大江戸石化犯科帳

作:牧師


 小雪の舞うある冬の日、浅草鳥越神社近くの路上で二体の石像が発見された。
一つは三十代半ば位の男の石像で、目の前を睨みつけて両手を広げている姿は、何かを守っているようにも見えた。
 もう一体の石像は二十代後半の女性の石像で、男に背を向け何かを抱えるような姿をしていた。
 この月は南町奉行所が月番であったので、南町奉行所の与力と同心数人がその石像を調べていた。
「こいつは…、たしか飾職人の留吉とそのつれあいのおその…、確か十になる娘がいた筈だが……」
 与力の一人は以前留吉の店で妻に簪を買っていた為、石像の男を見知っていた。
辺りを探索したが石化した娘の姿は無く、男の家を見に行った同心から娘が家にも居ない事を伝えられた。
「二人を石に変えた賊に誘拐されたか、それとも一人逃げて何処かに隠れているのか…」
 与力は思案の上、二人の石像を被害者の家に運ばせてその場を収めた。

 数日後、入谷田圃にある寺側の藪の中で三体の石像が発見された。
いずれも二十代の男で石像に変えられた後、何者かによって藪の奥深くに投げ込まれたようだった。
「芝の料理屋の主人清五郎と小間物屋の久兵衛、大工の佐吉の三人だな」
 南町奉行所の調べで数日の内に三人の身元は割れた。
共に出かけたいた筈の女房の姿は無く、先日の留吉の娘同様行方が分からなくなっていた。
「四人の娘女房だけでなく、このニ月に神隠しに遭っているニ十人余りの娘も同じ賊の仕業かも知れんな」
 南町奉行所の筆頭与力、横田小十郎は苦虫を噛み潰したような顔をし、暫しの間思い悩んでいた。
半刻後、小十郎は駕籠を呼んで同心に行き先を告げ、南町奉行所を後にした。

 数刻後、亀戸にある大きな屋敷に小十郎の姿があった。
江戸には火付け、盗賊を取り締まる【火付盗賊改方】、月代わりで裁事を受け付ける【北町奉行所】と【南町奉行所】があり、
この辺りまでが表向きの賊を取り締まる機関として世に知られていた。
 しかし、この世ならざる物や怪奇な事件を受け持つ裏の奉行所が存在していた。
淫獣や石獣、もしくは其れを使役し人を襲う賊を取り締まる【獣妖改方(けものあやかしあらためがた)】である。

 淫獣とは、淫は陰に通じ、陰は闇と同意、この世ならざる闇より産み落とされ生態は殆どが謎に包まれる獣。
様々な生き物の姿を模し、その殆どが、人間など精神的に進化した生物を特殊な能力で快楽に誘い精気を奪う事、
吸精した対象を石等に(結果的に)変える能力を持つ事、高い再生能力と催淫能力を持つ事位しか伝えられてはいない。
 その淫獣を古来より封印、滅殺する組織があり、その組織を祓い衆という。
 江戸の町は強力な結界に守られている為、淫獣や石獣による事件は過去に一件も起っていなかったが、
淫獣の分泌物や体の一部を使って自らの欲望の為に人を石に変え、石像に変えた美女を他国に売り捌く者は後を絶たなかった。

 獣妖改方に務める者の多くは祓い衆の巫女であったが、奉行を務めるのは七百石取りの旗本、桜宮元信だった。
「此度の件、しかと承りました。後は獣妖改方にお任せ下さい」
 小十郎から事の次第を聞いた元信は直ぐに祓い衆の巫女を呼び、石像に変えられた留吉達を調べに向わせた。
巫女達は石像に変わった留吉や清五郎の首筋に小さな針の痕を見つけ、其処から僅かではあったが手掛かりを手に入れていた。
「使われていたのは催淫効果を持たない強力な石化毒。これはおそらく元身内…、祓い衆に身を置いていた者の犯行と思われます」
 使われていた毒…、淫獣の分泌物が普通の人間の扱える物ではない事、誰にも見つかる事無く娘達を誘拐した事、
それらが祓い衆の巫女であった者の犯行である証拠でもあった。
 石化毒程度であれば薬に通じる者ならば入手可能な物もある、しかし強力な石化毒等については取り扱う者すらいなかった。

 留吉夫妻の石像が見つかる一月前の夕暮れ時、浅草鳥越神社近くの路上を茶屋の娘、おせんが歩いていた。
人影はなく、カラスの鳴き声だけが辺りに響いていた。
「はやくおうちに帰らないとおっとうに叱られてしまう…、な…何?」
 日が完全に沈んだ訳でもないのに辺りが急に薄暗くなり、遠くが薄ぼんやりと霞んでいた。
そしておせんの目の前に小さな鏡が現れ、おせんのまだ幼さの残る顔を映していた。
「これ…なに…、きゃあぁ…」
 鏡に映っているのが自分の顔だとおせんが気付く前に、おせんの身体は鏡に吸い込まれ、後には小さな鏡だけが残された。
「ふふっ…、祓い衆鏡面封印。そのまま連れて行くと目立つからその中で我慢して貰うわ」
 何処からともなく煌びやかな着物を着た女が現れ、おせんが封じ込められた鏡を袖の中に隠し、何処かに姿をくらました。

 おせんが目を覚ますと、其処は十畳程の広さの牢屋の様な場所だった。
「此処は…」
「此処は私が苦心して作り上げた地下室。そして貴女は此処に招かれた初めてのお客」
 おせんが声がした方に顔を向けると、煌びやかな着物を着た女が立っていた。
女は小さな壷を右手に持ち、柵の間からその壷を牢屋の中にいれ、その蓋に手をかけた。
「出てきなさい可愛い私の下僕、餌をお食べ」
 女が壷の蓋を開けると、中から壷より遥かに大きなハエトリグモが這い出てきた。
ハエトリグモは子供の頭程もある大きな目でおせんを捉え、針金の様な毛の生えた太い足をおせんの顔に近づけた。
「ひぃ…」
 恐怖のあまり声を出す事も出来ず、おせんは顔を真っ青にし、冷たい石の床の上で身体を震えさせていた。
ハエトリグモは赤い大きな目を真っ赤に輝かせ、其処から放たれた光がおせんの身体を照らした。
「あ…ああぁぁっ!!」
 おせんの身体を稲妻の様な何かが貫いた。
おせんは生まれて今まで感じた事の無い甘美なその刺激が、絶頂の快楽である事など知るはずも無かった
齎された快楽により全身から汗を噴出させ、上下の口から涎を垂らし、柔らかい肌を硬い灰色の石へと変えていった。
牢屋の中にパキパキと乾いた音が響き、やがてその音が静まると粗末な着物を着た少女の石像が出来上がった。
「うぶな町娘はこの位の事で石に変わってしまうんだねぇ…。さあ、壷の中にお戻り」
 巨大なハエトリグモは女に命じられ這い出した壷の中に戻り、牢屋には淫靡な姿で石に変わったおせんだけが残された。
「苦しい修行の末に手に入れた術の数々。わたしの美と永遠の命の為に使わせてもらうわ…」
 女の名は高清水雪、元祓い衆の巫女で石獣や淫獣を封じ込める術で右に出るものは居ないとまで言われた者である。

 高清水家は古来より封魔の術に長け、代々祓い衆においてその術により多くの淫獣や石獣を封じ込めてきた。
しかし、その術による凄まじい精気の消耗の為に皆短命に終わり、一族の寿命を平均しても三十代にもならぬ程だった。
 雪はその捨て駒の様な生き方に疑問を抱き、村に伝わる秘術の記された巻物を読み、密かに淫獣の使役方を習得し、
里に封じられていた一匹の淫獣を手に夜陰に姿を消した。
 雪だけでなく、苦しい修行に耐えられず、また村の男と恋に落ち祓い衆を抜ける者は数多く居た為、特に追っ手は無かった。
そして数年後、雪は中国すじで封じられていたハエトリグモ型の淫獣を使い幾人もの娘をその手にかけ、物言わぬ石の人形に変えていた。
 雪は出来上がった娘の石像を闇商人に売り払い、莫大な資金を手にしていたがやがて各地の祓い衆に追われ、
強力な結界が守っていた為比較的警戒の薄い江戸の町へ姿を現したのだった。

 獣妖改方の桜宮元信の元へ横田小十郎が出向いて更に半月が経った。
誘拐された娘は三十人を超え、雪が気に入らなかったのか、路上で見つかった女や男の石像の数は留吉を入れ十五人を超えた。
 雪が懇意にする闇商人が地下牢より石像に変わった娘を藁で厳重に包んで運び出し、大きな土蔵の中へ集め、売り捌く準備をしていた。
石像に変えられた娘が美人であるかも大きく値に関係するが、年齢、表情、姿形、傷等も入念に調べられ、帳簿に記されていた。
 その闇商人が出入りする土蔵を見張る数人の女が居た。
獣妖改方の密偵りつと、祓い衆の巫女の如月春だった。
 春やりつと入れ替わりに数人の巫女が一時も目を離さずに交代で土蔵を見張り、七日かけて闇商人達の正体を暴いていた。

「土蔵に出入りしているのは菱屋炭兵衛と手下十名、それに娘を誘拐しては石人形に変えている張本人、元祓い衆の高清水雪です」
 獣妖改方に仕える祓い衆の巫女影咲千代が七日かけて調べ上げた事を桜宮元信へ報告をしていた。
千代は土蔵に出入りする手下の後をつけ、元祓い衆の雪の存在を調べる事に成功した。
遠見の護符を使い、地下牢で雪が壷から解放ったハエトリグモ型淫獣に精気を吸われて、娘が石に変えられるのを密かに見ていたからだ。
 そして今夜、雪と炭兵衛一味が土蔵に集まる事まで調べ上げていた。
「今夜土蔵に踏み込み、元祓い衆巫女高清水雪と闇商人菱屋炭兵衛を討ち取る」
 本来盗賊は召し捕った後、取調べの後に罪状が言い渡される物であったが、妖術使い、淫獣使い等はたとえ縄をかけ牢に捕らえていても、
生かしておくと何をするか分からない為、獣妖改方に捕縛時の斬殺等全ての権限が特別に許されていた。

 その日の四ッ半(午後11時)雪と炭兵衛は手下を引き連れ、土蔵で石に変えた娘達の取引をしていた。
もともと雪は娘達から精気を奪って石に変える事が目的で、それにより銭を稼ごうとは思っていなかったが、
炭兵衛と良い関係を保つ為、面倒だと思いながらも値段の交渉に付き合っていた。
「この娘は表情が今ひとつなので、この位で…」
 炭兵衛は脂ぎった顔に下卑た笑いを浮かべ、少し恐怖でゆがんだ少女の石像の頬を撫で、算盤の珠を弾いていた。

 千代が遠見の護符を使い炭兵衛と雪が土蔵に居る事を確認し、獣妖改方の与力と同心、それに祓い衆の巫女が土蔵の入り口を取り囲んだ。
巫女達が声を上げさせる事も無く見張りの男数人を捕らえるとそれを合図のように体格の良い同心数人が大きな槌を振り上げ、土蔵の扉を打ち破った。
「獣妖改方の桜宮元信である。凶賊高清水雪!!ならびに菱屋炭兵衛!!神妙に縛につけ!!」
 与力と同心は刀を手に、祓い衆の巫女達は札や小さな壷を持ち、雪や炭兵衛の出方を待っていた。
「おのれ!!」
 炭兵衛の手下が手に短刀を持ち、一斉に与力達に向かって切りかかった。
与力達は狭い土蔵内であるにもかかわらずかすり傷一つ負わずに一人、また一人と炭兵衛の手下どもを打ちのめし、その身体に縄をかけていった。
「うわぁぁぁっ!!」
「ば…化け物!!」
 炭兵衛とその手下を全員捕縛した時、雪は少女達を毒牙にかけてきたハエトリグモ型淫獣を解放ち、獣妖改方の巫女達を次々に襲わせていた。
「与力、同心の方々はお引き下さい。ここは我ら祓い衆にお任せ下さい」
 与力達を逃す為にハエトリグモ型淫獣に立ち向かった祓い衆の巫女達をだったが、ハエトリグモ型淫獣眼に射抜かれ、
幾人もの巫女が淫靡な表情を浮かべたまま石像へと変わっていった。
 仲間の巫女が石像に変えられても動揺する事無く、春や千代はハエトリグモ型淫獣の死角に上手く潜り込み、
ハエトリグモ型淫獣の針金の様な毛の生えた太い足を一本ずつ吹き飛ばしていった。
「やるわね…」
 幾人もの犠牲を出しながらも千代と祓い衆の巫女はハエトリグモ型淫獣を打ち倒す事に成功した。
この時土蔵の中には、元祓い衆巫女高清水雪、獣妖改方長官桜宮元信、影咲千代と如月春、それに祓い衆の巫女数人のみが残っていた。
「罪の無い娘達をその手にかけたのだ、元祓い衆の巫女とはいえ断じて許せぬ。この場で切って捨てる!!」
 元信は太刀を正眼に構え、じりじりと雪との距離を詰めた。
雪は元信の気迫に圧倒されて、壁際まで追い詰められた。そしてそれ以上下がれない事を確認すると不敵な笑みを浮かべて右手で口元をそっと隠した。
「フッ!!」
 雪は隠し持っていた吹き矢を放ち、留吉達のように元信を石に変えてこの場を逃れようとした。
しかし元信は事も無げに放たれた矢を弾き飛ばし、手にした太刀で雪の身体を切り裂いた。
「う…あああっ!!」
 切り裂かれた雪の体からは一滴の血も流れなかった。
雪の身体は切られた場所から急激に石に変わり、今までその手にかけて来た娘たちと同じ様に物言えぬ石像へと変わり果てた。
「妖刀石走…。刀身に淫獣の体の一部を溶かし込み、淫獣の体液で鍛えた妖刀だ…」
 石走を鞘に収め、千代達に後の指示を出して元信は一人獣妖改方へと戻っていった。

 数日後、元祓い衆巫女高清水雪の石像は祓い衆宗家の元へ送られ、永遠に封じられる事が決まった。
石像に変えられた娘は家族と短い再会をした後、江戸より遠く離れた場所に建てられた社の中に厳重に収められた。
 江戸の町に平和が戻り、娘が誘拐される事件は起らなくなったが、その陰で活躍した獣妖改方の存在は人々に知られる事は無かった。


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