Asfre 第16話「妹」

作:幻影


 メデュースが召還した蛇。石化能力を備えた蛇である。
 1匹は噛み付いて部屋の柱の1本を、1匹は唾液をたらして床を石化させていた。
「フン・・石化の毒満載といった感じだな。」
 童夢が思わず不敵な笑みを見せる。
 メデュースの意識が、童夢から借り受けた銃を構える夕菜に向けられる。すると蛇たちの毒牙も夕菜に向けられる。
「蛇たちには夕菜を任せるわ。石にした後、私が直接粉々にしてあげるから。」
「ほう?だったらつまらない気兼ねをする必要もないな。」
 そういって童夢は、間髪置かずに引き金を引く。しかしメデュースの広げる光の壁にさえぎられ、弾丸が弾かれる。
「私の力でできたこの壁に物理攻撃は効かないよ。力は夕菜に持っていかれたけど、それでも十分効果はあるよ。」
「くっ・・!」
 銃の効かない淡く輝く壁にさえぎられ、童夢は舌打ちをした。

 石化の毒を持った蛇を何匹か撃ち抜いた夕菜。しかし残りの蛇たちが容赦なく彼女に飛びかかる。
 蛇の動きは見かけより素早く、彼女の放つ弾丸をするりとかいくぐってしまう。迂闊に撃てば弾がなくなってしまう。
 焦りを浮かべる夕菜は、慎重に狙いを定めようと銃を構える。そこへ蛇の1匹が飛びかかってきた。
 毒にはやられなかったものの、その拍子で銃を落としてしまう。
 右手を押さえる夕菜に、蛇たちが毒気のある吐息をもらす。
(そう・・この蛇たちは、メデュースが作り出したもの・・だったら、彼女の力を持っている私なら、この蛇たちを何とかできるかもしれない。)
 夕菜は冷静に眼前の状況を把握していた。
 壁に背をつけた瞬間、彼女は蛇に右手を向けた。
(もしも私の力が通じるなら・・・蛇たち・・消えて!)
 夕菜が持てる力を込めて念じる。メデュースの力を得た彼女は、蛇たちを支配し操ることもできると考えていた。
 そしてその憶測は的中していた。
 彼女に牙を向けていた蛇たちがうめき始め、やがて出現したときと同じ光を放つ。そして花火のように弾けて消失する。
(やっぱり、私にもできた・・・)
 安堵の笑みを浮かべて、夕菜は床に落とした銃を拾い上げた。

 身をひるがえしながら、童夢はあらゆる角度からメデュースを狙っていく。
 しかし、訓練によって強化された身体能力でも、対アスファー用の弾丸でも、メデュースの光の壁を突き抜けることはできない。
「何度やってもダメだよ。この壁はすぐに私が完璧なものに修復するから、集中させて狙っても効果はないよ。」
 メデュースが童夢に妖しい眼差しを向ける。
(くそっ・・撃ち込んでも効果が薄い。しかもヤツの力が及んで、蓄積されているはずのダメージがなくなってしまう・・)
 童夢もメデュースの力を前に毒づく。その中でも、彼女はアスファーを打破する秘策を巡らせていた。
 アスファーが別の効果の能力を使用する際、維持している力を少なくとも弱めなくてはならない。その一瞬に必ずチャンスが訪れる。
 向上されている五感を研ぎ澄ませ、童夢はその機会をうかがっていた。
「さて、あなたをオブジェに変えることにしましょ。」
 メデュースが童夢に対して攻める意思を見せる。
 彼女のアスファー能力、相手を石化させる能力は、額に開かれる第3の眼から放たれる。光の壁が弱まるのはその直前だけ。
「分かってるよ。私が石化の力をかけようとする瞬間を狙ってるんでしょ?いい狙いだけど、あなたは間違いなく石化させられるね。」
 好機の一瞬を狙うことは、逆に自分の動きが止まってしまうリスクを伴う。急所を外せば、確実に石化させられてしまう。
(勝負は一瞬・・・ヤツが額の眼が開く亀裂ができる一瞬だ・・・!)
 銃を構え、狙いを定める童夢。その姿を、メデュースが妖しく微笑んで見つめる。
 彼女の額が歪み始め、やがて石化の力を放つ第3の眼が開かれようとしていた。
(今だ!)
 一瞬の好機を見切り、童夢が引き金を引く。その瞬間、メデュースの姿が消える。
「何っ!?」
 銃弾を放った童夢が驚愕する。弾は薄らいだメデュースの残像を貫き、扉に突き刺さるだけだった。
 メデュースは瞬間移動で童夢の背後に回っていた。
「しまった!」
 振り返った童夢に向けて、メデュースの石化の視線が注がれようとしていた。
「これで終わりだね。」
 勝ちを悟って微笑むメデュース。
 そのとき、童夢の前に夕菜が割り込む。メデュースの視界から童夢の姿がさえぎられる。
「えっ!?」
「夕菜・・!?」
 童夢とメデュースが驚きの声をもらす。

    ドクンッ

 メデュースの額の眼の視界の中に入った夕菜は、強い高鳴りに胸を打たれる。
 しかし夕菜はその刺激に怯むことなく、童夢をかばってメデュースの前に立ちはだかる。
「夕菜、お前・・!?」
「童夢、早く撃って!」
 夕菜が童夢に、必死にメデュースを狙うことを促す。
  ピキッ パキッ パキッ
 夕菜の両足から石化が始まり、靴と靴下が引き裂かれる。その衝動にうめきながらも、夕菜は全く動じない。
「夕菜、私をかばったのか・・!?」
「早くして!でないとメデュースが力を・・!」
「もう遅いよ。」
 童夢のこの一瞬の動揺が命取りとなった。
 メデュースはその声を受けて、すでに光の壁を出現させて防御を固めていた。
 夕菜は石化され、自分だけで光の壁を打破できない童夢になす術がなかった。
  ピキッ ピキキッ
 夕菜の石化が彼女の下半身に及ぶ。スカートが引き裂かれ、尻と秘所がさらけ出される。
 自分の肌を見られ、少し頬を赤らめる夕菜だが、それでもメデュースの前に完全と立ちはだかる。
「私はこうして自分を守っていればそれでいい。童夢は何もできないまま、夕菜はそのままオブジェにする。それからゆっくり童夢をオブジェにするから。」
 メデュースは完全に勝利を確信していた。
(どうすればいい!?・・せめて、ヤツの力を相殺できる力さえあれば・・!)
 童夢は自分の無力さを悔いた。アスファー能力でも何か力があれば、それを銃弾に込めて、光の壁を撃ち抜くことができたはずなのに。
(ちから・・・そうか!)
 思い立った童夢は、石化していく夕菜に駆け寄った。そして自分の持つ銃を夕菜に握らせ、自分の手も添える。
「ど、童夢・・?」
 戸惑いを見せる夕菜。石化による快楽に、童夢に触れられる困惑が加わる。
「夕菜、この銃に、これから撃つ弾に、お前のアスファーとしての力を注げ。」
「えっ?」
「今のお前には、メデュースと分かれて得たアスファー能力がある。その力を利用して、ヤツのあの壁を撃ち抜くんだ。」
「でも、また瞬間移動でも使われたら・・」
「大丈夫だ。もし瞬間移動するものなら、壁の厚さが一瞬弱まる。私が移動する場所を予測して、その一瞬を確実に狙う。」
「でも私、体が石になっていってるし・・」
「大丈夫だ。お前は力を注ぐことだけを考えればいい。私が狙いをつける。たとえ瞬間移動しても、絶対に外さない!」
 そういって童夢はメデュースを見据える。相手に弾を確実に当てるため、意識を集中する。
 彼女の言葉と思いを信じ、夕菜は小さく頷いた。
「分かったよ、童夢・・」
 自分は自分のすべきことをする。
 童夢が狙いを定めてくれる。自分はただ、相手を倒すための力を与えればいい。
 夕菜は自分の中にある全ての力を、童夢の銃に、銃の中の弾丸に込める。
  ピキキッ パキッ
 石化は夕菜の上半身に及び、着ていた衣服が全て引き剥がされる。それでも夕菜は銃を放さない。
「私は決して“あなた”じゃない。あなたが私を“あなた”と見なくなった時点で、私は“あなた”じゃない!」
「ゆ、夕菜・・?」
 童夢と夕菜の持つ銃に光が灯る光景に、メデュースは困惑を覚えていた。
「私は、速水夕菜よ!」
 夕菜の叫びとともに、光が銃を包み込む。同時に童夢はメデュースを的確に見据え、引き金を引く。
 光を帯びた弾丸が銃口から放たれ、メデュースの描く光の壁を貫く。その軌道は光の奔流を描いていた。
「ああ・・!」
「これで終わりだ、メデュース!」
 動揺するメデュースに、童夢の叫びが飛ぶ。
 光の弾丸はうっすらと開きかけていたメデュースの石化の眼に突き刺さった。
「あっ・・・」
 額を撃ち抜かれ、メデュースが気の抜けた声をもらす。紅い血を流し、力なく仰向けに倒れる。
 何が起こったのか分からないまま、彼女はその命を閉じた。
「やった・・・」
 童夢が安堵の言葉をもらす。倒すべき相手を倒して、全てに終止符が打たれたのだ。
 しかし、彼女の姉やたくさんの女性たちにかけられた石化、夕菜を蝕んでいる石化は解かれていない。
  ピキッ ピキッ
 石化が夕菜の手足にまで達する。彼女と童夢が握り締めていた銃が、それに巻き込まれてバラバラになる。
「童夢・・銃が・・・」
 夕菜が壊れて床に崩れる銃に声を荒げる。
「いいんだ・・・もう私には必要のないものだ・・・」
 しかし童夢は安心感を覚えていた。
「お前もヤツと同じアスファー能力を持ってる。このまま石になっても、元に戻れるのだろ?」
「・・うん・・・」
 童夢の言葉に、夕菜は微笑を見せて頷く。
 意識さえはっきりしていれば、メデュースと同じアスファー能力を持っている夕菜は、その力を使いこなすことができる。自分も含め、女性たちにかけられた石化を解くことができる。
「夕菜、ひとつ聞いていいか・・?」
「え・・?」
「姉さんたちの石化を解くのは、私がここから出て行った後にしてくれないか。」
「えっ!?」
 童夢の言葉に驚く夕菜。
「姉さんに、こんな私を見てほしくないんだ・・復讐に身を置いた私を、元に戻った姉さんの眼に焼き付けてほしくないんだ・・・」
 童夢の願いは一途だった。彼女は姉を奪ったアスファーに復讐するために、自らの手を汚した。
 しかし、それは姉の望んでいない妹の姿だった。元に戻って初めて見た妹の姿が復讐者だったら、姉はきっと悲しむだろう。
 童夢はそう思えてならなかった。
「そんなことないよ!」
 しかし夕菜の思いは違った。
「たとえどんな姿をしてたって関係ない!あなたのお姉さんなら、絶対あなたを受け入れてくれる!」
「夕菜・・・」
 夕菜の涙ながらの訴えと願い。童夢の胸に強く突き刺さっていた。
「一緒にいよう、童夢!みんなで、幸せな生活をすごそう・・・!」
 必死に呼び止めようとする夕菜。そんな彼女に、童夢は物悲しい笑みを浮かべる。
「たとえお前や姉さんたちが許しても、私は私を許せない・・」
「童夢!」
「私は出て行く。しばらく1人でさまよってみたい・・・」
  パキッ ピキッ
 石化が夕菜の首元まで上がってきた。しかし夕菜は石化の快感よりも、童夢が離れていくことに対する困惑のほうが強かった。
 戸惑いを隠せない彼女に、童夢が優しく微笑む。
「これが私の最後のわがままになると思う。止めないでほしい。」
「ダメ、童夢!みんな、童夢を待って・・・!」
 夕菜の言葉をさえぎるように、童夢は夕菜に口付けを交わした。愛らしい感情が、夕菜の心を包み込む。
 それでも止めたい。どうしても呼び止めたい。それが夕菜の正直な想いだ。しかし唇を重ねられ、声に出すことができない。
  ピキッ パキッ
 石化がその唇さえも白く固める。童夢は夕菜の石の唇から顔を離し、満面の笑顔を見せる。
 姉を連れ去られる前の、幼い少女だった頃の笑顔だった。
「戻ってきたら、今度こそ一緒にいてやる。ずっと一緒に・・・」
(どう・・む・・・)
 きびすを返し、部屋を立ち去っていく童夢。夕菜の眼から涙があふれる。
    フッ
 その瞳さえも白く固まり、夕菜は裸の白いオブジェと化した。童夢を呼び止めることも叶わず、彼女はただその部屋にたたずむしかなかった。

 意識を落ち着けた後、夕菜は自分にかけられた石化を解く。童夢を呼び止められなかった悲痛のあまり、石の殻が剥がれ落ちた自分の体を抱き留める。
「童夢・・・どうして・・・」
 夕菜はただ泣くしかなかった。ひたすら涙を流した。自分の中にあるもの全てを涙とともに流してしまいたかった。
 しばらく泣き続けた後、夕菜はアスファーの力を解放した。周囲にたたずんでいた裸の女性の石像たちが、石の殻を剥がして生身の肌をあらわにする。
「あれ・・・ここは・・・」
「キャッ!あたし、裸にされたんだった!」
「どうしよ〜・・わたし、ここから出て行けないよ〜・・」
 石化が解かれ、その快楽から解放された女性たちが、いろいろな様子を見せている。しかし、悲しみに満ちた夕菜には、その騒ぎは届いていない。
「夕菜、ちゃん・・・?」
 そこへ神楽が困惑した面持ちで声をかけてきた。しかし夕菜は自分の肌を抱いたまま顔を上げようとしない。
「童夢は・・どうしたんだ・・・?」
 思い切って童夢の行方を夕菜に聞いた。夕菜は何も答えず、神楽も彼女の沈痛の表情を察して、薄々感付き始めていた。
「えっ・・童夢、が・・・?」
 そんな彼女たちに驚きの声をかける女性がいた。神楽と夕菜がその声に顔を向ける。
「あ、あなたは・・・」
 メデュースの記憶を垣間見た夕菜には分かっていた。石化され連れ去られた童夢の姉である。
「童夢は・・・1人で行ってしまいました・・・」
「行ったって・・・!?」
 その言葉に彼女は戸惑う。
「わたし、止められなかった・・・私なら、すぐに石化を解いて、童夢を追いかけることができたのに・・・!」
 夕菜は姉や神楽に涙を見せた。童夢を止められなかった自分を悔やんでいた。
 打ちひしがれていると、姉が夕菜の肩に優しく手を当てた。
「よくは分からないけど、あなたは童夢を心から思ってくれているみたいね。」
「えっ・・・は、はい・・・」
 優しく微笑む姉に、夕菜は一瞬呆然となる。
「あの子もいろいろなことがあるのよ・・・でもあなたがあの子を信じてくれるなら、あの子は必ず帰ってくるわ。」
「えっ・・・」
「大丈夫。童夢は優しい子だから。」
 姉の満面の笑顔。それは妹と最も近しい存在からの信頼だった。
 夕菜はその姉妹の絆を信じることにした。そして童夢の代わりに、甘えるように姉に寄り添うのだった。

 長年に渡って多発していた美女誘拐事件は、犯人をメデュースと断定して調査と解決を行った。
 司令官を一時期失ったアスファー対策部隊は、新しい司令官を別の人間に就かせて安泰することとなった。
 アスファーによる犯罪は衰えることを知らない。対策部隊と人間の戦いに終わりはない。
 そんな中で、夕菜は童夢の姉と神楽との生活をすごしていた。童夢の行方を追いつつ、彼女の帰りを待ちながら。
「あれ?神楽さん、今日は何かのお祝いですか?」
 リビングにやってきた夕菜が、神楽がテーブルに、普段よりも豪勢な食事の準備をしているのを眼にする。
「いや、違うよ。」
「それじゃ、何で・・?」
「今夜は豪勢にしたい気分なんだ。何でか分かんないけど・・」
 夕菜に振り返り、神楽が安堵の笑みを見せる。
「私もやってもいいかな、と思うわ。」
 夕菜の後からリビングに入ってきた姉が、笑みを見せて神楽に同意する。
 この日は何かのお祝いの日ではない。誰かの誕生日でも、何かの記念日でもない。
 それでも祝わずにはいられない。そんな気分だった。
「確かに・・・そういうのもいいかもしれないね。」
 夕菜も微笑む。神楽たちの考えに共感するものが彼女にはあった。
 夕菜はおもむろに玄関に向かい、外に出ようとする。
「どこ行くの?」
「ちょっとそこまで。」
 姉に呼び止められ、夕菜が足を止めて振り向く。
「ところで、ひとつ聞きたいのですが・・・?」
「ん?」
 夕菜がたずねると、姉は微笑みを消さずに聞く。
「そういえば、あなたの名前、ちゃんと聞いてなかったですね・・・」
 夕菜は今まで、童夢の姉の名前を聞いてはいなかった。一緒にすごしてきた時間でさえ“あなた”ですませてしまっていたのだ。
 姉は満面の笑顔を見せて、夕菜の問いに答える。
「あかね。芝あかねよ。」

 海沿いの公園。そこへ夕菜はやってきていた。
 そこで夕菜は、初めて童夢と会った。
 姉を奪ったアスファーを狙う少女と、記憶をなくした少女。2人は敵対し、互いの心のために傷つけあった。
 しかしそれは1人のアスファー“メデュース”からなるものだった。
 童夢はメデュースに姉、あかねを石化され奪われた。
 夕菜はメデュースの分身として、この世界に生を成した。
 すれ違い、憎しみあった少女2人。しかし2人はいつしか心を通い合わせていた。
 真実を知ったからだけではない。大切なもの、それを失った悲しみと苦しみ。互いがそれらを心に秘めていることを知ったからである。
 夕暮れ時の公園は、家に帰る親子の姿が目立っていた。次第に人の数が少なくなり、静けさを漂わせていた。
 その中から特定の1人を探すのはそう難しいことではなかった。しかし童夢の姿は見当たらなかった。
 夕菜も神楽やあかねと同様、何かいいことが起こると感じ始めていた。しかしそれは、ただの思い違いなのかもしれなかった。
「やっぱり、もう帰ってこないのかな・・・」
 沈痛さを感じて、神楽たちのところに帰ろうと振り返る。
 すると、夕菜はそこで1人の少女に対面する。大人びた雰囲気を放つ黒髪の少女である。
「えっ・・・」
 夕菜はその少女を待っていた。しかし、声をかけようとしたがうまく言葉にならない。
 戸惑っていると、少女、芝童夢が声をかける。
「どうした、その顔は?何か悲しいことでもあったか?」
 童夢がすまし顔で夕菜にたずねる。
「本当に・・・本当に童夢、なの・・・?」
 夕菜の眼に次第に涙があふれてくる。
「ああ。私は、芝童夢だ。」
 童夢が幼い少女のように微笑む。右手を伸ばし、手のひらを夕菜に見せる。
「私はお前のところに帰ると心に決めていた。そして戻ったら、一緒に暮らそうって。」
「童夢!」
 溜めていた感情を止められず、夕菜は童夢に抱きついた。大粒の涙が、彼女の眼からあふれ出す。
「童夢のバカ!1人で全部抱えて!」
「夕菜、すまない・・だが、これが私の最後のわがままだ。これからはお前の願いを聞き入れてやりたい。お前に辛い思いをさせた分、お前を納得させたい。」
 童夢が夕菜を優しく抱きとめる。久しく感じていなかった、心に染み入る暖かさに、童夢は瞳を閉じて微笑む。
「って、これもわがままになるのか・・」
 苦笑を浮かべる童夢が、頭に手を当てる。
「わがままでも何でもいいよ。とにかく、童夢が戻ってきてよかった・・神楽さんもあかねさんもそう思ってるよ・・」
 頬に涙腺を作りながら、夕菜が優しく微笑む。
「あのときは童夢のわがままを聞いたんだから、今度は童夢が私のわがままを聞くこと。」
「ああ。分かってる。で、そのわがままは何だ?」
 童夢の問いかけに、夕菜は涙を拭い、ひとつ息をついてから答える。
「私のわがままはとりあえず2つ。これからはずっと一緒にいること。神楽さんとあかねさんを悲しませないこと。」
「フッ・・私のわがままにもなりそうだな。いいよ。そのわがまま、聞き入れる。」
 童夢は素直に頷く。夕菜は彼女からひとまず離れ、あかねたちのもとへ帰ろうと足取りを軽くする。
「あ、もうひとつわがままがあったんだった。」
「えっ?」
「今夜は私と一緒に寝ること。いいわね?」
 童夢と再会できた喜びを満面の笑顔で表す夕菜。そのわがままに対し、童夢も笑顔で頷いた。
「それも私のわがままになりそうだ・・・」

おわり


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