亮と若菜の恋の物語

作:牧師


まだ肌寒い三月。

白藤若菜(しらふじわかな)は半年の間、胸に秘めてきた想いを伝える決心をした。
相手は同級生で戦略戦術研究部の柾木亮(まさきりょう)。
亮は部活が終った所を若菜に呼び止められ、教室まで付き添っていた。
若菜は校内で有名な美人で、亮も若菜の事を知ってはいた。
百六十三センチ、腰まで伸ばした髪は、まるで漆の如く黒く、
大きな黒目がちな瞳に、整った顔立ち、少し薄めの唇、
悪友の如月の情報では、86/54/84と整ったスタイル、
細い白魚の様な指、スラリとした白磁の様な足。
夏の水泳授業中は、各クラス数名の男子生徒が病欠と称し、覗きに行ったほどだ。
夕焼けで紅く染まる教室で、二人はしばらく向き合っていた。
若菜は何度か口を開こうとしては閉じ、なかなか言葉をつむぐ事が出来なかった。
時間だけが流れ、下校時間が迫り、若菜は思い切って言葉を切り出した。
「柾木君、貴方が好きです、私と付き合って貰えませんか?」
亮は少しの間、若菜の言葉が信じられなかった。
いたって普通な自分が、若菜に告白されるとは思いもしなかった。
「白藤さん・・・。俺で良ければ喜んで・・・」
この時の若菜の笑顔を見て亮は付き合って良かったと心から思った。

季節は流れ、二人は恋人としての時間を楽しんでいた。
昼休憩は若菜が作って来た弁当を晴れた日は屋上で、雨の日は図書室で食べ、
残りの時間は会話等をして過ごした。

放課後、亮は戦略戦術研究部、若菜は中央生徒会に所属している為、
部活が終るまで玄関で待ち合わせをし、少しだけ家の近い若菜を亮は家まで送った。

毎週土曜日は街のモ−ル入り口で待ち合わせ、デートをするのが決まりだった。



十二月十六日(土)

亮はいつものように、ショッピングモール前で若菜が来るのを待っている。
待ち合わせの時間は十時、商店が開く時間に合わせていた。
目の前にある大きな時計の針は十時を五分過ぎている。
「十分遅れて来るのも恒例だからな・・・」
若菜は何故か決まって待ち合わせ場所に十分遅れて来る。

十時十分、亮に向かって駆けて来る若菜が姿を現した。
「おはよう柾木君、ごめんなさい、また遅れちゃったね」
若菜は息を切らしながらそう言うと、亮に並び歩き始めた。
「白藤さん、いつも通り喫茶店に寄って少し休む?」
半年以上付き合って、まだ苗字で呼び合う二人に、級友や先輩等はアドバイスをくれるが、
お互いに言い出しにくく、この呼び方のままだった。
「うん、いつものコースだね。いこっ」
亮と若菜は並んで歩き始める。
冬の商店街は手を繋ぐ恋人で溢れているのに、二人は腕すら組んでいなかった。

「いらっしゃい、いつもの席はあいてるよ」
喫茶店のマスターは亮と若菜を、いつもの窓際の席に案内すると、引き上げて行った。
「いつもので良いかい?今日はイチゴのショートとチーズケーキのセットになるよ」
注文を聞く前からマスターは珈琲を入れ始め、カチャカチャと音を立てていた。
「はい、それでお願いします」
数分後、二杯の珈琲とケーキのセットが二人のテーブルに運ばれてきた。
「はい、柾木君、お砂糖は一つだよね?」
若菜は亮のカップにスプーン一杯の砂糖とミルクを注ぎ、差し出した。
「白藤さん、ありがとう」
珈琲カップを受け取り、口に運んだ。
「毎度、またいつでもおいで」
亮と若菜はその後、三十分ほど会話をし、マスターの笑顔に見送られ、店を後にした。

次は若菜の行きつけの店、ブティック美樹の扉を潜った。
「若菜ちゃんいらっしゃい、今日も彼氏と一緒?仲が良いわね」
デザイナーにして店主の美樹が若菜に声を掛けた。
「美樹さん、これ新作ですか?もしかして、私に合うサイズがあります?」
目の前に飾ってあるカシュクールブラウス、アシメトリーフレアスカート、ネックレス、
黒いブーツのセットを指差し、美樹に尋ねた。
「もちろん、若菜ちゃんのサイズも用意してるわ。こういったデザイン好きでしょ?」
亮は興味無さそうに、そのやり取りと値段を見た。
『カシュクールブラウスが一万千円、アシメトリーフレアスカートが九千円・・・、
 合計六万五千七百円(税込み)?新型ゲーム機が変える値段だ!!』
上から下まで揃えて、数千円の服に身を包んでいる亮には信じられない値段だった。
「アシメトリーフレアスカートとブーツだけ・・・、ん〜、迷うな〜給料前だし・・・」
若菜もアルバイトをしていたが、今月の給料は既に他の服に化けていた。
「ごめんなさい美樹さん、今日はやめておきます。私がしてるアルバイトの給料が、
 来週には間にあいそうに無いから・・・」
若菜に店主の美樹は優しく微笑んだ。
「いいのよ、暫く取っておくから余裕がある時に考えてね」
その後、二時間ほどウインドウショッピングを楽しみ、店を後にした。

昼食を済まし、路地を抜けようとした時、二人を包む空間が揺れた。
「地震か?白藤さん」
「きゃあっ、柾木君!!」
二人はそのまま何も無い空間に引きずり込まれた。

「やっと獲物を捕まえた。精気を吸わないと消えそうで怖かったんだよ」
亮の耳に、物騒な話が聞こえてきた。
『精気を吸う?獲物?何を言ってるんだ?・・・ここは何処だ?』
目を覚ました亮が目にしたのは、辺りに何も無く、空の黒い空間。
数メートル先で、一人の少女が若菜に何か話をしていた。
少女は百四十センチ前後?若菜や亮と同じ位の年齢に見えた。
ただ、少し細い身体つきと、まるで吸い込まれそうな瞳が気にはなった。
亮にとって若菜の無事が確認された事が、精神的には大きかった。
「白藤さん、良かった無事だったんだ。今、そっちに行くよ」
亮が若菜に向かい歩くと、一メート程の位置で見えない何かにぶつかった。
「何だこれ?」
見えない何かに手を触れた亮に、少女が笑いながら話しかけた。
「それは私の魔力を込めた障壁だよ、貴方は其処で私の食事でも見てて」
『魔力?障壁?食事?一体何を・・・』
いやな予感がした。
目の前の少女が若菜に何かしようとしてる事だけは感じる事が出来た。
「おい!!白藤さんに何をする気だ!!この壁を・・・」
亮は目の前の空間との距離を考え拳を構えた。
そして勢いをつけ、魔法障壁に拳を叩き込んだ。
「どけろ!!」
亮が拳を魔法障壁を叩きつけると、バキッと鈍い音が響いた。
「柾木君!!無茶はやめてっ」
『なんて事無い手触りなのに、信じられない硬さだ・・・、骨に少しヒビが入ったか』
拳を押さえる亮をクスクスと笑いながら、少女は若菜に手の平を向けた。
「私の名前はクレハ、これでも魔族なんだよ。人間に魔族の障壁が破れる訳ないよ」
クレハが若菜に向けた手の平が薄っすらと光る。
「私が生きる為に精気を貰うね。まずは貴方からだよ・・・」
クレハがそう言うと、若菜の体が薄っすらと光を放ち始めた。
「あ・・体に力が・・・入らない・・・」
若菜は例え様の無い脱力感に襲われ、抵抗すら出来ない状態だった。

最初にその異変に気が付いたのは、精気を吸われている若菜では無く、亮だった。
『若菜の体が足元から透き通って行く!!何が起きてるんだ!!』
若菜の履いている白い靴がゆっくりと透き通り、それはさらに若菜の足首も侵食し始めた。
「魔族に精気を吸われると、吸われた人は体が石や宝石に変わるんだよ」
クレハは満足そうな表情で、若菜の精気を吸い、亮に話しかけてきた。
「魂までは奪えないから、死にはしないよ、ただ石の体で永遠に生き続けるの」
話をしている間にも、若菜の体は着ている服と共にゆっくりと透き通る。
「クレハの力だと、この世界でダイヤモンドって呼ばれる宝石に変わるの、綺麗だよね」
亮の目の前でふくらはぎを超え、スカートの裾までダイヤ化し、透き通り始めた。
「ふざけるな!!今この障壁を抜けてそっちに行く」
亮はクレハと若菜の周りを探る。
そして、障壁が半径一メートル程の円柱である事を突き止めた。
「抜け道は無しか、だったら打ち砕いてやる、うぉおおおおっ!!」
亮は何度も何度も右の拳を障壁に叩きつける。
透明な障壁に徐々に、赤い血で出来た斑模様が数を増していく。
「柾木君!!もう良いから、やめてっ!!」
鮮血で真っ赤に染まる亮の右の拳を見て、若菜は力を振り絞って叫ぶ。
それでも亮は折れた拳で障壁を叩き続けた。
「白藤さん必ず助ける!!この壁!!いい加減壊れろよ!!」
叩きつける度に右手の拳は皮が捲れ、流れる血の量が増していった。
「ちくしょう何か手は無いのか・・・、そうだ!!」
〈パンチ力を上げたければ、ハンカチ一枚、硬貨数枚でも良い、握りこむ事だ〉
以前、戦略戦術研究部で、部長の真島に教えてもらった事を思い出した。
「何か無いか・・・、硬貨か・・・これで良い」
数枚の硬貨を無事な左手に握りこみ、血の跡のついた障壁に狙いを定めた。
「ああああああっ、これでどうだ!!」
バキッと再び鈍い音が響く。
「柾木君、もうやめて。亮君!!お願い!!」
再び左の拳を握る亮に、搾り出すように語り掛けた。
この時初めて名前で呼ばれ、亮は一瞬、動きを止めた。
目の前の若菜は、ダイヤモンドに変わり完全に透き通った自らの下半身の心配より、
右の拳から血を流す亮の事を気にかけていた。
「クスハさん、私はダイヤにされても構わない、お願い亮君を助けて、彼の傷を治して・・・」
そして魔族のクスハに亮の助命まで願っていた。
「白藤さん!!何を言って・・・、若菜!!俺が必ず助ける!!だからそんな言葉は・・・」
再び左の拳を障壁に叩きつけた。
「やめてくれ!!」
バキッと鈍い音、そして飛び散る鮮血。
「嬉しい、亮君が初めて名前で呼んでくれた・・・。亮君、もうやめて・・・、お願い」
亮が若菜に視線を向けた、胸元まで完全にダイヤモンドに変わって透き通り、
残された部分は両手の肘から上、長い黒髪の半分程だけだった。
「若菜・・・」
障壁に鮮血で出来た真っ赤な手の平の跡が付く、右手からおびただしい血が流れている。
さらに若菜のダイヤモンド化は進み、首筋まで透き通る。
「亮君、さようなら、手・・・痛かったよね?ごめんね・・・」
若菜は亮に向かって微笑み、最後の言葉を掛けた。
「一度くらい・・・、亮君と・・・、キス・・・、したかった・・・な・・・」
そしてクレハに精気を吸われ、顔からも色を失わせ、若菜は透明なダイヤに変化していく。
「ちくしょう、俺の手なんかどうでも良いんだ、何でここまで無力なんだよ!!」
亮のみつめる中、若菜の瞳から色が消え、完全に透き通り全身をダイヤの宝石像に変えた。
何処からか、光がさしているのか、キラキラと光輝いていた。
「わか・・・な・・・。うがあああああっ」
張り詰めた緊張感が途切れ、とたんに凄まじい痛みが両拳から襲い掛かる。
「ああ・・・」
亮は襲い来る痛みで気を失い、その場に倒れこんだ。
「約束はしてないけど、貴方は助けてあげるね。傷も治しておくね・・・」
クレハは亮の傷を治し、そして一言呟いた。
「聞こえるか分からないけど教えてあげる、
 悲しむ事は無いですよ、直ぐに貴方の中にあるこの人の記憶は消えますから」



十二月十七日(日)

午前十時、自宅のベットの上で亮は目を覚ました。
「ここは・・・俺の部屋か、アレは夢だったのか?」
昨日起こった事が夢だと思いたかった。
手に何かの感触、亮はそれが何か確かめるため手の平を開いた。
「これは・・・」
掌中の物は、固まった血で黒ずんだ数枚の硬貨。
「ちくしょうっ!!夢じゃない。これがその証拠だ」
再び硬貨を握った亮の手には、傷一つ無かった。
〈お願い、彼の傷を治して・・・〉
魔族に頼んだ若菜が発した、あの時の言葉が頭に響いた。
「魔族・・・、魔族って何だ?何であんなのが居るんだ!!」
亮はふと机の上に視線を向けた。
そこには一年ほど前に購入したパソコンが鎮座していた。
〈戦略とは、まず相手を知る事からはじまる、相手の事がわからなければ何も出来まい?〉
亮は何故か戦略戦術研究部の部長、真島の言葉を思い出した。
「パソコン・・・、そうだネットに情報があれば・・・」
亮は祈るような気持ちで、パソコンの電源を入れる。
いつもの立ち上げ画面が、この時だけはやけに遅く感じた。

「よし、繋がった。検索項目は・・・【魔族】」
項目【魔族】のHIT数は百万以上、とても探しきれる物ではなかった。
「【ゲーム】、【小説】、【映画】、【漫画】以上を検索から排除・・・」
亮は今の自分に関係の無い項目を、次々に指定して外していく。
数十分後、ようやく幾つかの興味を引くサイトが見つかった。

1、【魔族】被害相談・報告・情報【地区】XXX〜XXX・・・。

2、【魔族】被害相談・報告・情報【地区】YYY〜YYY・・・。

3、【魔族】被害相談・報告・情報【地区】ZZZ〜ZZZ・・・。

4、【魔族】とは・・・、その能力と行動原理。

5、【魔族】に関する書籍、現実。

「魔族の被害相談・報告?こんなサイトがあったのか?」
今まで興味が無かったが、無数の被害が出ているのかもしれない、亮はそう思った。
そして該当地区を選ぶと、其のサイトを表示させた。



【魔族】被害相談・報告・情報【地区】XXX〜XXX該当地区外は別サイト

548:名無し:20XX/11/10 19:21 IDXXXX
助けて下さい、友達がさらわれました。
場所はXXX

549:管理人:20XX/11/10 20:01 IDXXXX
>>548
どんな魔族かわからないと、対処は無理と思われます。
詳細を希望します。

550:名無し:20XX/11/11 17:47 IDXXXX
昨日からお姉ちゃんが帰って来ないの。
おうちの場所はXXX

551:管理人:20XX/11/11 22:59 IDXXXX
>>548、550
同じ魔族と思われます。
探索者さん、情報収集お願いします。

552:名無し:20XX/11/13 18:23 IDXXXX
>>548
履歴を見たらこんなサイトに来てた事になってた。
一体どうして?どうやって誰が私のPCで書き込みを・・・。
さらわれた友達って誰?

553:討伐人:20XX/11/15 19:35 IDXXXX
>>548〜552
魔族の処置完了。
じきに記憶も戻る。

554:管理人:20XX/11/15 20:21 IDXXXX
>>553
処置お疲れ。

555:名無し:20XX/11/16 02:15 IDXXXX
>>548〜554
自作自演?
魔族なんてホントに居るの?
ゲームのし過ぎや漫画の見すぎじゃね?

556:管理人:20XX/11/16 04:53 IDXXXX
>>555
魔族の被害に遭わないなら、その方が幸せです。
ここは被害に遭った方の最後の拠所。
関係無いなら関わらない事をお勧めします。

557:探索者:20XX/11/18 18:21 IDXXXX
新聞の尋ね人に四人も一度に載ってました。
魔族の仕業と思われます。
該当地区の方は注意されたし。
地区はXXX

558:管理人:20XX/11/18 19:47 IDXXXX
>>557
新聞確認しました。
魔族の可能性が高いと思います。
該当地区の情報収集に入ります。

559:探索者:20XX/11/20 01:21 IDXXXX
>>557
この一件は上級魔族の可能性が濃厚です。
処理が出来る方に連絡お願いします。

560:名無し:20XX/11/20 16:36 IDXXXX
このサイトで救助依頼って有料ですか?
後で高額な報酬の請求とかされませんよね?

561:管理人:20XX/11/20 19:50 IDXXXX
>>560
救助も情報収集も無料で行っています。
報酬を請求されても支払わないで下さい。
過去にも同様の事件がありました。

562:討伐人:20XX/11/24 01:20 IDXXXX
>>557
ようやく処置完了。
上級魔族はキツイです。
私達の討伐メンバーはあの方々じゃないんですから。

563:管理人:20XX/11/24 02:25 IDXXXX
>>562
毎度の処置お疲れ様。
お礼に今度何か送りますよ。

564:美百合:20XX/11/28 19:31 IDXXXX
侑子が目の前で石に変えられて連れ去られてしまいました。
私は見逃して貰えたけど、一体どうしてこんな事に。
地区はXXX
誰か侑子を助けて下さい。

565:探索者:20XX/11/28 21:39 IDXXXX
>>564
現在調査中。
余り人に話さない事をお勧めします。

566:美百合:20XX/11/30 19:21 IDXXXX
>>564
私の名前で書き込みがしてある。
侑子って誰?
なんだかこわいです。

567:探索者:20XX/11/30 22:54 IDXXXX
また記憶操作か。
魔族も毎回よくやる。
近日中には魔族のランクやひずみの入り口を特定予定。

568:美百合:20XX/12/02 19:41 IDXXXX
無事に侑子が帰ってきました。
親友の侑子の事を忘れてたなんて。
助けてくれた方、本当にありがとうございます。

569:管理人:20XX/12/02 21:19 IDXXXX
>>568
こういった言葉が一番の報酬です。

570:討伐人:20XX/12/02 22:36 IDXXXX
>>569
同感ですね、記憶も戻ってよかったです。
お友達と末永く仲良くして下さいね。

571:管理人:20XX/12/09 22:36 IDXXXX
ここ数日報告、尋ね人無し、一時収まったかな?


572:探索者:20XX/12/10 14:28 IDXXXX
物や下級は潜伏期間が長いから注意だけはしておこう。


573:管理人:20XX/12/11 22:36 IDXXXX
物型は無数に存在する為、活動始めたものから処理しましょう。
反応した物型を全部退治してたら、きりが無いです。

574:探索者:20XX/12/11 23:11 IDXXXX
今年度中、本格的な行動は無い可能性大。
ただ、記憶操作で、なかった事にされてる可能性もあり。
定期的な情報の収集は続けるべき。

575:管理人:20XX/12/11 23:57 IDXXXX
>>574
了解しました。
報告があった時に、対応が出来るようにしておきましょう。


「うちの近所じゃないか。今までこんな事件、気にもしてなかった・・・」
亮は過去に近所で起きていた、魔族による被害の多さに愕然とした。
自分の身に起きていなければ、一生気が付かなかったかもしれない事実だった。
「ここに書き込んでおけば若菜は助かるのか?」
亮は一番下の投稿欄に名前を入力しはじめた。
〈私は石にされても構わない、お願い亮君を助けて〉
若菜の言葉が頭に響く。
「助けて下さい、彼女がさらわれ・・・」
〈嬉しい、亮君が初めて名前で呼んでくれた・・・〉
透き通ったダイヤに変わり行くのに、満面の微笑みの若菜・・・。
「該当地区は・・・」
〈亮君、さようなら、手・・・痛かったよね?ごめんね・・・〉
最後まで微笑み、瞳から光が消え、完全にダイヤの宝石像になった瞬間が脳裏に浮かぶ。
亮はバンと音を立て、消去ボタンを押し、入力していた文字を全消去した。
「俺は何をしている?若菜の願いで魔族に見逃して貰い、今度は誰かに救助を丸投げか?」
誰かに頼ろうとした自らの行動が情けなかった。
〈悲しむ事は無いですよ、直ぐに貴方の中にあるこの人の記憶は消えますから〉
魔族の言葉を思い出す。
「記憶が消える?このサイトにも、それらしい事が書いてあったが・・・これか?
 564と566が同一人物で自作自演でなければ、記憶が消えるのは明日か・・・」
亮は若菜の事を思い出す。
「若菜は中央生徒会に所属、教室の席は左斜め後ろ、服を買って着るのが好き・・・」
色々と若菜の好みなどを思い出そうとしていた。
「好きな食べ物は?趣味は?読んでいる本は?」
其処で亮は自分が若菜の事を、あまりよくは知らないことに初めて気が付いた。
「情けない、俺は半年以上付き合って、若菜の好きな食べ物一つ知らなかった・・・」
暫く考えた亮は、財布を握り、ある店に足を運んだ。

「いらっしゃいませ、あら?今日は若菜ちゃんと一緒じゃないの?」
亮は早足でブティック美樹の扉を潜り、昨日見た服の前に立った。
「すいません、これ若菜のサイズがあるんですよね?」
亮は目の前に飾ってあるカシュクールブラウス、アシメトリーフレアスカート、ネックレス、
黒いブーツのセットを指差し、店主の美樹に尋ねた。
「え?ええ、若菜ちゃんのサイズで間違いわ。もしかしてクリスマスプレゼント?」
来週はクリスマス、亮はそんな事も忘れていた。
〈私がしてるアルバイトの給料が、来週には間にあいそうに無いから・・・〉
若菜の言葉が再び頭によぎる。
「はい、それを包装して貰えますか?」
合計六万五千七百円(税込み)、亮は財布を取り出すと七枚の一万円札を差し出した。
「ずいぶん張り込んだクリスマスプレゼントね。若菜ちゃん喜ぶわよ」
新型ゲーム機を買う為に貯めていたのだが、今はそんな物どうでも良かった。
「今までも罪滅ぼしと・・・、感謝の気持ちですよ」
クリスマス用に包装された、服を抱え、亮は家路を急いだ。

「これを手渡す為にも、若菜を来週までに必ず助ける!!」
亮は自室で自らに、若菜の救出を誓った。



十二月十八日(月)

亮はいつもどおり朝四時に目を覚ます。
アルバイトの牛乳と新聞の配達を終らせた後、弁当を作り、朝食を済ませた。

「弁当か・・・。作ったのも半年振りだな」
付き合い始めて一ヶ月ほどした頃、若菜は亮の弁当も作ってくれはじめたので、
自分で弁当を作るのは久しぶりだった。

学校に向かう途中、いつもの待ち合わせ場所で来る筈の無い若菜を暫く待った。
「待つのはもう限界だな、仕方ない行こう・・・」
亮はいつもより十分以上遅れて教室に入る、教室からはいつもと違って話し声、
いつも教室の入るとガラガラなのに、今日は殆どの級友が揃っていた。
「おお、柾木。珍しいな寝坊か?寒いからな〜」
亮は級友に挨拶をし、自分の席に腰を掛けた。
左斜め後ろの席に視線を向けるが、当然そこに若菜の姿は無い。
『若菜・・・、必ず助けてみせる』
担任の高岡が入ってきて、出席を取り始めた。
「朝倉・井上・江藤・・・、佐藤、須加・・・」
担任の高岡が若菜の名を飛ばす、クラスの級友も誰一人気にもしていない様だ。
『記憶操作がもう始まっているのか!!俺は忘れたりはしない!!』
若菜を忘れた級友の姿を見て、一層強く誓った。

午前中の授業を終え、亮は屋上で一人、弁当の包みを開けた。
寒空の屋上で食事をする生徒の姿は、他には見当たらなかった。
「冬場は食材が痛み難いから楽なんだが・・・」
唐揚げ、卵焼き、金平ゴボウ、ホウレン草の胡麻和え、プチトマト・・・。
彩と味を考慮してよく作ってあった。
〈どう?この味きつすぎたかな?〉
〈ん〜、おいしいって言ってくれるのは嬉しいけど、柾木君の好みが知りたいな〜〉
自分で作った弁当を食べながら、若菜との会話を思い出す。
若菜が亮の好みを聞こうとしていた事の意味を、この時感じた。
「好きだから相手の事が知りたくなる。なのに俺は曖昧な返事ばかりしていた・・・」
若菜が聞きたかったのは亮の味の好みや、味付けの濃淡。
其の全てを亮の舌に合う様にしたいと思っていた事。
「今度話す時は真剣に答えるよ、こういった味付けが好きだって・・・」
冬の澄んだ空に向かい、亮は呟いた。

放課後、戦略戦術研究部に顔を出し、部長の真島の話を聞いていた。
「戦いは始める前に勝っているのが最良の手段だ、それが戦略だが何も戦いだけでは無い
 テスト範囲が発表されてから勉強するより、発表される前から全範囲を覚えておく、
 この方が確実に良い点数を取れるのと同じ事だ」
真島の講義は続く、亮は下校時間が来るまで部活に身を投じていた。

家に着き、夕飯と入浴を済まし、ベットに横になった。
「残りの時間は後五日、今日は殆ど何も出来なかった・・・」
昼休憩や放課後の部活前に、図書室や学習室のパソコンで情報を集めたが、
決定的な物は見つけることが出来なかった。
「まず、あの場所に行く方法から見つけないと・・・」
今、亮が探していたのは、ひずみに入る方法だった。
「またネットで検索するか・・・」
その夜、亮はパソコン画面に向かい、イスの上でいつの間にか眠りについていた。



十二月十九日(火)

亮はいつもどおり朝四時に目を覚ます。
アルバイトの牛乳と新聞の配達を終らせた後、弁当を作り、朝食を済ませた。

「どうして俺はイスに座って寝ていたんだろう?」
少しの疑問、そして記憶のフラッシュバック。
〈亮君、さようなら〉
目の前でダイヤモンド像に変えられた女性のイメージ。
〈嬉しい、亮君が初めて名前で呼んでくれた・・・〉
微笑む若菜の姿、そして声が頭に浮かんだ。
「何故忘れてる!!若菜の為にネットで調べ物をしていたはずだろう!!」
記憶が消えかけた事実に、亮は困惑し、自らに激しい怒りを覚えた。
「忘れるな!!決して忘れて良い事じゃない!!」

亮はこの日、学校に行くのを止め、再びネットで情報収集をした。
万が一、若菜の事を忘れてしまわぬように、一刻でも早く手がかりを見つける為に。



十二月二十日(水)

亮はいつもどおり朝四時に目を覚ます。
アルバイトの牛乳と新聞の配達を終らせた後、弁当を作り、朝食を済ませた。

「忘れて無い、俺は若菜の事を憶えている」
級友はおろか若菜の両親さえも記憶を消された中、亮は若菜の記憶を残していた。
その事を忘れぬよう、自らに言い聞かせながら午前中を過ごした。

昼休憩、いつも通り屋上で一人食事を取っていた。
キィー、と扉の開く音が聞こえ、一人の人物が姿を現した。
「柾木、此処にいたのか、昨日風邪で休んでいたんだろう?此処の風は体に毒だぞ」
戦略戦術研究部の部長の真島が、様子のおかしい亮を心配し、屋上に足を運んできたのだ。
「ええ、まあ此処で食べないといけない理由がありまして・・・」
亮はダイヤの宝石像に変えられた若菜の顔を思い浮かべ、真島に呟いた。
「そうか、無理はするなよ。それと、白藤はどうした?
 最近、中央生徒会にもいないと思えば、ここ数日休んでるようだが・・・」
亮は驚愕した、自分の他に若菜の事を憶えている人がいた事に。
「真島先輩・・・、どうして若菜の事を・・・」
憶えてるんですか?と言葉を続けたかった。
だが何故か亮はそれ以上言葉を続けなかった。
「どうしてって・・・、柾木、まさかそういう事か?・・・なるほど理解した」
真島も自己解決したらしく、真剣な表情で亮に向きなおし、一枚のカードを差し出した。
「俺の携帯のメアドと番号が書いてある。困った事があれば連絡しろ、力を貸す」
そう言い残し、再び扉を潜り、真島は去っていった。
「ありがとうございます真島先輩。でもこれは俺の問題なんです」
真島から貰ったカードを無造作にポケットに仕舞い込むと、弁当を片付け屋上を後にした。

午後の授業は殆ど頭に入る事は無かった。

放課後、図書室で一冊の書籍が目に入った。

【魔族】に対する勢力と希望。
「何だこの本?一昨日までは無かったはずだ・・・」
不審に思いはしたが、今の亮に他に頼る物は無く、祈る様な思いで本を手にした。

【魔族】

人、もしくは物の形で現われ、人の精気を抜き、犠牲者の体を鉱石や金属に変える。
強さ、性格も様々だが共通する点も多い。

1、どんな魔族も必ず【約束】を守る。一度交わした約束は違えない。

2、殆どの【魔族】が【ひずみ】と呼ばれる空間を持つ。
  強い魔族ほどひずみ内に家、城、時には荘園つきの領地を持ち、
  逆に弱い魔族は、何も無いか、花や僅かな植物だけである事。

3、その力を失うと、灰の様になり、崩れるように消える点。

・・・・・・。

他にもいろんな事が載っていた。

【魔法少女】や【魔法剣士】が居る点などは、眉唾物だったが、先日のサイトを思い出し、
そうした勢力があるだろう事は理解した。

「もし俺が倒れても、誰かが若菜だけでも助けてくれれば良い」
チャリッと音を鳴らし、手の平に乗せた赤黒く染まった数枚の硬貨をみつめ、亮は呟いた。



ひずみ内部。

「ああああっ、いやあっ」
一人の少女がクレハに精気を吸われ、ダイヤの宝石像に変えられようとしていた。
「おかしいな?あの若菜って子から精気を吸った時みたいに力が漲らない・・・」
少女は恐怖の表情で髪を振り乱し、空中にダイヤの髪を靡かせたまま、宝石像に変わった。
「それに、あの時の事を考えると熱くなるこの感じ・・・、わかんないや・・・」
若菜の宝石像の他に、数人の少女がダイヤモンドにその姿を変え、立ち並んでいた。
その表情は凍り付いた様な恐怖の表情ばかりだった。
「そのうち分かるかな・・・」
クレハはそう呟くと、まるで人のように眠りに就いた。



十二月二十一日(木)

亮はいつもどおり朝四時に目を覚ます。
アルバイトの牛乳と新聞の配達を終らせた後、弁当を作り、朝食を済ませた。

学校に向かう途中、若菜との待ち合わせ場所で何かが引っかかったが、
亮はそのまま教室に向かった。

何か引っかかる物を感じながら、午前中の授業を終え、昼食の為、屋上に上がる。
「うう・・・寒いな、どうして俺は此処で弁当を食べてるんだ?」
何故か分からない苛立ちに、箸を握り折ってしまった。
折れた箸が地面を転がる。
そしてそれを拾い上げる人物がいた。
「物に当たるな、常に冷静でいろと部活で教えてきただろう?」
現われたのは戦略戦術研究部の部長の真島だった。
「真島先輩。すいません、何か忘れてるみたいで、それが何か分からなく苛ついてました」
その言葉を聞き、真島は少し表情を暗くし、語りかけてきた。
「明後日、二十三日は土曜だが暇か?」
急に聞かれ、亮は考えた、確か予定は入ってなかった筈だ。
「大丈夫です、何か用ですか?」
その言葉を聞き、真島はさらに表情を暗くした、ギチッと音が聞えそうな程、
拳を強く握り締めている。
「そうか、では午前十時にモール入り口前で待っていてくれ、大きな時計のある場所だ」
場所は何故か直ぐに頭に浮かび、亮は直ぐに了解した。
「わかりました、午前十時にモール入り口前ですね」
それだけ告げると真島は背を向けた。
「ああ、そうそう、十分遅れて俺が姿を現さなければ携帯に連絡してくれ」
そう言い残し、真島は扉の向うに姿を消した。
「俺、番号を教えて貰って無いですよ?」
手渡されたカードの事も忘れていた亮はそう呟いた。



十二月二十二日(金)

亮はいつもどおり朝四時に目を覚ます。
アルバイトの牛乳と新聞の配達を終らせた後、朝食を済ませた。

教室に入り、自分の席にカバンを置く。
左斜め後ろの席が空いている事も、この時はまったく気にならなかった。
「柾木、どうした元気がないな?」
「そうそう、元気の無い顔はお前に似合わないぜ」
「まったくだ、今日は終業式だけだぜ。式が終ったら昼までかけて校内の大掃除、
 明日から念願の冬休みだ!!」
級友が楽しく話しかけてくる。
いつもの風景のはずが、何故か寂しさを感じた。
その寂しさの理由を求める様に、教室を見渡す。
そして、左斜め後ろの主の居ない席に視線が止まった。
『なんだ?この感じ、胸を刺す様な、苛苛する様な感覚・・・』
亮はそれを振り払う様に頭を揺らし、級友に語りかけた。
「ああ、そうだな、明日から冬休みだ!!」
その初日が真島との待ち合わせである事に少し違和感を感じながら、その日を終えた。



十二月二十三日(土)

亮はショッピングモール前で真島が来るのを待っている。
目の前にある大きな時計の針は十時を五分過ぎている。
「まったく、十分遅れたらって・・・」
誰かみたいだと一瞬、亮は思った。
『誰みたいだ?誰の事みたいだと俺は思った?』
抜け落ちた記憶の欠片が蘇る。
ノイズの向うに現れたのは、駆けて来る女性の笑顔。
『今の・・・、何だ?』
再びノイズが走る、柾木君と呼ぶ誰かの声が頭に浮かぶ。
「ちくしょう!!何なんだ?」
亮は大きな時計に視線を走らせた、時計の針は十時十分をさしている。
「十分過ぎたけど、連絡先なんて聞いてないしな・・・、寒いな自販機で珈琲でも・・・」
その時、亮の脳裏にまた女性の笑顔が浮かぶ。
「まったくなんなんだこれ?寒いからホット珈琲が良いよな」
ポケットを探ると、何かが手に触れた。
血で赤黒くなった数枚の硬貨、そして真島から貰ったカード。
「何だこれ?俺は珈琲を買おうと・・・、珈琲?」
〈はい、柾木君、お砂糖は一つだよね?〉
若菜との確かな記憶。
〈お願い、彼の傷を治して・・・〉
透き通っていく若菜の体。
〈嬉しい、亮君が初めて名前で呼んでくれた・・・。亮君、もうやめて・・・、お願い〉
満面の笑みを浮かべる若菜。
〈亮君、さようなら、手・・・痛かったよね?ごめんね・・・〉
透き通り消える瞳の色、蘇る記憶、そして湧き上がる忘れさせられていた若菜への想い。
「そうだ!!俺は何て事を忘れていたんだ!!」
胃が焼け付くほど自らに向けた怒り、後悔の念、そして。
「行かなくちゃいけない」

亮は走った。

目指す場所は若菜と共にひずみに飲み込まれたあの路地。

亮は息をする事を忘れそうな程、全力で駆けた。

「はぁ、はぁ、間違い無い此処だ・・・」
両膝に手を置き、呼吸を整えた。
その時、ある物が亮の眼に飛び込んできた。
「これは・・・、若菜のハンカチ」
見覚えがあった、先週から晴天が続いた為、殆ど汚れていない事が幸いした。
「若菜・・・、今助ける」
亮は落ちていた若菜のハンカチを拾い上げ、ズボンの左のポケットに突っ込んだ。
そして意を決し、ひずみに飛び込んだ。

以前と同じ辺りに何も無く、空の黒い空間。
いや、よく見れば十体程のダイヤの宝石像に変えられた少女が見えた。
『あの中の一つが若菜だな、あの魔族!!他にもあんなに襲ったのか』
亮は辺りを見渡した、ダイヤの宝石像の他には、何も見当たらなかった様に見えた。
「ひいいっ、ダイヤになんかならなくていいっ、助けて下さい!!いやあああああっ」
女性の悲鳴が聞えた、まるで断末魔を聞いている気になった。
「あそこか・・・」
亮は悲鳴の聞えた場所に向かって歩き始めた。

「まただ・・・、あまり力に為らない。こんなに人を襲ったのに・・・」
目の前の少女も恐怖で凍り付いた様な表情で、ダイヤモンドの宝石像に変わった。
「快楽を与える催淫の術なんて使えないし・・・、私そのうち消えて行くのかな?」
魔族のクレハは、そのうち訪れるであろう、力不足による自らの消滅に怯えていた。

「またあったな、俺の事は憶えているか?」
亮はクレハに声をかけた、ようやくこの時クレハはひずみに侵入者がいた事に気が付いた。
「貴方は・・・確か、あの子の・・・」
若菜の宝石像に視線を走らせ、再び亮に視線を向けた。
「彼女の事を憶えてるの?あれから数日経っているのに?」
クレハには信じられなかった。
魔族の記憶操作を跳ね除け、記憶を取り戻す人間がいるとは・・・。
「まさか・・・、貴方魔法剣士?私を退治しに来たのね?」
クレハに思い当たる事はそれだった、指輪を持たないが、強力な神界の力を振るう戦士、
魔法剣士は自分を一瞬で消し去るだけの、十分な力がある事も承知していた。
「魔法剣士?そんな奴は知らない、それより俺からあんたに言いたい事が二つある」
そこで亮は呼吸を整え、宝石像に姿を変えている若菜を見た。
「一つ目は礼だ。あんたに襲われなければ若菜が好きな事、お互いに理解する事の大切さ
 今まで若菜が問い掛けてくれてた事に気が付かなかった・・・」
その点は心から感謝しても良い位だった。
「そして二つ目、この前の魔法障壁?だったかな?あれを打ち破ってあんたに触れたら
 勝負は俺の勝ち、その時点で若菜や他の少女達を元に戻す事。以上だ」
クレハは困惑した、この手の提案は魔法剣士がよく持ちかけて来る事だと聞いていた。
もし目の前の少年が魔法剣士なら断った瞬間、一撃の下に消滅させられる事も・・・。
「わかったわ、その代わり勝負に勝っても私は助けてよね」
クレハは魔法障壁を展開させ、自らの身を守った。

「ああああああああああああああっ!!」
亮は今回も右の拳で障壁を叩き続けた、掌中には血で赤黒くなった硬貨が握られていた。
「砕けろ!!砕けてくれ!!おあああああああっ」
今回も透明な障壁に赤い血で出来た斑模様が現われる。
それでも亮は折れた拳で、幾度と無く障壁を叩き続けた。
『どうして?この人、魔法剣士じゃないの?どうして他人の為にここまで出来るの?』
「ちくしょう・・・、俺の力はこんな物なのかよ?」
僅かな時間、亮は拳を止めた、呼吸を整える為、そして左手に切り替える為・・・。
「どうして・・・、そこまで出来るんですか?他人の事じゃないですか」
クレハは心の奥にくすんでいた事を亮に問い掛けた。
「他人の事?ふっ・・・」
クレハの質問を亮は鼻で笑った。
「ああ、あんた達魔族とやらには他人事だろうな」
亮は左手を無意識にズボンのポケットに突っ込んだ。
そしてある物に気が着いた。
それは真島から渡されたカード、それに若菜のハンカチ。
「よく覚えておけ。掛替えの無い人を奪われて、それを取り戻さない人間は居ないって事を!!」
真島に渡されたカードを胸のポケットに仕舞い、若菜のハンカチを握り締める。
〈パンチ力を上げたければ、ハンカチ一枚、硬貨数枚でも良い、握りこむ事だ〉
あの時と同じ様に、部長の真島に教えてもらった事を思い出した。
『ハンカチでも良いんですよね?真島先輩・・・』
「俺のできる限りの一撃!!砕けろっ!!あああああああああああああああっ」
雄叫びを上げ、左足を踏み込み、全体重をかけて、魔法障壁に左の拳を叩き込んだ。
バキッと鈍い音、そして拳に走る激痛。
「くっ・・・、ま・・・まだだっ!!もう一撃!!」
骨が折れ、皮が裂けた右の拳を叩きつけ、その血の跡にさらに左の拳を叩き込む。
バキッと再び鈍い音が響く。
「ちくしょう・・・。何だ?この音?」
最初の鈍い音の後に、バキッ、パキパキ・・・と甲高い音が響き渡る。
「これって・・・、そんな。だって彼、普通の人間で・・・」
そこまで呟いた時、魔法障壁が軋んだ悲鳴をあげ、パキーーーーンと粉々に砕け散った。
クレハの魔力の殆どがこの時点で消えた。
「後はあんたに触れるだけだな。覚悟しろ・・・」
亮は左の拳を握ると、もう一撃位は殴れる事を確認した。
「ダイヤの宝石像にされた若菜の無念、俺の怒り、まとめてお見舞いする、受け取れ!!」
クレハに向け、拳を振りかざした時、亮の頭に声が響く。
〈やめて!!〉
それは聞き覚えのある声、忘れ様の無い声、そして聞きたかった声だった・・・。
「若菜?何故?」
亮の視線の先には、微笑んだ顔でダイヤの宝石像に変わった若菜の姿があった。
〈もういいでしょ?亮君は勝ったんだよ?〉
「そう・・・だな。約束もした・・・」
折れた右手を開き、クレハの右手を握る。
「約束だ、若葉と少女達を元に戻せよ・・・。ぐっ・・・ああああっ」
亮は刹那の時間を空け、襲い来る激痛に顔を歪ませ、そしてそのまま気を失った。
「こんなに血が・・・、この前より酷い傷!!でも・・・」
クレハは泣いていた。
蓄えた魔力は障壁が砕けた時に失われ、若菜達を元に戻すとひずみすら維持が出来ない。
そうすると、亮の傷はこのままで、通常空間に放り出す事になる。
「いやだ・・・、この人が死んでしまうっ、誰か助けて!!」
クレハは亮に縋り付き、助けを求めた。

「助けを求めた声が聞こえたと思えば柾木では無く、魔族とはな・・・」
声はクレハの後ろから聞こえた。
そこには戦略戦術研究部の部長の真島が立っていた。
「約束の十時から三十分遅れたな、待っていろ柾木、今魔族を・・・」
その時、真島が目にしたのは、吸い込まれそうな瞳から涙を溢れさせ、
流血した柾木の右手を握り、助けを求めるクレハの姿だった。
『魔族?涙を流し、柾木を助けたいと訴えるこの子が?』
「貴方・・・誰?ううん、今は誰でも良いの、この人を助けて!!このままだと危険なの!!」
真島は柾木がダイヤモンドの宝石像にされていない事と、両手に傷を負っている事を確認した。
「確かに酷いな、骨が折れ、血管を傷つけたんだろう。この傷はお前がつけたのか?」
他に魔族の気配が無い事から、確認の為に真島はクレハに問い掛けた。
「ゴメンナサイ、この人に酷い事をしたのは確かです・・・」
クレハは手短に、自分がした事、亮と交わした約束、今の気持ちを、真島に伝えた。
「そうか・・・、柾木が此処までするとはな・・・。それに、過ちに気が付き、後悔する魔族か・・・」
真島はクレハに事情を聞き、一つの決断を下した。
「これを使え、十分な力を得る事が出来る」
それは光り輝く力の詰まった宝珠だった。
真島はクレハに宝珠を手渡すと、亮の胸のポケットからカードを取り出し、カードをクレハに差し出した。
「柾木にはもう必要ないだろう。困った事があればカードに助けを求めろ、力になる」
そう言い残し、真島はひずみを後にした。
「今の人が魔法剣士だったんだ・・・、どうして見逃してくれたんだろう?いけない!!」
クレハは急いで宝珠の力を取り込み、その力で亮の傷を塞ぎ、消していた記憶を戻し、
若菜達を元に戻し、ひずみの外に帰した。



十二月二十四日(日)

午前十時、自宅のベットの上で亮は目を覚ました。
「ここは・・・俺の部屋か、アレは夢だったのか?」
昨日起こった事が夢かとも思った。
手に何かの感触、亮はそれが何か確かめるため手の平を開いた。
「これは・・・」
掌中の物は、少し血で汚してしまった若菜のハンカチ、固まった血で黒ずんだ数枚の硬貨。
「夢じゃない、俺は若菜を助けたんだ・・・」
亮は心から安堵した。
手の傷も直してくれたらしく、傷一つ無い。
そして机の上の箱に気がついた。
「そうだ、若菜にこれを渡さないと・・・」
その時、玄関のチャイムが鳴る。
「誰だ?はーい、今出ます」
急いで玄関を開けると、そこには若菜が立っていた。
「こんにちは、まさ・・・、亮君」
この一週間の出来事が夢ではなかった証拠を耳にした。
「いらっしゃい若菜、さあ上がって・・・」
この時の若菜の笑顔が、この一週間の出来事の最高の報酬だろう。

若菜を自室に案内し、亮は思っていた事を口にした。
「今回の件でわかった事がいくつかあるんだ、俺が若菜の事を好きな事、
 若菜の問い掛けに本気で答えていなかった事、若菜の事を知ろうとしなかった事・・・」
亮は言葉を紡いで行く、若菜は嬉しそうな表情で涙を流していた。
「うん・・・、嬉しいよ、亮君にそう言って貰えるなんて・・・」
亮はクリスマス用に包装された箱を取り出し、若菜に手渡した。
「これは今までの罪滅ぼしと、感謝の気持ち、少し早いけどクリスマスプレゼントだよ」
若菜はその包装に見覚えがあった、ブティック美樹のクリスマス用包装だ。
「亮君、これって・・・」
カシュクールブラウスのセット一式。
これが幾らするか、若菜は十分に知っている。
「若菜の好きな物をこれから覚えて行く、その決意さ、受け取って欲しい」
若菜は亮の気持ちが嬉しく、箱に収められた服を抱きしめ、そしてある事を思いついた。
「亮くん今日デートをしましょう、待ち合わせ時間は午後十時、いつもの場所で・・・」

亮はいつものように、ショッピングモール前で若菜が来るのを待とうと思った。
待ち合わせの時間はいつもと違い、午後十時。
今日はクリスマスイヴの為、まだ商店街が開いていた
目の前にある大きな時計の針は九時五十分まだ二十分あると思った。
「十分遅れて来るのも恒例だからな・・・」
若菜は待ち合わせ場所に十分遅れて来ると思った。
亮の予想を覆し、待ち合わせ場所には既に若菜の姿があった。
若菜はプレゼントしたカシュクールブラウスにアシメトリーフレアスカート姿、
ネックレスを身に着け、黒いブーツを履いていた。

「今日は俺が遅れたかな?」
亮は笑いながらそう言うと、若菜に並び、手を繋いで歩き始めた。
「ううん、ごめんね、いつも遅れてて」
十分の遅刻は亮の本音が聞きたくて、若菜がわざと行っていた事だった。
本当は一回くらい怒って欲しかったようだ。

「さあいつものコースを回ろう、若菜の事、色々と教えて貰うよ」
まずは珈琲に入れる砂糖の数や、好きなケーキの種類。
そんな些細な事を知る事が、今の亮にはとても楽しい事だった・・・。

もう数分で日付が変わろうとしていた。
若菜と亮は商店街を抜けた公園の、色とりどりの電飾が輝く大きな木の前にいた。

「綺麗・・・、でも静かな場所だね」
若菜も亮の部屋で考えていた事があった。
「もうじき二十五日、あ・・・、カウントダウンの声・・・」
〈三・・・二・・・一、メリークリスマス!!〉
商店街から歓声と笑い声が響く。
その時、公園の電飾が輝く大きな木の前で、はじめて若菜は亮にキスをした。

色々な事があったが、クスハは若菜と亮に掛替えの無い物をプレゼントした。
相手を思いやる気持ち、理解しようとする努力。

「亮君、大好きっ!!」

そして、ほんの僅かな勇気だった。

二人は腕を組み、肩を寄せ合い家路に着いた。
この道が幸せな未来に続いている、若菜にはそんな気がした。


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