冒険者アイン 出会いと別れと再開

作:牧師


 薄暗い洞窟の最深部を六人の冒険者が慎重な足取りで進んでいた。
何処からか水が湧き出ているのか、壁には苔が生い茂り、天井からは植物の根の様な物が吊り下がっていた。
殆ど人の手が入っていない事から、如何にこの場所がこれまで人の進入を拒んでいたかが窺い知れた。
 厳密に言えばこの洞窟にはもう一つ進入経路が存在する、にも拘らず六人の冒険者がこの道を進んでいるのには訳があった。
一つは進みにくいこの道が一番安全である事、そしてもう一つの理由はもう一つの道が人が通れる道ではない事だった。
そのもう一つの道を通ってこの洞窟の最深部に棲みついているのは、近隣の村を襲い、甚大な被害を出している一匹の火竜だった。

 火竜がこの山に棲みついたのは数ヶ月前の事だった。
最初のうちは竜を刺激しない様にこの山に近づかない様にしていた村人だったが、竜は生態系を完全に無視して山の動物を襲い、
山の動物が少なくなると、今度はふもとの村々を襲い、牛や馬などの家畜をその巨体を維持する為の食料に変えていった。
 山を荒らされ、家畜を失い、生活の術を失った村人が近くの街の警備隊に火竜の退治を願い出たのは、それから数日後の事だった。
そして其処からファウロの冒険者ギルドに依頼が出され、その依頼を受けた四人の冒険者と助太刀をお願いされた二人の冒険者が火竜退治に向う事になった。

「まったく、警備隊のボンクラも冒険者ギルドの頭が固い奴らも、事の重大さがわかっとらんのだ、依頼があってから三ヶ月経っとるだと?
村で話を聞いて呆れ返ったわ!!それにたった六人で火竜退治に行けとは正気の沙汰ではない。まあ、お前さんが居てくれて助かったがな」
 そうぼやいているのは、助太刀でパーティーに加わったオルトリンド、今年六十三歳になる老魔法使いだ。
右手には古代樹で作った杖を持ち、羽織っている薄汚れたローブの下に様々な触媒の詰まった瓶を仕込んで竜との決戦に備えていた。
「まあ、そうぼやきなさんな、気持ちは分かるが…。今まであいつらの対応が早かった事があったかね?今回は依頼を受け付けただけでもマシな方だ」
 先頭を行く剣士風の男が笑いながら老魔法使いと話をしていた。
今から火竜と剣を交えるというのに、男の声には微塵も恐怖が感じられなかった。
 男の名前はアイン・ボーエン。ファウロの街を拠点に活躍している冒険者である。
「すみません、私達も後五人、冒険者の方を同行させて貰えるようにお願いしたのですが、ギルドの方にこれ以上は紹介できないと断られてしまいまして…」
 アインに小さな声で話しかけたのは、僧侶のリアン。
オルトリンドとアインをこの依頼に巻き込んだ形になったと思い、本当に申し訳無さそうな顔をしていた。
「流石に火竜は私達だけではキツイからな。それよりリアン、そろそろ竜の巣だ、お喋りはこの位にしておこう…。アリシア、ルナ、準備を」
 戦士でパーティーのリーダーをしているレミがウィザードのアリシア、シーフのルナに火竜戦の準備を促がした。
四人は冒険者にしては珍しい、全員が二十歳程の年齢の女性だけのパーティーで、この事もギルドが他の冒険者を紹介しなかった理由でもあった。

 ルナが竜が潜む洞窟最深部の大空洞を足音も立てずに偵察し、火竜が村から連れ去った牛を食べ終わって、今は寝ている事をレミ達に伝えた。
アインはルナに大空洞内の地形、特に火竜に辿り着くまでの障害物や床の状態を詳しく聞きオルトリンドと細かい打ち合わせをした。
「不満があるだろうが聞いてくれ。まず俺達が仕掛ける。出来るだけリスクを減らす為だ。それでも最悪の場合撤退する事になるかもしれんがその時は迷わずに引いて貰う。
上手くいった場合は火竜の動きを暫く封じる事が出来るだろう。その間に俺とレミは翼か足を切り刻み火竜の機動力を奪う。あの巨体で自由に動かれては命が幾らあっても足りんからな。
その後、状況にもよるが、最終的にはオルトリンドとアリシアに氷の槍系の呪文を唱えて貰う事になる。おそらくそれがトドメになる筈だ」
 アインの提案を聞き、レミは渋い顔をしたが、リアンに説得され最終的にはその作戦を容認する事になった。

 レミがバスターソード、アインが刀を鞘から抜き、オルトリンドとアリシアがそれぞれに打ち合わせをしていた通りの強化呪文を唱えていた。
大空洞の入り口から竜の懐までの距離はニ十メートル、気付かれれば火竜の炎のブレスに全身を焼かれる距離だった。
「アイン…」
 オルトリンドが声には出さず、口の動きだけでアインに何か合図をした。
アインは小さく頷くと、身体を少しだけ屈めて、刀を水平に構え、火竜の身体の一部をみつめていた。
「ふん!!」
 刹那、レミの横からアインの姿が消えたかと思うと、アインは僅か一閃で鋼線より強靭な火竜の筋肉をまるで藁束の様に切り裂き、
数メートルはある火竜の左翼を、付け根の部分からバッサリと切り落としていた。
火竜の傷口からは夥しい量の血液が噴出し、大空洞内に濃い鉄の臭いが充満した。
 突然の痛みの為に火竜は激しく暴れ、鮮血が四方に飛び散った。
火竜の足元では溜まった血液が地面に真っ赤な血の池を作り上げている。
 片翼を失った火竜は当然目を覚まし、痛みと怒りの為に普通の人間ならショックで死んでしまう程の咆哮を上げた。
大空洞内に爆音の如き咆哮が響き、天井からレミ達の頭上に小石や砂がパラパラと零れ落ちた。
 火竜はその身を傷付けた愚か者を探すべく、怒りの為真っ赤に充血した眼で足元を睨み付けた。
しかし其処には既にアインの姿は無く、切り落とされた火竜の翼だけが転がっていた。
「すごい…、一太刀で翼を落すなんて…」
 一瞬、我を忘れていたレミはアインから数十秒遅れて大空洞内に入ろうとした、しかし、オルトリンドは杖でレミを制し、まだその時ではない事を伝えた。
オルトリンドは触媒の詰まった瓶を夥しい血で真っ赤に染まった火竜の足元に投げ、杖を構えて呪文の詠唱に入った。
「大地に生まれし新たな息吹よ、愚かなる者を鋼より硬きその身で捉えよ!!」
 オルトリンドが呪文を唱えると、黒い針金の様な蔓が地面から生え、片翼を無くした火竜の足元を登り、その身にまるで糸車の様に巻き付いた。
火竜はその蔓を引き千切ろうとして足や首を動かすが、かえってその身に蔓を食い込ませる事になり、地響きを立ててその巨体を地面に転がした。
蔓の比較的絡まっていない翼や右足をレミとアインが斬り付け、鋼より硬いと言われる火竜の鱗を魔力で強化された武器で切り刻んでいた。
「…………氷の槍となり、立ち塞がりし者を貫け!!」
 アリシアが長い呪文の詠唱を終え、両手をもがき苦しむ火竜に向け力ある言葉を解放つ。
無数の氷の槍が蔓で身動きの取れない火竜の身を貫き、噴出した夥しい量の鮮血が大空洞の地面を更に真っ赤に染め上げた。
やがて火竜はその身から殆どの血液を失い、力なくその巨躯を横たわらせ、立ち向かったオルトリンド達より遥かに長い生涯を閉じた。

「お二人だけでもあの火竜を倒せたんじゃないんですか?」
 ファウロの街に戻り、ギルドに火竜の引渡し等の手続きを済ませて、ファウロの一角にある酒場【幻想の夜】で祝杯を挙げている時にルナが聞いてきた。
アインはワインを、オルトリンドはビールを飲みながら小さく笑った。
「あそこまで楽に倒せたのは結果に過ぎん、第一、アインの初太刀で翼が落せるかどうかは賭けに近かった。元々は飛べなくするのが目的だったからの」
「まあ嬢ちゃんはまだ若い。もう少し場数を踏めばわかる様になるさ…」
 実際、火竜が寝ていなかった場合、もしくは初太刀で殆ど傷をつける事が出来ず火竜が自由に空を飛べた場合、この中の何人か欠けていてもおかしくはなかった。
今回は偶々最高の状態で戦いに臨めて、誰一人欠く事無く戻って来れたのだが、まだ経験の浅いルナにはそのあたりがよく分かっていなかった。
「そういえばあの後、冒険者ギルドで何か依頼を請けてたみたいだが、場所が近くなら喜んで手を貸そう。勿論格安でな」
 オルトリンドは孫程に歳の離れたアリシアが可愛いらしく、あわよくば弟子にしようと考えていた。
無論、アリシアの魔法の才能を見抜いての行動だが、ルナなどはテーブルの隅で笑いを堪えて肩を震わせていた。
「残念だが只の調査依頼だ。国自体は数年前に滅んだが、レジン王国が魔族を使って他国を侵略していたおかげで、近隣諸国でおかしな事件が相次いでるらしい。
魔族の残党や召喚された魔獣の仕業だと思うが時間は掛かるし場所は遠いぞ。依頼料が高いので私達は別に構わないが…」
 アリシアに変わって答えたのはレミだった。
こういった依頼の場合船賃などの旅費も依頼主が支払う事が多く、長距離を移動する冒険者は移動の片手間にこういった依頼を請けることが多かった。
 レミの言う旧レジン王国の周辺諸国といえば、一番近い国でも船を使って二ヶ月は掛かった。
しかも依頼内容が依頼内容だけに、いつ終るとも知れなかった。
「そうか…、それは残念じゃな。もしまたこの街に来る事があればこの酒場に顔を出してくれ。わしはともかくアインは必ず居るじゃろう」
 オルトリンドは豪快に笑い、アインは苦笑いをしてワインの入ったカップを傾けた。
その日の夜遅くまで酒宴は続き、二日後、レミ達は新しい依頼の為にファウロの街を後にした。

 五年後、アインはオルトリンドの研究室の地下にある小さな部屋でレミ達と再会した。
四人は一糸纏わぬ艶やかな姿でサファイヤの宝石像に変わり、出合った時とはまるで違う淫靡な表情を浮かべていた。
 アインは真っ青なサファイアの宝石像に変わったレミに手を触れた。
すると、以前人であったとは思えない冷たい石の感触がアインの掌に伝わってきた。
「まさかレミ達が宝石像に変えられるとは…。相手は魔族か?いや…そんなことが分かる筈も無いか…」
 サファイヤの宝石像に変えられた現場を見ていなければ、何に宝石像に変えられたかなど知る術が無い事はアインも知っていた。
魔族や宝石化能力を持った生物だけではなく、魔法、毒物、呪い等人間を宝石に変える方法が幾らでもあったからだった。
「アインよ…、ワシはもう年だ。生きているうちにアリシア達を元に戻せる方法が見つからぬかも知れん、その時はすまんが後を任せた…」

 オルトリンドがサファイヤの宝石像に変わったアリシア達を見つけたのは、まさに奇跡と言えた。
二年前、普段は滅多に足を運ばない闇市に顔を覗かせた所、アリシア達は同じくサファイヤ像に変わった他の女性と共に売りに出されていた。
人間が宝石に変えられていたのがわかっていた為に宝石としての価値は無く、二束三文で叩き売られていたのをオルトリンドが買い取ったのだった。
 以来オルトリンドは一人で彼女達を元に戻す方法を探し、様々な古文書や魔道書を調べたのだが、この日に至るまでその方法が見つからず、
万が一の時を考えアインに全てを告白したのだった。
「世界が良くない方に変わっておる。魔族、魔獣、それに滅んだはずの古代種…。それらが目を覚ましたようじゃ…」

 この年、他の国でも石化や宝石化能力を持った魔物や古代種が次々と目撃された。
冒険者達だけでなく、町や村で静かに暮らしていた人々にまでその魔の手が伸び、目撃した人の多くは石像や宝石像に変わったが、
その変わり果てた姿が見つかった事で、それらの能力を持った存在が明らかになっていった。


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