作:牧師
すこし昔のお話。
夕暮れ時の山道を、母親と娘が歩いている。
母親は藍色の着物を、娘は紅い着物を着ていた。
旅の途中なのか、すこし大きな風呂敷を母親は両手で大事そうに抱えていた。
まだ日は暮れてない筈なのに、辺りには大きな松の木が生い茂り、僅かな光も遮って
まるで夜中のようだった。
「おかあさん、疲れた、すこし休もうよ」
娘が長い黒髪を左右に大きく揺らしながら、疲労を訴え、休みを求めるが、
母親は歩みを止める事は無かった。
ギャァギャァと鳴くカラスのが、さらに母親の足を速めさせた。
母親が山越えを急ぐには訳があった、麓の茶屋である噂話を聞いていたからだ。
〈子供を連れてこの山を越えるなら覚えておくがええ、日が落ちてからだが
山道で鈴の音が聞こえたら決して子供を振り返えさせてはいけねえ、
山の神様に石人形にされてさらわれるでよ〉
母親はこの山を避けようとも思ったが、他の道に関所があり、容易には通れ無かった。
「もう直ぐ教えて貰った山小屋がある、そこまでの我慢だから辛抱して」
そう言いながら母親は娘の手を優しく握ると、少しだけ歩みを遅くした。
チリィィン。
しばらく山道を歩くと、母親と娘の耳に鈴の音が聞こえて来た。
「振り返っては駄目、お母さんの方だけ見てるのよ」
母親は娘の手を強く握り、振り返らないでも話しかけれる様に、半歩ほど前を歩く。
「う・・・うん」
娘は鈴の音が気になったが、母親の言い付けを守り、歩き続ける。
チリィィン、リィィン、チリ、チリィィン。
鈴の音は激しく、時に優しい音色で娘の関心を引こうとする。
「お母さん、ちょっとだけみていい?」
娘が母親に話しかける度に、音色は美しさを増していく。
「絶対に振り返っては駄目、振り返ると石にされるのよ」
母親は耐え切れずにとうとう娘に噂話を聞かせる。
娘は少し怯え、着物の裾にしがみ付き、しばらく歩き続けた。
リィィン、リリィィン、チリーーン。シャンシャン・・・。
鈴の音は更に音色を増やし、娘は次第に怖さより興味が強さを増していく。
母親は子供の手を優しく握り、一心に山小屋を目指していた。
「神様、この子を狙うのをやめて下さい。鈴の音を止めて下さい」
歩く間、母親はそれだけを延々と口にしていた。
リィン・・・。
鈴の音が止む。
母親は見逃して貰えた事を心から喜んだ。
リリィィン、チリーン、シャーン、シャンシャン、チリン、シャン、リィィーーン。
鈴の音色は今までに無く美しく壮大に鳴り響いた。
「ちょっとだけ・・・、あ・・・」
音が響いた瞬間、娘は興味を引かれ、後ろをほんの少しだけ振り返る。
母親が握っていた暖かく柔らかい娘の小さな手が、硬く冷たい感触に変わる。
その時、母親は娘の身に何が起きたか悟った。
娘の着ていた紅い着物も、柔らかかった肌色の手も、長い黒髪も、朱の差す顔も、
薄い灰色の石に変わっていた。
楽しそうな顔で振り返った顔は、今にも笑い声が聞こえてきそうだった。
「ああぁぁっ、神様、お慈悲を下さい、娘の体を元に戻してください」
石になった娘を抱いて、母親は涙を流しながら、神に訴えた。
涙で濡れた母親の頬に、石になった娘の頬の冷たく、ツルツルした感触が伝わる。
その感触がより悲しさを深めていった。
「クスクス、振り返っちゃ駄目って言われなかった?」
娘の振り返った方から、小さな女の子の声が聞こえた。
声のする方からは、リィンリンと小さく鈴の音も聞こえる。
「お願いです、娘を返してください。お慈悲を下さい」
小さな女の子に母親は縋り付き、涙を流し、娘を元に戻して貰える様に懇願した。
「お姉さんもまだ若くて綺麗だから、一緒に連れて行ってあげる」
母親が少女の眼を見た瞬間、紅く光った瞳が母親も娘と同じく石に変えた。
眼に貯まった涙を少女は指で拭い、笑いながら石人形の母親に話しかける。
「仲良く石人形に変わって嬉しい?他の子たちに逢わせてあげる」
少女は母親と娘の石人形を、暗い闇の中に運んでいった。
「この世界っておかしい、シィルアの事を神様だって」
ひずみの中の空間には、振り返った姿で数十体の石にされた少女が並んでいた。
中には、祈る格好の若い母親の石像や、驚く顔の美しい姉の石像が混ざっていた。
「クスクス、魔族が石に変えてさらっても、神隠しで済むんだから」
シィルアは楽しそうに、少女達の石像を、いつまでも眺めていた。