をおもちゃにするような悪魔は、私が許さない!」
 あゆみがビーズに鋭い視線を送る。同じ運命を背負わされた少女の悲しみが、彼女をさらに突き動かしていた。
「言ってくれるじゃない、あなた。その態度が真っ白に凍りつく瞬間、私が見届けてあげるわ。」
 ビーズが右手を突き出すと、吹雪のような冷風があゆみに向けて吹き付けてきた。
 その強い風にあゆみは顔を左腕でかばう。そんな彼女が次第に白くなっていく。
「お姉ちゃん!」
 叫ぶめぐみの眼の前で、あゆみの体がまばらに凍りつき、広がっていく。やがて吹雪が治まった先には、真っ白になって動かなくなったあゆみがそこにいた。
「フッフッフッ。これもいい感じに凍ってくれたみたいね。私の氷は絶対に砕けない。たとえブラッドの力でもね。」
 ビーズは氷像になったあゆみを見つめて、満面の笑みを浮かべる。
 そのとき、氷像に亀裂が生じた。
「えっ?」
 何が起こったのか分からず、ビーズが呆然となる。
 やがて亀裂はさらに広がり、粉々に砕け散った。その中から、オーラを発していたあゆみの姿があった。
「お姉ちゃん!」
「ど、どうして!?私の氷を砕くなんて・・!」
 喜びの声を上げるめぐみと驚愕するビーズ。オーラを消したあゆみが、ビーズの眼前に跳躍する。
「このブラッドの力でバリアを張って、完全に凍りつくのを防いだのよ。これでも私、ソフトボール部でキャッチャーやってて、すごく反応がいいって言われたこともあるのよ。」
「なんと・・ならば息の根を止めてやる。」
 ビーズが右手に力を込めると、数本の氷の刃が出現した。指をあゆみに向けると、氷の刃はあゆみに向けて飛んだ。
 あゆみは全身からほとばしるオーラで、その刃の群れを弾き飛ばした。その中の1本を手に取り、あゆみはオーラの反動を利用してビーズに突っ込んだ。
 刃はビーズの腹部に突き刺さった。吐血するビーズ。刃から手を離し、血のついた手のひらを見つめるあゆみ。
「まさか、こんな形でやられるなんて・・ブラッド・・・」
 刃を引き抜いたビーズが、前のめりに倒れる。その姿を見下ろして、あゆみは血のついた手を握り締める。
「お、お姉ちゃん・・」
 めぐみの困惑した声にあゆみは振り返った。ビーズの力が消失して、凍りついた広場の人々が元に戻っていった。
 いろいろな様子を見せる人たちの中、めぐみの両親は目を覚まさなかった。
「パパ、ママ・・」
 両親にすがって泣きじゃくるめぐみ。彼女の肩に、あゆみは血を振り払った両手を乗せる。
「めぐみちゃん・・」
「・・お姉ちゃん!」
 優しく声をかけたあゆみに、めぐみはしがみついた。
 家族を失った悲しみ。両親を失っためぐみの気持ちを、あゆみは痛いほど理解していた。

 商店街で起こった事件。
 ディアスとあゆみのブラッドとしての力を察知したワタルは、現場へと急行していた。
 しかし事件は鎮圧していて、安堵の吐息を漏らしながらあゆみの姿を探し求めた。
「あれ?あれは・・」
 その途中、ワタルはふと足を止めた。事件現場を直に見ようと集まっている野次馬に混じっている、めがねをかけた銀髪の男へと近づいていく。
「か、海気(かいき)!」
 ワタルが声をかけると、銀髪が振り返ってきょとんと彼を見つめる。
「おお、ワタルじゃないか。」
 海気と呼ばれた銀髪の男とワタルが握手を交わす。
「久しぶりだなぁ、海気。まさかこんなところで会えるなんてな。」
 再会を果たした2人から笑みがこぼれていた。
 その直後に、ワタルたちは悲しい面持ちをしたあゆみとめぐみと会ったのだった。

つづく


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