真実は闇の中に

作:牧師


 切れかけた街灯が点滅する薄い路地、そこで一人の女性が襲われていた。
ほんの数メートル先には大通りがあり、無数の人々が居るにも拘らず彼女を助ける者は誰一人居なかった。
何故なら女性の襲われている数メートルの空間は、薄暗い結界に包み込まれていた為、普通の人は気が付く事も無く、
更に言えば、今、女性を後ろから襲っているのは、人間ですらなかった。
「ひゃああああん、イヤッ、気持ち悪い!!誰か!!助けてッ!!」
 女性の背中に張り付いていたのは巨大な蛾で、それも全長が優に三メートルはある大きな雀蛾だった。
更にその周りには女性を取り巻くように、体長五十センチ程の雀蛾が無数に飛び交っていた。
結界内は巨大な雀蛾が撒き散らしたと思われる、甘い香りのする鱗粉で満たされていた。
「あれ?体が…熱い!!ヤダッ、どうしてこんなに濡れて…、ヒイイッ、イヤァーーーーーーーッ!!」
 背中に取り付いた巨大な雀蛾の硬く強靭な六本の足に、両手、腰、両足を掴まれて自由を奪われている女性は、
鱗粉を吸い込まぬ様に口を塞ぐ事も出来ず、体に起る異変に気がつきながら、為す術も無く理性を奪われていった。

 女性の周りで体長五十センチ程の雀蛾が無数にホバーリングし、体の至る所に口から伸びた口吻を突き刺し、
じわじわと精気を吸い上げていた。
 雀蛾に精気を吸われた場所は徐々に灰色に変わり、柔らかく白い肌は着ていた服ごと硬い石へと変化していった。
「いやっ!!なに?なにがおきてるの?そんなとこ…こすっちゃ…、ああああん」
 背中に取り付いていた巨大な雀蛾が体を曲げ、大きな腹の先端を女性の陰唇を撫でる様に擦りつけていた。
愛液の匂いに誘われ、ホバーリングしていた無数の雀蛾が、淫核や下腹部にも口吻を突き刺し精気を吸い上げていく。
抵抗の後が見られる穴が開いた黒いストッキングも、ベージュ色のスーツもやがて硬い灰色の石に変化して行き、
女性の体は髪の毛の一本に至るまで完全に硬く冷たい灰色の石へと変わり果てた。

 女性を石像に変えた巨大な雀蛾は女性の背中から離れると、無数の雀蛾を連れて空中に融ける様に消え去った。
結界が消え去ったその場には学校帰りの学生と思われる少女二名、買い物袋を足元に落とした若い主婦、
スーツを着たOL風の女性の四体の石像が、生暖かい夏の夜風を受けながら無言で立ち尽くしていた。


「納得いきません!!」
 薄汚れた雑居ビルの一室で、一人の女性が目の前の机に座った男に大声を出し、正面から詰め寄っていた。
女性の手には大量のレポート用紙や白いラベルのDVD、デジタルカメラ等が握られていた。
「どうしてこんな重大事件が記事に出来ないんですか?今月に入ってもう二十人も犠牲者が出てるんですよ!!
しかも、そのうちの一人は去年結婚退職した美奈代なのは部長も御存知の筈ですよね?」
 買い物袋を足元に落としたまま石像に変えられた若い主婦、それが彼女の言う美奈代だった。
彼女はこの事件を記事にする為に、現場や犠牲者の家族から取材を続ける過程で偶然その事実に辿り着いた。
「そんな事は言われなくても分かっている!!だがこの件に関して一切の報道を禁じられているのは、
君も知っているだろう?私も記者生活数十年になるが此処まで厳しい報道規制など聞いた事も無い、
いや、聞いた事が無かっただけかもしれんが、兎に角この件にはこれ以上関わるな」
 二十人という犠牲者の数も、その中に知り合いがいた事も、彼女が独自に調べ上げて辿り着いた情報だった。
国内外のTV局、大小様々な新聞社週刊誌に至るまで、全ての報道機関が一秒間一文字すら情報を流す事は無かった。
それが何を意味するのか位、彼女も十分承知していた。
「国家レベルでこの件を闇に葬るつもりなら私にも考えがあります、市民に危機を知らせるのが報道機関の姿です、
私は報道人として意地でもこの件を記事にして市民に真実を伝え、事件を白日の下に晒して見せます。それでは」
 女性はレポート用紙や様々な資料を男の机の上に積上げたまま、部屋から立ち去っていった。 


 彼女の名は白泉恭子(しらいずみきょうこ)。
地方新聞社に勤務する入社六年目の記者、スラリとした面立ちに細く横長な眼鏡をかけ、鋭い目つきで事件を探す。
肩で切りそろえた黒髪を鬱陶しそうに払う仕草が、この日の様なやり取りをした後の彼女の癖だった。


 その日の夜、事件の取材を終えた恭子が、自宅のある住宅街を歩いている時にそれは起った。
辺りの雰囲気が一瞬にして変化した、その場所にはむせ返りそうな程の甘い香の何かが恭子の周りに充満していた。
「なに…コレ…、イタタタッ!!え?きゃぁぁぁっ!!」
 目の前に急に現われた何かにぶつかり、恭子は地面に尻餅をついた。
何かで濡れた地面から恭子がぶつかった物を見上げると、そこには高校生位の年齢の少女が立ち尽くしていた。
 少女の顔は快楽で緩み、空中の一点をみつめたまま、ぴくりとも動く事は無かった。
何故なら少女の体は制服も含め、髪の毛の一本も残す事無く灰色の石に変り果てていたからだった。
「侑子ちゃん?侑子ちゃんでしょ?そんな…この子まで事件に巻き込まれるなんて…」
 石像に変わった少女は山名侑子(やまなゆうこ)といい、恭子の家の隣に住んでいた。
家族ぐるみで付き合い、侑子が恭子を実の姉の様に慕っていた事もあり、一緒に海等に良く出かけたりしていた。

「一体誰がこんな酷い事を…」
 皮肉にも恭子の疑問は僅かな時間で解決する事になった。
辺りに空気を叩く様な音が響き、その音は恭子の背中で一層大きくなり、次の瞬間、恭子の体に何かがしがみ付いた。
そして足や腕に食い込んだ巨大な何かが、恭子の着ていたスーツや穿いている黒いストッキングを引き裂いた。
「何が起って…、やだ、身体が…あそこが、熱く…」
 恭子は自らの身体に急激に起きた変化に戸惑っていた、乳首や淫核が充血して常識では考えられない程に硬く勃起し、
それらが下着に擦れる度に甘美な刺激が脳髄まで稲妻の様に駆け抜け、その都度恭子は秘所から愛液を滴らせた。
 軽い絶頂を迎える度に恭子の身体から漏れ出る精気と、太ももを伝わり流れ落ちる甘酸っぱい愛液の匂いに誘われて、
五十センチ程の無数の雀蛾が、恭子の周りを耳障りな羽音を立ててホバーリングしていた。

 恭子の背中に取り付いた巨大な雀蛾は腹部を大きく曲げ、その先端でスカートを捲くり上げ、秘所を激しく擦り始めた。
蛾の腹部の先端が恭子の陰唇を捏ね回し、クチュクチュと淫靡な音を立てて更なる快楽の領域へと誘い続けた。
「凄い!!頭の中が真っ白になって…、こんなに気持ち良いなんて…、ひゃあぁぁああぁん!!」
 雀蛾に犯されるという現実味の無い状況で、恭子はそんな事すら疑問に思う事無く、状況がまるで理解が出来ない程に、
雀蛾の齎す甘美な快楽の世界に引きずり込まれていた。


 無論、こんな大きさの雀蛾が存在する筈も、人を石に変える能力を持つ生物が地球上に存在する筈も無い。
恭子の背中に取り付いた体長三メートル程の雀蛾も周りの取り巻きの雀蛾も、その正体は淫獣だった。
 淫獣、淫は陰に通じ、陰は闇と同意、此の世ならざる闇より産み落とされ、生態、能力等は殆どが謎に包まれる。
わかっている事は、人間など精神的に進化した生物を特殊な能力で快楽に誘い精気を奪う事、
吸精した対象を石等に(結果的に)変える能力を持つ事、高い再生能力と催淫能力を持つ事位だった。
 恭子が取材していたこの街で起きている連続女性石化事件は、全てこの雀蛾の姿を模した淫獣の仕業だった。


 愛液の飛び散るプチュプチュと言う音に紛れてパキッ…、パキッと乾いた音が辺りに響いていた。
恭子の足首や太ももに吸い付いた雀蛾が、桜色に染まった恭子の肌から色を奪う様に身体を硬く冷たい石へと変えていた。
 まるで乾いた小枝を踏み折る様な音が辺りに響く度に、ゆっくりと、しかし確実に恭子の体は石に侵食されていった。
細い足首も黒いストッキングに包まれた細く美しい足も、音が響く度に灰色の石に変えられて行った。
 淫獣の妖力の為か石に変わった足に愛液が滴り落ちただけでも、敏感になった淫核を舐められる程の快楽が齎された。
その齎される快楽の為に、更に石化の進行は早まり、ベージュのスーツに包まれた恭子の括れた細い腰も、
様々な事件を白日の下に晒してきた細い指先も、乳首の尖がった豊かな胸も今は硬く冷たい灰色の石に変わっていた。

「きぃぃもちぃひぃ…、わぁた…し、なにを…、だぁめ…、なぁん…にぃぃぃも…かんぐわぇえ…」
 恭子の瞳には既に理性の欠片も見受けられず、何を追う事も無く、ただただ虚空を薄ぼんやりとみつめていた。
目の前には先に石像に変わった侑子の姿があるのだが、それすら今の恭子の瞳には映っていなかった。

 石化は恭子の首筋を侵食しはじめ、髪の毛が細い石の針に変わり、容赦無く唇も耳も全て灰色に塗り替えられて行く。
今や虚空をみつめる恭子の瞳も、眼鏡のフレームも冷たい石に変わり、やがて辺りに響く乾いた音は聞えなくなった。
 その後、雀蛾の姿を模した淫獣は恭子の背中から離れ、無数の雀蛾を連れて空中に融ける様に消え去った。
結界の消え去った空間には、物言わぬ石像に変わった侑子、恭子の他数名の女性が同じ様に石像に変えられ立ち並んでいた。

 恭子は事件の真実に辿り着く事が出来たが、それが記事になる事はこの後も永遠に無かった。
真実は闇の中、誰にも伝えられる事無く、恭子達犠牲者の硬く冷たい石に変えられた身体の中に葬られていった。


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