冒険者アイン

作:牧師


「はははははっ、いやーうまい最高だ!!」
 山間の小さな街ファウロの一角にある酒場【幻想の夜】のカウンター。
まだ日も高い時間から、一人の男が木のコップに注がれたビールを、ゴキュゴキュと喉を鳴らして飲み干していた。
 男の名前はアイン・ボーエン、二十年以上続けている熟練した冒険者だ。
前日に終えた仕事の報酬を携えて、数日振りの酒に舌鼓を打っていた。
三十歳を過ぎ、やや若々しさは無くしていたが、技量はいささかも衰えてはいなかった。

 この時間、店内に居るのは常連の白髪の老人や冒険者風の若者数名、酒場のマスターとウエイトレスだけだった。
「俺はうまい酒を飲む為に冒険者やってる様なものだからな、マスター!!もう一杯注いでくれ!!」
 酒場のマスターはコップを受け取ると、慣れた手つきで樽からビールを注ぎアインの前に差し出した。

 やがて日が落ち、酒や料理を求める人々や流しの吟遊詩人が次々に店を訪れていた。
アインは相変わらずカウンターで鶏の香草焼きを酒の肴に酒のコップを傾けている。
 その時、店内に数人の男が勢い良くドアを開けて入り込んで来た、男は店内を見渡すとマスターに問い掛けた。
「此処にアイン・ボーエンという男がよく来るそうだが今日は来ていないのか?」
 マスターは目の前で酒を飲んでいるアインにそっと視線を向けると、男に向き直り答えた。
「あんた方は誰だ?アインの奴に何か用かね?」
「ああ、急ぎの仕事を頼みに来たんだ、で、アイン・ボーエンは今此処に居るのか居ないのか?」
 アインは急ぎの仕事という言葉に反応し、革の財布から銀貨を十枚取り出すと、カウンターに置き席を立ち、
しっかりとした足取りで男達の元に歩み寄った。
「俺がお探しのアイン・ボーエンだ。話は此処で出来るのか?それとも場所を変えるか?」
 男達は互いに顔を見合わせ小さく頷くと、アインに小声で手短に説明を済ませ、店の外へと連れ出すと、
待たせてあった馬車に乗せ走り去っていった。

 馬車はファウロを離れ、更に小一時間ほど走り近隣最大の都市マディルに辿り着いた。
「何処まで行くかと思えばマディルとはな。いい気分だったのに、すっかり酔いも醒めちまったよ…」
 アインがぼやく間も馬車は街を走り続け、大きな邸宅の門を潜り抜けて豪華な玄関の前でようやく停止した。
男達は馬車のドアを開けてアインを降ろすと、邸宅の奥へと足早に案内した。

 アインが案内された部屋は高価なガラスを贅沢にあしらった豪華なシャンデリアや、大きな絵画で飾り付けられ、
大きなテーブルには南方から取り寄せたと思われる果物が、一般市民には考えられない量で山積みされていた。
『金って奴は在る所には在るもんだな…、まあ俺にはこんな贅沢な暮らしをするような金は必要じゃないがな』
 冒険者をしているアインにとって金は酒を飲む為だけの物で、それ程までには必要にしてはいなかった。

 アインがテーブルに着いて暫くすると、数人のメイドを伴い、一人の男が神妙な面持ちで部屋に入ってきた。
男はアインの正面の席に着くと、前置きも無しに用件を切り出した。
「娘を探し出して貰いたい」
 一瞬、アインは男が何を言いたいのか理解が出来なかった。
「あ〜、呼び出されておいてこんな事を言うのもなんだが、人探しはなら警備隊に頼んだ方が安いし確実だ。
確かこの街には近隣でも有数の警備隊が常駐してる筈だな?何で俺みたいな冒険者に人探しを頼む?」
 アインの言葉を受け、男はメイドからある物を受け取り、テーブルに並べた。
「勿論警備隊にも頼んだ、問題なのは娘が向かった場所だ、【帰らずの神殿】といえば分かるだろう?」
 帰らずの神殿…、それは熟練した冒険者達でさえ誰も探索に向かわない禁断の遺跡の事だ。
遺跡が発見されたのは数百年前と言われているが、遺跡に挑んで無事に生還した者は数える程だと言われている。
熟練した冒険者でもないであろうこの男の娘が遺跡に行くなど、自殺行為以外の何物でもなかった。

「警備隊が十数名向ったそうだが一週間経っても誰一人帰ってこない、まだ遺跡を探索してるのかも知れないが、
手遅れになる前に何とか娘を探し出して欲しい」
 既に手遅れになってる気もしたが、人の生死に敏感なアインは男の話を真剣な表情で聞いていた。
男は大きな皮袋と、娘の肖像画の描かれた一枚の羊皮紙をアインの前に差し出した。
「依頼料は前金で金貨二百枚、娘を無事に探し出してくれたら更に千枚支払う、どうだ?引き受けて貰えるか?」
 冒険者に対しての依頼料が前金で金貨二百枚…、それがどれだけ一般人の常識から外れているかと言えば、
王宮の警備兵の年収がおおよそ金貨五〜六枚と言われ、一家四人が一年間そこそこ贅沢な暮らしをしても、
金貨二枚あれば十分お釣りが来る、生命の危険がある任務とはいえ、人一人に対して払う金額ではなかった。
「もし仮にだ、引き受けたとして娘さんが見つかるまで、俺は一生あの遺跡を探し続けなければいけないのか?」
「一ヶ月探して手がかりが無ければそう報告してくれればいい、無論、一ヶ月間は全力を尽くして貰いたい」
 男の言葉を聞き、結局アインはこの依頼を引き受ける事にした。
できれば無事に娘をこの男の元へ届けてやろうと、心の中で決意しながら。

 数日後、準備を整え遺跡へと辿り着いたアインは大きな岩に腰掛、皮袋に入ったワインで喉を潤していた。
広大な神殿を数百年の歳月をかけて森が侵食し、壁や柱は崩れ落ち、所々に大きな木が地面から聳えてはいたが、
木の生えていない所では、焼け付く様な日差しが直接地面を照りつけ、定期的に水分を補給しなければ危険だった。
「警備兵が探索に来たのならもっと荒れてると思ったんだが、今の所は娘の手がかりも警備兵の姿も無しか…」
 荒れているとは、モンスターとの戦闘の後や野営の後、踏み荒らされた藪や切り落とされた木の枝など、
人が入った痕跡の事だった。
 アインはこの数日で幾度と無くモンスターや野生動物との戦闘を余儀無くされていた為、今まで探索した場所の、
あまりの人の入った痕跡の無さに戸惑っていた。

 次の日、アインはようやく人の通った形跡を発見した、足跡は大きく、人数から予測して警備隊の物と思われた。
木の枝が一定の高さまで綺麗に薙ぎ払われている所や、足跡から予測される隊列からある事も予測する事ができた。
「何かを守っている?いや、それにしては奇妙な点もあるな…」
 幾つかの疑問を感じたが、他に手がかりが無い為にアインは足跡を辿る事にした。
数十分ほど足跡を辿ると、そこには警備兵が居た、むしろあったと言った方がこの際的を得ていたかもしれない。
鉄で出来ていた筈の鎧も、風で靡いたマントも全て灰色の石へと変化しており、最後の瞬間のまま動きを止めていた。
 此処にある警備兵の石像は九体、そのうち七名は一人を囲む様に一箇所で石像へと変わっていた。
「なるほど…、何かに石像に変えられた真ん中の隊員を周りの六人で運んでた訳か…、足跡が妙に沈んでたのも、
隊列がおかしかったのもこのせいか…」
 アインは神経を研ぎ澄まし辺りを伺ったが魔物の気配は無い、警備隊員を石像に変えた何かは此処には居なかった。
魔物の手掛かりを見つける為にアインは石像を調べ始め、幾つかの石像を調べるうちにある事に気がついた。
「あっちで剣を構えたまま石像に変わった二人はともかく、この六人の顔向きから考えれば視線じゃ無さそうだな、
メデューサ系の魔物の可能性は消えた訳だが、かえって厄介な魔物の可能性の方が高くなった訳か…」

 生き残った警備隊が此処から進んだ形跡が見当たらなかった為、アインは警備兵が逃げて来た方向に進む事にした。
足跡を辿ると、遺跡の地下へと続く薄暗い入り口が大きく口を開け。そこには石の階段が地下へと伸びていた。
「足跡は此処で終わりか…、向うの繁みの痕跡は此処へ辿り着くまでの道だったんだろうな…」
 アインは荷物の中から松明と火打石を取り出し、慣れた手つきで松明に火を灯し、意を決して階段を降り始めた。

「ようやく部屋に辿り着いたか、さて此処には何が…、何だこの石像の数は?」
 部屋の中には夥しい数の石像が所狭しと並んでいた、殆どは若い女性を模した物で、祈りを捧げる神官風の石像、
怯える姿をしたまだ幼い少女の石像、剣を構えた戦士風の石像など、少なくとも百体は超えていた。
 部屋を見渡すと中央に祭壇の様な物があり、その前にも一人の少女の石像があった。
祭壇を見上げる様な格好尻餅をつき、右手を祭壇に向けて伸ばし、何から逃げようとしている様にも見えた。
 アインは少女の横顔に何故か見覚えがあった気がし、懐から受け取っていた肖像画の描かれた羊皮紙を取り出した。
石像に変わった少女は目を開き、口を大きく開け驚いた表情で時を止めていた、それに対し、
肖像画の少女は優しく微笑み、穏やかな表情をしていたが、この二人が同一人物である事をアインは確信した。

「この子が一人で此処まで辿り着けたのなら冒険者の素質十分なんだろうが、おそらくそうじゃないだろうな…」
 少女の周りで石に変わり果てた、警備兵と思われる五人の戦士の石像。
少女に続き巻き添えを食った形で、この五名が警備兵の中で最初に犠牲になったのは十分予測できた。
 アインは石像に変わった少女が見上げている祭壇に視線を向け、石版に刻まれていた古代文字に気がついた。
「この祭壇に祈りを捧げよ、異界より訪れし者が、祈りを捧げし者に永遠の時を与えん…、か、
まあ解釈次第ではこうなるとは思わんだろうな」
 善意に解釈し、永遠の若さが手に入ると考えるのが普通だろう。

 その時、アインは祭壇の陰で蠢く、一体の魔物に気がつき、気配を消して背後に忍び寄った。
次の瞬間、魔物がアインに向き直るより速く、腰に帯びていた刀で魔物の胴と首を切り離した。
魔物はその場でのた打ち回り、紫色の血液を辺りに撒き散らしながら黒い灰の様になり跡形も無く崩れ去っていった。
「この消え方、こいつは魔族か…、助けに来るのが遅れてすまなかったが、仇だけは討ってやったぜ」
 アインは石像に変わった娘の肩を軽くぽんぽんと叩いて、娘と共に犠牲になった警備兵に歩み寄った。
その中の一人にアインは目を留めた、其処にはアインが以前付き合っていた女性の姿があった。
「マディルで警備兵をやってると言ってたが、まさかこんな所で会うとは皮肉な運命だな」
 以前と変わらぬ美しい姿で、おそらくは永遠に美しいままになった昔の女に別れのキスをし、アインは遺跡を去った。

 一ヵ月後、大規模な捜索隊に運ばれた娘達の石像がマディルの街に届けられた。
男は物言わぬ石像に変わり果てた娘を優しく抱き締め、暫く其処を離れる事は無かった。

 マディルに石像に変わった娘達が運ばれた日、ファウロにある酒場【幻想の夜】にはいつも通りアインの姿があった。
「今日は俺の奢りだ、存分に飲んでくれ!!」
 男はアインに成功報酬とし金貨五百枚を手渡した、アインは助けられなかった事に責任を感じ辞退したが、
半ば強引に手渡された為、いつも酒場に来る皆に酒を驕る事にしたのだった。

 石像に変わった娘や昔の彼女がその後どうなったのか、アインの元に届く事は無かった。
魔族による石化を元に戻す為には非常に入手困難な宝玉が必要だが、男の財力なら手に入れられたと信じていた。


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